2012-03-15
「なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか」 梶村秀樹 (2012年03月23日誤字訂正)





このようにテキストの全体を公開することは、厳密に著作権法にてらせば違法行為です。そのため一部引用の形で公開しようかどうか随分考え込みました。しかし
1:特に2000年以降、「いやなら帰れ、帰化しろ」などという在日朝鮮人差別が公然とインターネット上に蔓延し、それに対して日本社会からの批判や反発が法的側面からも心理的側面からもがあまりに小さいこと。
2:この小論の執筆者である梶村秀樹氏がこの小論を書いた時の意思を考え、さらに現在の日本社会の状況と照らし合わせて考えたとき、もし『今』梶村秀樹氏が生きていたならば、この小論が広く読まれることを望まれるだろうと判断したこと。
3:一部引用の形式では、この小論全体から痛いほど読み取れる緊張感を損ねる可能性があること。
4:この小論が一般に入手しづらいこと。
以上の4点を考え、ここでテキスト全体を公開する方が社会的に意味が大きく、また執筆者の意志に沿うものだと考え、ここに中略ぬきでテキスト全体を公開することを決心しました。
著作権継承者の方がこのテキストの公開を停止してほしい場合は、ご連絡ください。即座に削除します。
○この小論が収録されている文献(近所の図書館や「amazonの「マーケットプライス」」「日本の古本屋」などで取り寄せることが望ましいと思います)
・指紋押捺拒否者への「脅迫状」を読む(1985年、明石書店、民族差別と闘う関東交流集会実行委員会)→絶版
・梶村秀樹著作集6 在日朝鮮人論(1993年、明石書店、梶村 秀樹 (著), 梶村秀樹著作集刊行委員会・編集委員会 (編集) )→絶版
・季刊前夜 第1期11号 (2007年、前夜)→絶版?
●「いやなら帰れ、帰化せよ」
という主張に対して――1●歴史的な側面
7 なぜ朝鮮人が日本に住んでいるのか 梶村秀樹
此処は日本国日本人の国です。あなたの国は朝鮮である。よもや、さつかくして居るのではないのか? 差別、強制連行、日本同化を拒否したあなた達は終戦後大方帰国したはず。日本植民地時代三十六年、独立国になって四〇年近いというのに、赤ん坊も四〇才の働きざかりとなる年月に自立、向上も出来なく、一体二世三世はこの長い/\年月なにをして居たのか? 一世の差別屈辱を見て来たのなら、それを日本国のせいにするなら何故々々二世、三世が密入国までしてぞく/″\七〇万人も日本に勝手にやって来たのか。(中略)小学生から排日教育をたたきこまれた青少年達があなたの国でさわいで居るとか。日本国を敵視するのなら、一度在日朝鮮人の不良分子は皆帰国すれば良いと思います。日本国もどんなにかせい/\する事でせう。
(全文は資料14参照 消印○○ 5月22日 差出人 中村貞子(○○市))
○○(○○は地名)の中村さんへ
あなたはどうやら、こんな手紙を書くのがはじめてではないようですね。去年の一〇月一日付で指紋押捺拒否予定者会議に出された手紙のことを覚えておられますか? ここに収められているものよりもっと長い便箋一六枚びっしりの手紙でした。そのとき、そこにかかわっている一人の日本人として、私なりのお返事を書いてあなたあてに出したのですが、付箋がついて戻ってきてしまったのでした。
常習的にこんな手紙を書くことにひそかな楽しみ(?)を見出しているあなたの心の姿を想像すると、ぞっとするというより悲しくなります。何があなたをこんな心境にまでこりかたまらせてしまったのでしょうか。こんな心境から一日も早く脱け出せないかぎり、私達の未来は袋小路の行きどまりだけだと思います。
それはともかく、あなた(←2012年03月23日誤字訂正:この日より以前は「あんた」)のいいたいことは前の手紙(以下このように略すことにします)にもっとはっきり表われているようなので、この本に収められていないそちらから引用することにしますが、「……歴史とはそう言うもので、弱小国は何時の時代もまっさつされるのは人間社会のしくみでさけられない。弱い国が悪いので何時の時代でも強い国でなければならない」とは、何とも恐ろしい考え方ですね。あなたは日本はそんなことにはならないと確信した上で平気でこんなことを書いておられるようですが、もし実はあなたが不運にもまっさつ[#「まっさつ」に傍点]される側に立っているとしても、それでも涼しい顔をしていられるでしょうか。
