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s3731127306の資料室

2012-03-15

「なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか」   梶村秀樹 (2012年03月23日誤字訂正)Add Starhengsuarama000rawan60morimori_68lever_building

このようにテキストの全体を公開することは、厳密に著作権法にてらせば違法行為です。そのため一部引用の形で公開しようかどうか随分考え込みました。しかし

1:特に2000年以降、「いやなら帰れ、帰化しろ」などという在日朝鮮人差別が公然とインターネット上に蔓延し、それに対して日本社会からの批判や反発が法的側面からも心理的側面からもがあまりに小さいこと。
2:この小論の執筆者である梶村秀樹氏がこの小論を書いた時の意思を考え、さらに現在の日本社会の状況と照らし合わせて考えたとき、もし『今』梶村秀樹氏が生きていたならば、この小論が広く読まれることを望まれるだろうと判断したこと。
3:一部引用の形式では、この小論全体から痛いほど読み取れる緊張感を損ねる可能性があること。
4:この小論が一般に入手しづらいこと。

以上の4点を考え、ここでテキスト全体を公開する方が社会的に意味が大きく、また執筆者の意志に沿うものだと考え、ここに中略ぬきでテキスト全体を公開することを決心しました。
著作権継承者の方がこのテキストの公開を停止してほしい場合は、ご連絡ください。即座に削除します。


○この小論が収録されている文献(近所の図書館や「amazonの「マーケットプライス」」「日本の古本屋」などで取り寄せることが望ましいと思います)
指紋押捺拒否者への「脅迫状」を読む(1985年明石書店民族差別と闘う関東交流集会実行委員会)→絶版
梶村秀樹著作集6 在日朝鮮人論(1993年明石書店、梶村 秀樹 (著), 梶村秀樹著作集刊行委員会編集委員会 (編集) )→絶版
季刊前夜 第1期11号 (2007年、前夜)→絶版


●「いやなら帰れ、帰化せよ」
という主張に対して――1●歴史的な側面

7 なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか   梶村秀樹

 此処は日本国日本人の国です。あなたの国は朝鮮である。よもや、さつかくして居るのではないのか? 差別、強制連行、日本同化を拒否したあなた達は終戦後大方帰国したはず。日本植民地時代三十六年、独立国になって四〇年近いというのに、赤ん坊も四〇才の働きざかりとなる年月に自立、向上も出来なく、一体二世三世はこの長い/\年月なにをして居たのか? 一世の差別屈辱を見て来たのなら、それを日本国のせいにするなら何故々々二世、三世が密入国までしてぞく/″\七〇万人も日本に勝手にやって来たのか。(中略)小学生から排日教育をたたきこまれた青少年達があなたの国でさわいで居るとか。日本国を敵視するのなら、一度在日朝鮮人の不良分子は皆帰国すれば良いと思います。日本国もどんなにかせい/\する事でせう。

(全文は資料14参照 消印○○ 5月22日 差出人 中村貞子(○○市))




