移住者はゴミ出し禁止、絶対の年功序列… 移住民が落ちた「村八分」地獄
移住天国の夢想家が落ちる「村八分」地獄――清泉亮(上)
メディアが称揚するようなバラ色の楽園、そんな聞こえの良い話が実際に待っているはずはない。大分県の「村八分」報道は世間を大いに驚かせた。が、全国の夢多き移住民のハマったぬかるみは深い。ゴミ出しすら許されない、その地獄の実態をご紹介する。
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平成がそろそろ30年目にさしかかろうかという時代に、穏やかならざる報道であった。去る2017年11月6日、大分県弁護士会は、「Uターン男性への村八分をやめるよう、集落全体に是正勧告した」というのだ。
狐につままれたような印象があるが、その大要は以下の通りである。
〈68歳の男性は母親の介護のために2009年に関西から大分へUターンした。しかし、2年後に地元住民とトラブルに発展。集落の構成員と認められず、行事の連絡や市報の配布先から除外された。弁護士会は「男性に落ち度なし」と結論づけた〉
大分県内の「村八分」に関する勧告は今回で3例目で、過去2度は非公表だった。だが、このままだとUターンする人が減りかねないという弁護士会の懸念が公表に踏み切らせたのだ。
結論から言えば、これは対岸の火事ではない。テレビは盛んに田舎暮らし礼賛番組を流し、移住ブームに便乗する自治体も「こっちの水は甘いぞ」とばかりに移住促進策を打ち出す。ざっと、ここ最近放送された一端を拾っただけでも、
〈「第二の人生」で田舎暮らし〉(テレビ朝日)
〈楽園暮らし憧れ居住者増“日本一住みたい”島根・大田市〉(朝日放送)
〈激化する“人口争奪戦”移住の好条件 続々…〉(テレビ東京)
〈切実 田舎に移住するシングルマザー 人口減に悩む町が後押し〉(よみうりテレビ)
といった恰好で、歯の浮くような惹句のオンパレードである。
しかし、実際の暮らしぶりに目を向けてみると、さにあらず。日常のゴミ出しさえままならない、暗澹たる現実が横たわっている。それは、「移住人気日本一」(NPO「ふるさと回帰支援センター」調べ)を誇る、山梨県とて例外ではない。
まず、私が暮らす、山梨県北杜市の実態をご紹介しよう。
20キロ先からゴミ運び
11月初旬、標高1000メートル付近の八ヶ岳南麓の朝はすでに氷点下である。冠雪した駒ヶ岳を擁する南アルプスを一望する市の総合分庁舎の駐車場。ここに、朝7時半を回った頃から、三々五々、四駆車や軽トラが続々と集まってくる。
ドライバーの目的は山々を睥睨(へいげい)するためでは断じてない。ここは、他ならぬゴミ収集所なのだ。地元集落のゴミ収集所に持ち込むことが“許されない”“認められない”移住者たちのための……。
運転席から降りると、かじかむ手を擦りながら、後部座席やハッチバックのドアを開ける。積まれているのは、大量のゴミ袋。その日は「燃えるゴミ」の収集日で、駐車場の端に特設された巨大なゴミ集積倉庫(上の写真)に、ゴミ出しに来るのだ。
平成の大合併で、8町村が合併して誕生した北杜市は、県下最大の広さ。市境から市境までの最長部分はおよそ90キロにも達する。
その広域さゆえに、10キロ、15キロ、場合によっては20キロ先からゴミを運んでくる者も少なくない。20キロとは、東京で言えば、日本橋から調布の味の素スタジアムまでの距離である。ほとんどハーフマラソンだ。
1カ月ほど前に神奈川は横浜から移住してきたという初老の男性に訊ねると……。
「市は干渉できない」
「ネットで手ごろな中古物件があったんで、夏場のうちにと思って移住したんだけど、自治会に入ってないとゴミは出せないって聞いて、ここまで運んできてますよ。どうも、自治会のほうが加入を認めないっていう話だったから。いちいち車にゴミを積んでガソリン使って、ゴミを捨てに何キロも走るっていうのはね、産廃じゃないんだからね。それに、体力的にいつまでできるのか」
一体どういうことなのか。
北杜市下では、集落の単位を「組」と呼ぶことが多い。そして、それぞれの集落でのゴミ収集所は組が運用しているのが建前だ。
北杜市環境課によると、
「収集所そのものは組の所有地に建つ、組の所有物なので、市は干渉できない」
したがって、組に加入していなければ、ゴミ出しはできない、という理屈になる。つまり、組から排除されている移住者は、居住地域内でゴミを出せないのだ。大分県の例に倣えば、これも「村八分」といえようか。
まだ意気軒高な40代の移住者は、
