オーバーロード P+N シャルティアになったモモンガさん   作:まりぃ・F
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第8話 冒険者組合騒動記

 すでに太陽が地平線より顔を覗かせてからも随分と時は過ぎ、冒険者組合の中はだいぶ閑散としていた。あらかたの冒険者は依頼を受けてすでに出立し、残っているものもほとんどは段取りの相談中である。わずかにいる遅れてきたものたちは、ろくな依頼の残っていない状況に肩を落としていた。

(まったく、アホかっての。こんな時間に来ていいの残っているわけないじゃん)

 組合の受付嬢イシュペン・ロンブルは、受けた依頼の条件に愚痴をもらした冒険者の背中に向かって内心舌を出す。いい条件の依頼を受けたければ、もっと早く来て争奪戦に参加する必要があるのだ。
 もっとも例外もある。例えば特殊な技能を必要とする依頼だ。誰でも出来るような早い者勝ちのものより、そのものたちしか達成出来ないものの方が、当たり前だが報酬はいい。
 今イシュペンの隣のカウンターで受理されているのがまさにそれで、その冒険者チームはレンジャーを中心として野外活動、特に森林での行動を得意としていた。
 依頼は、希少な薬草の採取である。平野よりも危険な森の中に入っての活動は、戦闘だけではないさまざまな能力を要求される難易度の高いものだ。
 もうひとつは、指名依頼である。実行者を名指ししての依頼は、当然のごとく条件がよかった。
 その依頼が、さらに隣で行われている。受けているのはミスリル級冒険者チーム〈天狼〉だ。

(ミスリルかぁ、勝ち組だよね~)

 冒険者は、その実力や実績に応じてランクが分けられている。上から順にアダマンタイト、オリハルコン、ミスリル、プラチナ、ゴールド、シルバー、アイアン、カッパーという具合だ。これによって受けられる依頼にも制限がかかる。
 エ・ランテルにはオリハルコン以上の冒険者はいないため、ミスリルがトップランカーだ。つまり今カウンターで受付嬢と話している〈天狼〉のリーダーであるベロテは、エ・ランテルにてもっとも有名な冒険者のひとりと言っていい。

(とりあえず、こんなとこかな~)

 イシュペンの座るカウンターの前は空いたが、あとは誰も来る様子はなかった。依頼書の貼られた掲示板を眺めている連中はいたが、あの感じでは受けることはないだろう。イシュペンが視線を落として傍らの書類に手を伸ばした時、入口の扉が開く音がした。
 特に考えもなく、イシュペンは反射的に顔を上げる。その視線の先には、漆黒のボールガウンをまとった美しさと気品を兼ね備えた少女の姿があった。

(え……)

 シャルティア・ブラッドフォールンを真っ向から見たイシュペンが絶句する。この荒々しく暴力的な雰囲気に満ちた場所には不釣り合い過ぎる神々しいまでの美しさに、一瞬で目を奪われた。
 イシュペン同様に見てしまったものは、皆凍りついたように動きを止めている。そんなあたりの様子に気付いたものたちも、その視線を追っては次々に絶句した。

(うわ~めっちゃ見られてるな~)

 注目されることにもだいぶ慣れては来ているものの、まだとうてい無心とはいかない。ともすれば緊張に震えそうになるのをこらえ、モモンガは足を踏み出した。
 他に動くものもない、静寂と緊張が支配する部屋の中を、美しき姫君だけがゆっくりと歩いていく。それ以外のものは、目でシャルティアの姿を追うのみだ。
 足音すらたてずに歩いて来る様子は、まるで幻影のようにも見える。イシュペンは、これが白昼夢というものかとぼんやりした頭で考えていた。

(って、こっち来る~? )

 その少女はあたりを興味深げに見渡しながらも、優雅な足どりでイシュペンを目指して歩いて来る。空いているカウンターがそこしかなかったからだが、受付嬢の顔はこわばり、全身から緊張感をみなぎらせていた。

(わっ、わっ、どーしよ! )

 イシュペンは慌てるばかりで何も考えられず、視線を逸らすことも出来ない。周囲が息をのんで見守る中、美しき姫君はカウンターにたどり着いた。

(む、高い……)

