職場の人権研修で、障害者だ貧困だ難病だ、話を聞いたり動画を見たりして気になったのは、いずれも「偏見に晒されたり不当な不利益を被る人達がいかに立派な人か」という擁護?が混じっていることだった。ホームレスの中には少し前まで大きな会社にずっと勤めてたという人がいるんだとか、足の悪い○○さんだけ津波に飲まれたけど優しい人でとか。
じゃあ人間の屑だったらどうなんだと私はそっちよりだったんで思ったし、生活保護の支援団体の人までそういうくちっぷりだったのは少々辟易した。中には運命の歯車がほんの少しずれてしまっただけの人だっている、それはその通りだ、でも中には居るだなんて言ってたら、本当にただただ働くとかそういうの面倒くさいだけのテンプレなずるい人だっているだろう。障害ゆえに津波に飲まれた人は性格が悪くて周りから嫌われていたなら割り切りがつくのか。手を差し伸べる人を傷つけるような弱者に、差し出された支援にあぐらをかくようなヤツに、本当に我々は、じんけんとは、うんぬん、しなくちゃならないのか。話は逸れるが人権研修のメニューはいろいろあって選べたりするんだけど発達障害についてが無くて、じゃあ空気読めなくてどこにも就職できない無能は、みんな、車椅子の聖人君子を相手にするように自然と配慮だかなんだか、社会はそこまで成熟してるのか。いや、成熟する必要があるのか。ハンディキャップを活かして駆使して援助者をせせら笑うクズからは、そんな権利なんかとりあげちまうのがすじなんじゃないか。
そんなことをつらつら考えていた。
そしたら今更ながら、世界人権宣言を読んだ。
これは1948年に国連で採択されたもので、世界中の人権の話はたどっていくとこれに基づいている。
第1条にはこう書かれている。
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
これが答えだった。国連の下にいる国の、国民は、世界中の我々は、この宣言の元にいるのだった。
性善説だ。人権なんか無いようなどうしようもないクズだなんていませんよというのがスタートだった。考えてみればあたりまえかもしれないけれど。
法律というのは第1条に主旨を置く。これからごちゃごちゃ具体的な話を書いていくが思っていることはつまりこういう気持ちなんだというのが第1条だ。社会や人間はそこまで到達できないし到達できる気もしないが少なくとも建前はここに書いてあったのだ。
ひとつすっきりした。
クズに人権を与えることは、クズにとっては好ましいが、クズじゃない人間にとっては不利益が大きいので、人類が成熟してクズじゃない人間が大多数を占めるようになった場合、クズ...
人間は、理性と良心とを授けられており これがもう嘘なんだよなあ
ぶっちゃけていうと全人類の9割がクズなのであまり深く考える必要ない
クズの自由な行動を規制するために法律と憲法があるんでしょ