2018-01-04

"黒塗りメイクが物議"にモヤモヤしているので整理のために書く

この記事が物議を醸しているようでモヤモヤしたので自分の中で整理をつけるために文章化してみる。

「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/01/02/history-of-blackface_a_23321243

考えを書き出してみる

[1]. 単にエディ・マーフィという役者モノマネをするためのメイクであって(意図的無意識わず)黒人をいじるものではないのは明白

[2]. 被差別対象だった人たちの身体的な特徴を使った表現相手を傷つける可能性がある。(ただし被差別対象ではない人が差別だと叫ぶ場合差別の拡大になるだけで誰も得しないことがあるので注意が必要)

[3]. 特に黒人風の肌メイク差別的エンターテイメントとして使われた歴史的バックグラウンドから米国などでは差別的表現として扱っている

[4]. (意図的無意識わず)民族人種ステレオタイプ身体的特徴を使った表現差別的であると言われるだろうが、エディ・マーフィという個人モノマネについては差別的ではないという意見もそれなりに見かける。

[5]. 個人モノマネ黒人差別と言われるのは[3]に配慮していないかである

[6]. 本質的差別がなくなった状態というのは[3]のようなものへの配慮をしなくて良い状態といえるので、逆にそれらへの配慮を増やすことは差別意識させるだけともいえる。

[7]. しかし[6]のような考え方は理想ではあるものの、実際に差別され傷ついてきた人たちが存在している以上は過渡期に極端な理想を求めるのではなく、ある程度の配慮をしながら緩やかに配慮する範囲を減らしていくしかない(ので[6]のように配慮しないことを良いことと捉えない方が現実的である)

[8]. 程度問題として[7]にある「ある程度の配慮」をするには歴史的バックグラウンド未来に向けて緩やかな変化を見据えて議論しながらすりあわせていくしか無い。

[自分なりの結論].

上記の[8]にあるように、本質的には差別的ではないものでも歴史的バックグラウンドから相手を傷つける場合がある。

はいえ「本質的差別ではないのだから傷つくな」と言っていい性質のものではなく、現実的にはそういった配慮をしながら未来に向けて本質的差別だけに配慮すれば良い状態を作っていければ良いのではないかと考えました。

※これは私個人における自分なりの結論なので他人にそれを押し付けものではありません。

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