ソーシャルメディア時代の抱負「雑音から逃れよう」

フェイスブックやインスタグラムなどの充実した投稿を見ていると、目を逸らしたくなる気持ちってないでしょうか。SNSはそうした羨望や嫉妬、やましい気持ちを拡大する効果があると渡辺由佳里さんは指摘します。
アメリカ在住の作家・渡辺由佳里さんが、ソーシャルメディア時代のSNSとの距離のとり方を考えます。

年始からSNS疲れ?

今年の元旦も、私のフェイスブックには、美しい重箱に詰められたおせち料理の写真が並んでいた。

「おいしそうだなあ」、「食べたい!」という率直の反応の後に、なにかモヤモヤした感情が追いかけてくる。いったいこれは何なのだろう? 私は自分の胸に正直なところをたずねてみた。

まず、いずれも、手づくりとは思えないほどの完璧さだ。
これでは、「味は悪くないが、見た目がイマイチ」という典型的な私の料理は恥ずかしくて載せられない。

次に、これらの美しいおせち料理を作っているのは、仕事もバリバリこなしている子育てまっただなかの、私よりずっと忙しいお母さんたちなのだ。しかも、多くの人は私と同じように、材料を手に入れにくい海外在住である。
「ちゃんとやっていない自分は怠け者なのではないか?」という「やましさ」を感じずにはいられない。

だが、モヤモヤの後にやってくるのはいつもの「開き直り」だ。

アメリカ人と結婚してアメリカ暮らしの私は、和食が好きな娘が大学に進学して独立したときからおせち料理はもう作らないと決めた。それは非常に合理的な決断である。

おせちを作るよりも、私にとってやりたいことや楽しみなことがある。誰も責めていないのだから、そっちを堂々とやればいいのだ。

それに、いちいち傷つくより、自分では作らないおせちの味を想像して楽しめるほうが「お得」な人生じゃないか。どうせなら、そっちの「お得」なほうを選ぼう。そう頭の中を整理すると、心底そう感じるようになる。私の頭は、そのあたり非常に素直なのだ。
私は「これを食べたいなあ」と思う写真に、「すごいなあ」と感動しつつ「いいね」を押していく。


じつは、この気持の切り替えは、生まれつきのものではない。人間ができているわけでもない。

これは、私がソーシャルメディアと気楽につきあっていくために意図的に編み出した対応策なのだ。それらについては『ゆるく、自由に、そして有意義に』『どうせなら、楽しく生きよう』などでも書いたが、書いた自分自身も忘れそうになるときがある。だから、ときおり読み直して気持を新たにすることにしている。

2018年の抱負として、その「雑音から離れ、自分の心に耳をすませる」というソーシャルメディア時代の対策を書いてみたい。

ソーシャルメディアは自己肯定感を下げやすい

ソーシャルメディアには、おせち料理にかぎらず、常にこういった罠が潜んでいる。

『どうせなら、楽しく生きよう』という本の「雑音から離れ、自分の心に耳をすませる」という章に次のようなことを書いた。

世の中には、あなたの心を迷わせ、自信を奪うメッセージがあふれています。

 メディアは「男性は高学歴で高収入、女性は美人でスリムでなければいけない」と伝え、あなたの周りにはピアノの演奏ができる人、マラソン大会に出場する人、料理が得意な人がたくさんいます。

 友人知人からは、結婚式の招待状やお子さんが有名大学に入学したことを知らせる年賀状が届き、フェイスブックやツイッターには完璧な料理や家族旅行、海外出張、ボランティア活動の写真があふれています。

 インターネットの普及によって、手に入る情報量が増えているので、才能がなくて、努力が足りなくて、何も成し遂げていないのは自分だけのような気がしてきます。

 おまけに、親、教師、同級生、同僚、上司など身近にいる人は、あなたと他人を比較します。そして、「なぜ●●さんのようになれないの?」と、すでにボロボロになっている自己肯定感にとどめを刺します。

こういったとき、落ち込む人もいれば、「自分だって、やろうと思えばこの人よりうまくできる」という競争心を抱く人もいるだろう。

それがポジティブな動機になればいいが、本当は自分がやりたくないことやさほど興味がないことに時間やエネルギーを費やし、喜怒哀楽の感情まで入れ込んでしまいがちなのがソーシャルメディアの恐ろしさだ。

