コラム

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拙著『エクサスケールの少女』に込めた、右派と左派へのメッセージ

ネタバレあり

まず、なぜ今回のコラムを書くに至ったのか、その理由をご説明いたします。
昨年秋ごろのことです。拙著『エクサスケールの少女』について、ある方々から「この作品は右翼的である。人種差別的な記述が含まれている」とのご批判があり、話し合いが紛糾する場面があったのだそうです。
その事件について伝聞で知った私は、驚愕し、大きなショックを受けました。なぜなら、本作に私がこめた意図とは、その一部の方々の懸念とは真っ向から対立するものだったからです。
つまり、私は、拙著『エクサスケールの少女』において、「人種差別は、醜く下劣な行為である。明るい未来を構築するためにも、国際協調の姿勢は重要だ」ということを訴えたかったからなのです。
その後、ある方々から、「本件について、一度きちんと説明をしたほうがよい」と忠告を頂きました。著者みずから自作について解説するなど恥ずかしい行為だとは理解しながらも、私は先輩方のご忠告に従い、今回このようにコラムを書くに至ったのです。

2016年11月、『エクサスケールの少女』という小説を上梓しました。さかき漣としては初めてのSF作品であり、何より嬉しかったことには、六冊目にして初の「単著」だったのです。
「単著」の意味を一応ご説明しますと、「表紙に名前が一名のみ記載されている作品」ということです。つまり、共著者がいる作品はもちろん単著ではなく、また、もしも著者がひとりであっても、「原案」や「企画」や「監修」などがついている場合、それは単著とは呼ばれないのです。
私は『エクサ少女』以前に五冊の本を出してきましたが、すべて「単著」ではありませんでした。
一冊目の『コレキヨの恋文』(小学館/単行本version)については「執筆協力」という立場で、著者にもなっておらず。二冊目『真冬の向日葵』では「共著」表記していただき、初めて「著者」になれました。三冊目『希臘(ギリシア)から来たソフィア』において単独で「著者」となれたものの、「原案」のかたの名前が列記されていました。そして四冊目の『顔のない独裁者』でやっと、私は「著者」、そして「企画監修者」の名前の列記まで進みました。五冊目は『コレキヨの恋文』(PHP研究所/文庫version)でしたが、こちらも『顔のない独裁者』同様に「著者」さかき漣と「企画監修者」の列記となりました。
そして六冊目の『エクサスケールの少女』において、やっと私は、念願の「単著」を勝ち得たのです。

実は、過去に出した五冊の作品について、私は多くのわだかまりを持っておりました。そのわだかまりとは、「自分のスタンスとは違う作品を書かなければならなかった」ということです。
これには理由がありました。共著・原案・監修者のかたが、私より遥かに売れっ子の作家であり、上司でもあったため、無名作家の私の意向を通せることが非常に少なかったが故です。したがって過去の五作品については、「私の本当に書きたかったもの」ではなく、あえて悪い言い方をすれば「ビジネスとして全力で執筆を完遂したもの」でした。
(しかし誓って言いますが、過去の作品にまつわる作業について、手を抜いたことはありません。言葉通り、全力を尽くしました。これは私の欠点ですが、完璧主義であるため「ゼロか全部か」という両極端な行動しかできないのです。)
しかしいくら「ビジネス」とはいえ、自身の中のわだかまりが消えるはずもありません。だからこそ私は、いつか「単著」を勝ち得た暁には、「本来の自分のスタンス」を表明したいと、ずっとずっと願ってきたのです。その悲願が叶えられる機会がやっと巡って来た、それが『エクサ少女』だったわけです。

