第27回大会で京都チーム5連覇のゴールテープを切る小島さん(2009年1月)
全国女子駅伝で京都チームのアンカーとして優勝のゴールテープを2度切った小島一恵(30)=立命館宇治高-立命大出=が昨季限りで引退した。駅伝では抜群の強さを発揮し、全国女子駅伝は古里の奈良、競技力を高めた京都から合わせて11年連続出場し、優勝を6度経験した。「トップで競技場に入ったときの大歓声が忘れられない。みんなのおかげで幸せな経験をさせてもらった」と笑顔で振り返る。
引退を決めたのは2016年夏。11年冬に右膝の痛みが激しくなり、翌春に手術した。だが痛みの原因となる筋膜を切った影響で、強度の高い練習が難しくなったという。所属先の豊田自動織機監督や家族から励ましを受けて懸命に復帰を模索したが、夏合宿でも全く練習できなかった。引退レースには17年1月の古里に近い大阪ハーフマラソンを選び、「やることは全部してきた。後悔はない」。
全国女子駅伝には奈良の田原本中2年で初出場。憧れの山中美和子さん(ダイハツ)がチームメートだった。「緊張であまり覚えていない」と笑う。全国中学体育大会800メートルで優勝して臨んだ3年時は、山中さんの1区区間賞の勢いも借りて3区を上位で走った。
立命館宇治高時代、全国高校駅伝はけがなどで本来の走りができなかったが、全国女子駅伝では区間賞を2度獲得した。「違う世代の選手と一緒にいると、なぜか行けると思えてくる」と話す。
立命大では1年時に7区区間新を樹立。2年からはアンカーを務め、実業団選手に果敢に挑んだ。「自分より速い選手に挑戦するだけで気持ちは楽だった」。4年は6位でたすきを受けて3人を抜く快走。「行けるところまで行かないと、という気持ちだった」。常に強気の走りを人々の記憶に刻んできた。
実業団で約6年間走れない苦しみを経験したが、「今も陸上が好きなのは変わらない」と笑って話す。だからこそ、若い選手たちの控えめな姿勢が気がかりだ。「みんな陸上が好きなんですよね? だったら目標に向かって何でもできるはず。一生懸命になれるのは、今しかない」とエールを送る。