アメリカでも、特に若者の間では「いいね」をたくさん押してもらう競争になりがちで、「いいね」を押してもらえないと、まるで自分を否定されたような気持ちになるという。

少女たちは、「いいね」を押してもらって自己評価を高めるために、フォロワーが何百万人もいる「インスタグラム・スター」たちを真似た化粧をし、スリムに見える角度を計算して写真を撮る。でも、それで「いいね」を押してもらっても、実際の自分は変わっていないことを心の底では知っている。

それでも「いいね」をたくさん集めて自信をつけてもいいじゃないかと思うかもしれない。でも、自分の価値を他人の評価に頼っていると、自分がやりたいことや、自分が楽しめることよりも、他人の目を気にした選択をしがちだ。自分を喜ばせるよりも、他人に受け入れてもらおうとしてしまう。

その、息苦しさは、ソーシャルメディアにかぎらず、親や教師などの批判の目にさらされて生きてきた人なら想像できるだろう。

他人の評価を基準にして生きる癖をつけると、実際に批判されていないときにも、自分の頭の中でその声が聞こえるようになる。そして、劣等感を抱く必要がないのに抱いてしまう。
その影響が拡大されるのが、ソーシャルメディアだと思う。

万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチですら足りないものがある

いまの私がSNSでの競争から一歩距離をおけるのは、けっこう長く生きてきたことと、その長い年月に全世界でいろんな人と会い、それなりに学んだことがあるからだろう。

世間から「成功者」とみなされている人にもけっこう会ったが、彼らはすべてに秀でているわけではない。

ある分野で超人的な能力を持っていても、有名シェフ並の料理の腕前で、モデル並の美貌で、大富豪で、すばらしい家族に恵まれている人なんていない。

史上最高級の画家と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチは、建築学、天文学、解剖学、数学、音楽でも天才的な能力を持つ「万能人」だったが、そのダ・ヴィンチも婚外子であり、両親がそろった家庭で育ってはいない。普通の人のフェイスブックには、知人の親子旅行の写真や子供の運動会の写真が並んでいると思うが、ダ・ヴィンチにはそういう親や子供はいなかったのだ。
ダ・ヴィンチがそれを欲していたかどうかは別として、普通の人があたりまえのこととして楽しんでいる家族を、歴史上最も有名な天才は持っていなかったということになる。

つまり、すべてを手に入れているように見えても、実際にすべてを手に入れている人なんていない。

一方で、多くの人が持っている(ように見える)ものが欠けていても、ほかの人が羨む何かを持っているものだ。
そのあたりは、私が観察してきたかぎり、世の中はけっこう公平にできている。

そして、劣等感や自分への疑いがまったくない人はまずいない。
自信たっぷりに見える人でも、自分が完璧ではないことを自覚したうえで、劣等感を飼いならし、健全なレベルの自尊心を維持しているだけである。

その劣等感をちゃんと飼いならさないと、ネットでの攻撃性にもつながる。

他者からの攻撃の対応策

ソーシャルメディアでは、ときおり知らない人からの攻撃を受ける。

自分が意図したこととは異なる解釈をする人や、人格攻撃、「揚げ足取り」の人も少なくない。たぶん、それらの人は、自分を認めてもらうために「攻撃」というやり方を選んだ人なのだと思う。

そういったとき、つい言い返したくなるが、それはお互いにとって得るところがない口論に発展しがちだ。人格攻撃や揚げ足取りをする人、そして基本的な認識レベルが異なる人とはソーシャルメディアで語り合ってもわかりあうことはできないからだ。

だから私は正当な反論だと思った場合には真摯な対応はするが、ネットでの「どなりあい」はしない。

ネットでモヤモヤした気分を抱くとき、私は森に行く。
森でゆるゆる走りながら、次のようなことを自分にたずねてみるのだ。

Q:なぜ、モヤモヤするのだろう?

A:きっと、私の中にもみなと同じになりたい、認めてもらいたいという気持ちがあるのだろう

Q:ほかの人と同じになって、認めてもらえることに利はあるのか?

A:ない

Q:それって、本当にやりたいことなの?

A:とくにやりたくない

Q:ほかにもっとやりたいことがあるんじゃないの?

A:ある

Q:今やりたいことは?

