1921年、当時23歳だった女性、アダ・ブラックジャック(エイダ・ブラックジャックとも)は、探検隊のメンバーの1人で、シベリアの北の孤島、ヴランゲリ島へ出帆した。
小柄なイヌピアト族の女性であるアダは、とても北極圏を探検するタイプには見えない。だが彼女はどうしてもお金が必要だった。
お針子として、ヴランゲリ島での1年間の遠征のために、一匹のメス猫ヴィクトリアとともに、4人の探検家たちの衣服を修理したり仕立てるという契約を結んだのだ。
ところがこの探検はまったく計画性のないものだった。4人の探検家たちは探検経験もなく、不十分な蓄えしか持っていかなかったのだ。
翌年に船が迎えに来ると約束されていたが、分厚い流氷がそれを阻み、彼女たちは島に置き去りにされた。
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女性版ロビンソン・クルーソー「アダ・ブラックジャック」
遠征から約1年半後、メンバーの1人が壊血病らしき病気におかされた。残り3人のメンバーは助けを呼びに行くといってそのまま戻ってこなかった。
その3か月後、壊血病のメンバーも亡くなった。
遠征から2年が過ぎようとしていた。ようやく救助船が水平線の彼方から姿を見せた。アダはまだ生きている。猫のヴィクトリアと共になんとか生き伸びようやく救助されたのだ。
アダは"女性版ロビンソン・クルーソー"として知られるようになった。
ホッキョクグマの恐怖に怯えつつも、おとなしいお針子だったアダは、銃の使い方や罠の仕掛け方を独学で覚え、常につきまとう飢えの脅威もなんとか食い止めた。
自ら縫いあげた立派なトナカイのパーカを着て、救助隊と対面したとき、アダのやせ衰えた顔は誇らしげに見えたという。
アダの写真。左は冬装束のアダ。右はオットセイの脂肪を削り取るアダ。
image credit:INTERNET ARCHIVE/ PUBLIC DOMAIN
夫に捨てられ泣く泣く幼い息子を孤児院に預けたアダ
旧姓アダ・デレトゥークは、1898年、アラスカのスプルース・クリークに生まれた。
ここはノーム岬のゴールドラッシュの町、北極圏の北のはずれの開拓地だ。アダのことはほとんど忘れ去られていたが、2004年にジェニファー・ニーヴンによる伝記『アダ・ブラックジャック:北極での生き残り物語』で、彼女の人生がまとめられている。
アダはエスキモーのイヌピアト族ではあるが、狩りや野生でのサバイバルについては知識がないまま育った。メソジスト派の宣教師によって育てられ、英語を学んで聖書を勉強し、さらに裁縫や西洋人向け料理などの家事も仕込まれた。
アダは16歳のとき、ジャック・ブラックジャックという地元の犬ぞり師と結婚した。3人子どもができたが、そのうちふたりは死んでしまった。
その後、ジャックは1921年にスーアード半島でアダを捨てた。捨てられたアダはしかたがなく、5歳の息子ベネットを連れて63キロ歩いてノーム岬へ戻ろうとした。だが、ベネットが疲れ果てて歩けなくなったため、アダが背負った。
ベネットは結核にかかっていて普段から体が弱かったが、アダは適切な治療を受けさせてやることもできなかった。やむなく、アダはベネットを地元の孤児院にあずけて、なんとかお金をつくって必ず迎えにくると息子に誓った。
アダ・ブラックジャックとその息子ベネット(1923年11月)
image credit:TOPFOTO/ THE IMAGE WORKS
カリスマ探検家による無計画な北極遠征プロジェクトが始動
この頃、アダはヴランゲリ島の探検の噂を聞く。探検隊が英語を話すことができるアラスカ原住民の針子を探しているというのだ。だが、カリスマ的北極探検家ビリャルマ・ステファンソンが組織したこの遠征隊は、最悪なことにわがままで傲慢な連中の集まりだった。
ステファンソンは、熟練探検家としての自分の名を利用して、そのスター性に魅せられた4人の若者、アラン・クロフォード(20)、ローン・ナイト(28)、フレッド・マウラー(28)、ミルトン・ガル(19)を招集し、大英帝国のためにヴランゲリ島を獲得するという名目でこの計画性のない冒険を遂行した。
だが、実際には英国自体はこの島に少しも興味も示していなかった。遠征隊を編成して資金を集めたものの、ステファンソン自身は遠征には加わるつもりはなく、経験もないこのお粗末なチームを、たった6ヶ月分の装備を持たせただけで、北の果てへ送り込んだのだ。
翌年に船が迎えにくるまで、すばらしい北極が有り余るほどの獲物を提供してくれると虚しい確信をいだかせたまま。
北極海、シベリア北部にあるブランゲリ島
image credit:Wikimedia
息子の為、怪しげな遠征隊に参加することを決意するアダ