 目前に立ちはだかるカウンターの高さに、モモンガは内心眉をひそめる。シャルティアの身長より高いということはないが、辛うじて顔がのぞくかどうかといったところだ。
 冒険者組合に所属しているような人間には、荒くれものも少なくない。これはそういった連中とのトラブル防止が目的だ。むろん乗り越えることは難しくないが、簡単には出来ないようにすることでトラブルを減らす効果はある。
 しかしそれが今、シャルティアとなったモモンガの視点からは壁のごとくそびえ立っていた。

(さてどうするか……)

 モモンガは一瞬頭を悩ませる。カウンターの上に飛び乗って座るのは簡単だし話しやすいが、いささか行儀が悪いし社会人としてどうかと思う。魔法かスキルで浮かぶのは、たぶん問題だ。

(確かギルド内とかで魔法とか使ったりするのはダメだって、誰か言ってたっけ)

 ユグドラシル時代のファンタジー好きなギルメンとの会話を思い出して、行動を却下する。となると、方法はひとつしかなかった。
 そんな風に悩む少女の後ろ姿を見て、冒険者のひとりが隣の仲間にささやく。

(なあなあ、あれ後ろから抱っこしてあげればいいんじゃね?)
(おい、それ絶対やるんじゃないぞ)

 銀級冒険者チーム〈漆黒の剣〉のリーダーであるペテル・モークは、メンバーのルクルット・ボルブに釘を刺した。ルクルットの女好きは先刻承知ではあるが、さすがにこれは不味い。どこからどう見ても貴族の令嬢としか思えない相手に迂闊に触れるなど、どんな災難が降りかかって来るのかわかったものではなかった。最悪、無礼討ちなども有りうる。

(わかってるけどさぁ……)

 結局モモンガは無難な選択をすることにした。両手をカウンターの縁にかけ、つま先立ちで精一杯の背伸びをしてなんとか顔だけを上に出す。縁から細い指をちょこんとのぞかせ少し上目遣いで見つめて来る姿は、イシュペンのハートを直撃した。

(うわあっ、なにこれ可愛いっ! )

 周りのものたちも、似たような感想である。小さな少女が頑張って背伸びする姿は、可愛いらしくも微笑ましく、そしてハラハラするものだった。
 その小さな身体でつま先立ちをしていると、まるで足がぶるぶる震えているように見えてしまう。シャルティアの身体能力からすれば、この程度なんの負担にもならないのだが。

(やっぱ、見てらんねえ!)
(お、おい!)

 伸ばしたペテルの手をすり抜け、ルクルットがカウンターに突撃した。レンジャーらしい軽い身のこなしで素早く障害物などを飛び越え、さっと駆け寄る。

「お嬢さん、お困りのようですね」

 キザったらしく笑みを浮かべる優男の姿を見て、少女は小さく飛び退いた。ルクルット本人は女性に対して有効と信じている笑顔だったが、当然ながらモモンガに通じるわけがない。

(うわっ、なにコイツ。胡散臭ぇ)

 そんな内心を表情に出さないようにしながら、モモンガはおずおずと口を開いた。

「あ、あの、何か……」
「大丈夫です、自分にお任せを」

 ルクルットは、これまた自分では格好いいと考えている仕草で気取った一礼をする。そしてその場で躊躇なく四つん這いになった。

「さあ、背中にどうぞ!」

 先ほどまでとは違う意味で、組合内が静寂に包まれる。そんなことには気づきもせず、ルクルットはこれでどうだと言わんばかりにドヤ顔でペテルを見た。それを目にしたペテル以下〈漆黒の剣〉のメンバーは、思わず頭をかかえてしまう。

(そうじゃない……そうじゃないだろう)

 一方、モモンガは内心ドン引きしていた。一歩後ずさり、困惑の表情も隠せない。

(コイツ、変態か? 変態なのか?)