あなたはまた、「やはり歴史的に見ても昔からの亡国の影をひいて居る国家なのですね」(前の手紙)と、きめつけておられますが、それは朝鮮人の心を煮えたぎらせる挑発であるというだけでなく、事実とも違っています。日本の侵略に遭う前の朝鮮には、活気に満ちた社会発展の動きが芽生えていたし、厳しい植民地支配のもとでも、民族文化の独自の個性と民衆のエネルギーは、おさえつけ、ねじまげようとする力に直面しながらも脈々と保たれてきたという事実を冷静に見きわめてください。いまでは、目に見える具体的な証拠を見出すことは、むしろたやすいはずです。
それなのに、「朝鮮国は合併時の弱小国家、内乱をくり返し人民は疲弊の極で、隣国の大国ソ連・中国のたびたびの侵略のくり返しでした。これ等の国の赤化を恐れ、日本国が防衛上、とるにたりない国朝鮮を併合したので、日本合併がなければ中国かソ連に併合されてた事は歴史を見れば明らかな事実である」(前の手紙)とは! 戦前の植民地支配の合理化のために日本国家が故意にゆがめて描いた朝鮮史像が、戦前の教育を通してなのか、実にみごとにあなたの脳裏に刻みこまれてしまったものですね(あなたを受身な人間扱いしてごめんなさい。本当は、戦前誤った教育を受けてしまったのだから、もう変えようがないというものでなくて、それこそ戦後四〇年の長い間に、能動的に自分の誤った認識を正していくことは、やればできたことのはずです)。それにしても、日韓併合当時(一九一〇年)まだ生れてもいないソ連が、すでに朝鮮を侵略したり赤化させたりできるとは、ずいぶん奇抜な「事実」があったものだと思います。
それから、あなたは「終戦後、えいえいえときずき上げた個人の莫大な財産を残し無一物で強制的に中国・台湾・朝鮮国から引揚させられた帰国者……」(前の手紙)と書いておられますが、そういう財産(主に不動産でしょうが)が主としてどのような方法できずきあげられたと承知しておられますか? 土地はどのようにして手に入れたのでしょうが? 土地はどのようにして手に入れたのでしょうか? 設備や建物をつくるのに実際に汗を流して働いたのは誰だったでしょうか? 日本から持っていったお金で買ったものが多いのでしょうか? 当時の流行歌にもあるようなあの「日本では考えられないような植民地での豪気な生活」は何によって保障されていたでしょうか? だから、かりに「強制」がなかったとしても、植民地や占領地からは、日本帝国の崩壊とともに引揚げてこざるをえなかったのです(むろん、日本全体の中でもっと涼しい顔をしていた部分に比べれば、ある意味で特に下積みの引揚者が犠牲者であったことは否定しませんが)。
次に、あなたは、戦前に連行されてきた在日朝鮮人は日本の敗戦後に一度みな帰国したあと、再度「密入国してまで」あるいは「難民同様」に、「勝手にやってきて居座って」いるのだと認識しておられるようですが、事実誤認も度がすぎています。事実は、敗戦の時点で二〇〇万人以上の朝鮮人が日本在住を余儀なくされていましたが、そのうち帰国できる条件のある百数十万人はまもなく帰国し、すでに帰るに帰れぬ事情の生じていた三~四分の一ほどの六〇万人が残ったのです。今日の在日朝鮮人の大多数は、このような人々とその子孫なのであって、ずっと日本に住み続けているのです。一旦帰国したけれども、南北の分断やアメリカ占領下の社会経済的混乱のもとで故郷に割りこんで住むことが到底できないので、やむなくまだしも生活の基盤の残る日本に戻ってきたというケースも確かに若干はありますが、厳しい出入国管理のもとでそれは決してそんなに数多いわけではありませんでした。それに、八月一五日のその日まで、故郷と現住地の間に別に国境線もなかったのですから、今後の生活を考えようとちょっとの故郷の様子を見にいってきたとしても、それはごく自然なことであり、それをおどろおどろしく「密入国」ときめつけるのも不条理な話です。
想像でものをいってすみませんが、こんな簡単明瞭な事実を、あなたは単純に思いちがいをしているのではなく、「勝手におしかけて居座っている」といいつのりたい衝動が、そんな虚像を描かせているのではないでしょうか。そして、このようにいわないと、あなたは、戦前の強制連行の歴史と現在の在日朝鮮人の存在とを切り離せないのです。責任をごまかそうとする卑怯な態度です。
朝鮮人の日本渡航・在住は、その圧倒的多数が日本の植民地支配期のことであり、その経緯について日本国家は全面的に責任があります。一九三九年以降の強制連行については、いくらなんでもあなたも認められるでしょう。畑で働いている農夫を文字通り「捕まえ」、監視つきで集団的に汽車・船にのせて連行し、外出も自由に許さないような形で労働させたのですから。
