あけましておめでとうございます。2018年は、長崎のサッカークラブ「V・ファーレン長崎」が初めてJ1に昇格し、日本の最高峰リーグで戦います。経営危機を乗り越えてのJ1昇格といった、さまざまなドラマが生まれた2017年。今年は強豪だらけの相手だけど、世界一のクラブを夢見ることもできる一年です。今年も、V長崎を巡って喜怒哀楽の物語がたくさん長崎に生まれることでしょう。歴史的な一歩を心待ちにしている人、選手とともに戦う仲間−−。V長崎を陰で支える人たちに迫ります。【浅野翔太郎】
◆FUNKIST ボーカル・染谷西郷さん(39)
◇「勝手に作った応援歌」
「オーオーオーオオーオー オオー オオー オオー」。
昨季、V長崎の試合で、前半と後半の終了5分前ごろから、新しいチャント(応援歌)が歌われるようになった。原曲は、さまざまなジャンルを取り入れたバンド「FUNKIST」(ファンキスト)の「V−ROAD」だ。
昨季のV長崎はこの時間帯に18得点を挙げた。負け試合を引き分けに持っていったり、同点を勝利に変えたりする試合は、多くのサポーターや県民を引きつけた。昨年11月、圧倒的な強さを見せたホームゲームでJ1昇格を決めた瞬間も、この「V−ROAD」がスタジアムを覆った。選手らは試合後、口々に「サポーターの後押しが力になった」とコメントした。
このチャントは5年前、V長崎のホームでの試合前にFUNKISTがライブをした際にたった1度披露した曲がベースとなっている。「誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に応援歌を作って歌ったんですよ」。東京都を拠点にしているボーカルの染谷(そめや)西郷さん(39)は振り返る。だがその後、この曲はV長崎が経営危機に見舞われた昨季まで、歌われることも、音源化されることもなかった。
◇スタジアムに心震え
染谷さんは南アフリカ人でダンサーの母と、日本人の音楽家の父を両親に持つ。子どもの頃からサッカーは身近にあり、「プロサッカー選手になりたかったんです」と過去の夢を語る。
中学生の時、訪ねた母の母国で人種隔離政策「アパルトヘイト」を目の当たりにして、自分の境遇と重なるものを感じた。ハーフである染谷さんは、外国人風の顔立ちなどを理由に日本で差別的な扱いを受けていた。居場所のなさや「自分の生きる意味」を自問自答する中、人種を超えて一体感になれる音楽に没頭することで、障壁が消え去っていった。
染谷さんが長崎の地とゆかりを持ったきっかけは、海外に演奏に出向いた際だった。日本のことを聞かれても、何も答えられなかった。「なぜ母国のことを知らないんだ」。脳裏に焼き付いたその言葉の答えを探すように、毎年、沖縄、広島、長崎を必ず訪れ、演奏し、現地の人の話に耳を傾けた。そして、音楽関係者に連れられてやってきたV長崎の本拠地・県営陸上競技場(現トランスコスモススタジアム長崎)。自然と調和した風景の中での試合に、心が震えた。
◇チャント動画が反響
V長崎の経営危機が発覚したのは昨年2月。開幕を前に、ネットの掲示板やSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上ではサポーターのネガティブな会話ばかりが増えていた。同月21日、あるサポーターが、「V−ROAD」を元にしたチャントを動画サイト「Youtube(ユーチューブ)」に投稿し、掲示板に「FUNKISTは俺たちのために作ってくれたんだ! 今こそ立ち上がろうよ、長崎を一つに!」とリンクを貼った。反響が瞬く間に広がり、サポーター団体は3月の開幕2試合目から「V−ROAD」を歌い始めた。クラブの経営危機には「ジャパネット」が手を差し伸べ、春先の暗闇が前向きなこの曲とともに徐々に光へと変わっていった。
◇応援できる喜びを
昨年8月とJ1昇格決定後の同11月、染谷さんは2度、この曲をトランスコスモススタジアム長崎で歌った。「サポーターが原曲以上のものにしてくれた曲」と話す。「サッカーも、音楽も、人種や国籍、性別、障壁を超えて共有できる平和そのものだと思う」。今、染谷さんは願う。「長崎は悲しい過去を乗り越えて、サッカーがある平和のありがたさをVファーレンと経験できる。地元のクラブを皆で応援できる喜びが、もっと多くの人に伝わってほしい」
〔長崎版〕