 小さな姫君は、助けを求めるかのように視線を巡らせた。赤い瞳が、カウンター越しに受付嬢のイシュペンの姿をとらえる。
 潤んだ(とある受付嬢の独断と偏見)瞳を向けられたイシュペンは、その儚げで保護欲をそそる仕草に心震わせつつ、対応策を考えた。
 
 言って聞くとは思えないし、さすがに自分がカウンターを乗り越えていくわけにもいかない。周囲を見渡したイシュペンの目が、ベロテの姿をとらえた。

(アレだ!)

 最上位の冒険者こそ、この場を収めるのにふさわしいだろう。イシュペンは唖然としてルクルットを見ているベロテに、手で何度も合図を送った。
 何度めかでそれに気がついたベロテが、イシュペンと目を合わせる。目配せで対応を促す受付嬢にベロテは頷き、ずかずかとルクルットに歩み寄った。

「ぐえっ!」

 ベロテに背中を踏まれたルクルットが奇声を上げる。そのまま抵抗を許さず、ベロテはルクルットを踏み潰した。

「なあルクルット、そんなに踏まれるのが好きか? なら俺が存分に踏んでやろう」
「い、いえ、男に踏まれるのは、じゃなくて、重っ! 重いっ!」

 ルクルットはベロテの足の下から逃れようともがくものの、軽装のレンジャーと屈強な戦士とでは勝負にならない。踏みつける圧力が増すにつれ、次第に抵抗は弱くなっていった。

「遠慮はいらんぞルクルット、んん?」
「ベロテさん! ギブギブ! し、死ぬ~!」 

 やがて力尽きたのか、ルクルットはガックリと動かなくなる。ベロテはわずかに痙攣しているルクルットを持ち上げると、駆け寄ってきたペテルに向かって放り投げた。

「おいペテル、バカの手綱はしっかり握っとけ」
「はい、すいませんベロテさん」

 ペテルは何度も頭を下げながら、ルクルットを引きずっていく。それを一瞥してから、ベロテは黒衣の少女へと向き直った。

「あ~、申し訳ありません。代わってお詫びします」

 相手の身分もはっきりとは判らないこともあって、ベロテは出来る限りの丁寧な対応をとる。その姿を見た少女は、居ずまいを正した。

「いいえ、迅速な対応に感謝いたします」

 スカートをちょこんと摘まみ、丁寧に頭を下げる。そんな自然で優雅な所作からは、明らかに生まれと育ちの良さがうかがえた。その完璧なまでに美しい存在に目を奪われつつも、ベロテは改めて頭を下げる。

「ありがとうございます。あれであいつも悪い奴ではないのですが……」
「そうですね。まあ、少々困った人のようですけど」

 そう言うとふたりは、どちらからともなく笑いあった。それを見ていた周囲のものたちは、大きなトラブルにならなかったことを安堵する。と同時に、シャルティアの優雅で可憐な笑顔に心を奪われた。

(これはなんとも……)

 誰より間近で女神のごとき微笑みを見てしまったベロテは、息をするのも忘れそうなほど見入ってしまう。言葉もなくじっと見つめられ続けた少女は、わずかに頬を紅潮させ戸惑うように首をかしげた。

「あ、あの……?」
「はっ、し、失礼!」

 ベロテは我に帰ると慌てて視線をそらす。それでもその目には、シャルティアの笑顔がはっきりと焼き付けられていた。これまでの人生において見たことのないほどの美貌を前に、ベロテの心は浮き足立つ。それを悟られぬようにと、間を持たせるべく口を開いた。

「じ、自分はミスリル級冒険者チーム〈天狼〉の、ベロテです。お名前をうかがってもよろしいでしょうか」
「はい、シャルティア・ブラッドフォールン……と申します」

 貴族としか思えない姿にも関わらず、名のったのは平民の名前である。しかしベロテをはじめとした一部の目端のきくものは、シャルティアの言葉にためらいを感じ取った。それはいかにも訳ありと思わせる。

(やば、思わず全部名のるとこだったよ)

 ガゼフの忠告を思い出して、モモンガは内心冷や汗を拭った。もっとも、それにはさほど意味はない。これほど目立ち過ぎる姿をしていては、何を言っても意味深にしかとらえられないだろう。
 そんなシャルティアの言葉に対し、ベロテは賢明にも事情を問いかけることはしなかった。しかし聞くべきことはある。

