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我が師・池田大作先生の
御生誕90年、
誠に誠におめでとう御座います。
先生、御奥様、本当に有難うございます。
先生、御歳90歳の、
この2018年は、
師匠の意を体した弟子たちが、
如我等無異ーーー
ー( 我が如く等しくして異なる事無からしめんーー仏の目的は、仏と等しい境地、境涯に弟子を導く事 ).
の仏の目的を、
弟子が自らの透徹した信仰心に依って勝ち取る1年である。
1年の出発である元旦勤行会での出来事ーー
ーー偉大なる師が、教えて下さった深き信仰を忘れ去った原田学会の姿を如実に表わす場面があった。
御宝前に供えられた果物が余りにも不自然であった。
元旦勤行会終了後、
先生の娘であり、
人類救済の天使である未来部少女が、母の手を引いて、御宝前へ。
「 この果物は本物ですか?」
と。
中心幹部は、笑って誤魔化すしかなかった。
御本尊様へのお供えが偽物?
かつて、灯明のローソクが、
お年寄りの1人暮らしの家庭では、火事の危険性がある、
との事で、電気ローソクが使われた。
又、香の供養である線香が、服や壁に匂いをつけるとの事で、使用されなくなり、
夏場は樒(しきみ)が、長持ちしないとの理由で、造花のシキミが普及した。
そして、あろう事か、
御本尊様、日蓮大聖人様へのお供え迄もが、作り物の果物、作り物の御鏡餅だとは!
これ程の御本尊に対する冒涜、信仰破壊はない。
物質的に言えば、御本尊は紙である。
口も聞いては下さらないし、リンゴや御飯を召し上がる事も無い。
しかし、信仰とはその曼荼羅の中に、
或いは曼荼羅の奥に、
目に見えぬ偉大な力の存在を覚知し、
又は、自らの生命を映し出す故に、
本尊たる「 境 」と、
我が一心たる「 智 」が
冥合( みょうごう )する時に、
境智冥合し、無限の生命の力が涌現するのである。
日寛上人は、文底秘沈抄に、
「 境とは三大秘法の本尊であり、智とは衆生の智慧をいう。
我ら衆生、御本尊様を信じ、唱題する時に境智冥合し、
偉大なる功徳が生ずる 」 (取意)と、御指南下さり、
天台は、
法華文句巻下に
「 境と智が和合する時には因果があり、境の究極の存在を観じ得ない事を「因」と名付け、
その境の偉大なる究極の根源を極めた事を「果」と名付ける 」と。
つまり、御本尊様に唱題し始めた時をば、
境智冥合の因と為し、
法悦境に至る御本尊様と一体不二なる処を
境智冥合の果とした
即身成仏の境地である、との意である。
その根本尊形たる御本尊様に、作り物の供物を供える輩に、仏法の深意が悟れる筈はない。
で、あればこそ、海外のメンバーの方々の為にと、特別に簡易化された略式勤行に飛びつき、日本でも、正式勤行と定め、
我が一念の発露たるべき観念文の深義意を削り取り、
法華経の行者の守護を誓いし梵天帝釈、日月天等、
諸天善神を追い払い、
はたまた、化儀の広宣流布の時に、御出現遊ばされる
「 一閻浮提の座主たる日目上人 」への報恩感謝の念を捨て去るに至っては、
千歩譲っても、堕地獄疑いなしと、結論せざるを得ない。
我が師の御生誕の佳き日に、
師が、そして創価三代の師が創られた
一切衆生救済の母胎たる創価学会が、
秋谷、原田ら、三代会長に反逆する不知恩の輩に依って、
見る影もなき程、
平和、慈悲、平等思想に違背した実態を、
再再度、確認せざるを得なき事も、我が師の慈悲と深く感謝すべきである。
御書を拝したい。
「 然る間・仏の名を唱へ.
経巻を読み.華をちらし.
香をひねるまでも.
皆我が一念に納めたる
功徳善根なりと信心を
取るべきなり 」
( 一生成仏抄383頁 )
信仰とは心の世界の偉大なる力を解き明かしたものである。
心は見えない。
真心も見えない。
しかし、目に見えない世界にこそ、三千世界を動かしゆく無限の力は存在する。
「 無形の一念は強い。
鍛えに、鍛え抜かれた強靭な精神の力は、
大宇宙をも動かし、
必ず、有形へと結実する 」
以上ーー。
*写真は、常の丑寅勤行の際に、御本尊様へ供養の為に焚かせて戴く伽羅の香と、
常の勤行、唱題時に焚かせて戴く沈香の線香。
そして、
「 最近良く売れますねぇ、
でも、どうなってるのですかねぇ 」と首を傾げながらも、
果物や御鏡の偽物を供給する仏具専売者によって会館で使用されている模造リンゴ。
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