どうもどうも。
えす(@Sakura_05300921)です。
今日は2018年マック初めを存分に味わわせてもらいました。
今年も相変わらずの美味しさだったね。
有無を言わせぬ凄まじき美味しさだった。
世界一の美味しさであるという確固たる事実を自ら主張してくるかのごとく黄金色に光り輝くポテトをナゲットのバーベキューソースに付けて口の中に放り込む。
一瞬にして広がる風味。
両者の絶妙なるバランスが織り成す協奏曲。
それはまさに、圧倒的至福...ッ!!
マックには2018年も大層お世話になることでしょう。どうぞ宜しくお願いします。
さて、そんなワケで、今回は「食」についての記事を書いていきますっ!
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私は、常軌を逸した偏食である。
ご存知の方も多いかと思いますが、私はめっっっちゃ偏食です。
めっっっちゃじゃ足りない。めっっっっっっっっっっっちゃ偏食。
いや、いくら「っ」を加えても足りないほどに偏食です。
悍ましいほどに偏食です。狂気的なまでに偏食です。
言うなれば私は、世界トップクラスの偏食さを誇る人間なのです。
ワールドワイドとまでは行かなくとも日本の総人口1億2000万人を対象とした偏食ランキングであれば1万位以内に入っていることは確実であるという自負は常に持っています。
そんな馬鹿みたいなことを自信満々に語ってしまうレベルの偏食です。
まずもって、野菜は一切食べれません。
キャベツもレタスも人参もピーマンも茄子もトマトも何も食べれない。
てかそもそもキャベツとレタスの違いが分からない。
確かキャベツが丸くてレタスがちょっと縦長い感じだったと思うんだけど。
今調べたら縦長なのは白菜だった。
食べれる野菜は芋とキュウリのみ。
そうやって言うと皆んな「芋は野菜じゃないだろw」と笑う。
私からすればそんな理論は愚の骨頂である。
なので「芋は野菜だ」と言ってくれる人だけを全面的に信用するようにしている。
偏食は野菜だけには留まらない。それ以外でも大体のものが無理 だ。
恐らく適当に食べ物を100個挙げさせたとしてもその内の90個は食べれないであろう。
嫌いな食べ物を聞くよりも好きな食べ物を聞いた方が効率のいい人間。
さすがに母も理解しているので私が食べれるものしか出さない。
故に食生活は壊滅的。いつ死んでもおかしくない。
私がいつも「30歳で死ぬ」と豪語しているワケはここにある。
それでもその半分にあたるここまでの15年間で1度も大きな病気になったことがないという件については健康に生んでくれた親に感謝する他ない。
幼稚園の頃から数えてみても、給食を残さず食べたことは数回しかない。
あるとしてもそれは事前に量を少なくするという細工を使ったときだけ。
てかそもそも牛乳を完飲したことが1回もないから正確に言うとその数はゼロ。
無論、学校で1番嫌いな時間は給食だった。言うまでもないことだ。
幼稚園の頃から、全く変わらない。
全く変わらない偏食さを兼ね備えたまま、ここまで生きてきた。
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食に苦しめられ続けたこの15年間。
思えばこの15年間は、食に苦しめられ続けた人生だった。
幼稚園の授業で配られたプチトマトを食べずにそっと自身の下駄箱に隠したとき、小学校で給食の時間が終わって皆んなが掃除をする中で独り椅子に座って必死で食べ続けたとき、先生が全てを察し自分にだけ極貧のスラム住人を思わせるような少ない量を盛り付けてきたとき、夕飯を残した罰として父に真夜中の家の外へと放り出されて鍵を閉められたとき、正月で家族全員 雑煮を食べている中で自分だけきな粉餅を食べて後で祖父に陰口を叩かれたとき、剣道の先生に言われ泣きながらご飯と一緒に掻き込んで死に物狂いでトマトを食べたとき、そして何よりも、この偏食さは世間一般的に見たら凄まじく異常だと気付いたとき・・・
その全てで、好き嫌いなく食べないといけないこの社会を恨み、自分が食べないと生きられない人間という生物であることを憎んだ。
食べる必要がなかったら、どれだけ幸せだっただろう。
そんなことはもう飽きるほどに考えてきた。
そんな幻想をいつも頭の中に描いてきた。
食欲が三大欲求の一つだなんて信じさえしなかった。
食から得られるものは快楽などではない。私にとってそれは、ただの苦痛だった。
深海生物のダイオウグソクムシは食べなくても生きられるらしい。
