なっちゃんだって生きている

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お父さんが死にました

新年早々&久々のエントリがまさかのコレです。

お久しぶりです、喪中のなっちゃんです。

 

故人をネタにするのは賛否両論ありそうですが、書きたいので書きます。

人の死を扱うので以下、閲覧注意です。

勢いでばーっと書きました。あとで修正します。

 

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Twitterをフォローしてくださっている方は既にご存知かと思いますが、

昨年12月15日未明、実父が急死しました。64歳の命でした。

過去に記事にしましたが、父はアルツハイマー型認知症を発症しており、

時々デイサービスやショートステイのお世話になっていました。

 

母の存在も認識できなくなり、排泄も自力ではままならない状態。

ただ、体は丈夫な人だったので、少なくとも70代までは生きると勝手に思っていました。

 

12月15日の朝、スマホを見ると母からの着信が。

大抵のことはLINEでやり取りしていたので、嫌な予感がしました。

家族のグループLINEに未読があったので開くと、母から

 

「お父さんが死んだ」

 

というメッセージ。

 

頭が真っ白になりました。

 

そのうしろに、父が死亡したショートステイの住所が記されていました。

 

とりあえず、地元にあるショートステイに向かうことに。

 

検死ってどれくらいかかるんだろう?

葬儀屋との打ち合わせは今日なのかな?

 

息子を保育園に預けるも、お迎えの時間が読めない。

最悪、夜旦那にお願いしよう。

 

8:50。職場に着いたであろう旦那に電話をかける。

「…もしもし?」

旦那が出た。でも、私の声が出ない。

父が亡くなったことはわかっている。でも、「父が死んだ」とは言えなかった。

 

「…」

「…どうした?」

 

7秒ほどの沈黙の後、ようやく声が出た。涙声で

「…お父さんが……」

と振り絞ると旦那はすぐに状況を察して、お迎えが必要かもしれない旨了承してくれました。

 

武蔵野線に乗り、南武線へ。本当に久しぶりの登戸駅。

高校時代の思い出が沢山詰まった町へ、私は死んだ父に会いに行く。

 

ショートステイに到着。施設はクリスマスの装飾でキレイに飾り付けてあり、ジングルベルのBGMが流れていました。

個室に通されると、そこには口から血を出し、赤紫色になった父が横たわっていました。

 

本当に、亡くなったんだ…

 

亡くなる時、

痛くなかったかな?

苦しくなかったかな?

怖くなかったかな?

 

亡くなって悲しい、というより、他人しかいない施設で孤独に息を引き取った父が可哀相で、涙が止まりませんでした。

 

ただ、一緒にいた母は奇妙なほど元気で、

「家で死んでたら面倒くさかったわ~」

「今日年金支給日!家族孝行ね~」

と変にポジティブな発言を繰り返していました。

 

警察は事件性を疑っていたけど、父の髭はきれいに剃られていたし、歯磨きもきちんとしてもらっていたみたい。当然、外傷だってない。

仮に施設側に過失があったとしても、私たちには感謝と申し訳ない気持ちしかありませんでした。

 

クリスマスソングが流れる中、緑色の袋に入れられ運ばれていく父。

「映画のワンシーンみたいだな」

と、その様子をぼーっとしながら眺めていました。

 

結局、父の死因はわからずじまい。

 

葬儀は、母、兄弟、私と夫と息子だけで地味に行いました。

一人ずつ父にあてた手紙を読み上げるも、1歳の息子が騒ぐから悲しむ余裕もない。

棺に納めたのは、家族が父にあてた手紙と、父がかつてつけていた闘病日誌。

母が「これだけは自分では捨てられない」と持参したものでした。

 

その後、寝坊だか時間の勘違いだかで葬儀に来なかった弟と火葬場で合流し、

父は空へと消えてなくなりました。

 

終始、さめざめと泣いているのは私だけで、家族全員淡々とした様子でした。

やはり介護に携わった人間ほど、そうなってしまうのかもしれません。

そういう意味では、一番泣いていた私が一番親孝行をしていませんでした。

 

18歳から55歳まで休むことなく働き続け、その後は自分が失われていく病と闘い続けた父。

内弁慶で、ヘタレのくせに口だけは達者。世間知らずで自分のことすらまともにできなかった父。(私にそっくり)

でも、優しくて誰よりも頑張り屋さん。

病気でもクビにならず、退職金が支給されるようにと特別に休職期間を設けて貰えたのは、父の人間性が会社に評価されていたからだそうです。

 

なぜ生きている間に、優しい言葉の一つもかけてあげなかったんだろう。

 

やはり後悔は消えません。

 

 

でも、過去を悔やんで生きていても仕方がない。

 

ふと息子を見ると、息子は息子だけど、それだけじゃないことがわかる。

ハチの張った頭の形やちょっと腫れぼったい目元は父にそっくりだ。

そしてそれは私の特徴でもある。

私も兄弟も、息子も、みんな父の形見だ。

 

父は死んだけど、私たちが生きている限り、父も生き続ける。

そんな風に今は考えています。

 

また、私も親になって、「(子どもにしてほしい)親孝行とは何か?」を考えるようになりました。もちろん、存在してくれるだけで万々歳なのですが、私なりに付け加えるとしたらただ一つ。

 

生まれてきて良かったと思ってくれること

 

30年生きてきて、何か大きなことを実現したわけではないし、平凡かそれ以下の人生だったかもしれない。

でも私は、

 

お父さんの娘に生まれてきてよかった

 

心からそう思います。

 

 

 

 

 

 

さて、今日も明日も旦那と息子がお腹をすかせる。

毎日一緒に美味しいものを食べよう。

 

 

おしまい