さて、肝心の私のスタンスです。
私は日頃より、「二項対立は愚か。なにごとにおいても、アンビバレンスの姿勢が重要だ」「すべての事象に対して、できるかぎり『中庸』を目指したい」と考えております。
しかし無論これは、単なる好悪の問題には適用されません。たとえば私は水色が好きで、オレンジ色はあまり好きではありません。これは中庸を目指す必要性はないと私が考える一例です。
中庸を目指したいと願うのは、たとえば、「どちらか一方の肩を持つと、もう一方が傷ついたり嫌な思いをしたりする」という事態や問題についてですね。
私は、日本の伝統文化や芸術を愛しております。そして、自分が生まれ、在住している日本国に対して、愛着を持っております。しかし、だからといって国粋主義者なわけではありません。日本には悪いところもたくさんある、と考えております。
ですから、たとえば外国を疎んだり、外国人を差別したりすることを、非常に、非常に、嫌っております。もしも日本と外国、日本人と外国人の間に何らかの問題が起きた場合には、「できるだけ中庸を目指し、公平であろうと努力し、できるだけ多くのひとが幸せになれる道を選びたい」と、考えております。
念願の初の単著において、私はこの、自身の「アンビバレンスを否定しない生き方」と「中庸を願う姿勢」を打ち出したかった。
言ってみれば『エクサ少女』は、右派からは左寄りだと責められ、左派からは右寄りだと非難される、それがベストな評価だろう、と考えたりもしました。

『エクサスケールの少女』には、本件(人種差別問題)に関わる大きな仕掛けが三つあります。
一つ目は、ヒロイン・千歳(ちとせ)の秘密。二つ目は、いつも主人公の味方をしてくれる頼もしい政治家・承和(そが)の本当の姿。三つめが、主人公・青磁(せいじ)の出生の真実でした。
以下に、順にご説明いたします。

(1)万葉集を愛する謎の美女「千歳」の過去
千歳はれっきとした日本人でありながら、日本人の集団から迫害を受けました。迫害の原因は、千歳の「生まれ持っての特異体質」であり、彼女本人には何の責任もないことだったのです。
とうとう夫とその仲間から殺されそうになった千歳は、すんでのところを逃げ出します。
***(引用ここから)***
若い頃、私は一度、結婚をした。容貌を見初められ、なかば強引に娶られたのだ。だが、あまりに容姿の衰えぬことに、徐々に夫から気味悪がられるようになっていった。
終にある日、夫が私を物の怪(もののけ)と疑い『殺そうか』とまで相談しているのを聞いてしまったのだ。そこで私は、夜の更けるのを待って、懐かしい家を後にした。
すると村人は松明(たいまつ)を手にし、どこまでもどこまでも追いかけてくるではないか。私は必死で走り続けた。汗と涙とが止めどなく頬を濡らし、鼻汁と唾液も溢れ出た。
もはやこれ以上は一足も前に進めることはできない、私はここで殺される運命なのだと覚悟したとき、川面に小舟がうち捨てられているのが目に入ったのだ。すぐさま私は小舟に飛び乗り、必死で櫂(かい)を漕ぎ始めた。
無我夢中で漕いで暫しののち、私が振り向けば、いつしか岸には多くの灯りが揺れていた。暗闇の中に、灯りに照らされて、村人が私を睨むさまが浮かび上がっていた。
***(引用ここまで)***
しかしその後もずっと、迫害の恐怖と戦い続けたのが千歳の人生でした。
繰り返しますが、日本人である千歳を迫害したのは、同じ日本人の集団です。彼女が偏見と差別から逃れる術は見つからぬまま、幾千、幾万の日々が過ぎたのです。

