昔は三日坊主だった自分。楽に流されてきた自分。そんな自分はとにかく努力する気が起きない、起きても続かないということを、とにかく繰り返してきました。
例えば中学時代、最も大嫌いだった英語の試験は、教科書を丸暗記することで乗り越えてきました。そうすれば絶対に90点以上を取れることが確実だと知っていたからです。
そのおかげで、ろくに勉強せずとも成績はいつも5。それに味を占め、3年間この勉強法を変えることはしませんでした。
もちろん、それで英語力が身につくはずなどなく、英検は3級すら突破できませんでした。高校の英語の成績も惨憺たるもの(2オンリー)。スピーキングもできませんので、外国の方に道を尋ねられても、案内どころか挨拶も不可能です。大学時代に新宿駅で「丸ノ内線はどこ?」と聞かれた時は「カモン!!」と言ってついてきてもらい、「ヒア!! ヒア!!」と言って改札口を示し、最後に「サンキュー!! サンキュー!!」と言って別れました。
そんな自分、例のラノベ作家をめざし始めた頃、ちょうどいいからこの体質を一緒に変えようと思いました。というか変える必要があっただけなのですが。
その中で得た努力を続けるコツが、今回の記事になります。
1:改善点や不足点を把握していない→改善点や不足点を把握するようにした
ほかの社員と比べて営業成績が芳しくない、残業が多い・・・こうした悩みは誰しも抱えたことがあると思います。筆者もありました。
そうなると「変わらなければ!」「なんとかしなければ!」と思って、いろいろ試してみるわけです。参考になりそうな本を読んだりして。
で。なにも変わらない。本も「効果ないじゃん」でポイ。努力もそこで終了。
なぜこんなことになるのか?
理由は単純。改善点や不足点、つまり「努力すべき点」についてきちんと把握していないからですね。
上記の例でいえば、本を買う前に「なぜ自分がほかの社員と比べて成績が低いのか?」「残業が多いのか?」を具体的に理解する必要があります。
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ある糖尿病専門医の先生へ取材をさせていただいた時、興味深い話を伺いました。
先生「糖尿病になった方に『いまご自身に必要なことはなんだと思いますか?』と尋ねると、皆さんなんて答えると思いますか?」
筆者「うーん。定期的な運動とか、食事制限とか、禁酒禁煙とかですか?」
先生「そのとおりです。ですが、それは多くの場合、間違っているんですよ」
筆者「え? やっちゃいけないことなんですか?」
先生「いえ、違います。皆さんには、運動とか食事制限とかよりも先にやらなければならないことがあるんです。なんだと思います?」
筆者「うーん・・・。すみません、わからないです。なんですか?」
先生「糖尿病になった原因を知ることです」
はっとしました。
先生曰く「変わらなければ!」という強迫観念はとても強く、故に患者さんは「対処法」ばかりを求めて「原因」をきちんと分析することに目が向かないのだそうです。命に関わる疾患であればなおさらだと。
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努力すべき内容がわからないと、適当な努力をすることになります。とりあえずそれっぽいビジネス本を買うなど。
ですが、自分がすべき努力を踏まえた上で本を選んでいませんから、まず役に立ちません。そして効果がなかったことで意欲も失われます。
こうしてさまざまなところで、的を外した努力を続けるうちに、やがて「努力に意味はない」「努力しても無駄」と思い込んでしまい、結果なにをするにしても、手軽な対処療法=ビジネス本や自己啓発本などのアンチョコを求めるようになる・・・というわけですね。
2:一気に変えようとしていた→一つずつコツコツ変えていくようにした
とにかく改善点や不足な点を一気に変えようとするのが、昔の筆者の癖でした。10あったら10一気に。
ラノベの新人賞を例とします。新人賞の評価項目はレーベルによって異なりますが、大体こんな感じです。
- キャラクター
- ストーリー
- 設定
- 表現力
これを全部一気に完璧にしようとするのが、10あったら10一気に変えるということ。
ですが、そんなことは不可能ですよね。だから、この努力はもちろん失敗します。失敗すればやる気もなくなりますから、努力は続きません。
というわけで、これを「一つずつコツコツと変えていく方法」に変えたところ、努力が続くようになりました。
なぜそうなったのか? 確かに変われているという実感を得られるのが大きな要因ですね。たとえ遅々とした改善や成長でも、前に進めている実感を得られるので、自然と努力する意欲も湧いてきたのだと思います。
3:自分に厳し過ぎた→自分に適度に甘くなった
例えば、ダイエットしようと思い立って「今日から1日30回腹筋する!」とノルマを決めたとします。このやり方、皆さんは続きますか?
