さいとう君がお正月休みに便乗して適当な(だが一瞬だけぴかりんと光る)記事を書いている。
冒頭に「復活の日」を持ってきてくれたのはよかった。ちなみに「戦国自衛隊」は彼のリサーチによるとはてな/ブログ界隈では一般的だそうだが、私は大いに不満である。不満を口にしても仕方がないので「復活の日」について記したい。
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とかいいながら、めんどくさいので概略はさいとう君とウィキペディアに任せる。
「復活の日」の眼目はそこにはない。我思うに2つある(これは繰り返し読んだり見たりして感じることだ。誇っているのではなく、そこが、結果的に残った)。
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手元の文庫から引用する。
いろいろあって吉住は期待を一身に背負い北上する。その少し前の話。
突然イルマは顔をおおって泣き出した。——裸の肩の肉がぶるぶるふるえた。
「泣かないでください……」吉住はおずおずとイルマの肩に手をふれた。
「ごめんなさい——本当をいうと、私、つかれちまってるの」イルマはすすり泣きながらいった。
「“ママたち”の中で、私が一番年上なのよ。女ばかりでなく、ひげづらの男たちまでが、みんな私のところへくるの、毎日毎日……何人という男が……私はいつも、陽気なおばさんで、母親で、すいも甘いも、かみわけて、色の道にも通じた年増なの。疲れはてたり、絶望したり、ヒステリーみたいになってる男たちを……毎日毎日……はげましたり、体でなぐさめたり……聖なる娼婦みたいに、もういままで何千人って男を相手にしたわ——これから先も……いったいいつまで、こんなことがつづくのかしら?こんな陰気な、一年の半分が夜の、氷と雪ばかりの世界で……」吉住は泣きじゃくっているイルマの髪の毛をしずかになでた。
「すこしやすんだら……」と吉住はいった。
これは、あれ(ここ点々打って)だよね(記事を書くこっち側で俺はいまいろんなジェスチャーをしているんだが書かない)。あれのメタファだ(ちんこではない)。何かは、書かないよ。戦争が終わって19年、1964年の書き下ろしだ。先の、東京オリンピックの年。
その、浮かれポンチ、昭和元禄のただ中で、小松左京にはそれ(ここも点々打って)が残っていたんだ。小松左京は実にむちゃくちゃな作家だが、それでも僕は信頼する。というのは、こういう、戦争、敗戦の匂いが、彼の60年代の作品からは、方々に、不意に立ち込める瞬間があるから。そのことは例えば別の代表作「日本アパッチ族」なんかでも例証可能であり(前にも書いたな)、
戦後、昭和25年くらいまでの大阪には鉄を喰う人たちが住んでいたという。小松左京と開高健が力説しているのだから確かだ(いや、あの、その…)。
以上が「我思うに」の1/2である。
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いまひとつは、草刈正雄の狂気と見紛う演技。
違う、これは「戦国自衛隊」。それでもって、
これも違う(違くない)。どうよこれ、この、豪華過ぎるキャスト、といいたいがためにキャプチャした1カット。
これはその、つまり、大工の倅のメタファだよね? いや、俺はそんなことは言わないんだけどさ。
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映画「復活の日」ラスト、たどたどしく歩いてくる草刈正雄をオリビア・ハッセーを迎えるシーン、これはぜひDVDを借りるなどして見てほしい。実生活では布施明がオリビア・ハッセーを迎えるわけだけれど(その後1989年に離婚)、実は上で引用した、おばあちゃん娼婦、イルマ、これが映画ではオリビア・ハッセーにすり替わってしまっている。そして映画では、抱かれるシーンは、ない。
無論、彼女オリビアに罪はない。この、1シーン(イルマと吉住の)をもってしても、まだまだ、文学作品の表現と興業映画表現との間には、考えなければならない課題、溝があることが分かる。
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そんなわけで、さいとう君セレクトの正月休み映画を見てくれたなら、「復活の日」これに関しては是非とも、上掲ハルキ文庫の原作のほうを手にとってみていただきたい。そうして、小松左京への興味が湧いたなら、その先「日本アパッチ族」はいうに及ばず、ウイルスもの地球もの「復活の日」への導火線「紙か髪か」「地には平和を」「地球になった男」等々にも、ぜひぜひ、手を伸ばしてほしいと思うのでござる。