(2)右派の政治家「承和(そが)」の正体
『エクサ少女』の悪役は、それまでずっと主人公を支え応援してきた男性、承和(そが)でした。彼は、表向きには「日本は素晴らしい国で、日本人は平等で誇り高い民族だ。だからこそ、シンギュラリティを日本から起こすことに意味がある」と言いながら、実は最低最悪の人種差別主義者、レイシストでした。日本国の衆議院議員を務める傍ら、ナチズムを彷彿とさせる国際組織の一員でもあった承和は、組織幹部に取り入るため、青磁と妹に近づいたのです。
承和(そが)が正体をあらわすとき、菊の花のいけられた花瓶を蹴り飛ばす、というシーンを書きました。
***(引用ここから)***
「レーベンスラウムが善だって? 善悪なんて、誰が判断できるんだ。じゃあ仮にあんたたちが“善”だとしたら、“悪”は誰だっていうんだ?」
 それまでの笑みをふくんだ表情を一変させ、承和は青磁を真正面から見据えた。
「答えようか? 青磁。“人類の永劫の幸福の前に、あってはならないもの”・・・それをおそらく、我々は“悪”と呼ぶ。そして今、悪とは、おまえのことを言うんだよ、青磁。化け物(ばけもの)の妹を持ったがゆえに分不相応な地位を手に入れた、無知蒙昧のテロリスト。苅安青磁」
 言いながら承和は、仏壇に並んでいた三具足(みつぐそく)を蹴り飛ばした。生けられていた菊の花が、水と共に飛び散る。香炉から灰がこぼれ、蝋燭(ろうそく)は燭台から抜け落ち、折れる。承和の顔は冷酷だった。彼にこそ“悪魔”という名が相応しいのかもしれない、との思いが、青磁の脳内をよぎった。
***(引用ここまで)***
それまでは「古事記や日本書紀の勉強が好きだ。三種の神器は日本の宝だ」と語っていた人物が、数寄屋造りの日本家屋に革靴を履いたまま上がり込み、畳を泥で汚し、はては「菊の花」や「仏具」を蹴り飛ばす……。
私はこの承和(そが)というキャラクターを、自分の身近にいた右派の人物をモデルに描きました。実在の政治家をモデルにしたのではありません。右派の一般の人々を扇動し、それによって自分の地位を引き上げようとした。つまり、「右派、保守派」の仮面で民衆を騙し、その実、ひたすら自分の利益だけを追求しているレイシスト。ただの独裁者です。
有名すぎる独裁者アドルフ・ヒトラーがなした悪行は枚挙にいとまがありませんが、とにかくそれの酷いことは、差別の理由が「血」や「民族」という、被差別者には何の責任もないことだった。人は皆、親を選べず、生まれる場所も、容姿も、性別も、選べません。そんな、本人に責任のないことを理由に差別や迫害を受けるなど、「酸鼻たる悲劇」以外の何物でもありません。

(3)主人公「青磁(せいじ)」の出生の真実
自分のことをずっと日本人だと思い込んで生きてきた青磁は、物語の終盤、実は自分は日本と英国のハーフだったと知ります。
青磁の初めてできた親友は、日米ハーフの男子学生「ノア」でした。ハーフとして生まれながら諸事情により日本で暮らす彼の気持ちがどれだけ複雑だったかを、青磁は思い知ることになります。そして、これまで自分が不用意に発言してきた多くのセリフが、いかに思慮に欠け、見ようによっては「差別」ととられかねないものだったかに気づくのです。特に、同じチームの仲間であった中国系帰化人の黄櫨(こうろ)と青磁の関係は、良くないものでした。ただこれについては、青磁にも黄櫨にも、両方に責任があります。お互い、頑なだったのです。
青磁が出生の真実を知る前、物語の中盤で、ノアが初めて青磁にキレるシーンを入れました。
***(引用ここから)***
「弱者? 強者? 青磁、アメリカには苦悩が何もないとでも思ってんのかよ? 君ら日本人には長い歴史と文化があり、王がいる。それがどれだけ恵まれてることか、君らには全っ然、分かっちゃいない! たとえばクラスメートに代々続く旧家の出身で財産も教養もある奴がいたとして、その一方で新しくやってきた転校生は、たたき上げのハングリー精神だけを頼りに死に物狂いで生きてるとしたら? アメリカって国は身一つで、正義のため、自由のため、愛のために団結してんだ、きっと。それがアメリカ人の誇りなんだと、俺は思ってる!」
 ノアのぶった演説に対し、すかさず青磁は苛立った声を上げた。
「やっぱり日本を馬鹿にしているんじゃないか! ノア、君は結局アメリカ人なのか? 日本人なのか? それともどっちでもないのか?」
 ノアは唇を噛む。
「アメリカと日本の両方の血を持つ俺の苦悩なんか、お前には分かるもんか。ハーフの人間の苦しさを、青磁は一生知らないんだぜ」
 捨て台詞のように吐き出すと、ノアは走り去ってしまった。しかし青磁は青磁で、心中で憤怒と悲壮の感情が入り混じり、暴れている。
***(引用ここまで)***
ここで初めて青磁は気づきます。なぜ黄櫨(こうろ)と青磁はこれまで頻繁にぶつかってきたのに、ノアと青磁はぶつかってこなかったのか。それは、ひとえに、ノアが我慢してくれていたから。日本に暮らす日米ハーフの人間として、ノアなりに必死で抑えてきたものがあったのです。
現代日本には、一見日本人のように見えながら、実はハーフやクオーター、という方々も多くいらっしゃると思います。ふたつの祖国や、多数の祖国の間で悩むのは、どれほどつらいことでしょう? 

