早いもので2017年を迎える。鬼に笑われそうだが、関西の新年といえば各地のえびす神社が毎年1月9~11日に開く「十日えびす」だろう。花を添えるのは福ささなど縁起物を授与する福娘たち。就職活動に有利とかアナウンサーの登竜門との噂も聞くが、福娘になると実際得る福は多いのだろうか。直接会って確かめてみた。
12月3日、「えべっさん」で知られる今宮戎神社(大阪市)の福娘選考会に足を運んでみた。数あるえびす神社の中で最大規模を誇る選考会。2908人の応募者から選ばれた50人の福娘が4人の代表の座をかけて自己PRしていた。
審査員を務める大相撲の高砂部屋のおかみ、長岡恵生さん(53)に話を聞いた。実は自身も1984年の福娘とのこと。ただ福娘と相撲部屋のつながりが分からない。不思議に思いつつ福があったか尋ねると、「福娘がきっかけで縁談が決まったのよ」と驚きの答えが返ってきた。
何でも、十日えびすのテレビ中継で当時大関の朝潮(現在の高砂親方)のファンだと話したところ、人づてに発言が朝潮本人に伝わり、1年後にお見合いすることに。とんとん拍子で部屋のおかみとなった。「福娘になったことで人生が変わった」とほほ笑んだ。
訪ね歩いて会った福娘経験者15人に福を尋ねると、みな「人脈が広がった」と答えた。十日えびすの3日間はほとんど休憩なく朝から晩まで奉仕に勤める。激務を乗り切った仲間としての絆が深まり、十日えびす後も付き合いが続くようだ。今宮戎では毎年6月に福娘の同窓会を開いており、その場で出会ったOGの話を聞いて、就活に役立てた人も多い。
福娘の知名度は関西では抜群。アナウンサーになる人も多く、元TBSの進藤晶子さんもOGの1人だ。フリーで活躍する米田依代さん(33)は「肩書に福娘があるとアナウンサーとして箔がつく」と話す。番組のオーディションを受ける際の書類審査はほぼ通過でき、特に在阪局では面接で必ず触れてくれるという。
そんな福娘が今宮戎神社で始まったのは53年。戦後大阪ミナミの料亭が次々と閉まり働く芸妓(げいこ)の数も減少。芸妓がかごに担がれて商店街を練り歩く十日えびすのメインイベント「ほえかご行列」が縮小し始めたのを受け神社で選んだ福娘を行列に加えた。
今宮戎より歴史が古いのが服部天神宮(大阪府豊中市)だ。起源は51年。宮司の加藤芳哉さんは「最初に福娘を始めた」と語る。同年「豊中えびす祭り」を始めた際に先代の宮司が考案した。当時は社務所の中でみこが縁起物を授与していたが、華やかに着飾った女性が表に出て福を分けた方が盛り上がると考えた。
今宮戎と服部天神では福娘の選び方も異なる。今宮戎は3回面接するが1次、2次は名乗った上で面接官の前を歩くだけ。福娘が参拝者と接するのは短時間のため声の張りや雰囲気など「瞬間の輝きを重視する」(神主の松原栄一さん)。満18~23歳の未婚女性が条件でほぼ全員が大学生だ。
服部天神は書類審査の後に面接が1回。30秒間の自己PRでの大きな声と笑顔がカギのようだ。応募は25歳まで可能で、社会人が選ばれることも珍しくない。今回32人中6人の代表の1人に選ばれた長田理恵さん(25)は静岡県浜松市の製菓会社で働いている。
西垣舞花さん(30)は調剤薬局で働きながら2011年の福娘に選ばれた。応募を会社に伝えておらず、代表に決まり急きょ休まねばならなくなった。薬剤師は直前の休暇取得が難しいが、当時の上司が事業部長に掛け合ってくれた。「会社にも福を連れてきてくれ」と後押しされたという。福娘ともなれば会社だって応援する。それが福娘だ。
福娘に福多し。そう実感できた。福娘の奉仕は神事の一環。霊験あらたかで、磨かれた福娘の笑顔を見れば、こちらも福を授かって良い一年になりそうだ。
(大阪経済部 上田志晃)