アダ自身は、4人の男たちとの探検に乗り出すことにかなりの懸念を抱いていた。当初、アダはパーティには多くのアラスカ原住民が雇われており、彼女はそのひとりにすぎないと言われていたからだ。
しかし、アダがノームでやっていたような裁縫や家事の雑用だけでは、ベネットを家に連れ戻すのに十分なお金はもらえそうになかった。
ところが、ヴランゲリ島の遠征で約束された月給は50ドル(当時)。これはアダにとって、聞いたこともない法外な金額だった。だから、ほかの雇われエスキモーが手を引いたあとでも、アダはこの仕事を引き受けた。
1921年9月9日、クロフォード、ナイト、マウラー、ガル、そしてネコのヴィクトリアと共にシルバー・ウェイブ号に、乗り込んだ。
ヴランゲリ島の探検隊メンバーと一緒にカメラにおさまるアダ・ブラックジャック
image credit:Internet Archive/ Public Domain
迎えに来るはずの船が流氷に阻まれ島に取り残される
ヴランゲリ島での最初の1年間は、ステファンソンの約束どおりの生活を送ることができた。ところが、夏が終わって、それまでは豊富だった獲物が姿を消すと、流氷が押し寄せてきて船が来るどころではなくなった。
パーティの誰も知らなかったが、彼らを迎えに来るはずの船「テディ・ベア」は分厚い流氷に阻まれて前進できなくなり、引き返さざるを得なくなった。
天候が変わったとき、遠征隊は彼らの不十分な蓄えではあと1年しかもたないという現実に直面することになった。
晩秋のヴランゲリ島のキャンプ。『ブランゲリ島の冒険』より
image credit: INTERNET ARCHIVE/ PUBLIC DOMAIN
病に倒れたメンバー、助けを呼びに行ったメンバーは全員帰らぬ人に
1923年始めには、状況はさらに深刻なことになった。遠征隊は飢え、ナイトが壊血病らしき病気に冒された。
1923年1月28日、クロフォードとマウラーとガルは、瀕死のナイトの世話をさせるためにアダを残し、シベリアの氷原を徒歩で助けを求めに行くことに決めた。そして、二度と彼らの姿を見ることはなかった。
病のメンバーを一人で面倒をみるアダ
6ヶ月の間、アダはナイトとふたりきりで過ごした。「アダは医師、看護師、話し相手、召使、ハンターの役目をひとりでこなした」と1924年のロサンゼルス・タイムスの記事にある。さらにアダは木こりでもあった。
瀕死のナイトは、自分の無力さに怒りを覚え、それをアダにぶつけて、介護の仕方が悪いとたびたび八つ当たりした。アダは表向きはこの八つ当たりをうまく交わし、自分の日記にはこっそり不満をぶちまけていた。
彼の八つ当たりは止まらない。女が4人の男の代わりに、薪を切ったり、食べ物を得るために狩りに出たり、汚物の処理するのに彼のベッドのそばで待機したりすることが、どんなに大変なことかを考えようともしなかった
病を患っていたメンバーがついに死亡
ナイトが死んだときのことも、アダはガルのタイプライターできちんと記録している。
ミスター・ナイトは6月23日に死んだ。彼が何時に死んだのか知らないが、とにかく死んだということだけ書いておく。ミスター・ステファンソンに何月に彼が死んだか知らせるためだけに。 ミセス・アダ・B・ジャック筆
ナイトが死んだあとも、アダは絶望に陥ることはなく、息子と再び会うために生き残る術を必死に模索した。
ナイトの遺体を埋葬する体力も気力もなかったため、アダは遺体を彼の寝室の寝袋の中にそのまま放置して、野生動物に食い荒らされないよう、箱でバリケードを築いた。
アダの伝記の著者ジェニファー・ニーヴンは
腐敗臭を避けるために、アダは貯蔵用テントに移った。流木を地面に打ち込んで、テントのボロボロの壁や天井を支え、入り口のところに箱で戸棚を作って、その中に双眼鏡や弾薬を保管した
と書いている。もっとも重要なのは、アダは自分のベッドの上に銃のラックを作り、ホッキョクグマがキャンプに近づきすぎても、ふいをつかれないにしたことだ。
最後の1人と一匹になったアダとヴィクトリア
3ヶ月の間、アダはたったひとりとなった。彼女の仲間は猫のヴィクトリア一匹だけとなった。
彼女はホッキョクギツネをおびき寄せるための罠の仕掛け方、鳥の仕留め方を独学で学び、シェルターの上にをデッキを建てて、遠くからでもホッキョクグマの姿がわかるようにし、嵐で島に流れ着いた流木や枠張りカンバス地を使って、皮のボートをこしらえた。
遠征隊の写真機材を使って、キャンプの外に立つ自らの写真を実験的に撮ってみたりもした。
遠征からほぼ2年、ようやく救助船が到着
1923年8月20日、最初にヴランゲリ島に上陸してからほぼ2年がたった頃、スクーナー船ドナルドソン号が水平線に現われ、ひとりで奮闘している忍耐強いお針子を救助した。
1923年8月20日、スクーナー船ドナルドソン号に乗るアダ