  ○○(○○は地名)の中村さんへ
 あなたはどうやら、こんな手紙を書くのがはじめてではないようですね。去年の一〇月一日付で指紋押捺拒否予定者会議に出された手紙のことを覚えておられますか? ここに収められているものよりもっと長い便箋一六枚びっしりの手紙でした。そのとき、そこにかかわっている一人の日本人として、私なりのお返事を書いてあなたあてに出したのですが、付箋がついて戻ってきてしまったのでした。
 常習的にこんな手紙を書くことにひそかな楽しみ(?)を見出しているあなたの心の姿を想像すると、ぞっとするというより悲しくなります。何があなたをこんな心境にまでこりかたまらせてしまったのでしょうか。こんな心境から一日も早く脱け出せないかぎり、私達の未来は袋小路の行きどまりだけだと思います。
 それはともかく、あなた(←2012年03月23日誤字訂正:この日より以前は「あんた」)のいいたいことは前の手紙(以下このように略すことにします)にもっとはっきり表われているようなので、この本に収められていないそちらから引用することにしますが、「……歴史とはそう言うもので、弱小国は何時の時代もまっさつされるのは人間社会のしくみでさけられない。弱い国が悪いので何時の時代でも強い国でなければならない」とは、何とも恐ろしい考え方ですね。あなたは日本はそんなことにはならないと確信した上で平気でこんなことを書いておられるようですが、もし実はあなたが不運にもまっさつ[#「まっさつ」に傍点]される側に立っているとしても、それでも涼しい顔をしていられるでしょうか。
 あなたはまた、「やはり歴史的に見ても昔からの亡国の影をひいて居る国家なのですね」(前の手紙)と、きめつけておられますが、それは朝鮮人の心を煮えたぎらせる挑発であるというだけでなく、事実とも違っています。日本の侵略に遭う前の朝鮮には、活気に満ちた社会発展の動きが芽生えていたし、厳しい植民地支配のもとでも、民族文化の独自の個性と民衆のエネルギーは、おさえつけ、ねじまげようとする力に直面しながらも脈々と保たれてきたという事実を冷静に見きわめてください。いまでは、目に見える具体的な証拠を見出すことは、むしろたやすいはずです。
 それなのに、「朝鮮国は合併時の弱小国家、内乱をくり返し人民は疲弊の極で、隣国の大国ソ連中国のたびたびの侵略のくり返しでした。これ等の国の赤化を恐れ、日本国が防衛上、とるにたりない国朝鮮を併合したので、日本合併がなければ中国ソ連に併合されてた事は歴史を見れば明らかな事実である」(前の手紙)とは! 戦前の植民地支配の合理化のために日本国家が故意にゆがめて描いた朝鮮史像が、戦前の教育を通してなのか、実にみごとにあなたの脳裏に刻みこまれてしまったものですね(あなたを受身な人間扱いしてごめんなさい。本当は、戦前誤った教育を受けてしまったのだから、もう変えようがないというものでなくて、それこそ戦後四〇年の長い間に、能動的に自分の誤った認識を正していくことは、やればできたことのはずです)。それにしても、日韓併合当時(一九一〇年)まだ生れてもいないソ連が、すでに朝鮮を侵略したり赤化させたりできるとは、ずいぶん奇抜な「事実」があったものだと思います。
 それから、あなたは「終戦後、えいえいえときずき上げた個人の莫大な財産を残し無一物で強制的に中国台湾朝鮮国から引揚させられた帰国者……」(前の手紙)と書いておられますが、そういう財産(主に不動産でしょうが)が主としてどのような方法できずきあげられたと承知しておられますか? 土地はどのようにして手に入れたのでしょうが? 土地はどのようにして手に入れたのでしょうか? 設備や建物をつくるのに実際に汗を流して働いたのは誰だったでしょうか? 日本から持っていったお金で買ったものが多いのでしょうか? 当時の流行歌にもあるようなあの「日本では考えられないような植民地での豪気な生活」は何によって保障されていたでしょうか? だから、かりに「強制」がなかったとしても、植民地や占領地からは、日本帝国の崩壊とともに引揚げてこざるをえなかったのです(むろん、日本全体の中でもっと涼しい顔をしていた部分に比べれば、ある意味で特に下積みの引揚者が犠牲者であったことは否定しませんが)。
 次に、あなたは、戦前に連行されてきた在日朝鮮人は日本の敗戦後に一度みな帰国したあと、再度「密入国してまで」あるいは「難民同様」に、「勝手にやってきて居座って」いるのだと認識しておられるようですが、事実誤認も度がすぎています。事実は、敗戦の時点で二〇〇万人以上の朝鮮人が日本在住を余儀なくされていましたが、そのうち帰国できる条件のある百数十万人はまもなく帰国し、すでに帰るに帰れぬ事情の生じていた三~四分の一ほどの六〇万人が残ったのです。今日の在日朝鮮人の大多数は、このような人々とその子孫なのであって、ずっと日本に住み続けているのです。一旦帰国したけれども、南北の分断やアメリカ占領下の社会経済的混乱のもとで故郷に割りこんで住むことが到底できないので、やむなくまだしも生活の基盤の残る日本に戻ってきたというケースも確かに若干はありますが、厳しい出入国管理のもとでそれは決してそんなに数多いわけではありませんでした。それに、八月一五日のその日まで、故郷と現住地の間に別に国境線もなかったのですから、今後の生活を考えようとちょっとの故郷の様子を見にいってきたとしても、それはごく自然なことであり、それをおどろおどろしく「密入国」ときめつけるのも不条理な話です。
 想像でものをいってすみませんが、こんな簡単明瞭な事実を、あなたは単純に思いちがいをしているのではなく、「勝手におしかけて居座っている」といいつのりたい衝動が、そんな虚像を描かせているのではないでしょうか。そして、このようにいわないと、あなたは、戦前の強制連行の歴史と現在の在日朝鮮人の存在とを切り離せないのです。責任をごまかそうとする卑怯な態度です。
 朝鮮人の日本渡航・在住は、その圧倒的多数が日本の植民地支配期のことであり、その経緯について日本国家は全面的に責任があります。一九三九年以降の強制連行については、いくらなんでもあなたも認められるでしょう。畑で働いている農夫を文字通り「捕まえ」、監視つきで集団的に汽車・船にのせて連行し、外出も自由に許さないような形で労働させたのですから。
 それに先立つ主に一九二〇、三〇年代の渡日についても、形態はちがうけれど同様に、日本国家の責任は免がれられません。日本の植民地農政が広範な朝鮮人農民の生活基盤を破壊して、生きるための離農を余儀なくさせ、そしてそのようにして生じた膨大な流亡人工の一部を、日本の産業が、その必要とする規模に従って低賃金労働者として導入したのであり、実際、渡日の関門は終始日本側の必要の観点から、日本国家によって厳格に管理・制御されていたのです。つまり、一言でいえば、日本側が渡航させたというべきなのです。朝鮮人在日の最初の契機が「好きこのんで渡ってきたのとはちがう」ということは、決して、関係ないことを口実に使うという意味の「いいわけ」ではありません。あなたは、過去を忘れて前をみろと教訓を与えておられますが、被害者が敢えてそういうならともかく、日本側からそんなふうにいえた義理でしょうか。電車の中で足を踏んだ人が知らん顔しているので踏まれた側が不満な気持でいるところへ追っかけて、踏んだ側が「そんな過去のことにこだわるな」というのと同じことです。なお、念のために申しそえますが、一般に朝鮮人は、現在を生きる自分の責任を棚に上げる口実に過去を使ってはならないことを充分自覚しており、むしろ厳しい差別の中でもいかに朝鮮人として人間性を失なわずに生きるかを自分の主な関心事としていると思います。日本側が責任をほおかぶりして、「勝手によその国に来ているのだから、いいたいこともいわず、人間性を押し殺して従順に生きろ」などといいつのるかぎりにおいて、「好きこのんで渡ってきたわけではない」といいかえさざるをえないのです。