本作に仕込んだ、人種の問題にかかわる最大の仕掛けは、以上の三点です。が、それ以外にも多くの小さな仕掛けが、作中に点在しております。

私は、右寄りのエピソードや知識と、左寄りのエピソードや知識を、作中に散りばめました。
そして同時に、「日本の文化と歴史は、世界とつながっている。日本と世界は、密接に、複雑に、絡み合っている」ということを表す知識をたくさん詰め込みました。
すべてをここに列記することも可能ですが、これ以上は、是非、『エクサ少女』本編をお読みいただき、読者のかた自ら発見いただければ幸甚に存じます。

私自身は、国家観について、次のように考えています。
現状の地球では、有効に機能している共同体の最大のものが「国」になります。ですから、現代において、自分の国籍が存する共同体を肯定することは、自然、と評価できると思います。むろん行き過ぎた国粋主義には少なからずの問題が付随するでしょうが、単に「祖国に愛着を持つ行為」は、否定される必然性はないものと考えます。
しかし一方で、私がいつも意識している歴史的事実があります。それは、過去の人類の歴史において、共同体はその規模を拡大し続けてきた、ということです。細かく見れば例外はその時々にあったでしょうが、地球全体の大きな流れとしては、「有史以来、人類の共同体の規模は、拡大の傾向にあり続けた」と言えると思います。そして今後も、人類が滅亡するまではおそらく、この拡大は続いていくことと私には思われます。
拙著『エクサスケールの少女』において「出雲の国譲り神話」を「シンギュラリティ」に重ねて描いたのも、この点について、多くのかたに再考を促したかったが故です。
思い起こしてみてください。日本国は、古(いにしえ)の時代、共同体の大きな変革を見ました。多くの説がある中、私は想像力をたくましくし、一説をここに書きます。近畿地方を拠点とした勢力が、出雲の民と国土を吸収したことでその力が盤石となり、大和朝廷へと発展し、それが現在の日本国のおおもとになったと。あえて過激な言葉を使うなら、「大和の出雲への侵略、出雲の犠牲があったからこそ、日本国は長きの繁栄を得た」とも言えるのではないでしょうか?
違う勢力の土地と人を吸収し、彼らの犠牲のうえに、現在の日本人の繁栄が成り立っている。であれば、なぜ、我々日本人が、ことさらに人種差別をする必要があるでしょう? もとより日本国は、違う勢力と勢力の合わさった共同体なのです。
もちろん「人種差別」と「国籍による区別」は違いますから、人々の安全で豊かな暮らしを守るための「区別」や法整備は必要であり、それに関して活発な議論が繰り広げられることは、あってしかるべきことと思います。
しかし、たとえば「〇〇人を見たら、嘘つきだと思うようにしている」などとレッテル貼りや人種差別をすることは、まさに愚劣、卑賎そのものの行為ではないか? そんなことをしてよいはずがない、一部の右派の人々が言うように、本当に日本人が誇り高い民族であるならば!
だいたい、国という一概念のみで人間を明確に色分けできるわけがないのです。日本には良いところも悪いところもある。日本人には良いやつも悪いやつもいる。同様に、アメリカにも中国にも、良いところと悪いところがある。アメリカ人にも中国人にも、良いやつも悪いやつもいる。こんな当たり前すぎる事実を、なぜ、忘れてしまう人がいるのでしょう?