それに先立つ主に一九二〇、三〇年代の渡日についても、形態はちがうけれど同様に、日本国家の責任は免がれられません。日本の植民地農政が広範な朝鮮人農民の生活基盤を破壊して、生きるための離農を余儀なくさせ、そしてそのようにして生じた膨大な流亡人工の一部を、日本の産業が、その必要とする規模に従って低賃金労働者として導入したのであり、実際、渡日の関門は終始日本側の必要の観点から、日本国家によって厳格に管理・制御されていたのです。つまり、一言でいえば、日本側が渡航させたというべきなのです。朝鮮人の在日の最初の契機が「好きこのんで渡ってきたのとはちがう」ということは、決して、関係ないことを口実に使うという意味の「いいわけ」ではありません。あなたは、過去を忘れて前をみろと教訓を与えておられますが、被害者が敢えてそういうならともかく、日本側からそんなふうにいえた義理でしょうか。電車の中で足を踏んだ人が知らん顔しているので踏まれた側が不満な気持でいるところへ追っかけて、踏んだ側が「そんな過去のことにこだわるな」というのと同じことです。なお、念のために申しそえますが、一般に朝鮮人は、現在を生きる自分の責任を棚に上げる口実に過去を使ってはならないことを充分自覚しており、むしろ厳しい差別の中でもいかに朝鮮人として人間性を失なわずに生きるかを自分の主な関心事としていると思います。日本側が責任をほおかぶりして、「勝手によその国に来ているのだから、いいたいこともいわず、人間性を押し殺して従順に生きろ」などといいつのるかぎりにおいて、「好きこのんで渡ってきたわけではない」といいかえさざるをえないのです。
あなたはまた、なまみの生活者としてのひとりひとりの朝鮮人の事情を具体的にみることができず、常に朝鮮民族、国家の全体を抽象的に一くくりにしてしか、しかも偏見をもってしか、考えられないようですね。確かに、戦後今日にいたるまで、朝鮮民族は南北の分断という大きな矛盾をかかえて苦しんでおり、そうした条件と関係して二つの国家の内部にも大きな問題点があるのは事実でしょう。しかしそうした大状況的なことがらを冷静にみていけば、アメリカや日本などの大国が形作ってきた。世界史的環境がその大きな要因として「あることにも気づくはずです。ところがあなたは朝鮮民族にしわよせを及ぼした世界史的要因は無視して問題の責任を全て朝鮮民族におしつけ、さらにその重荷をまるごと個々人の肩に背負わせているのです。
たとえ最初は不本意の渡日であったとしても、何年も住みついて生活している間にそこにしか基盤がなくなってしまうということは、なまみの生活者にとっては無理からぬ事情と申せましょう。日本人の場合だって、戦災で故郷に疎開した人が多かったですが、もはや田舎には生活の基盤がなくて肩身の狭い思いをし、やがて都会地に戻ってこざるをえなかったじゃないですか。一々あげきれませんが、六〇万人が日本に残ったのは、ひとりひとりにそれぞれの理由があってのこととみなすべきです。「憂愁民族の一員」と自負するほこり高いあなたが、それを全然認められないといいつのるとは、ずいぶんちっぽけな心根ではないでしょうか。利用するだけ利用しておいて、もう用がなくなったからささと出ていけという態度は、誰がみても自慢できるような立派な態度とは申せますまい。
あなたは、戦後四〇年間、朝鮮人らしく生きるためにどんな努力をしてきたのかと問うておられます。そこだけ切り離せば、正しい設問だと思います。実際、そういう努力に水をかけ続けるような日本社会の中で、民族教育の維持などをはじめ、おっしゃるような努力が大変な犠牲を払いながら営々と続けられてきたというのが事実です。むしろあなたのような言説こそが、そういう努力をくじき、脚をひっぱる役割を果していることに、どうか気づいてください。ただし、朝鮮人らしく生きるということは、そうしたら日本から出ていかなければならないということでは決してありません。前にも申しましたように、責任と人権の観点から、日本国家は在日朝鮮人の在住権・生活権を認めなければならない筋合いでしょう。
要するに、日本に住むが民族の埃をもって生活するという定住外国人としての生き方が現に事実としてあるのですが、それは歴史を考えればわがままでも何でもなく、生活史の上でも必然性に基づいていることであり、私たちにとってその必然性を理解することが、双方のわだかまりをとく第一歩だと思います。
それからついでですが、あなたが「何百年何十年日本人に住み日本語を話せても朝鮮籍は日本人にはなれないのです。他の外国人同様外国人になったことをお忘れなく。朝鮮人達は大ぜいで永年住んで居ると外国でもそこの国の国民になれるとさっかくしているのではないか?」(前の手紙)と書いておられますが、朝鮮人にとってそれほど心外な言葉があるでしょうか。指紋押捺拒否者の誰が、あなたに「日本人にしてほしい」とお願いしているというのですか? ふざけるのもいいかげんにしてください。
