ラックさんの話

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私のお世話になった東京酪乳の創業者は当時セールスして開拓するのも自分、配達するもの自分、帰ってから夜中に工場を間借りして商品を生産し帳面をつけるのも自分と大変な思いでご両親とご兄弟を養っていたそうです。

いくら一生懸命仕事をしても報われずに街に配達やセールスに出ると借金取りが待っていた位、経営は苦しく、肉体的にも精神的にもつらく、自殺してしまおうか、もう牛乳屋など辞めてしまい当時募集のあった三越百貨店に就職しようか本気で考えていたそうです。

しかしご両親やご家族の献身的な支えがあり歯を食いしばって乳製品会社を経営していたそうです。当時は戦前から続くライバルメーカーが凌ぎを削っていて新参者の東京酪乳のそして若かりし日の創業者の苦労は想像を絶するものがあったようです。

当時名古屋に「龍」さんと「ラック」さんという名古屋の地域を代表する有名な喫茶店があったそうです。

ラックさんのマスターは船員あがりでいつも白いカッターシャツを着ていて凄く威厳のある方だったそうです。何回も、それこそ毎日足繁くセールスに通いなんとか1日1本フレッシュクリームを納品させて頂けるようになりました。

毎日納品に行くと店は大繁盛していて他社メーカーのフレッシュクリームの空き瓶が床一杯に転がり冷蔵庫が空でした。しかし1本だけという約束なので1本しか納品させて頂けなかったそうです。

ラックさんに1日1本フレッシュクリームを納品させて頂けるようになったが勿論経営的には苦しく正に火の車だったそうです。

当時は364日朝から晩まで仕事をして唯一正月の元旦だけは年間を通じてたった1日だけですが休日だったそうです。

ある年の大晦日、ラックさんは相変わらずの繁盛で沢山のお客様でごったがえしていたそうです。いつも通り沢山ある他社メーカーの製品を掻き分け1本だけのフレッシュクリームを納品し伝票にサインを頂いているときにマスターがこう言われたそうです。

「元旦はどうするんだ?」

この時に若かりし日の創業者はこう聞き返したそうです。

「マスターはどうなさるんですか?」その問にマスターは

「俺はやるよ!」と返事をされ、それを聞いた創業者は即座に

「じゃあ明日の朝初荷をお届けにあがります。」そう返事をしたそうです。

それからずっと後悔をしたそうです。なんであんな事を言ってしまったんだろう?

今から戻って、やっぱり明日は休ませて欲しいと謝りにいこうか?

夕方にもう一度明日の分ですと納品させてもらおうか

色んな事を考え365日たった1日しかなかったお休みもこうしてなくなってしまう。

本当に重い気持ちで後悔しながら大晦日の仕事納めをされたそうです。

翌朝の元旦、今のようにコンビニエンスストアもない時代、商店はどこもお休みで車も走っていなく、人影もまばらで街はひっそりと静まり返っていた事と思います。

創業者はたった1本のフレッシュクリームの初荷を届ける為、元旦の街を白い息を吐きながらラックさんに向かいました。元旦の朝です。流石に昨日と打って変わり店にはお客様の姿はなく、やかんから湯気が立ち上る店内にマスターが一人、いつもと変らぬ仏頂面で迎えて頂けたそうです。

「あけましておめでとうございます。初荷をお届けにあがりました。」そう言うといつものように冷蔵庫に1本のフレッシュクリームを納めさせて頂き、帰ろうとするとマスターが「こっちにこい」と顎でカウンター席を差したそうです。

カウンターにまわり、促されるまま席に座ると、これまでにはなかった事ですが目の前にコーヒーカップを置いてくれてポットからなみなみと珈琲を注ぎ始めたそうです。そうしながらマスターが「お前にお年玉をやろう」とおっしゃいました。創業者は元旦に配達に来た事を労ってコーヒーをご馳走して頂けるんだと理解し、有難く「いただきます」とカップを手にし口につけようとした瞬間マスターが「ほか(他社の乳業メーカー)は全部断った」とおっしゃったそうです。

最初はマスターのおっしゃっていることが理解できずにいるともう一度マスターから

「他は全て断ったから明日からフレッシュクリームは全部お前のところに頼む」と言う事でした。お年玉とは珈琲ではなく全面的に取引をすると言う有難いお申し出でした。

それを聞いた当時の創業者はまさに天にも昇る気持ちで信じられなかったそうです。

取引を全面的に切り替えていただいたお陰で、それからは順調に売上もあがり、有名店のラックさんと取引していると言う事で信用もあがりやがて双璧であった龍さんやそれ以外の店舗とのお取引も、このラックさんの1件を契機として順調に決まっていき、苦しかった経営も楽になったそうです。

365日たった1日しかなかったお休み、しかしこの1日を自分の都合ではなくお客様のご都合に合わせたことで今日資本金1億7050万円、年商1000億円、従業員数3000名の企業グループに成長した。それもこの1日があってこそと教えて頂きました。

当時18歳だった私はこの話を聞いた時に凄く感動しお客様に合わせていこうお客様第一で行動しよう。心の底からそう感じました。

当時社会の道理も仕組みもわかっていなかった私がお得意様のありがたさを教えて頂いた。

そしてこれは作り話でもなんでもなくて、自分の所属している会社の話で生きる伝説と化した、創業者から直接聞かせて頂いた。

本当に宝のような経験です。

後日談があります。ラックさんとお取引をはじめた頃、店舗は大繁盛です。

途中、乳製品が足りなくなりラックのマスターから電話がかかってきたそうです。

そして追加に配達に行った。そこで創業者は今日はこの時間に追加の電話がきたから、明日は電話が来る前にと早めに店に行くと入り口の扉でマスターとばったり会ったそうです。

いいところに来た、商品全部置いていってくれとなりました。

当時は電話が店になく表にある公衆電話にマスターが電話をかけに行った時に丁度鉢合わせしたそうです。今日はこの時間でマスターが電話をかけに行こうとしていたので明日はもう少し早く伺おうと思ったそうです。

そして翌日は少し早めに店に行くとカウンターの中でマスターがにっこりとし全部置いていけと言われたそうです。冷蔵庫は丁度空になった時間でした。

会社の規模も大きくなり部下に配達も任せていた頃、近くを通った創業者がふらりと店を訪問した時にマスターが歓迎して頂き昔話で盛り上がっていた時に「お前は不思議な男だ、神様みたいな男だ」とおっしゃられたそうです。商品がない困った持ってきてくれないかなと思うとひょっこりと現れる。本当に神様みたいな奴だとおっしゃって頂けたそうです。

お客様から片時も心離さずにいつも感謝の気持ちで思い行動すると神がかり的に感じていただける。お客様は命の恩人本当にそう感じ行動する事の大切さをこの話から学びました。

次は私が本当にお客様は命の恩人、心の底からそう感じることのできたお話です。

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