国には、右派も左派も中道派も、すべてが必要です。すべてのひとが異なる考えを持ち、それらの考えがぶつかったり緩和されたりを繰り返し、絶妙にバランスしていく。その結果として、偏りの少ない、より良い国家運営がなされるのだと思います。
また、世界各国と協調し、条約や協定を結ぶことは、けっきょくは「戦争を遠ざけるリスクマネジメントの一環」とも捉えられます。たとえば、もしもある一国が永世中立国を目指すのであれば、強靭な軍事力は必要不可欠です。しかし、多くの他国と多数の条約や貿易などによって関係が複雑化していればいるほど、相手国との戦争には自国にもデメリットが生まれやすくなるため、結局は戦争回避へつながりやすい、と私は考えるからです。
さらに俯瞰的に見てみれば。今は地球上の問題だけで済んでいる時代であるから、国と民族の諍いがあるのでしょう。しかし、SFを好きな方なら共有しやすい考えだと思いますが、人類はいつか、人間以外の知的生命体、つまり「AI、情動を持ったAGI」や「地球外生命体」と関わる時代を迎える可能性があります。当然ながら、最初は、恐怖と混乱が起こるでしょう。その時代に我々は、国境にこだわらず、「人類」として協力し合い、AIや地球外生命と関わらなくてはなりません。

これまでご説明しました通り、私は本作『エクサスケールの少女』に、多くの「右寄りのエピソード」と「左寄りのエピソード」と「日本と世界は密接につながっている、ということを表す知識や情報」を盛り込み、全体として「中庸」を目指すよう努力いたしました。
にもかかわらず、一部のエピソードのみを切り取って、「この部分が差別的である、だから、さかき漣は右翼のレイシストだ」と批判されるのは、非常に悲しいことだと感じます。どうか、「木を見て森を見ず」をなさらないでください。
『エクサスケールの少女』という作品において、私は、「葉が黄色く色づいた樹木」と、「葉が赤く色づいた樹木」を混ぜて、「全体がオレンジ色に輝く秋の森」を作り出したのです。
それなのに、「あの葉が黄色い、だからさかきは黄色の葉を優遇しているのだ」「あの葉が赤い、つまり、さかきは赤い葉こそ美しいと主張しているのだ」と評されるのは、非常に、非常に、悲しいことです。
もちろん、私の力量不足、技量の不足の故かもしれません。それについては申し訳なく考えております。ただ、私の本意については、どうか、本コラムでご理解を頂きたいのです。

また、私の作風のひとつである「ダブル・ミーニング、トリプル・ミーニングの仕掛け」について、ある方からご指摘がありました。「わかりにくい仕掛けによって、作者の真意を読者に気取らせようというのは、礼儀に反していないか」とのご指摘でした。しかし、繰り返しになりますが、それは「さかき漣の作風」なのです。
私はもとより、小説よりも詩を書くことのほうが好きです。そして、詩や和歌、俳句などというのは、少なくない場面において、ひとつの言葉をダブル・ミーニング、あるいはトリプル・ミーニングで使用したりしますね。私は、これが大好きなのです。
上記の理由で、私は、詩を書くときは勿論のこと、コラムや小説を書くときでさえ、多くのエピソードや言葉をダブル・ミーニング、トリプル・ミーニングで使用しています。そして、あとで読者が、私が作品に込めた二重や三重の意味に気づき、それによって驚いてほしい、さらに感動を深めてほしい、と考えているのです。
ですから私の作品については、ぜひ読者の皆様に、数回、数十回と繰り返し読んでほしい。きっと、そのたびに新しい仕掛けに気づいていただけると、私は信じております。
(言うまでもないことですが、これは何も「今回の批判を受けて捻り出した言い訳」ではありません。これが私の作風のひとつであると、数年前から公言しておりますし、メルマガのコラムなどで書いたこともあります。)