「それで、こちらにはどのような御用で?」

 それは本来なら組合の職員が訊ねることなのだろうが、何となく流れに乗ってベロテは尋ねた。おそらく依頼に来たのだろうが、貴人がひとりで行動というのは変である。普通は使用人を伴って、というよりこんな場所には使用人だけを寄越すものだ。

(名前のことといい、何か訳あり……だよな)

 ベロテがそう考えたのも当然だろう。それと同時に、貴族に直接コネが出来るかもしれないと期待するのもまた無理ないことだ。
 また、これほどの気品に満ちた令嬢の依頼を、鉄だの銀だのといった連中に任せるわけにはいかない。ミスリルたる自分たちこそがふさわしいという自負もある。ついでに個人的にこのお嬢様とお近づきになれれば、という下心も少しはあった。

「はい、冒険者の登録に参りました」
「……は?」

 シャルティアの言葉に、ベロテの顔が呆ける。ふたりの会話に耳を傾けていたイシュペンも、同様だ。大きな衝撃を受けながらも、ベロテは辛うじて口を開く。

「あ、あの、今なんと……?」
「冒険者になりに来ました。登録をお願いいたします」
「え、え?」

 最後に水を向けられたイシュペンは狼狽した。むろん本来ならば登録の手続きに入らなければならない。
 しかし、どこからどう見ても身分の高そうな相手だ。はたして自分の判断だけで進めてもいいのだろうか。もし何か問題でも起きた時には、自分の責任になったりはしないか。

(どーしよ! どーしよ!)

 強張った笑みを張りつけたまま無言で見つめてくる受付嬢を、モモンガはいくぶん困惑して見つめ返した。もう一度返答をうながしても、反応は返ってこない。

(さて、どうしたものか)
「こんにちは、お嬢さん」

 モモンガがどうしようかと考えていると、カウンターの奥の方から落ち着いた男の声が響いた。そちらに目をやれば、壮年の男が立っているのが見える。その視線が真っ直ぐ自分に向けられていることにモモンガは気づいた。

(ん? 俺? ああそうか、俺か)

 最初てっきり受付嬢に話しかけたのだろうと思っていたが、どうやら自分にらしい。勘違いしてしまうのもまだこの身体に慣れていないせいなのだろうが、慣れてしまうのもなんだかなーとも思えた。

「組合長!」

 すべての責任を丸投げ出来る上役の登場に、イシュペンが歓喜の声をあげた。その傍らに、同僚の受付嬢の姿がある。現場の混乱を見てとって、素早く呼びに向かってくれたようだった。

(おお~! 友よ~!)

 イシュペンの熱烈な視線を受け流して、同僚は自席に戻る。組合長と呼ばれた男は、落ち着いた笑み浮かべて近づいてきた。

「はじめまして、私はエ・ランテル冒険者組合長を務めます、プルトン・アインザックと申します」
「シャルティア・ブラッドフォールンです。ただの旅人ですが……」

 アインザックは穏やかで友好的な対応を見せているが、その目は油断なく相手を観察している。身にまとう雰囲気はいかにも古強者といった感じで、現場叩き上げのベテランのようだった。

「ご要望の件ですが、このようなところで立ち話も何です、奥の部屋へどうぞ」








 アインザックに案内され、モモンガは奥にある応接間のような部屋に通された。さらに奥には、執務室らしき扉がある。

「どうぞお掛けください」
「はい、ありがとうございます」

 シャルティア・ブラッドフォールンは軽く一礼すると、促されるままソファーに腰を下ろした。その仕草を、アインザックは細部にいたるまで観察する。いや、ここに到着するまでの間もずっと観察し続けていた。

(なるほど、これはやはり我々とは違う流儀の……)

 このお嬢様の作法は、アインザックから見てどこかズレがある。しかしそれは礼儀を知らないのではなく、別の作法を身につけているからだと結論づけた。実際少女の立ち居振舞いは、流れるように淀みなく美しい。

(これは本当に貴族なのかもしれんな)