生まれ変わるならそいつになりたいと率直に思う。
フォルムは気持ち悪さの権化としか言い様がない有り様だが、食という苦痛を味わわなくていいのならそんなものは許容範囲内。
神様。あんたは実在するのかしないのかよく分からないし正直全く信じてないけどもし本当に居るのなら私が死んだときはそのダイオウグソクムシに転生させてくれ。
てかそもそもなんで私を食の苦痛と常に向き合わねばならない人間にしたんだ。
いやあんたが全てを決めてるのかどうなのかは知らんけども。
まぁここまで来たら人知を超越した域にある話は100%神に押し付けていく所存だけど。
今は周りに私=偏食というのを常識的概念として弁えている良き理解者しかいないから何も困らないものの、ひとたびその概念が構築されていない人間たちの巣窟へと出れば彼らは一瞬にして圧倒的正義を纏った気になって偏食奴は為す術もなく蹂躙される。
15年間生きてきて嫌になるほどに痛感した。
幼少期から「好き嫌いなく食べるのが偉い」と叩き込まれ育った人間が大多数を占め蔓延っているこの世の中は極度なる偏食の私が生きるにはあまりにも厳しすぎると。
そうやって、ずーっと食に苦しめられてきた。
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そして思った。嫌いな食べ物を無理して食べる方が健康に悪いんじゃない?
さて、ここからが本題です。
15年間そんな食の苦痛と戦い、時に誤魔化し生きてきて、辿り着いた答えがあります。
嫌いな食べ物を無理して食べる方が健康に悪いんじゃね?
そんな気がするんですよ。逃げの発想とかではなく。
好き嫌いなく食べた方が健康に良い的な、嫌いな食べ物を無理してでも食べた方が健康に良い的な、そんな思考を一種の洗脳のように植え付けられてきたけども。
正直そうやって無理して食べる方が不健康なんじゃないか?と。
まだ嫌いな食べ物で消耗してるの?と。
いつから嫌いな食べ物を無理して食べれば健康になれると錯覚していた?と。
そう言いたい。
理由は大まかに言うなればたった1つ。
嫌いな食べ物を摂取することは凄まじいストレスを齎すから。 それだけ。
皆さんはそのストレスが分かるだろうか。
誰しも嫌いな食べ物の1つや2つはあるだろうから分かるとは思う。
正直ヤバすぎる。語彙力がゼロに等しくなってしまうほどにヤバすぎる。
他のものとは比べ物にならないほどのストレス。並大抵のもんじゃない。
口に入れた瞬間に本能レベルで身体が拒絶反応を起こし一刻も早くこの異物を体外に出さなければ死んでしまうと言わんばかりに各機関が必死で働き始めるレベル。
野菜を食べるか、勉強するかだったら迷わずに後者を選ぶ。
それほどにストレスが大きすぎるのだ。
だからと言って強引にその取り引きを持ち掛けて勉強させようとする輩がいたらそれはとりあえず黙らせる。
まぁごく一般的な人なら嫌いな食べ物は1つか2つぐらいしかないだろうから無数に存在する食べ物の中でそれがドンピシャで出てくるなんて確率はほとんどあり得ないけども。
だが私の場合はその確率が極限まで高まっていると言ってもいい。
つまりそれだけストレスが発生する機会が多いということ。
嫌いな食べ物を食べなかった場合の栄養の不足。
嫌いな食べ物を無理して食べた場合のストレス。
それを完全なる独断と偏見によって作り出された天秤にかけたところ、嫌いな食べ物を無理して食べる方が健康に悪いという答えに至ったワケであります...!
うん、まぁだからどうしろっていう話ではないけどね。
無理に嫌いな食べ物を押し付けてくんじゃねぇこのクソ野郎と言いたいワケではない。
私はただ、このクズ自論を、ひたすら真っ直ぐに、世間に晒しただけさ・・・
結論
マックは最高。
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まとめ
以上、世界トップクラスの偏食さを誇る私の殴り書き でした。
無駄に熱量がすごかったね。笑
それほど食に対する憎悪が溜まりきっていたということでしょう。
とりあえず私は今後も死を覚悟でなるべく嫌いな食べ物を避けつつ好きなものだけで食欲を満たすという幸福感に溢れた不摂生かつ自堕落を極めた生活を送っていこうと思います。
その為には、やはりマックですね。あとカップ麺。
ほしい物リストにどん兵衛入ってるんで宜しくお願いします。
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