この事実は受け入れがたい。何でこんな早いんだと、何で星野さん逝ってしまったんだと。
我が東北楽天ゴールデンイーグルスを2013年にリーグ優勝&日本一に導いた星野仙一さんの訃報。闘将が旅立たれました。70歳は早すぎる。
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熱く、ダンディな姿がもう見られないのは辛すぎます。
父親を亡くした時と同等に心苦しいものです。まさにオヤジのような存在でした。
すい臓がんを患われていたとのことですが、昨年の京セラドーム大阪での開幕戦や、両国国技館で行われた楽天証券のセミナーで星野さんの姿を見かけた時には、大変元気な表情を見せており、監督を退任した後も、相変わらずイキイキしているなぁと思っておりました。
それらの表情を目にした翌年に旅立たれてしまうとは、本当に信じられません。
星野さんの姿を初めて目にしたのは2000年に行われた県営宮城球場での「横浜vs中日」の試合。
プロ野球の試合を私が初めて観戦したのはこの試合で、野球好きだった亡き祖母がバックネット裏のチケットを頂きました。
当時、私は横浜ベイスターズファン。地元・宮城出身の斎藤隆さんが特に大好きで、その試合は運良く先発で登板していたのです。皆さんご存知かもしれませんが、斎藤隆さんは星野さんが当時率いていたイーグルスにメジャー帰りで入団。日本一・リーグ優勝にも大いに貢献しました。そして仙台で行われた引退試合で見られた星野さんと斎藤隆さんの熱烈な抱擁。あの場の雰囲気は今でも忘れられません。
その試合では、斎藤隆さんの背番号入りTシャツを着てベイスターズの応援していましたが、選手交代のタイミングで星野さんがベンチから出てきた時の大歓声が凄くて、ついつい見入ってしまった記憶があります。存在感であれだけ球場を盛り上がらせるなんて。背中でその場の雰囲気を熱くさせる星野さんがカッコ良かったです。求心力がすごいなと子供心ながら強く感じてしまいました。
その試合はホーム扱いのベイスターズが一塁側、ビジター扱いのドラゴンズが三塁側でした。その三塁側ベンチで、本拠地球場としてイーグルスの采配を振るう星野さんが見られるなんて、2000年のその場面から10年少々経つものの、仙台を本拠地とするチームの監督に就任が決まった時は野球ファンとして大いに嬉しかったですね。
そして伝説の2013年のリーグ優勝・日本一。
星野さんにとって大変喜ばしいながらも、タイトな一年だったと思われます。
東日本大震災からの東北を元気にさせたい一心でチームが一つになり、勝ちまくったこの年、胴上げ、優勝パレードもこの目で見られて良かったです。正直、イーグルスが優勝できるまでもっと時間が掛かるのではと、創設当時から見ている身としては長期戦の覚悟はしていましたが、2011年シーズンから星野さんが監督に就任すると一気に成長スピードもアップ。チーム創設10年未満での日本一という栄冠。思い出に残る一年でした。
優勝・日本一を達成した翌年2014年シーズンの終了後に健康上の事情で退任されましたが、歴史が浅い新興チームに対して、「勝つ」という意識を全体に身に付けた功績は大きかったですね。
初代監督の田尾さんがチーム創設からの地均しを行い、後任のノムさんがロジックを整備し、ブラウン監督が中継ぎ陣と若手を見出し、星野さんの監督就任による闘魂注入で一気に花開いた2013年。
チームの上位進出には欠かせない「勝者のメンタリティ」というピースを星野さんが加え、イーグルスはいいチームに成長しました。監督退任後の球団副会長に就任し、スカウティングなどのチーム強化に携わり、岸選手&今江選手をFAで獲得するなどの記憶は新しいことでしょう。
思い出を書き出すと止まらないのでこの辺りにしておきます。
東北楽天ゴールデンイーグルスに星野仙一さんは欠かすことができない存在でした。東北に来てくれたことに感謝しかありません。
日本一・リーグ優勝を達成し、ペナントを東北にもたらし、闘志あふれるベンチワークでスタジアムを盛り上げていただき、本当にありがとうございました。
星野さんの為にも、2018年シーズンは絶対勝ちまくりたい。絶対に、優勝したい。絶対に、日本一になりたい。力の限りイーグルスを応援します。
天国から「もっと応援せんとあかんでー!ワシは勝ちたいんや!」と喝を入れられないようにしないと。今季、最終的に今よりいい順位で、それはてっぺんで、みんな笑ってシーズンを終えられるよう、応援を力の限り頑張ります。
心より哀悼の意を称します。
星野さん、ありがとうございました。