当時、地位のある女性の衣装は小袖に打ち掛けが基本でした。しかし、直虎が他の女性たちと同じ姿では差がつかないうえに、城主としての存在感やオリジナリティーを出すことができません。さらに直虎は積極的に領内を動き回る城主となっていきます。そこで、活動的な城主にふさわしく小袖に袴というのを基本スタイルとしました。色はくすんだ赤(えんじ色)など、井伊家の人々の衣装で使われているアースカラーを使った衣装が多くなっています。
「われが井伊直虎である」と家臣たちの前に現れた直虎が羽織っている打ち掛けは、さまざまな小裂(こぎれ)を縫い合わせたパッチワーク仕立てです。かつて、おとわが出家するとき、母の千賀が持たせた手作りの法衣もパッチワークで作られていました。城主となる娘に、再び母が城主にふさわしい華やかな打ち掛けをと、家にある少しでも良い小裂を集め愛情を込めて作り上げたのです。また手作りのパッチワークというところに、井伊家の質素な暮らしぶりも表現しています。そして小袖もまた、おとわと亀之丞の夫婦約束が決まったときに母が用意した着物でした。
直虎らしさをよりいっそう表現するために、着こなし方や小袖の色柄などにもこだわっています。城主として家臣たちの前に立ったときの打ち掛けは、もっともオフィシャルな場で着るもので、ふだんはもう少し質素な打ち掛けや小袖、袴になります。その打ち掛けを、時には腰に巻くというのも活発な直虎独自のスタイルです。小袖の柄や配色も左右対称ではなくあえて不均等に配して、ほかの女性たちとはどこか違った印象になるという工夫もしています。
装いによってふるまいが変わるということはあると思います。次郎法師時代は墨染めの法衣でしたから、修行期間という感じで少し抑えめにといった感覚はありました。もちろん、みんなのために奔走したり、言いたいことがあればきちんと伝えるといった部分は核としてありましたが、周囲を静観したり、自身を見つめて考えているというシーンも多かったですしね。それが城主となって打ち掛けに袴姿で政や会議に臨むと、きりっとした気持ちになりやすく、装いに影響されているなと感じるところはあります。