 あなたはまた、なまみの生活者としてのひとりひとりの朝鮮人の事情を具体的にみることができず、常に朝鮮民族、国家の全体を抽象的に一くくりにしてしか、しかも偏見をもってしか、考えられないようですね。確かに、戦後今日にいたるまで、朝鮮民族は南北の分断という大きな矛盾をかかえて苦しんでおり、そうした条件と関係して二つの国家の内部にも大きな問題点があるのは事実でしょう。しかしそうした大状況的なことがらを冷静にみていけば、アメリカや日本などの大国が形作ってきた。世界史的環境がその大きな要因として「あることにも気づくはずです。ところがあなたは朝鮮民族にしわよせを及ぼした世界史的要因は無視して問題の責任を全て朝鮮民族におしつけ、さらにその重荷をまるごと個々人の肩に背負わせているのです。
 たとえ最初は不本意の渡日であったとしても、何年も住みついて生活している間にそこにしか基盤がなくなってしまうということは、なまみの生活者にとっては無理からぬ事情と申せましょう。日本人の場合だって、戦災で故郷に疎開した人が多かったですが、もはや田舎には生活の基盤がなくて肩身の狭い思いをし、やがて都会地に戻ってこざるをえなかったじゃないですか。一々あげきれませんが、六〇万人が日本に残ったのは、ひとりひとりにそれぞれの理由があってのこととみなすべきです。「憂愁民族の一員」と自負するほこり高いあなたが、それを全然認められないといいつのるとは、ずいぶんちっぽけな心根ではないでしょうか。利用するだけ利用しておいて、もう用がなくなったからささと出ていけという態度は、誰がみても自慢できるような立派な態度とは申せますまい。
 あなたは、戦後四〇年間、朝鮮人らしく生きるためにどんな努力をしてきたのかと問うておられます。そこだけ切り離せば、正しい設問だと思います。実際、そういう努力に水をかけ続けるような日本社会の中で、民族教育の維持などをはじめ、おっしゃるような努力が大変な犠牲を払いながら営々と続けられてきたというのが事実です。むしろあなたのような言説こそが、そういう努力をくじき、脚をひっぱる役割を果していることに、どうか気づいてください。ただし、朝鮮人らしく生きるということは、そうしたら日本から出ていかなければならないということでは決してありません。前にも申しましたように、責任と人権観点から、日本国家は在日朝鮮人の在住権・生活権を認めなければならない筋合いでしょう。
 要するに、日本に住むが民族の埃をもって生活するという定住外国人としての生き方が現に事実としてあるのですが、それは歴史を考えればわがままでも何でもなく、生活史の上でも必然性に基づいていることであり、私たちにとってその必然性を理解することが、双方のわだかまりをとく第一歩だと思います。
 それからついでですが、あなたが「何百年何十年日本人に住み日本語を話せても朝鮮籍は日本人にはなれないのです。他の外国人同様外国人になったことをお忘れなく。朝鮮人達は大ぜいで永年住んで居ると外国でもそこの国の国民になれるとさっかくしているのではないか?」(前の手紙)と書いておられますが、朝鮮人にとってそれほど心外な言葉があるでしょうか。指紋押捺拒否者の誰が、あなたに「日本人にしてほしい」とお願いしているというのですか? ふざけるのもいいかげんにしてください。
 あなたのいい方は、例の「帰国しろ、それがいやなら帰化しろ」という大阪府警富田外事課長のいい方とも、微妙にちがっているようですが、実は補い合っているのですね。あなたは「帰化」については直接言及していませんが、あなたの考え方を演繹《えんえき》していくと、たとえ「帰化」しても、差別し続けるぞといっていることになるでしょう。他の人たちの手紙をみると、富田式に「帰国か、帰化か」といっているものと、あなたと同様に「朝鮮人は帰れ」の方に力点をおいているものと両方がありますが、この両者を総合したものの中から、定住外国人は現在の日本人の心のありようを直感せざるをえないことでしょう。
 最後にもう一度読み返してみますと、あなたの手紙にも、他の大勢の人たちの手紙にも、共通のトーンが流れていることに気づきます。朝鮮人の自己の人間としての尊厳を確保するための正面からの主張に対して、すぐかっとなって「なまいき」「えらそうに」「無礼」「虚勢をはる」「わがまま」などと条件反射することです。その裏側には、「おとなしく日本人のいうことをきくなら許してやる」という思い上った思想がかいまみえています。つまり、無条件に自分が目上の人間としてものをいう資格があるという潜在意識があって、だから対等な発言に対して「なまいきに」となるわけです。何を拠りどころにそんな姿勢がとれるのでしょうか?
 あなたの言葉が最も端的なようです。「此処は日本国、日本人の国です。」そして他の人たちも口々に「よその国にきて済ませてもらっているだけでありがたいと思え」「本来なら外国人はしごとになんかありつけないのよ」といいたいほうだいです。そして「朝鮮人は日本に何を貢献したか」「日本人は朝鮮韓国に得るものは一つもない。あたえるばかりである」といい、異口同音に「恩知らず」という言葉が口をついて出てきています。
 いったい、国家のレベルで日本が朝鮮に、また個人のレベルであなたは朝鮮人に、どんな「恩」を与えたことがあるというのでしょうか? 「植民地時代に近代化してやった」といいたいのでしょうか? 植民地化がなかったら、朝鮮人は必らずもっとましな近代国家をつくりあげたことでしょう。朝鮮社会に内在する発展の契機を、日本は利用しながらゆがめてしまったのです。逆に、「枕木一本朝鮮人一人」という言葉があります。一九二〇年代以降の日本の主な鉄道工事や道路工事で朝鮮人労働者の血と汗がにじんでいないものは一つもないといっても過言ではありません。尨大な朝鮮人労働力が近代日本の産業発展の下積みになってきたのは事実です。そういうことをすっかり忘れてしまって、「何を貢献したか」といいつのるのこそ典型的な「恩知らず」ではないかと、いいかえそうと思えば充分いいかえせることなのです。
 またあなた方のいう「莫大な援助金(我々の税金)」というのが何をさしているのか明確には分りませんが、あなたの場合には、主に日韓政府間の関係を通じての巨額借款や技術協力等をさしているように思われます。そのあり方についてはむしろ韓国の民衆の間に鋭い批判があり、日本の企業は要求に応じるふりをしながらちゃっかりもうけているのですから、私たちとしても批判がないわけではありませんが、その議論に深入りすることはさておき、まして在日する個々人がこれを「恩」と感じていいたいこともいわずに我慢しなければならない理由は何もないでしょう。なお、定住生活を営む在日朝鮮人のすべても、その所得に応じてあなたと同様に日本国家に税金を納めており、それなのに最近までずっと、その税金によってまかなわれた福祉行政から阻害されてきたことをお忘れなく。
 それともまた、このようなことではなく、日本から追い出されないだけでも「恩」だといいたいのでしょうか? 日本国では日本人が主人で、外国人は肩身の狭い居候のように自分を殺して屈従的に生きるのが当然というような小所有者根性のことを、世に「排外主義」というのでしょうが、歴史の論議をさておくとしても、もろもろの国富が外国との関係に支えられて成り立っている国際化・相互依存の現代において、こんなうしろむきの独善的な考え方では隣人とつきあっていけないということが、一般的な意味でむしろ大問題なのです。
 ある人の手紙に、「我が国法律を守れなければ即刻退去を命ず。日本人の命には絶対服従を要求する。死ぬもまたよし」とありますが、まるで自分が権力者になりかわったみたいな、この威丈高な調子はどうでしょう。これはアジアの民衆との交流を自分から断つ姿勢であり、日本人の側に問題があることを端的に物語っています。
 以上、どうか真剣に考えてのお返事をいただきたく存じます。   (神奈川大学教授・朝鮮史