A:それは…

こうやってゆるゆる1時間以上走れば、モヤモヤはすっかり消えている。
走り終わったときには、森で思いついた「やりたいこと」を始めたくて、ウキウキしている。

森で走る以外にも、ネットを離れて読書に没頭するという対策もある。
暗い気分のときには笑える本を、人間不信になっているときには人間の暖かさを信じられるような本を探して読みふける。

掃除も気分転換になる。
住んでいる環境をすっきり整理すると、心の中まで整理整頓できるような気がするのだ。

もうひとつの私の奥の手は、親友と、彼女の愛犬との散歩だ。ソーシャルメディアをしない彼女と話していると、ネットの世界は広いようで狭いことを実感できる。

これらで気分転換をしてソーシャルメディアに戻ったら、ふたたび本好きや社会問題に敏感な人たちと楽しく交流することができる。

ほかにもたくさん方法があると思うが、これらがソーシャルメディアと仲良くつきあっていくための私の対策だ。
自分の心を惑わす情報が多いソーシャルメディアの時代には、そういう対応策をいくつか用意しておくといいかもしれない。

ソーシャルメディアで出会える希望

とはいえ、インターネットで他人の活躍や達成を知るのは悪いことばかりではない。
妙な競争心や劣等感ではなく、純粋な「モチベーション」を与えてくれる人はたくさんいる。

私にとっては、「Iron Nun(アイアン・ナン)」というニックネームを持つカトリック尼僧Madonna Buder(マドンナ・ビューダー)さんがそのひとりだ。神父に薦められて走り始めたのが48歳という高齢だったのにもかかわらず、アイアンマン・トライアスロンレースをこなすようになり、87歳の今も現役なのだ。これまで45以上のレースをこなしているという。

私は、アイアンマンどころか、トライアスロンもするつもりはない。マラソン大会に挑戦するつもりもない。競争が嫌いな性格だから。

ビューダーさんが私に与えてくれるのは、「87歳になったときも森を走ることができるかもしれない」という希望だ。好きなことをコツコツと続けることの大切さや、楽しんで生きることの大切さを教えてくれる。だから、私はキラキラした瞳で楽しそうに走るビューダーさんを見るのが好きなのだ。

元トライアスロン選手で現在はコーチをしているレベッカ・キートさんのツイッターも私に元気を与えてくれる。キートさんとは実際に何度か会ったことがあるのだが、元世界チャンピオンなのに、「学校で一番の運動オンチ」だった私ですら同等に扱ってくれる。

彼女の超ポジティブなツイートを見ると、私もそれなりに頑張ろうと思えてくる。

ソーシャルメディアに振り回されないために

ソーシャルメディアには良いところも、悪いところもある。

もっとも悪いところは、自分の心の声が聞こえにくくなるところだと思う。

ソーシャルメディアには、罵声も含めてたくさんの声があふれている。それらの雑音に慣れてしまうと、自分の考えを見失いがちだ。

それに気付いたら、少し距離を置いて、雑音が聞こえない場所に行ってみよう。
そして、自分が何を求めているのか、誰とどのような人生を生きたいのか、考えてみよう。劣等感や攻撃性、差別心といった自分の中にあるネガティブな気持ちにも正直になってみるといい。

完璧な人間なんていない。誰でも、ネガティブな感情を抱くものだ。でも、それらの感情をどう扱うのかは、自分しだいだ。
それを他人への攻撃という形で表現するのか、それよりも、「楽しく生きる方法をみつけよう」と決意するのか、それは誰もが平等に持っている選択肢だ。

ソーシャルメディアの悪い部分を個人が独力で変えることは不可能だが、つきあい方は自分で選べる。

私たちは、気づかないうちにスマホなしには生きられないほど依存した生活を送るようになっている。そんな時代だからこそ、2018年はぜひ、雑音からときおり離れ、自分の心との対話が深まるように生きたいと思うのだ。

この連載について

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アメリカはいつも夢見ている

渡辺由佳里

「アメリカンドリーム」という言葉、最近聞かなくなったと感じる人も多いのではないでしょうか。本連載では、アメリカ在住で幅広い分野で活動されている渡辺由佳里さんが、そんなアメリカンドリームが現在どんなかたちで実現しているのか、を始めとした...もっと読む

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thinktink_jp "つまり、すべてを手に入れているように見えても、実際にすべてを手に入れている人なんていない。 一方で、多くの人が持っている(よ..." https://t.co/HXjaTsVJfH https://t.co/eZGn51Smss #drip_app 約3時間前 replyretweetfavorite

1sky1destiny SNS疲れの人に読んでほしい良記事 約3時間前 replyretweetfavorite

consaba 渡辺由佳里  約4時間前 replyretweetfavorite

a_ksrg175 |渡辺由佳里 @YukariWatanabe |アメリカはいつも夢見ている 自分で巧く距離をコントロールできるようになろう. https://t.co/zq3JZ51Uly 約4時間前 replyretweetfavorite