筆者はまず続きません。実際やってみたことありますが、1週間もたたずに挫折しました。笑。
そんな三日坊主な筆者、実はここ5年ほど、毎週2〜3日ランニングをしています。
なぜ前者の腹筋は駄目で、後者のランニングは続いているのか?
理由は「自分に甘くしているから」です。
ランニングはノルマを決めていません。走る日も日数も自由です。気分が乗らなかったら走りません。
また距離も毎回バラバラ。5キロほどで終わる日もあれば、10キロほど走る日もあります。これもその日の気分次第です。
このように、自分に甘くすると、無理なく取り組めるので自然と努力も続きます。今では10キロほど走らないと気持ち悪いくらいになれました。笑。陸上部出身でもともと走るのが好きだから続いている面もあるとは思いますが(ただ筆者は短距離所属で、長距離は大嫌いでした)
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ただ、唯一ノルマとして「週に最低1回5キロは必ず走ること」は自分に課しています。
このノルマは「時間・体力・気力などの面から考えて、週1回は確実にこなせるライン」として設定します。つまり最低ラインですね。どれだけ仕事が繁忙期でも、絶対に取り組めるラインです。
なぜか? 努力は続けないと意味がないからです。
ノルマとは「目的・目標の達成」よりも「継続すること」を主眼に立てるべきものだと考えています。
特に新しい努力を開始したばかりの頃は、「何をするか」よりも「続けること」が大事だと思います。続けていれば、自然と力もついてきますから、ノルマも自然と厳しくなる=目的・目標の達成に寄ったものになるものです。
(「目的・目標の達成」を無視してノルマを立てるべきだということではありません。あくまでも「努力を継続できる範囲」で「目的・目標の達成」につながるノルマを立てるべきだということです)
ただ、やはり周囲からの評価は重要ですから、ある程度は気にしていました。
4:周囲や目先の評価を過剰に気にしていた→適度に気にする程度にした
周囲の評価や目先の評価を過剰に気にしていたことも、努力が続かなかった要因かなと思います。正確には、努力する癖が身につかなかった要因でしょうか。
例えば、評価を気にし過ぎると、手っ取り早く評価が手に入る方法を探します。仕事でいえば、ビジネス本や自己啓発本に手を出して、そこに書いてあることを鵜呑みにして現場に応用しようとする。よくやったものです。苦笑。
ですが、これは「努力」ではありません。いわば「カンニング」です。
学生の勉強に話を置き換えると、わかりやすいですね。授業の予習をしていて、わからない所があるとすぐに参考書などから答えを探してしまう、だって授業であてられた時に答えられないと恥ずかしいから・・・はい、昔の筆者です。笑。周囲の評価(→恥ずかしいのは嫌だ)を気にするあまり、アンチョコに頼りまくっていたわけですね。
こんなことを繰り返してきた筆者が、大人になって三日坊主なのも当然かなといった感じです。
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ある問題の解き方がわからない時、それでも踏ん張って自分の頭を振り絞り、ああでもないこうでもない考えて、自分なりの理屈で答えを導き出す。で、間違っている。 そして回答を見て「あー! そう解けばいいのか!」と気づきを得る。これが勉強における努力です。
この過程で重要なのは「ああでもないこうでもないと考える」こと。
なぜか?
これによって多くの間違った道筋を潰せるからです。1問を解くだけで、多くを学べるわけですね。1から10を学ぶという慣用表現がありますが、勉強とはまさにこの「1から10を学ぶ」こと。エジソンではありませんが、失敗には「それが失敗である」ことを知ることで成長できるという価値があるわけです。
で、その価値を知っている人は、当然アンチョコに頼ることなどせず、必死に努力するわけです。なぜか? そのほうが効率が良いことを知っているからですね。アンチョコに頼ると「1から1」しか学べませんが、努力すれば「1から10」を学べる、努力するようになってから実感しましたが、この差は本当に大きいです。
ですが、失敗を恐れていると、失敗しないためにアンチョコを欲しがります。ただ、そうなると努力する癖が身につかないわけですね。
5:ひねくれていた→素直になった
別の記事で書きましたが、昔の筆者はとにかく心が汚い人間でした(今がきれいなのかどうかは置いておきまして。笑)
世の中を斜めに見ていたといいますか、どうでもいいプライドを固持していたといいますか・・・そんな感じです。斜に構えているのが格好良いと思っていたんでしょうね。
(詳細はこちらまで)
ひねくれた人間は、もちろん努力などしません。かわりにネット上で「あんなもの大したことない」と見下したり、「くだらない」と蔑んだりして溜飲を下げます。そうすることで見栄や自尊心を保つわけです。
どういうことか? 努力して自分を高めようとするのではなく、相手に落ちてきてもらおうとするわけです。たとえその行為に効果なんかないとしても、自尊心を満たすという自己満足のために。・・・書いていて耳が痛いですね、ホント。笑。
