2018-01-03

資本主義を超越したもの

資本主義を超越したものがある。

それは高校生的な恋愛などだろう。

資本から絡まないもので、それはどこまでも容姿が絡んでいる。

昨日は父親テレビを見ていた。

政権与党内閣批判していたら父親が怒り始めた。

お前は財産を受け継いだ時に増やして欲しい。だから、こんなこと言わず利権に食い込め云々と。

要約するとそんな話だった。

そうしないと金はすぐ無くなるからお前の家族も困るとも言った。

面倒だったのでわかったよ としかさなかった。

自分には微塵も響かないし、政権擁護してまでカネを増やしたいとも感じなかった。

恐らくカネや資本主義というもの限界があると確信があるのだろう。

なんだかんだグローバル経済下の独占で、そんなに増やせそうな雰囲気微塵も感じない。

企業が無理くり新製品をだして売ろうとしているのを見ると、近いうちに崩壊する気しかしないのだ。

それよりもなによりも、金で自分の持病や容姿の醜さが解決できていないということだ。

自分自身の顔を見て吐き気を催さなければいけない。

そして、どこまでも愛というのだろうか、某高校生恋愛アニメのようなロマンを得ることができない。

不細工であるから、金があっても何やっても無駄感触しかない。

まぁ、とにかくコンプレックス解決するために形成外科にとりあえず行かないといけないのだろう。

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