あなたのいい方は、例の「帰国しろ、それがいやなら帰化しろ」という大阪府警富田外事課長のいい方とも、微妙にちがっているようですが、実は補い合っているのですね。あなたは「帰化」については直接言及していませんが、あなたの考え方を演繹《えんえき》していくと、たとえ「帰化」しても、差別し続けるぞといっていることになるでしょう。他の人たちの手紙をみると、富田式に「帰国か、帰化か」といっているものと、あなたと同様に「朝鮮人は帰れ」の方に力点をおいているものと両方がありますが、この両者を総合したものの中から、定住外国人は現在の日本人の心のありようを直感せざるをえないことでしょう。
最後にもう一度読み返してみますと、あなたの手紙にも、他の大勢の人たちの手紙にも、共通のトーンが流れていることに気づきます。朝鮮人の自己の人間としての尊厳を確保するための正面からの主張に対して、すぐかっとなって「なまいき」「えらそうに」「無礼」「虚勢をはる」「わがまま」などと条件反射することです。その裏側には、「おとなしく日本人のいうことをきくなら許してやる」という思い上った思想がかいまみえています。つまり、無条件に自分が目上の人間としてものをいう資格があるという潜在意識があって、だから対等な発言に対して「なまいきに」となるわけです。何を拠りどころにそんな姿勢がとれるのでしょうか?
あなたの言葉が最も端的なようです。「此処は日本国、日本人の国です。」そして他の人たちも口々に「よその国にきて済ませてもらっているだけでありがたいと思え」「本来なら外国人はしごとになんかありつけないのよ」といいたいほうだいです。そして「朝鮮人は日本に何を貢献したか」「日本人は朝鮮・韓国に得るものは一つもない。あたえるばかりである」といい、異口同音に「恩知らず」という言葉が口をついて出てきています。
いったい、国家のレベルで日本が朝鮮に、また個人のレベルであなたは朝鮮人に、どんな「恩」を与えたことがあるというのでしょうか? 「植民地時代に近代化してやった」といいたいのでしょうか? 植民地化がなかったら、朝鮮人は必らずもっとましな近代国家をつくりあげたことでしょう。朝鮮社会に内在する発展の契機を、日本は利用しながらゆがめてしまったのです。逆に、「枕木一本朝鮮人一人」という言葉があります。一九二〇年代以降の日本の主な鉄道工事や道路工事で朝鮮人労働者の血と汗がにじんでいないものは一つもないといっても過言ではありません。尨大な朝鮮人労働力が近代日本の産業発展の下積みになってきたのは事実です。そういうことをすっかり忘れてしまって、「何を貢献したか」といいつのるのこそ典型的な「恩知らず」ではないかと、いいかえそうと思えば充分いいかえせることなのです。
またあなた方のいう「莫大な援助金(我々の税金)」というのが何をさしているのか明確には分りませんが、あなたの場合には、主に日韓政府間の関係を通じての巨額借款や技術協力等をさしているように思われます。そのあり方についてはむしろ韓国の民衆の間に鋭い批判があり、日本の企業は要求に応じるふりをしながらちゃっかりもうけているのですから、私たちとしても批判がないわけではありませんが、その議論に深入りすることはさておき、まして在日する個々人がこれを「恩」と感じていいたいこともいわずに我慢しなければならない理由は何もないでしょう。なお、定住生活を営む在日朝鮮人のすべても、その所得に応じてあなたと同様に日本国家に税金を納めており、それなのに最近までずっと、その税金によってまかなわれた福祉行政から阻害されてきたことをお忘れなく。
それともまた、このようなことではなく、日本から追い出されないだけでも「恩」だといいたいのでしょうか? 日本国では日本人が主人で、外国人は肩身の狭い居候のように自分を殺して屈従的に生きるのが当然というような小所有者根性のことを、世に「排外主義」というのでしょうが、歴史の論議をさておくとしても、もろもろの国富が外国との関係に支えられて成り立っている国際化・相互依存の現代において、こんなうしろむきの独善的な考え方では隣人とつきあっていけないということが、一般的な意味でむしろ大問題なのです。
ある人の手紙に、「我が国の法律を守れなければ即刻退去を命ず。日本人の命には絶対服従を要求する。死ぬもまたよし」とありますが、まるで自分が権力者になりかわったみたいな、この威丈高な調子はどうでしょう。これはアジアの民衆との交流を自分から断つ姿勢であり、日本人の側に問題があることを端的に物語っています。
以上、どうか真剣に考えてのお返事をいただきたく存じます。 (神奈川大学教授・朝鮮史)