勝手にふるえてろ』 ぎこちない男女の、かけがえのない瞬間

CMなどでも大活躍の松岡茉優。その初の主演作『勝手にふるえてろ』が公開中です。彼女の演技や物語の力など、本作の見所についてブロガーの伊藤聡さんが解説します。

バラエティ番組やテレビドラマ、そして映画で人気の女優、松岡茉優の初主演作品が『勝手にふるえてろ』である。綿矢りさの原作小説を、大九明子監督が映像化した本作は、監督の持つ的確なビジョン、巧みに構成された脚本と編集により、松岡の持つポテンシャルを最大限に引き出す、とてつもないフィルムとなった。かねてから演技力に定評のあった松岡だが、その実力を十全に発揮できる作品に出会えたのではないか。初主演作として、これ以上ないスタートといえるだろう。大九と松岡、ふたつの才能がかみあったパワフルな作品の誕生に快哉を叫びたい。

物語の主人公、ヨシカは東京で働く24歳のOL。男性との交際経験はなく、片思いの相手である中学時代の同級生(通称:イチ)との淡い記憶を、日々脳内で反芻していた。彼女は会社の同僚男性(通称:ニ)から交際を申し込まれるが、イチへの想いは断ち切れず、ニとの交際は保留されたままだ。「人生の大半をかけてきた恋」に決着をつけるため、同窓会を企画したヨシカ。彼女は10年に渡る妄想の年月を経て、ひさしぶりにイチと直接会うことを決意する。

本作で何より重要なのは、主人公として物語を牽引するヨシカの存在感、奥行きのある人物造形である。『勝手にふるえてろ』の成功は、まず何より、主人公に息遣いを与え、立体的な人物として提示する松岡茉優の迫真の演技力にあるだろう。類型的なキャラクターとして表現されやすい、内向的で恋愛下手な女性、オタク系女子。世間に流布する安易なステレオタイプを軽く飛び越え、まるで目の前にひとりの女性が立っていると錯覚してしまうほど、複雑な感情の機微が表現される。目線、声色、会話の間、所作、ユーモラスなせりふの数々──。その他挙げきれないほどの細部から、117分に渡って観客を釘づけにする主人公の姿が描写されていくのだ。

たとえばヨシカが、故郷で開かれた同窓会へ参加する場面のぎこちなさはどうか。意中の男性と会話するきっかけを作ろうと、ヨシカはいくぶん挙動不審なまま周囲に声をかける。「あのー、私東京で働いてるんだけど、ほかに上京してる人、はーい(手を挙げるしぐさ)、とか」*1。ここでせりふの語尾に添えられる「とか」の弱々しさには仰天するほかない。このように小声で何かを話す女性を、私は何度も見たのではないか。かつて私自身もまたヨシカのように、弱々しい声で何かを言いかけては止めたのではなかったか。

映画監督の黒沢清は、本作を評して「面白い。アハハと笑いながら気楽に見ていると、突然ハッとする映画的瞬間がおとずれる。日本の娯楽映画の、近年の最高峰かもしれない」*2と述べている。ここで黒沢がいう「映画的瞬間」とは具体的に何を指すのか? 本作に照らしあわせて個人的に推測するなら、架空の存在であるはずの登場人物が、物語の進行にともなって、虚構の壁を突き破るほどに過度のリアリティを獲得してしまう瞬間のことではないかと考えるのだ。

本作は、映画における約束事をある部分では忠実に守り、別の部分では大胆に壊している。この落差こそが作品のポイントであり、コメディタッチで軽快に進む前半は、突如として剥き出しの登場人物をつきつける後半への布石である。それまで映画のルールを律儀に守り、テンポのいい語りを続けてきた物語が、不意にそのルールを破り、あられもない登場人物の姿を露呈させるスリリングな瞬間。こうした落差に対して、観客は「これが映画だ」と感じるのではないか。

たとえば、意中の相手イチから告げられたひとことに、ショックのあまり思いもよらぬ生々しい声をあげてしまう場面。あるいは、「誰にも見えてないみたい」とひとりごちた後、小さく「フフッ」と笑う自嘲的な表情。ヨシカというひとりの女性が泣き、憤り、煩悶する姿がここまで観客に届くのは、前半でコメディ作品としての完成度を高めつつ、後半ではその構造を壊すというストーリーテリングの周到さにあるのではないか。こうした意外性のなかで観客は、あたかも目前にヨシカが実在するようだ、と驚愕する。かくして『勝手にふるえてろ』の「映画的瞬間」は、脚本と編集の工夫によって支えられ、主演女優の好演によって達成されるのだ。

ラストシーンで描かれる、愛しあう男女のちぐはぐで滑稽な会話は、それがフィクションであることを忘れさせる切実さに満ちており、ただただ美しい。そのかけがえのなさを、どう表現すればいいものか。ふたりの不器用な男女がぎこちなくお互いを求めあう結末にいたって、観客は彼らを、まるで親しい友人であるかのような、自分の分身であるかのような感慨をもって見つめるほかない。それはまさに「映画的瞬間」の結実なのだ。

*1 なお、雑誌「シナリオ」2018年1月号(日本シナリオ作家協会)に掲載された本作のシナリオを読むと、当該せりふに「とか」とは書き込まれておらず、この重要な追加が大九のアイデアなのか、松岡の発案によるアドリブなのかは判然としない。
*2 公式サイトのコメントコーナー

『勝手にふるえてろ』
公開日:2017年12月23日
劇場:新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋ほか全国ロードショー
監督:大九明子
出演:松岡茉優、渡辺大知、石橋杏奈、北村匠海、古舘寛治、片桐はいり
配給:ファントム・フィルム
©2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

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およそ120分の祝祭 最新映画レビュー

伊藤聡

誰しもが名前は知っているようなメジャーな映画について、その意外な一面や思わぬ楽しみ方を綴る「およそ120分の祝祭」。ポップコーンへ手をのばしながらスクリーンに目をこらす――そんな幸福な気分で味わってほしい、ブロガーの伊藤聡さんによる連...もっと読む

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feilong 1件のコメント https://t.co/Gy0eYWjvHt 約3時間前 replyretweetfavorite

hiromi_kondo 映画「勝手にふるえてろ」の評が秀逸。そういえば、この方のTLを偶然にも読んで、新年早々に「勝手にふるえてろ」を見たのだった。この映画は、海外でも好評を博すだろうし、ロッテルダム国際映画祭あたりで入賞するのでは?と思う。https://t.co/NQ3Gvo8ehx 約4時間前 replyretweetfavorite

itotto0205 "こうした意外性のなかで観客は、あたかも目前にヨシカが実在するようだ、と驚愕する" 約4時間前 replyretweetfavorite