半兵衛半兵衛 2012/03/19 10:47 ひとことだけ 朝鮮半島が日本に植民地化されてなければ中国かロシアの一部だったでしょそれだけ
歴史学者はこの手紙を見て朝鮮人がなんて現実を見ないおろかな歴史観しか持ってないことが判るって言わないかね

s3731127306s3731127306 2012/03/19 13:30 半兵衛さんへ

ここは「s3731127306の資料館」とあるとおり資料館の意味が強いブログですので、コメントには基本的に返信しないものと管理人として決めております。ただ一点だけ、誤解がある可能性のある部分がありますのでその点だけ指摘させていただきます。

>歴史学者はこの手紙を見て朝鮮人がなんて現実を見ないおろかな歴史観しか持ってないことが判るって言わないかね

思い違いをしておられる可能性があるので指摘しておきますが、上の手紙をお書きになった梶村秀樹氏は在朝朝鮮人でも在日朝鮮人でも在米朝鮮人でも朝鮮族(在中朝鮮人・在満朝鮮人)でも在露朝鮮人(高麗人)でも
・旗田巍(1908~1994、歴史学者、主著に『岩波全書 朝鮮史』)
・小林勝(1927~1971、小説家、小林氏の作品集である『小林勝作品集』全5巻には「フォード・一九二七年」「断層地帯」「チョッパリ」「万歳・明治五十二年」などが収録されている)
・村松武司(1924~1993、詩人・ハンセン病問題運動家、村松氏の作品集である『海のタリョン』に4つの評論集と6つの詩集が収録されているという。おそらく収録されているのは 評論「朝鮮植民者」「遥かなる故郷」、詩集「祖国を持つもの持たぬもの」「朝鮮海峡」「一九六〇年出発」「恐ろしいニンフたち」「コロンの碑」。)
・森崎和江(1927~、詩人・ノンフィクション作家、作品集として『精神史の旅 森崎和江コレクション』全5巻がある)
といった在朝日本人でもなく、日本生まれの日本育ちの日本国籍を持つ日本人の歴史学者(アカデミックな意味での専門は朝鮮近代における経済史)です。私の記憶するところでは、韓国(大韓民国)にも朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にも渡航したことはないはずです。私が理解するかぎり、梶村秀樹氏は日本人の歴史家として上の手紙を書いたと考えています。

jins712jins712 2012/03/19 14:44 彼らが帰れなかった事情、その後渡来した事情に朝鮮戦争というのがあったかと思います。
また国内法でも戦争難民という扱いをされていたかと記憶しております。