というわけで、物事に対して素直に向き合えることも、努力できる人の一つの共通点だと思います。
6:夢や目標を隠していた→フルオープンにするようになった
ラノベ作家をめざして会社を辞めるとき、筆者は素直に「ラノベ作家になりたいので、その修行のために辞めます」と言いました。そして、その後も会った人から「今なにしてるんですか?」と尋ねられるたびに「ラノベ作家めざしてニートしてます」と答えてきました。
なぜか? いろいろ理由はありますが、一つは嫌が応にも努力せざるを得ない環境をつくるためです。
周囲に言い触らしてしまえば、さすがに努力しないといけませんよね。でないと口だけの人間になってしまいます。
またこのとき、ネット上ではなくリアルでオープンにしていました。なぜか? ネット上だと最悪アカウントを消すなどして逃げることができるからです。
リアルの知人はそうはいきません。その後も何度も会うわけですから、大して努力していなければ、会う度に生き恥を晒すことになります。
ちなみに、先のノルマの話と言っていることが逆のようにも見えるかもしれませんが、今回は「努力せざるを得ない環境をつくるコツ」で、ノルマのほうは「その環境下で努力を継続するためのコツ」です。
余談ですが、今の会社の入社時の自己紹介でも、全社員に向かって「前職はラノベ作家めざしてニートやってました」と言い放ちました。反応はご想像にお任せします。笑。
あと、フルオープンにするようになってたくさんのメリットもあることを実感したニート時代でもあったのですが、そのあたりの話は気が向いたら書きたいと思います。
7:夢や目標がない→自分にとって魅力的なものを持つようにした
「ラノベ作家」というのは、自分にとって魅力的だと思える、初めての目標だったように思います。それまでにも、何らかの目標や夢を持ったことはありますが、どれも本気でかなえようと思えるほどのものではありませんでした。
というわけで、努力のためには、やはりめざす先が自分にとって魅力的かどうかも重要な指標なのかなと思います。
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またまたラノベの話で恐縮ですが、ラノベを書いている方なら、誰もが一度は「自作がアニメ化したら、どうなるんだろう?」と妄想したことがあると思います(決めつけ。笑)。頭の中で自分の書いた作品のキャラクターがアニメになって動いたらどうなるんだろうですとか、声は誰だろうな、あの人だとどんな感じになるんだろうなとか。
もちろん筆者もあります。
で、これが楽しい。とにかく楽しいのです。笑。
だから努力が続いた・・・わけではありませんが、少なくとも一つの要因であったことは確かです。妄想によって、夢がどんどん魅力的に見えてきて、活力が湧いてきたのは紛れもない事実でした。
「夢は持つことに意味がある」という言葉があります。それに対して、昔の自分は「夢なんて持ってどうすんの? どうせかなわないのに」と思う生意気な少年でした。
ですが、今この年になって初めて、この言葉の意味が少しわかったような気がします。
実現可能性なんてどうでもいいのです。夢を持ち、その魅力を想像するだけで、人は自然と活力が湧くものなのです。
言い換えれば、そうならない夢や目標はたぶん、そこまで本気でかなえたいものではないのだろうなとも思います。
8:リスクを調べたり想像したりして不安になる→とりあえずやってみるようになった
新しいことを始めようとすると、リスクや行く末を想像して「本当にできるのか?」「本当に大丈夫なのか?」などと不安になるものです。それが足かせとなって、一歩を踏み出せない・・・昔はそんな感じでした。
このように、不安や恐怖は行動を鈍らせます。だから、そうしたものをいっさい考えないで、とりあえずやってみるように意識しました。これも努力が続いた要因の一つだと思います。
もちろん最初はとても不安でした。そもそもラノベ作家になれるのか? と。
結果、最終的にはなれませんでしたが、今回の経験で非常に大きな教訓を得ることができました。それは「やろうと思えば、かなりのレベルに達することができる」ということ。
目標の達成には、長期間にわたる努力が必要です。そして、その成果はなかなか実を結びません。失敗に失敗を重ね、ようやく小さな結果が出たと思ったら、また一歩後退して・・・そんな行ったり来たりを繰り返しながら、それでも自分を信じて努力し、あるときようやく実を結ぶわけです。
だからこそ、この感覚を得られたのは非常に大きかったですね。長い間、努力が実を結ばなくても、努力の方向性が(ある程度)間違っていなければ、それを信じて進めるようになりました。
ちょっと話がずれましたが、そんなところです。
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こんなところでしょうか。ほかにもある気がしているのですが、思い出せないので、そこまで大したことではないのでしょう。笑。
というわけで。
眠いので寝ます。