退官時70�あった体重は、ジムのトレーニングとゴルフで、充電期間中に、65�台に戻している。御礼奉公の3年弱は、かなり激務で、外食機会も多かったが、主治医「帝国クリニック」(院長は、「ホテル医二十五年」の著書もある岩本淳先生、現在は子息の耕太郎医師)の処方と月6~7回のジム通いのおかげで、何とか、血圧140~80、体重65~67kg、血糖値5.8を維持していた。
平成6年6月、三井信託銀行の顧問に。共済組合理事長からの森永先輩が初代、池田元交通局長に続く名門ポストの3代目。共済年金の資金運用が種となるので営業企画部に所属、当初は、総会対策で総務部も手伝っている。と言っても、ルーティンワークがある訳でなく、自分の時間はたっぷりある。
程なく、トヨタ立花部長の推薦で法務部顧問に就任、今中弁護士や若手部員と議論しているうちに、「交通政策」をライフワークと思い直し、手始めに「体験的交通管理論」を纏めている。翌年、麻布建物がらみで、藤井社長の自宅に拳銃が打ち込まれる事案が発生、中央署に捜査四課特捜班の出動を要請、捜査に全面的に協力したところ。犯人検挙には至らなかったが、総会屋の動きが止まっている。
水曜日が休みとなり、ジムの回数が増えて、体には良い筈だが、長津田でのスナックの梯子が過ぎたのか、1年半後には、体重が69�台に、血液検査の中性脂肪値が500、血糖値が6.0を示すようになり、7年の暮れ(57歳)、主治医の指示で、東京駅近くの成人病(糖尿病)センターに、トレパン持参で教育入院している。
糖尿病の怖さを叩き込まれ、摂取量と運動量の管理=「アルコール抜きで、食事を一日1500カロリーに制限、毎食後に30分~1時間の運動」を、2週間実践させられる。体重は63�台に、中性脂肪値120、血糖値5.6に、見事に下がる。不整脈が見つかるも、検査の結果、禁酒のためと分かり、退院後の適度の飲酒は認められている。
退院を機に一念発起、「10年間は、歳(体力年齢)をとらない」と決心し、酒を飲みながら、体力年齢を維持する自己流健康管理を始めている。
翌8年から、ジムのエアロバイクの年齢ボタンを「57歳」のままで固定した。ジムの標準メニューは、「ストレッチ10分、エアロバイク40分、マシーントレーニング10分、ルームランナー4.2km、サウナ10分、水泳500m、入浴30分」で、全体で3時間。消費カロリーは、450~500カロリー、歩数では約1万歩となる。年齢に比べると過重だが、アルコール分を消すには、この程度は必要と考えた。
水曜日と土、日、休日のゴルフのない日には必ず、月に、9~10回(システック退任後は、金曜日を含め、月に12~13回)、もっとも閑散な時間帯10:30~13:30を選んで、このメニューをこなしている。年に数回は、エアロバイクの体力測定テストで、評価値を確かめながら。
ジムの合言葉は、「継続は力なり」。同じ時間帯に通う、年長の男性数人、スイミング教室の高齢女性とは、同志的連帯感が生まれてくる。最初の頃、「ショーケン」こと荻原健一を見かけていたが、「格さん」の大和田信也には、今でも、ときどきプールで出くわす。1年半後には、糖尿病の入院暦をもつ次男宣貴も入会、土、日は、一緒に汗を流している
同時に、週に2回通うカラオケスナックのボトルにも、「57歳」と記入させ、声量と女声が衰えないように、レパートリーに磨きをかけている。点数バージョンでは、90点以上~最高点を目標に。曲と曲の合間に、有線放送のリクエスト曲が、追っ駆けてくることもしばしば。カラオケシングルの領域に。
8年秋には、「死亡事故の構造分析」を纏め、「体験的交通管理論」を改定、その一部「死亡事故の減少構造の分析とその対策」は、警察学論集51巻5号に。発起人として、10年6月の「警察政策学会」の設立に参加している。山田副会長に勧められて、「交通政策研究部会」を設置してからは、部会幹事として、元交通局の仲間とともに、交通政策の研究を続けている。最初のテーマに、「超高齢社会の交通安全対策」を選び、EU諸国の状況調査を踏まえて、対策を提言(学会資料14号)。
13年夏には、交通センサス(H11)にあわせて、都道府県別自動車走行台キロ推計を更新、「体験的交通管理論」改訂2版を上梓している。9.11、同時多発テロ発生。この年ヒット曲は、坂本冬美「凛として」、氷川きよし「大井追っかけ音次郎」。ディナーショウは、「暗夜航路」の「キム・ヨンジャ」。
この間、株式上場時に手伝った縁で、9年2月、北野の同級生由利がオーナー社長の(株)アルテックの社外監査役に就任、また、交通局の推薦で、個人タクシー・マスター制度の創設に参画、12年9月からはマスター認定委員に委嘱されている。また、いわゆる銀行危機で、三井信託と中央信託が合併、12年6月、中央三井信託銀行に、人事調整の結果引き続き顧問に残ることになり、2年後、芝本店ビルに移っている。