2000年以降その戦争難民という実情からあまりにも離れた状況であることが一因となって、現状の流れがあると考えています。

そのあたりの事情をまったく無視をした朝鮮史の先生が書いた文章を掲示しているのは、彼の名誉のためにもあまりよろしくない気がするのですが…
私から見ると感情のまま書いたあまりにも愚かしい文章にみえてしまうのです。
朝鮮史には朝鮮戦争という事実があるのですから、そこにある事実も踏まえた冷静な文章を書いていてもらいたいものなんですけどねぇ。

かどやかどや 2012/03/19 15:45 在日の法的地位って戦争難民として扱われてるわけじゃないですよ。
戦後すぐに帰国しなかった在日は、日本での生活基盤が厚かった=比較的早い時期に渡日してる
って要因も大きいでしょ。

rawan60rawan60 2012/03/19 18:58 jins712 さん

>彼らが帰れなかった事情、その後渡来した事情に朝鮮戦争

朝鮮戦争にかかわる戦災や迫害から逃れるために親戚や知人を頼って再入国した人がいたことは事実としてありますが、そのことは梶村氏が相手に伝えようとしていることと直接関係がありませんよね。
終戦-解放によって多くが自力帰国し、1947年の時点で60万人弱になっています。
朝鮮戦争は1950年勃発ですから、すでに生活基盤が日本にある人たちにとって、(その意思の無い)「帰国」を妨害している理由としての文脈は(個別理由は別として)成り立ちません。
よって、本文の中身の主張に何ら瑕疵はありませんね。朝鮮戦争の勃発によってわざわざ一兵士として参加するために渡航・戦死した在日もいますよ。

s3731127306s3731127306 2012/03/19 20:08  コメントとブックマークをしてくださったみなさん、こんにちは。
 梶村秀樹氏のこの小論は重要だと思っていましたが、24時間もたたないうちに3件のコメントと50件以上のブックマークがつけられるとは思いませんでした。

 さて、梶村秀樹氏は雑誌「思想」(岩波書店)に3本の論考を発表しています。
・「定住外国人としての在日朝鮮人」 1985年08月号、734号
・「申采浩の歴史学--近代朝鮮史学史論ノート」 1969年03月号、537号
・「朝鮮近代史と金玉均の評価」 1966年12月号、510号

そのうち2番目の論文の要約は本ブログの2012年03月10日分のエントリーに掲載しています。ほかの2本の論文の要約も今年中には本ブログに掲載する予定です。昨日は鶴彬氏の川柳や槇村浩氏の論文や今野大力氏の詩作品やNHKの戦争関連番組の文字起こしなどの公開に向けての作業もしていたのですが、梶村氏の論文、特に2番目の「定住外国人としての在日朝鮮人」は要約だけでも紹介する意義があると判断しました。雑誌「思想」ならば全国の大きな公立住民向け図書館や大学図書館で閲覧可能だと思います(CiNiiでしらべてみたところ、900以上の大学図書館で閲覧可能のようです)。みなさんもぜひ呼んでみてください。
 また梶村秀樹氏の著作で現在一番手にいれやすい著作は、上の小論とも関係がある「解放後の在日朝鮮人運動」(神戸学生青年センターで取り寄せ購入可能http://ksyc.jp/publish/kaihogonozainichichousenjinundo/)です。103ページ・630円ですのでぜひ買って呼んでみてください。

蛇足のような追記:本ブログの2012年03月09日にCiNiiで閲覧可能な梶村秀樹氏の論文を集めて一覧表にしておきました。こちらもぜひ呼んでみてください。また、梶村秀樹氏は雑誌「歴史学研究」「歴史評論」「世界」「社會經濟史學」「商経論叢」「史潮」「朝鮮研究」「アジア経済」などに論文を発表しています。前3誌は閲覧できる図書館が多いでしょうから探してみてください。(「梶村秀樹著作集」全6巻は一冊8400円と非常に高価、私は図書館の取り寄せサービスを使って2・3・4・5の4冊ゲット、あとの2冊は古本屋でゲットしてそろえました。)

TakaTaka 2012/03/19 22:47 長いな、
だれか、要約して。

結局んとこ、半島にも、帰らんし、
帰化も、しないって、こと?