「住民票を移している完全移住者は住民税を支払っているし、別荘所有者であっても北杜市は別荘税を徴収している。さらに、市が指定する有料のゴミ袋を購入しなければゴミは出せないので、そのゴミ袋の代金にも、ゴミ収集の費用は転嫁されているはずだ。そもそも自治会加入とゴミ出しが結びついていることがおかしい」
そう憤る。
他方、東京・世田谷から来て3年になるという初老の夫婦は、いずれは就農をと考えて移住したものの……。
「私たちがいるところは、やっぱり自治会に加入できないところで、だからここまで出しに来てます。雪が降る前はまだいいですけど、さすがに真冬はもう、きついですよ。明日はゴミの日かなんて考えるだけで、げんなりしますよ」
ローカル・ルールに嫌気
移住する前にゴミ出しのことは知っていたかと問えば、
「知りませんでした。まさかね、自治会に入らないとゴミが出せないというのはね。東京では賃貸マンション暮らしでしたけど、これって変な話だと思いますよ。マンションで言えば、所有権者しかゴミは出せない、賃貸住人のゴミ出しは認めないみたいな話じゃないですかね。都会ならば訴訟が起きたっておかしくないですよね」
執拗に訊く一方の私に、この夫婦は逆に尋ねてきた。お宅はどうなんですか?と。
「私は別荘地に移ったんです。そこでは、分別はもちろんしますけど、ゴミ出しは別荘地内にたくさんあるゴミ収集箱に24時間、出すことができますから助かってます」
私が北杜市に移住したのは14年のこと。それ以前にいた長野県佐久地方の過疎の集落では、古老らによる露骨な無視に始まり、公民館での元日からの万歳三唱、早朝4時からの雪かき励行……。こういった常軌を逸したローカル・ルールに早々に嫌気がさして逃げ出し、辿り着いたのが北杜市だったのだ。それも、管理会社が管理する別荘地のなかである。別荘地ゆえに、建築制限を含めた管理規約があり、管理費が課される。しかし、集落での「無視」や「消防団強制参加」「上下関係強要」などの煩わしさとは無縁で“心の安寧代”だと思えば、管理費は高くは感じない。
ひとりでは手に余る雪かきとて、管理事務所に電話一本で、除雪車が急行する。ひと気のない山中で夜間、四駆車が故障し遭難しかけたときも、24時間体制の管理事務所に電話をすると、すぐにランドクルーザーで救援に駆けつけてくれたのだ。自治会未加入の「村八分」集落であれば誰も手を差し伸べてくれなかっただろう。それに、仮に集落の手を煩わせようものならば、“後”が高くつく。
集落では春や秋など年に数回、住民挙げての道路掃除「道普請」が行われる。体調が悪く参加できないものならば……移住歴20年の主婦の言葉を借りると、
「不参加のときは1人頭、3000円を払ってます。夫と2人、どうしても参加できないときは6000円を支払ってます」
ということになる。
飲酒運転天国
たとえ村八分にまで至らずとも、集落での緊張関係・揉め事・軋轢は日常茶飯事だ。
北杜市のみならず、甲州地方の集落は「年功序列」が徹底している。1カ月どころか、1日でも生まれたのが先ならば、同輩ではなく「先輩」なのだという。それゆえに、役所による地元集落への「指導」も、よほどの法令違反がない限りはご法度となる。笑えないジョークでしかあるまい。
当然のことながら、集落においては公私の区別など存在しない。公務員、警察官であったとて、生活圏での人間関係では、古老に頭が上がらない。
それを見越した古老らは狡猾だ。夕刻になればコンビニで買ったビールを勢いよく流し込み、酒臭い息で悠然と軽トラのアクセルを踏んでいく。直進車無視の右左折強行、ウインカー不点灯、一時停止無視、携帯電話片手の通話運転、まるで飲酒運転天国。山梨県下では「マイルール」「山梨ルール」などと称され、もはや道交法などどこ吹く風、なのだ。
夜ともなれば、スナックに平然と車で乗り付け、酒を飲んで帰っていく。そんな行為を咎めようものなら「村八分」にされかねないから、誰も指摘しない。
無邪気な移住者はそうした地域性の洗礼を受け、結果、ノイローゼにもなりかねないのである。
(下)へつづく
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清泉亮(せいせん・とおる)
ノンフィクション・ライター。1974年生まれ。専門紙記者などを経てフリーに。別の筆名で多くのノンフィクション作品を手掛けてきた。近現代史の現場を訪ね歩き、歴史上知られていない無名の人々の消えゆく記憶を書きとめる活動を続けている。信条は「訊くのではなく聞こえる瞬間を待つ」。清泉名義での著書に『吉原まんだら』『十字架を背負った尾根』がある。
「週刊新潮」2017年11月23日号 掲載