【あの時・ビートルズ台風到来】(2)マネジャーが「絶対書くな」と語気を強めたジョンの一言
ビートルズは東京・永田町にある東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル 東急)の10階を貸し切って宿泊した。厳重な警備でファンはホテルに入ることもできない。それでも多くの若者が外から部屋を見上げた。
マスコミ各社には「会見以外の個別取材はなし」と通達されたが、各社とも何かあればすぐに動けるように、同じホテルに泊まった。音楽誌「ミュージック・ライフ」の編集長、星加ルミ子は8階に部屋を取った。実は前年にビートルズを日本のメディアとして初めて独占取材した縁で、広報担当のトニー・バーロウからメンバーに会えるよう約束を取り付けていた。
7月2日の昼公演の前に連絡があり、星加は和服に着替えてカメラマンと10階に上がった。「2部屋をぶち抜いたような広いスペースに、カメラ屋さんと、シルクの着物や、はんてん、日本人形などを売るお土産屋さんが並んでいました」。主催者の計らいに外出できないメンバーは大喜び。家族や恋人のために品定めしていた。
部屋に缶詰めにされていたメンバーは絵の具を使って抽象的な絵を描いていた。部屋にはステレオセットが持ち込まれ、加山雄三や日本の民謡のレコードが重ねて置いてあった。ジョン・レノンが特に気に入っていたのが宮城県の民謡「斎太郎節」。1年後に発売された「I Am the Walrus」を聴いた瞬間、星加は思った。「エンディングのリズムが『斎太郎節』の“エンヤートット”だ」
ポール・マッカートニーと雑談していると、ジョンがオレンジジュースをグラスについで叫んだ。「僕たちはもう億万長者だ。でも、こんなに稼いだのに、この金をいったいどこで使えばいいんだ。もうビートルズは解散だ!」。関係者からは笑いが起きたが、マネジャーのブライアン・エプスタインは「絶対に書くな」と語気を強めた。「怖い顔をしてましたね。ジョンが大勢の前で言ったということは本心だったのかもしれません」
マスコミでビートルズに接触できたのは星加たちだけだった。部屋には約1時間、滞在した。メンバーは「どこにも行けない」と厳戒態勢をボヤいたが、それでも日本を気に入った様子。「ぜひもう一度来たい。ビートルズとしてじゃなく、個人でも来たいね」と声を弾ませた。「部屋は10階なんですけど、ファンの声が聞こえるんですね。ポールやジョンが窓際で手を振ると、2、3人、倒れて、しばらくすると救急車が来ました」。そんな日本の熱狂ぶりを、人一倍、感慨深く見ている男がいた。=敬称略=