まいまいまいまい 2012/03/19 23:04 〉それに先立つ主に一九二〇、三〇年代の渡日についても、形態はちがうけれど同様に、日本国家の責任は免がれられません。日本の植民地農政が広範な朝鮮人農民の生活基盤を破壊して、生きるための離農を余儀なくさせ、そしてそのようにして生じた膨大な流亡人工の一部を、日本の産業が、その必要とする規模に従って低賃金労働者として導入したのであり、実際、渡日の関門は終始日本側の必要の観点から、日本国家によって厳格に管理・制御されていたのです。

ここが一つのポイントかと思うのですが、1920~30年代に来日した朝鮮人のどの程度が、生活基盤を破壊されて、かつ朝鮮の都市部ではなく、日本にまで来ざるを得なかったのか、
これを明確に示している資料はどんなものがあるのでしょうか。

20~30年代に日本に来た、というだけで、植民地支配の罪だというのではすこし早計だと思います。豊かな都市で一旗揚げようと考えたかもしれないわけですから。
来日する意図は全くなかったのだけど、どうしてもそうする以外生きていく見たいがなかったので、いやいやながら来日した、ということを示す資料です。

rawan60rawan60 2012/03/20 04:18 まいまいさん

例えば「土地調査事業」についてはこれ
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/burogu18.html#184
「産米増産計画」についてはこれとか
http://www.ritsumei.ac.jp/~yamai/7KISEI/kondoh.pdf#search='産米増産計画'

>20~30年代に日本に来た、というだけで、植民地支配の罪だというのではすこし早計だと思います。

植民地支配などによって引き起こされる民族の移動については「強制移住」という概念があります。
「一旗揚げようと」考えようが何であろうが、そもそもの発端が植民地支配である以上、その責任は免れようがありません。人間は日々暮らしていかなければならないのであって、一変する生活環境や苦境に晒され、少しでも生活の向上を目指して苦渋の選択を余儀なくされたことを生身の人間として真摯に考えなければならないはずです。

Yuu ArimuraYuu Arimura 2012/03/20 14:41 長いとお感じの方はケータイやスマートフォンで読んでみましょう。長さが減ずるわけではありませんが、かなり読みやすくなると思います。

まいまいまいまい 2012/03/20 14:51 ありがとうございます。ご教示いただいた資料はのちほど読ませていただきます。

唯一点だけ、資料を読まないで言うのもアンフェアかとは思いますが、rawan60さんの言い方からは、
植民地の人間が、支配側の本国に移住する場合のすべてを、植民地支配によってもたらされて悲劇であるというのは、
支配側が言うのはどうかという意見もありますが、やはり相手に失礼ではないかとも思うのですが。
それと、普通に朝鮮で生きていけたにもかかわらず、日本に来ることを選んだ、という朝鮮の人も、少数だとは思いますが当然いると思っているのですが。
そういう人たちに悲劇の押し売りをするのはどうかと…

またいただいた資料読んでみます

rawan60rawan60 2012/03/20 20:02 まいまいさん

お返事ありがとうございます。

>それと、普通に朝鮮で生きていけたにもかかわらず、日本に来ることを選んだ、という朝鮮の人も、少数だとは思いますが当然いると思っているのですが。

「在日朝鮮人がなぜ生まれたか」という歴史的な文脈において、そのような話は総論としての意味を持ちません。
例えば、あなたが「映画の勉強がしたい」と考え、「日本で普通にいきていけたにもかかわらず」ハリウッドに修行に行く選択をするということと同じではありませんよね。
また、自分の土地を持ち、何不自由なく暮らしていた「金持ち層」が、わざわざ全てを捨てて見知らぬ日本へ移民をするというような発想も一般論としておかしいですよね。

個々人に対する「悲劇の押し売り」云々ではなく、個々の事例を語るにしても、それは、植民地支配における「強制移住」というもの、日本においてそれはどのようなものであったかという、社会的、歴史的文脈としての認識をしっかり持った上で語られなければ、それは単に日本による植民地支配を正当化するための言葉にしかならない(言いかえれば、被害者を愚弄し、二重に傷つける)ということなんです。


日本に来たからといって、当時の朝鮮人たちは日本人と同じように暮らしていけたわけではなく、壮絶な差別のもとで社会の最下層を生きていたということも考え合わさなければなりません。

風太風太 2014/05/31 06:07 戦前の新聞記事見出しより

『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』
福岡日日 1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される
(遠賀郡水巻村)福岡日日 1938/5/2
『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月
苦心の方法』神戸新聞 1938/5/21
『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』
中国 1938/9/1
『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』
福岡日日 1938/12/20
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』
福岡日日 1939/2/3
『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/
一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12
『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』
中国日報 1939/2/13
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗
(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕
『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』
中国 1939/11/30
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』
大阪毎日 1940/1/14 夕       (大日本史)

風太風太 2014/05/31 06:09 ■朝日新聞 1955年8月18日 (「世界」 2000年10月号 
戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹より)

65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち密入国者
が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内
(1都8県)では、この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった。
全国ではこのざっと10倍になり、捕まらないのはそのまた
数倍に上るだろうという。


■朝日新聞 1959年6月16日
(「世界」2000年10月号 戦後日本「在日外国人」
の虚像と実像 原尻英樹より)

密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人が
かなりいると見られているが、警視庁は約20万人
ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ。


