従業員が業務中に会話をしても良いかという議論はよくあるはずだ。
いかにも、出羽守感溢れる人なら従業員が会話を楽しむのも西欧諸国でもやっているから問題ないとか言い出すはずだ。
まぁ、最近は諸々の労働問題が取りだたされるから、ネットでも話しても良いという風潮になるはずだ。
すると、父親が怒り始めて止む無く賽銭箱に5円程度投げ込んだ。
そのあと、父親と別れて母と散歩をした。正月でも、中学高校時代に如何に不遇であったかの話をする。
どこの店も休んでいるもので、開いていたコーヒーショップに入った。
男2人に女2人だ。
コーヒーショップで働く人間の見てくれとは、大抵良いものだが彼らも例外ではなかった。
汚いゴブリンがエルフに対して畏るように、コーヒを受け取り席に着く。
彼らの会話が聞こえてくる。
女を接待するような会話だから、男2人が女の股にアクセスを試みているのは直ぐにわかった。
まぁ、皆セックスには困らなそうだ。
もし、彼らみたいな容姿なら自分だって自民党がどうのとか言わずに喜んで神社に参拝していた。
変にひねくれる必要もなく日々の生活において肯定されるはずなのだから。
母は気分を悪くしていた。
話しているのは、良くないと。
労働問題への意識高き人は低賃金がどうのとか、寛容たれと述べるかもしれない。
なぜなら、彼らが勤務時間中に楽しく話せているのは容姿故でしかないのだ。
もし、自分のような人間が万が一でも紛れ込んだら自分は悲しく突っ立っているだけだろう。
資本家VS庶民という階級闘争だけでなく、容姿を持つ者VS持たない者という解決できそうにない無慈悲な戦いをしなければいけない。
結局、すぐに店を出た。
ある事象に関して自分にはメリットがあるかというものが収入や容姿という「ポジション」で大きく変わる。
そういうことを人々が気にしだす時代は2018年、19年には増すのではないかと推測する。
アメリカでは「部族社会化」とか言っているが、ほぼ単一民族な日本も例外ではない。
その後、歩いた秋葉原において、皮膚に疾患があったりと自分に近い容姿の人間が多かったことから感じ取れる。