14年5月、交通局の推薦で「交通工学研究会」の理事に。前年から、「違法駐車車両の所有者責任」を研究部会のテーマに、秋には、ドイツ、オランダに、10日間、独りで出張調査、ハーグでは姪の華ちゃんに通訳をお願いしている(調査報告は学会資料24号)。この時点では、「駐車違反を非犯罪化し、所有者が負担する行政制裁金を創設、その告知手続きを構築する」というイギリス型の立法が適当と考えていた(交通工学 巻頭言 38巻3号)。往復の全日空のオーディオは、国内線より多チャンネル。野村将希の「アカシアの女」、小林旭「旅の酒」、松永ひとみ&弦哲也「天城流転傘」などをレパートリーに加えている。年末は、テレビ東京大晦日歌謡曲大全集の生収録を新宿コマで。
年齢ボタンを固定して5年間、体重は、63~64�台を維持、その後は、上下を繰り返しながら、65�、66�と増えている。身体の綻びは、歯からだった。11年年初、割れて抜いたままにしていた左上奥歯の隣の歯が悪化して抜歯、インプラントにはできず、岩崎歯科で、部分入れ歯を作って貰っている。4年後、今度は反対側の奥歯がだめになり、抜歯して、ブリッジの部分入れ歯となった。
15年3月、イラク戦争が始まる。65歳になると、共済年金が満額もらえるとの期待が、直前の制度改正で、昭和12年4月以降誕生者は適用外になり、裏切られた感じ、同期生ではひとりだけで、余計にがっかりする。この頃から、血液検査の腎機能を示すクレアチニン値が2.0を示し始め、主治医の指示で、6月、東京女子医大の腎臓内科(小川先生)に3週間入院し、腎生研を受けている。検査の結果は、過去の高血圧の後遺症と診断され、血圧降下剤による血圧コントロールと食事療法の処方となる。このときも、アルコール抜き食事管理で、3週間後に、体重は64�に下がっている。心臓内科の検査もクリアーしたが、医師の勧めをいれて、退院を機にタバコを止めている。この秋、アルテックの蘇州プリフォーム工場の落成式で、上海、蘇州に。工場団地の規模に驚き、夜は、カラオケで「無錫旅情」を唄っている。
退院後も、年齢ボタン固定のジムトレーニングは続けている。小川先生の血圧降下剤の処方が良く、血圧は、120~60と安定し、クレアチニン値も、1.6~1.8と許容範囲に納まっているが、体重は、じわじわと、65�~66�台に増えている。しかし、歯だけは、別。入れ歯の具合が悪くなり、土台を含めてブリッジ入れ歯の再調整は、ロス出発の前日だった。
16年夏、インターネットを検索中、韓国の違反金制度を知り、研究会の議論は、「反則通告制度を残しながら、所有者に対する違反金を命ずる制度を付加する方向」へ大きく舵を切り、道交法改正に繋がる(学会資料37号)。ディナーショウは、石川さゆり。
17年からテーマは「交通事故の構造分析」。まず、死亡事故の構造を解明し、最終的には、「物件事故とくに追突事故の構造分析」を目指している。秋には、義妹と2組の夫婦で、10日間、ロスアンゼルスの姪を激励訪問。幸ちゃんの案内で、グランドキャニオンで日の出を拝み、ラスベガスでは、「セリーヌ・ディオン」の大掛かりのショウ舞台に驚く。ディナーショウは、「堀内孝雄」。
年齢ボタン固定から10年経過した昨年からは、年齢ボタンを「58歳」に上げ、トレーニングを続けている。ボトルにも「58歳」と記入させ、有線演歌2006のヒット曲、「還暦」、「恋月夜」、「城ヶ島雨情」、「城崎恋歌」、「江釣子のおんな」、「男酒」、「名もない花に乾杯」、「ふりむけば日本海」を唄っている。パソコンの専門家の協力をえて「死亡事故の球体構造図」を作成、「事故の構造分析」を報告している(交通工学42巻2号)。年末は、東京プリンスで「コロッケ」。
今年から年齢ボタンは「59歳」。来年はいよいよ還暦だ。そう言えば、北島三郎が「還暦」をリリースしたのは69歳のとき、彼も10年歳を止めているのだ。トヨタ法務部からは、早々に「古希」の祝いを受けたが、スナックでは「59歳」で、最新演歌2007のヒット曲、「高瀬舟」、「白萩の宿」、「骨から泣きたい雪子です」、「日本の男」、「情夜灯」、「博多しぐれ」、「乱れ雪」、「角館哀歌」を唄っている。今年は、美空ひばりの生誕70年。6月のテレビは、ひばり一色となる。
「継続は力なり」。体力テストの評価値は、今でも50代後半の標準体力を示している。
(平成19年7月 記)
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