特販部

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在籍期間後半の8年半を過ごした特販部でも大切な経験をしました。

当時24歳の私は、自分のチームを持ってその担当コースの売上を持ってあげるという仕事をしていました。そして毎週土曜日は79分東京駅発の東海道新幹線に乗り本社のある名古屋まで会議に出席していました。「業革会議」と名づけられたその会議はイトーヨーカ堂様がやられているのを見習いはじめられたものでした。

9時半に名古屋の会場で始まり6時頃の新幹線で日帰りするというスケジュールで会議の内容も濃く入社して67年の私は自分で言うのもなんですが真綿が水を吸収するかのごとくビジネスの捉え方考え方進め方を物凄い緊張感を持って吸収していったように思います。

会場では集中して軽い頭痛に見舞われ、帰りの新幹線は缶ビールの酔いも手伝い良い気分で帰ってきたのを覚えています。

普段は営業部門と言っても事業部や営業所の担当が出席する会議だったんですが、ある日の業革会議の日に東京駅で発車を待つ新幹線に見慣れない一団が乗り込んできました。

スーツの左襟には自分と同じ社章をつけているので同じ会社の人間だと思いますが明らかに普段のメンバーとは違う感じです。

久しぶりの顔もあるのか自分の席に向かいながら挨拶して自分の席に座るとアタッシュケースから会議資料やら新聞やらを見ながら発車を待っていました。

仕事が出来る男というか完全に営業所にいる人種と違うと強く感じ上司にあの人たちは誰ですか?と聞くと「あいつらは特販部だよ」という答が返ってきました。

「あれが特販かぁ~」当時はルートセールスという位だから基本配達しながら営業している人間が大半でした。営業所の所長とかブロック長、事業部長以外で営業、セールス専門の部隊は特販部だけでした。会社の組織図を見ると社長を頂点に名古屋の本社、名古屋酪乳・東京酪乳・大阪酪乳・九州酪乳・洋菓子事業部とあってそれぞれその下に事業部があり営業所がありとピラミッド型を形成していたのですが、社長から右に1本線が出てそこに全国特販部という表示がありました。つまりは当時社長直属の特別販売チームそれが特販部で社内の営業マンの最高峰の部署でした。

当時仕事にやりがいを感じていた私は彼らをかっこいいなと感じ憧れていました。

名刺1枚持って他社メーカーが取引しているところを己の才覚でひっくり返して取引する。

酪乳グループのの特販部が通った後はペンペン草一本生えていない。

そんなイメージもあった。

ホテルオークラ・帝国ホテル・ホテルニューオータニにプリンスホテル、一流ホテルは特販部の担当、ファーストフードチェーンやファミリーレストランチェーン、みな特販部が担当していた。

特販部の部員は皆、どこそこの営業所の所長をしていた。事業部長をしていたなどの一騎当千の猛者が多かった。しかし年齢層が高かったのも事実だ。

次なる世代を育てないといけないと言う事で東京地区の目立つ存在となっていて、どこそこ営業所のあいつは威勢がいいと私もかなり生意気だったと思うが妙に上司の評価は高かったように思う。そして次の特販部候補として千葉地区からは私に白羽の矢が立った。

しかし私は家庭用と呼ばれるスーパーや一般小売店しか担当した事がなく業務用と言われるものには正直疎かったが、牛乳に生クリームの乳脂肪は何パーセントのものがあるのかアイスクリームの種類は他の食材は東京本部特販部勤務を命ずるという辞令を受け取ると当時に猛烈に知識を蓄えるべく勉強していった。

一緒に特販部となったのは千葉で私ひとり江戸川営業所でひとり神奈川地区で3名位だったと記憶している。とりあえず千葉営業所に駐在という事だった。これまでの仕事人生で自分は打たれ強いほうだと感じていたが、まだまだ甘かった事を思い知らされる。当時はもう車で通勤しそれでも片道1時間半位かけていたが車を運転するのは好きなので全く苦ではなかったが7時を過ぎると特販部の取締役部長から電話が入っていて、その時に出社していないと遅いと怒られ前日にFAXで提出した日報を基に電話であれやこれや突っ込みまくられる。正直セールスは経験しているがこれまでの作業服を脱いでスーツを着てセールスとなるとまるで勝手が違った。私は千葉県内を担当していたが、とりあえず千葉駅周辺の繁華街を飛び込みセールスに歩いた。営業所にいて電話はよくとっていたので、店舗の看板をみて耳慣れた屋号だとここは取引していると外してそれ以外の先を飛び込んで周った。

よく靴底をすり減らしというが本当にそんな感じだ。基本は新規飛び込みして開拓するのが仕事だが既存の得意先に新たに商品を納入すると言う事も実績にカウントされた。

別に僻みだとか妬みはないが当時私は得意先0でスタートしたが一緒に新人特販となった面々は既に配達時代からの人脈を持っていた。

普通は自分の契約第一号を覚えていると思うが毎日毎日飛び込みを繰り返しているといつどこでどのように契約して頂いた得意先が一号かは覚えていないと思ったが思い出した。15年前確か最初は当時発売したてのIFCコーヒーというものをセールスしろといわれた。

千葉市のみつわ台というところにあった焼肉三千里という錦糸町に本店のあるファミリーレストラン的な結構大箱の店でここは既にアイスクリームは取引していたがコーヒーはキーコーヒーさんだった当時田中さんという背の高い1100cc位の大排気量のオートバイに乗っていた店長がいらして、必死で説明したら拍子抜けする位に順調に切り替えて頂いた。確かここが第一号だ!

今思えば8年とか9年の限られたスパンだがそれからは気が遠くなるような数の飲食店に飛び込んでいった。

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