■朝日新聞 天声人語 1959年12月15日

韓国から日本に逃亡してくる者は月平均
五、六百人もある。

昭和二十一年から昨年末までに密入国で
つかまった者が五万二千人、未逮捕一万
五千人で、密入国の実数はその数倍とみられる。

風太風太 2014/05/31 06:10 「岩波講座 世界歴史19 移動と移民」 
水野直樹・他 1999年 岩波書店

1930年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しく
なされ、毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発
され(1939年は7400人)、大半が朝鮮に送還された。

その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した
者であったが、なかには『内地人を仮称』して連絡船
に乗り込んだたため摘発された者もいる。

そもそも日韓併合以降、貧しい韓国から豊かな日本
へ移住しようとする朝鮮人は引きも切らぬ有り様だっ
たのであり、朝鮮総督府や日本政府は法律の網の目を
くぐってでも日本で働こうとする朝鮮人の密航者には、
終始頭を痛めていた。

外国人登録証を所持している<トロク組>といえ
ども不正な手段で入手した密入国者もいる。

風太風太 2014/05/31 06:12 ■「コリアン世界の旅」(講談社)より抜粋
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
済州島出身の在日韓国人から、こんな話を聞いた
ことがある。
「朝鮮の地域差別は、日本人にはちょっとわから
ないと思うくらいひどいんですよ。

『陸地』でも慶尚道の人間は全羅道の人間を差別
するけれど、それは『人間として』差別するんでね。
慶尚道の人間も全羅道の人間も、済州島の人間を
人間扱いしなかった。 牛や豚の同類として差別し
たんです。
済州島ではむかし人糞をえさにして豚を飼っていたから、
僕らは『くそブタ』と呼ばれていたんですよ」

半島人に虐げられた済州島民は、戦後、日本に
密入国してきた。だから在日に占める済州島民の
割合はなんと2割近い。(本来は半島全体に対し
1%以下)
いかに、「強制連行で無理矢理つれてこられた!」
が大嘘であるかわかるだろう。

そして、済州島民は朝鮮民族としてのアイデンティ
ティを持ち得ない。
何故か?
元々、耽羅(タンラ)国という独立国家であり、
朝鮮に侵略されてからは常に「奴隷地域」であった。
「同じ民族」である以前に、「同じ人間」として
扱われてさえいなかったからである・

風太風太 2014/05/31 06:14 韓国に引き取ってくれと言っても受け付けない・・・・

■「衆議院 - 法務委員会 - 昭和30年06月18日」

○小泉政府委員   

日本から、密航した者を密航したという確証をあげて韓国に
申し入れましても、その送還を容易に受け付けない、

日本は向うから出てきた者を受け入れっぱなし、不法入国で
あろうが何であろうが、返すことができないで、大村収容所
にはますます人員がふえていく、それをみな国費で、国民の
血税で養っているわけです。

最近においては、子供だけ三十人くらいの団体を連れて密航
をして、大人だけは完全に逃げてしまっている。
子供だけがつかまっておるというような事実もありまして、
この取扱いには非常に係の者も苦慮いたしておるようでござ
います。

○椎名(隆)委員 
朝鮮人は戦勝国といっていばりにいばり抜いておる。これは
日本があまり待遇をよくするから、朝鮮人の連中は、向うで
食うに困ったならば日本に行った方がいい、日本に行きさえ
すれば待遇がいい、日本に行きさえすれば生活ができる
というようなところからどんどん入ってくるのじゃないかと
思うのであります。

風太風太 2014/05/31 06:16 ■衆議院議事録 (昭和23年06月04日) ○榊原亨君

さらに問題となりますのは朝鮮人患者のことであります。
現在朝鮮人ハンセン病患者は一療養所に收容せられておるの
でございまするが、戦前朝鮮の小鹿島にありました約六千名
のハンセン病患者は、終戦と同時に日本人職員が引揚げたの
を機会に全部これが脱出をはかりましてこの脱出いたしまし
た六千名の癩患者の大部分は、あらゆる手段を講じて日本に
向け多数密航してきたのであります。

その一例を申しますると、兵庫県の尼崎市におけるがごとき
ものでありましてこれら朝鮮人患者は、日本において一団を
組織いたしまして、不良なる日本人または朝鮮人と共謀いた
しましていろいろ凶惡なる犯罪を犯しつつあるのであります。

そして、彼らの一部が警察に捕われましても、前に申し上げ
た通り、何ら処罰を受けることなくそのまま癩療養所に再び
收容され、彼らはますます増長いたしまして、療養所内の
秩序を乱し、勝手氣ままな生活をした後、折を見て再び三たび
脱出するという順序を繰返しておるのでございまして、療養所
は、この種犯罪者の安全なる温床となつておるのであります。

風太風太 2014/05/31 06:17 衆議院 本会議 7号 昭和29年01月29日
○国務大臣(犬養健君)

次に、朝鮮の人の問題でございます。
現在外国人登録法によりまして登録されております朝鮮
の人は、昨年末の調査だと五十五万三千人余でございま
すが、その後少しふえておると思います。

