女印良品
アンラッキーなお産 <前編>
2018.01.04
by 田房永子
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 去年、第二子を出産した。
5年前の第一子の出産は、経膣分娩だった。経膣分娩とは、自然分娩、普通分娩とも呼ばれる、アソコから赤ちゃんを出す出産方法のことである。第二子も経膣分娩になるのだろう、と思い込んで過ごしていた。


 しかし今回は妊娠9ヶ月の後半に「逆子になっている」と診断され、帝王切開をすることになった。帝王切開というのはお腹を切って赤ちゃんを取り出す出産方法のことである。
 いきなりの事態に、心臓がドキドキした。
帝王切開は「術後が痛い」とよく聞くし、産後も普通分娩よりも「大変」みたいなことを“噂”で聞いていた。“噂”というのは、誰かの体験談や人づてに聞いたことをなんとなく耳にした、というニュアンスである。
 つまり、よく知らないのである。
 妊婦雑誌に載っている「お産当日の流れ」の表には、陣痛から分娩まで、体の状況や気をつけたほうがいいこと、呼吸法、夫がするべきアクション等々、「経膣分娩」については詳細に書いてある。しかし「帝王切開」の欄は「各産院の指示に従う」の一言で終わり。
 母親学級で見せられる学習ビデオも必ず経膣分娩の映像で、帝王切開についての学習ビデオは見たことがない。とにかく「臨月に陣痛が来た際の心得」ばかりを教えられる。
 どんな妊婦でも帝王切開になる可能性はあるし、健診の日に突然「これから緊急帝王切開します」となる人もすごく多いんだから、帝王切開についても妊娠中に学んだほうが絶対いいと思うのだが、なぜか帝王切開についての説明は省略される。
だから経膣分娩をした人が帝王切開のことを知る機会ってほとんどない。私は“噂”レベルの知識しかなかった。


 「帝王切開になる」と言われた時の心臓のドキドキは、「過去に体験した普通分娩をまたやればいい」と思っていた場所から、未知なる「帝王切開」を1ヶ月後に体験することになった人の場所、に急に動かされた、という“急激な移行”に対しての体の反応であった。顔も真顔になったし、ボーッとした感じになった。
 しかし、その時私が感じていた感情は、「ホッとした」という言葉が一番ぴったりくる。
 自分の親も夫の親も頼れず、基本的に夫が一人だけで出産の立ち合いや入院中の上の子の世話をしなければならないので、陣痛がいつくるか分からないから保育の予約などの予定が組めない、というのがすごく心配でストレスだった。出産の日程が分かればおおいに助かる。だから“急激な移行”に戸惑いながらも、「よかった・・・。予定が立てられる!」と思った。
 それに、第一子出産の経膣分娩によって大陰唇が伸びてしまったりして回復が大変だった、という産後の記憶が未だに強く、またあの状態になるのか・・・という不安も妊娠中ずっとあった。だから別の生み方ができるんだ、ということに解放感と好奇心を感じた。
 それらをザッと30秒くらいかけて総ざらいして、最終的にお腹の中の子に対し「いろんな経験をさせてくれてありがとう」という気持ちで、私に帝王切開になると伝えた直後に何かの用事で出て行った医師を診察室の中で待った。
 もしかして未知なる事態に仰天し、自分を強引に奮い立たせていたのかもしれない。だけどそれでも確実にあの時の私は、逃れられない急展開を受け入れることができていたのである。完璧なほどに。


しかし日本の世の中には、「経膣分娩のほうが好ましい」という考えが浸透している。
 診察室に戻ってきた医師が「うちの病院では逆子の経膣分娩はできないでご了承ください」と言った。私、何も言ってないのに。「妊娠後期は赤ちゃんの体が骨盤にハマって動かなくなるから、ここから逆子が治る可能性は低いんだけど、でも、まだ分からないからね」と励まされ「次の健診で治ってたら、普通分娩になりますから。治ってるといいんですけどね」と言う。助産師からは逆子体操のプリントを渡され、「これやってみて。手術当日に逆子が治ってたという例もあるから、あきらめないでね」と言われた。
 診察室に充満する「せっかく普通分娩の予定だったのに、この時期に逆子になっちゃうなんて・・・帝王切開・・・あ~あ、残念だねえ・・・」という空気。待合室に出た時にはすっかり「逆子で帝王切開の私って、すごく損してるの?」という気持ちになっていた。 


 急に不安と焦りに包まれ、目の両脇が暗くなって視界が狭くなったように感じた。「逆子ってどうにか“治る”ように努力しなきゃいけないことなんだ、帝王切開は回避できるように願わなければいけないことなんだ」という意識が一気に自分に植わった。
こんなに気持ちが不安定な時に、ネットを見たらヤバい、と思ったのに、会計を待っている時にすでに検索してしまっていた。「逆子の原因は母親の体の冷え!」というフレーズがスマホの画面にズラーッと並ぶ。