最後に。やはり大きなネタバレ、というか、大事な仕掛けについて。二点あります。

(1)
『エクサ少女』ヒロインの千歳は、特異体質を持っていました。光り輝くような美貌の持ち主であり、しかもその容姿がいつまでも衰えない。つまり、不老の人間だったのです。千歳は、偏見とデマに晒され、夫や村人による迫害を受けます。ある夜、とうとう夫とその仲間から殺されそうになった千歳は、必死で彼らから逃げ出しました。
命からがら村を後にした千歳は、日本各地を転々とします。千歳は「自分は日本人の敵ではない、それを証明するために人々へ無償の奉仕活動をしていこう」と考え、その通り、心身を利他行動へ捧げます。しかし、ひとたび特異体質が露見すれば、その利他行動は徒労に終わります。どれだけ千歳が日本人のために自己犠牲をし、多くの貢献をした事実があろうとも、すべては無駄になってしまうのです。千歳が「普通の日本人ではない」という理由で、迫害は続いていく……。
そして数百年、各地で貢献と流浪を繰り返したのち、疲れ切った千歳は故郷の海で「死にたい」と願います。人生に絶望し、日本人に絶望していた千歳の前に、奇跡が起きます。神が姿を現し、千歳に言葉をもたらすのです。

***(引用ここから)***

雨が止む気配は無かった。身体は凍え、舌と唇は徐々に動かなくなっていた。気も遠くなりかけたそのとき・・・景色に変化が現れた。轟音と閃光と共に、水面から大きな存在が現れたのだ。
私は両の目をしっかりと開き、現れた者を見つめた。それは話にも聞いた“龍蛇神”。神が、私の前に現れたのだ。そしてこの小さき化け物である私に、託宣を齎したのだ。
『お前の運命を変える存在は、未来に必ず現れる。恋人としてお前に尽くし、お前を呪いから救うだろう』
穏やかな男の声だった。全ての傷を、哀しみを、苦しさを、忘れさせるほどに慈悲深い声。なんとか触れたいと右手を伸ばす私に、神は再び語り掛けた。
『だから恋をするのだ、私の小さな子供よ。お前は物の怪(もののけ)ではない、お前は確かに、この世に“人”として生を受けたのだから』
その言葉に、私の疲弊した魂は急速に浄められていった。八百年以上にわたり私を芯から膿ませていた深い傷は、癒え始めた。人々から刺されたまま抜けることの無かった数千、数万の刃物が、一本、また一本と、抜け落ちていく。
畏れ多い存在がまた潜っても、変わらず海は荒れ狂っていた。重く垂れこめた暗雲は、この世の陰惨なことの証でもあるかのよう。しかし、私は生きねばならない!

雷鳴も轟き、龍が天へ昇る中、私は、尼の衣を脱ぎ捨てた。一度は諦めたはずの女としての人生に戻ろうと決意したのだ。
いつか、この身を懊悩の奥底から救い出してくれる男と、“運命の恋”をするがために。

***(引用ここまで)***

その神によって、千歳は救われました。この不幸のどん底の人生を、なんとか解決しようと、再び歩き始めようと、決意するのです。
千歳を救ったその神とは、やまとの神「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」ではなく、出雲の神、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」でした。

(2)
そしてさらに千五百年。
千歳を最終的に救うのは、本作の主人公、青磁です。日本人のデマと迫害によって疲弊しきっていた日本人女性「千歳」を救うのは、日英ハーフの天才青年「青磁」でした。

『エクサスケールの少女』は、以下の文章を最後に、物語の幕を閉じます。

***(引用ここから)***

青磁は思う。この世はどこまでも、善悪の問題で片づけられるものではなかったと。ただ、全ては運命だったのだと。長い長い、“人類愛の具現”へつながるエクサスケールの織物の、それを構成する糸のひとつだったのだ、我々一人ひとりが。

***(引用ここまで)***

過去の日本がそうであったように、現在の日本国は、世界各国と密接につながっています。そして今後も、日本は、世界とつながり続けていくことでしょう。

……長くなりすぎてしまいました。
本件につきましては、私としても皆様にお伝えしたいことが多々あり、どこまでも言葉が尽きません。しかし、ひとまず筆を置きたいと思います。
ここまでお読みくださり、本当に、ありがとうございます。心より感謝いたします。

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