『魔女の宅急便』。
僕が初めて劇場で観たジブリ作品・宮﨑作品だ。

「アニメージュ」の表紙を最初のビジュアルが飾ってから、一日千秋の思いで待ち続けた。
その割に劇場で観た記憶はあまり残っていない。同級生のツレと行ったんだっけ?
ちゃんと記憶に残っているのはアレですな、その数年後片想いの子を誘って行った『紅の豚』。
上映前、喋る話題もないから必死に今のアニメの良さ・凄さを語り続けて、まぁー我ながらキモかったなぁ。
モテなかったなぁ高校時代。


それはさておき。


いやぁ、良くも悪くも、セル時代だねぇ。
パンフォーカスが基本だから、空気遠近法・省略遠近法を駆使する背景など。
質感にちょっとした古臭さを感じてしまう。良くないねぇ、すっかりデジタル化したのか俺の目も。

しかし、これもビデオで10回以上観ているが、まだまだ勉強になりますなぁ。
キキがおばあさん家の電球を替えてあげるのだが、照明内の手のセルはこれただの塗り分けだよね?とか。
今なら簡単にレイヤー分けて透明度で処理してしまうのに。

そういうね、僕らはもっとセルで語らないとなぁ、と。
最近はみんなエフェクトでごまかしてしまって、だから日本のセルアニメ本来の味が出てないの。

そしてこの辺から、宮﨑駿の作劇の定石をはみ出した「作家性」が芽生え始める。

あるスタッフが、「どうしてキキは(魔法が戻っても)ジジの声が聞こえないんですか?」と訊いたら、宮﨑御大は、
「少年少女にはそういう時期があるんだよ!」
意味の解らない回答ををしたという。

しかし、それが宮﨑アニメのリアリティ。
宮﨑は、その後あらゆる意味で先鋭化し、「語り得ないもの」への飽くなきチャレンジを続けるのだ。


とまぁ、批評もいくらでもできるけど、野暮野暮。やめておこう。


本当に瑞々しい映画だ。何だろうこの多幸感。
宮﨑の少女・思春期への憧憬が存分に表現されている。
それだけじゃなく、ウルスラのような、自分の分身のような絵描きを対比させ、作品を重層的に仕上げている。
児童文学の鑑のような作品だ。


声優も今考えると、プロ声優をふんだんに配置してある。
高山みなみ、佐久間レイ、戸田恵子、山口勝平、今では大重鎮ばかりだ。
もう一度、次作はこういう、かつての宮﨑作品を彩った声で勝負してほしいなぁ。
庵野監督を使うくらいならね(笑)。


この作品を上梓した時、宮﨑御大は48歳。
もうすぐだ。僕も残り、何を描くべきか、ちゃんと考えよう。


つかアンパンマンとチーズが夫婦ってね(笑)。