 私は普段、代替療法を信じて楽しんでいる人をむやみにバカにする言説を見るとムカムカするけど、「逆子の原因は母体の冷え」っていうのはちょっといい加減にしろよ、と思った。
 というのは上の子を妊娠してる時、代替療法の講座で「妊婦がアイスを食べると、胃が冷える。胃のすぐ下には赤ちゃんの足がある。赤ちゃんは『足が寒い!』と思ってクルンと回って頭を上にしてしまう。それが逆子です」と先生が言った。
 なるほど、と思った私は、アイスなど冷たいものを食べるのを一切やめた。
 だけど5年ぶりに妊婦になってよく考えてみると、アイスって胃まで降りた頃には結構あったまってないか・・・? と思った。アイスごときで赤ちゃんが『寒い』と感じるくらい胃がキンキンに冷えるとしたら、それ妊婦のほうがすでに死んでないか? 
 なので、二人目妊娠の時は、冷えについてはあまり気にせず、普通に過ごしていた。


それでよかったのに。私は私なりに、自分の出産経験をもとに、そう決めて妊婦生活を送っていたのに。そして帝王切開になっても、何も後悔することなく、「よかった」と思うことができたのに。
 「逆子で帝王切開。病気でも緊急でもないのに。あ~あ、残念ね」という診察室の雰囲気。ネット上の、「逆子は治す努力をすべきもの」「逆子になったのは自業自得」という観念。それらが私を一気に包み込み、あっという間に悲しく恐ろしい気持ちになった。


 帝王切開は、経膣分娩より体への負担が大きいんだろう。それは分かった。
 だけど私たち日本の妊婦は、出産方法を選べないのである。医師から言われた方法でしか産めない。無痛分娩を希望することはできても、帝王切開を選ぶことはできない。陣痛がつらくて「帝王切開にして!」と本人が叫んでも、その必要がないと医師が判断すれば絶対にしてもらえないし、帝王切開した後の出産で経膣分娩をしようとしたら、自己責任という言葉を背負って病院探しからしなければいけない。その暗黙の“常識”が「帝王切開は、経膣分娩を出来ない人が仕方なくやるもの」ということを意味している。


 タイに住んでいる友達が、「タイでは占い師に運気のいい誕生日を教えてもらってその日に帝王切開するから、ほぼ全員が帝王切開なんだよ」と言っていて仰天した。他の、タイに詳しい知人は「タイの人は痛いのが嫌いなんだよね。帝王切開ですぐに赤ちゃんに会えるのに、なんでわざわざ陣痛を経験しなきゃいけないのって考えみたいだよ」と言っていた。そんな中、在タイ日本人は経膣分娩を選ぶ人が多いそう。欧米にも、セレブは帝王切開を選ぶという国があるって話も聞いたことがある。出産方法を自分の考えやライフスタイルに合わせて選ぶことができる、という点が本当にビックリだ。


 日本は基本的に医師から言われるままの出産方法でしか産めないんだから、残念な空気を丸出しにするのやめてほしいと思った。私から「上の子の世話のことが不安なので、手術日を決めてください、帝王切開にしてください」って言って、それに対しての説得ならまだ分かるけど、こっちだって仕方ないことなんだから、励ますんじゃなくて、その事態を前向きに受け入れましょうって雰囲気にしてくれよと思った。


 そういうことを思いながら、私の頭の半分は「逆子になってしまって、すごく損している」という価値観に侵食されて、落ち込んでいた。


 帝王切開が決まったことを友人たちのグループラインに送信すると、「逆子を治せるゴッドハンドの助産師がいるらしい」と返信が来た。お腹の上から手をあて、「大回転術」という技で赤ちゃんをグルンと回すらしい。なんか面白くて笑った。真剣に教えてくれた友達に感謝した。そこで初めて「損してる」という視点からはずれて、落ち着いて考えられるようになった。いろいろ考えているうちに、「中の赤ちゃんにもいろいろ事情があって逆子になってるかもしれない」と思った。

 
 逆子で帝王切開を経験した人の体験談をネット検索することにした。「お腹を開けてみたら、首にへその緒がグルグル巻きになってて、これじゃあ頭が下にならないよね、という状況だった。体操もお灸も効かなかったわけだ、と納得できた」とブログに書いている人がいた。
 きっと、お腹の中ではこちらからは想像もつかない状況が起きている。そして私は、最初に感じた「よかった」と解放感と好奇心を大切にしようと思った。
 私は帝王切開になってラッキーだった。ラッキーだった私を、アンラッキーにしたのは、診察室の反応だった。その状況を体内に吸収した自分が、私をアンラッキーにした。私は、ラッキーな自分に還ろうと思った。
 逆子を“治す”ための行動は、一切しないことに決めた。


後編に続く

プロフィール
田房永子
田房永子(たぶさ・えいこ)
漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。
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