image credit:odynokiy
乗組員はこう書き記している。
アダは、もう一年そこで生活できそうなほど、環境に順応していた。だが、孤独は最悪の体験だったことだろう
息子との再会を果たす
遠征隊の悲劇のニュースが広まると、マスコミは彼女を英雄としてかつぎあげ、その勇気を褒めたたえた。
自分が話題の中心になっていることに気づいても、慎ましやかなアダは、注目され、英雄扱いされることを極力避け、息子を家に連れ帰らなくてはならないただの母親だとあくまでも主張した。
アダは自分の稼ぎを使って、ベネットと再会した。しかし、その金額は約束よりも少なかった。ヴランゲリ島で過ごしていたときから、シアトルの病院での息子の結核治療法を探していたためだ。
ロサンゼルス・タイムスの記事に出たアダと息子
image credit:(East Carolina University
晩年のアダ
のちにアダは二番目の息子ビリーが生まれ、アラスカに戻ってきた。こうしたハッピーエンドにも関わらず、アダのその後の人生は悲しみと貧困のうちにあった。
ステファンソンらが、遠征の悲劇話が注目されて利益を得ていたのに対して、アダには一銭も金が入らなかったのだ。さらに後になって、アダが冷淡にもナイトの介護を拒絶したと言われて、その人格を中傷された。
ベネットの健康も完全に回復することなく、1972年に58歳で脳卒中のため死んだ。アダはおよそ10年後、息子の後を追い、85歳でアラスカ、パーマーの老人ホームで亡くなった。アダはベネットの隣に埋葬されている。
References:The adventure of Wrangel Island / raunerlibrary / timeline/ translated by konohazuku / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
大黒屋光太夫も宜しくな!
2. 匿名処理班
一つの小説を読んだ気分だ。
カラパイアの良いところは、解釈を一切妥協しないところだと思う。
にしてもあの時代に北極で女性一人きりで生き延びるなんて凄いな・・・
3. 匿名処理班
凄い人なのに…冷静に、賢明に、北極を生き延びたのに理不尽だ
4. 匿名処理班
ネット検索したらバッグのブランド名になっててびっくり
伝記は邦訳版は無いのかな?
せっかく生き延びたのにあまり報われない話というのは切ないけど、凄く興味深いです
5. 匿名処理班
その言葉が聞きたかった
6. 匿名処理班
あらゆる意味でひどい話で、あってはならないことだと思うけど、こんなひどい目にあっても生き残ったことそのものはすばらしい。こういう人がほんとの偉人だと思う。
7. 匿名処理班
ブラックジャックと言われても
闇医師とゲームしか思い浮かばない
8. 匿名処理班
子を想う女性は強いね
最後の息子と一緒の写真で着ているのはセーラ服かな?
日本の学校の制服に導入された時期が丁度この頃らしいね
9. 匿名処理班
名誉を求める男たちは1人の強い女性にプライドを傷つけられる事が耐えられなかったんだろうね
10. 匿名処理班
俺だったら間違いなく告訴するわ
印税と慰謝料がっぽりのウハウハになっちゃる
11. 匿名処理班
酷寒の地での窮乏に耐え得たのは遺伝的な素養もあったからかもしれないが、強い目的意識が息子を愛する一介の母親からイヌイットの狩人を呼び覚ましたんだな。
12. 匿名処理班
すげぇなぁ。最期は老人ホームってのもまた。
13. 匿名処理班
宣教師に育てられたってのはあれかな?「野蛮人を西洋化するため」に親元から引き離されたってやつ?
14. 匿名処理班
今期の南極アニメの内容を超えちゃったかもな
15.
16. 匿名処理班
真実はデジタルに、永遠に遺す
17. 匿名処理班
※9
残念ながらそういう例は同時期科学の世界でも枚挙に暇がなかった。
悲しいね。
18.
19. 匿名処理班
これが女じゃなかったら真逆の事がおこってたろうな
20. 匿名処理班
なにげに一緒に生き延びた猫もすげぇな
21. 匿名処理班
狩の経験は無くても、幼い頃に武勇伝的な話を聞いたろうし、耳雑学はあったんじゃないかな?
子煩悩で柔軟で、強い女性。
22. 匿名処理班
※20
きっとアダが大切に大切にして可愛がってたんだろうね
猫いなくなったら本当に一人になっちゃうしそれは絶対避けたかったろう
23. 匿名処理班
体験談を本に書いて出せば大儲けできたかもしれないけど、そういうのはまた別の才能だよな。
24. 匿名処理班
この女性が生き延びるために、突き動かしていたのはまぎれもなく子供の存在なんだろうね
だからこそ冷静で忍耐強くいられたんだろうね。
25. 匿名処理班
かっこいい
イヌイット、北部モンゴロイドってこういった環境に強いよね