 ということになれば、対応には慎重にならざるをえなかった。一歩間違えば、面倒なトラブルに巻き込まれることもありうる。アインザックは言葉を選んで口を開こうとしたのだが。

「なんでお前がここにいる、イシュペン」

 組合の受付嬢は、お茶だのお菓子だのをシャルティアの前に並べたり甲斐甲斐しく世話をしたあと、ちゃっかりその隣に座っていた。

「私は彼女の担当ですから」

 しれっとした顔で告げる。責任をアインザックに丸投げしたせいか、先程までとはうって変わった余裕のある表情だ。本来ならアインザックの側に座るべき立場なのだが、そんなこともお構い無しである。
 組合の総責任者は小さくため息をつくと、改めてシャルティアに向き直った。

「なぜ、冒険者になろうと思われたのですか? 正直言って、あなたのような貴婦人がなされるような仕事ではありません」
「しかし、私には他に手がないのです」

 黒衣の令嬢は、真っ直ぐにアインザックの目を見つめる。ピンと背筋を伸ばした堂々たる姿勢からは、威厳すら漂ってきた。

「この国には、何のあてもないのです。頼るべき人もなく、依るべき所もなく、為すべきこともありません」

 そう語る少女の紅い瞳に、哀しみの色が浮かぶ。憂いをおびたまだ幼さの色濃い美貌を見れば、誰であれ力になりたいと思うだろう。
 アインザックにせよイシュペンにせよその例に漏れないが、冒険者になるということは危険にさらされるということだ。軽々しく首を縦に振るわけにもいかない。

「冒険者となることで足場を得て、自分の居場所をつくりたいのです」

 そう語る姫君に、アインザックは仕事の危険性や冒険者の暮らしぶり、世間からの評価などを説明して翻意をうながした。一方イシュペンは「お茶のおかわりはいかがですか?」「こちらの焼き菓子はエ・ランテル老舗の逸品ですよ」などとお世話一辺倒である。

「大丈夫です、これでもいささか腕に覚えはあります」

 シャルティア・ブラッドフォールンはそう言って胸を張るが、この愛らしいなりでそんなことを言われても安心できるはずもなかった。

「しかしですね……」
「魔法だって、第三位階まで使えるんですよ」

 これはニグンと話したうえで決めた設定である。人間の使える最高位の魔法は第六位階とのことだが、一般の限界は第三位階らしかった。第四位階からは、ほぼ使い手はいなくなる。
 モモンガ本来の実力からすればあまりにも過少申告ではあるが、なるべく目立たぬようにかつナメられない程度の力ということで選ばれた。しかし現地目線で、なおかつ年端もゆかぬ少女の姿となれば、にわかには信じ難い。

(嘘をついているとも思えん。しかし……)

 アインザックは考え込んだ。やはり、とりあえず確認はしておくべきだろう。そしてそれには最適の人物が今ここには来ていた。

「少々お待ちください」

 一礼して立ち上がると、アインザックは部屋の奥にある扉の中に消える。ふたたび現れた時には、アインザックと同年代に見える男を伴っていた。黒衣の姫君は立ち上がって出迎える。

「はじめまして。エ・ランテル魔術師組合長、テオ・ラケシルです」
「シャルティア・ブラッドフォールンです。よろしくお願いいたします」









「それでは、あとの手続きはこちらのイシュペンが担当いたします」

 アインザックがラケシルとともに立ち上がった。シャルティアも追随して、深々と頭を下げる。

「はい、よろしくお願いいたします。ラケシルさんも、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ素晴らしい魔法の数々が見られて幸運でした。ぜひ魔術師組合のほうにも足をお運びください」
「はい、いずれ必ずお伺いいたします」

 アインザックたちは改めて一礼すると、奥にある扉ではなく入口の方から出ていった。帰るラケシルを見送るのだろう。
 ふたりが退室するのを見届けたあと、イシュペンはテーブルに書類を広げた。