密入国者を含んで毎月一千名くらいの自然増を一時来し
ておりました。今は少くなつております。

この密入国者は、今でも検挙する数は毎月やはり二百名
くらいあるのでございますがこれについて、もちろん密
入国ということは日本としてまことに迷惑千万でありま
すので、事情を調べました上、強制送還の処置をとつて
おりますけれども、中には事情どうしてもお気の毒だと
いうような人に対しては特に措置をし、また強制送還
しなければならない場合も、できるだけその人の一人一
人の事情を聞きまして、日本が隣の国の国民に対して十分
相かわらざる友情を持つておるというふうに思つてくれ
るように、一つ一つ丁重に扱つておるつもりでございます。

ただ、北鮮系の人と思われる人が四十万以上おります。
四十二万以上おるように思うのでありまして、これらの
人が、いろいろ内地の騒がしい事件、あるいは麻薬等の
事件に関係するという場合の多いのは、まことに隣国人
として遺憾にたえません。

以上お答えを申し上げます。

風太風太 2014/05/31 06:19 ■【統一日報】韓国民団トップの河丙?団長が密航者だった!
『月刊朝鮮』 民団・総連和解の内幕

河丙?団長(以下、河団長)の経歴はベールに
包まれている。

朝鮮総連の設立した朝鮮学校で教鞭を執ってい
たことは本人も認めている。
5・17共同声明直後、駐日韓国特派員との
インタビューで、彼は自分が朝鮮大学出身であ
るという噂について、「過去に朝鮮大学で聴講
したことがある」

「一時マルクス・レーニン主義に関心を持っ
ていたが、当時はみんながそうだった」と話した。

彼は民団団長選の出馬の際、自身の最終学歴を
「法政大学中退」と記載している。 しかし、
河団長の話はうそだった。

河団長は朝鮮大学を正式に卒業、その後、 朝鮮
総連の機関紙「朝鮮新報」社および「朝鮮通信」
社に5、6年間勤めていた。

朝鮮戦争が終わる1953年頃、河団長は19歳
で日本に密航している。彼が密航前に韓国で何
をしていたかは明らかでない。

風太風太 2014/05/31 06:22 讀賣新聞(2010年1月9日付朝刊1面と社会面)

韓国―九州・山口で密航急増…バイオ認証避け海路
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100109-OYT1T00070.htm

 韓国と九州・山口間を小型船で密航する事件が急増している。

第7管区海上保安本部(北九州)は昨年7月以降、長崎県対馬沖
などで4隻の密航船を発見、韓国人とイラン人の計17人を逮捕
したほか、10人を韓国側に引き渡した。多くが「空港の入国審
査が厳しくなったため」と供述しており、7管と入国管理局は、
空港や港に導入されたバイオ(生体)認証を避け、玄界灘を船で
渡る密航者が増えているとみて警戒を強めている。

 長崎県壱岐沖で昨年7月に発見された小型船の男女7人(入管
難民法違反で有罪判決)は、福岡入管に対し、「空港は指紋照合
で強制退去歴が発覚するため漁船に乗った」と供述した。全員に
強制退去歴があり、再上陸禁止処分を受けていた。

 昨年9月、山口県の下関港から韓国人の女を不法出国させて逮
捕された小型漁船の日本人船長(63)(同)は「5回の密航を
手伝い10人以上を出入国させた」と自供し、密航が横行してい
ることをうかがわせた。

 入管当局によると、密入国はこれまで、空路で偽造旅券を使う
手法が多かった。バイオ認証導入後も指紋を変造するケースが相
次ぎ、玄界灘で小型船の密航が摘発されることもなかった。しか
し昨年、指紋を読み取るスキャナーの精度が高められ、空港や港
での入国審査が厳しくなった。
これが小型船の密航増加につながったとみている。

 韓国南部から対馬までの距離は約50キロ、福岡・博多港まで
でも約150キロしかない。7管幹部は「九州北部と山口だけは
小型船で往復できる。摘発されたのは氷山の一角で取り締まりを
強化する必要がある」と話している。

風太風太 2014/05/31 06:30 戦前は、「金の成る木」と言って、続々と密航してきた。
戦後は、「祖国を捨てて」、続々と日本に密航してきた。

そのくせに、俺たちは「強制連行された」と嘘をついて
被害者面をする。
戦後、在日朝鮮人がどんな悪さをしたかも、日本人に
広く知れ渡った。

真実を知った日本人が「嫌なら帰れ!」と言うのは
当然の成り行きだな。

s3731127306s3731127306 2014/05/31 08:39 「風太」氏へ

>俺たちは「強制連行された」と嘘をついて

ざんねんですが、上の点をもってあなたは歴史修正主義者であり、あなたとは議論が成立しないと判断せざるをえません。

そもそも上記の梶村秀樹氏の論説にもそんなことは書いていませんし、朝鮮人強制連行をあつかった書籍でもそのような記述はないはずです。反対者が主張してないことをあたかも主張しているようによそおうことは議論のルールに反します。
また、1930年~1940年の「朝鮮人密入国者」の増加の背景には朝鮮半島経済の悪化が背景にあることを(これも研究書に記述がある)一切無視しているのは議論の前提にかかわる問題です。



「風太」氏以外のかたへ

「朝鮮人強制連行」(2011年、岩波書店、外村大)の第1章には、1930年代の「朝鮮人密入国者」の実情について書かれていますのでご参照ください。

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