「それでは始めましょう。そう言えばお嬢様、こちらの文字の読み書きは?」
「いえ、それが……自国の文字なら問題ありませんが、こちらのものとなると、まだ……」

 これは、ニグンから説明を受けた時に判明したことであった。地図に書かれた文字が読めなかったのである。それまでなまじ会話は通じていたために、完全に予想外だった。
 読解の魔法は存在していたが、モモンガは修得していない。アイテムはかつて所持していたが、アイテムボックスとともに消滅した。どちらも当然シャルティアには縁があるはずもなく、結果対応手段はない。
 もっとも、この世界において識字率はそれほど高くはないようではあるし、学のない傾向にある冒険者ともなれば、なおさらであった。
 いずれはなんとかしなければならないだろうが、今現在の優先順位が高いものは他に色々ある。それでも忸怩たる思いは消せないのだが。

(別に読み書きできないわけじゃないし! 日本語なら何も問題ないし!)

 無学な人間と思われることは、決して愉快なことではなかった。そのため、つい羞恥で僅かに頬を膨らませ、少し口を尖らせてしまう。

「はい! 大丈夫です! お任せください!」

 イシュペンはテーブルの上に身を乗り出し、勢い込んで口を開いた。重大なお世話ポイントを見つけて、意気軒昂である。

「あ、他の冒険者とかに聞いたら駄目ですよ! 騙されたりしたら大変ですから! 組合職員である私イシュペンに全てお任せを!」
「は、はい」

 その勢いに圧されるように、小さな姫君は頷いた。











「それにしても、見事な魔法だったな」

 ラケシルは感に堪えかねるように口を開いた。隣を歩いていたアインザックも大きく頷く。

「ああ、お前さんから見てもやっぱりそうか」
「そりゃそうさ。あそこまで魔法を使いこなす人間は、見たことない。特に〈飛行〉は凄かったな」

 狭い室内での精緻なコントロールは、アインザックにもはっきりとわかる高等技術だった。そのうえ、まだ余裕がありそうにも見える。

「もしかすると、もっと奥の手とかあるのかもな」

 冒険者が組合にも知らせず切り札を隠し持つことは、時々あった。おそらくあれ以外にも強力な魔法を使えるのだろう。

「それにしても、思ったよりあっさりと登録を認めたもんだな」

 隣室で話を窺っていたラケシルは、アインザックがもう少し渋ると考えていたのだ。いかに第三位階魔法が使えるとわかったとしても。

「まあ、仕方ない。下手に断って、ワーカーあたりに接触されてもな」

 ワーカーというのは、冒険者と似たような存在ではあるが、組織に属していない連中のことだ。表の存在として冒険者が合法的な仕事を行うのに対し、ワーカーは仕事を選ばない。結果、非合法な仕事も請け負う犯罪者じみたものが少なからずいた。
 組織のしがらみを嫌っただけの、気のいい連中もいないこともない。しかし、どう考えてもトラブルの予感しかしなかった。

「結局、組合で面倒見るのがいちばんトラブルが少ないだろう」
「そうだな、多少贔屓しても文句は出まい」

 そう言って苦笑するふたりの前に、組合の男性職員がひとり歩いてきた。どうやらアインザックに用があるらしい。

「組合長、ロフーレ氏がお見えです」
「わかった、すぐ行く」











 アインザックたちが組合の奥に消えてから随分たつが、待合室にはまだかなりの人間が残っていた。あの黒衣の姫君の去就が気になるからである。仕事の着手を遅らせて待っているものまでいた。
 そしてようやくその忍耐が報われる。イシュペンに先導されて、奥からシャルティアが姿を見せたのだ。

(おい、あれ……)
(ああ、銅のプレートだな)

 首から下げたプレートを見れば、冒険者登録が認められたことがわかる。それは少なからず驚きをもって迎えられた。
 姫君の顔は、どこか誇らしげに見える。まるで新しく買ってもらった玩具を見せびらかす子供のような姿に、皆微笑ましいものを感じていた。あるいは、自分がはじめて冒険者となった時を思い出したものもいるのかもしれない。一様に暖かい視線を送っていた。
 歩いて来る姫君に話し掛けようとする冒険者もいたが、イシュペンに威嚇されて近づけない。やがてふたりは出入り口の扉までたどり着いた。

「それでは、また明日お伺いいたします」
「はい、お待ちしております」


 














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