2018年は世界の監督当局から仮想通貨に対する風当たりがいっそう強くなると予想します。
今日はそういう話をします。
まず仮想通貨が問題視、敵視される最大の理由は、そのユニークなおいたちに因るところが大きいです。
ビットコインの例で説明します。
2008年8月、サトシ・ナカモトなる人物がサイファー・パンクというメーリングリストに9ページからなるホワイトペーパーをパブリッシュしました。そこで「電子キャッシュ」のシステムが発表されたのです。
ビットコインはソフトウェアであり、またアプリケーションでもあります。そのプログラムはラップトップやデスクトップPCでRunできます。そしてこのプログラムはインターネット上で、他の、同じくこのソフトウェアをダウンロードした人と「つながる」ように設計されています。
つながる相手が誰であるかはわからない仕組みになっているし、どの相手とつながるかは全くランダムになっています。つまり1)ランダムで、2)ピア・ツー・ピアのメッシュ・ネットワークが形成されるわけです。
そこでは、すべての参加者は平等で、特別に偉い人は存在しません。この「有志のネットワーク」は「電子キャッシュ」の取引を検証し記録します。
これは平等で匿名かつ有志による中心の無いネットワークなので、誰もこのネットワークを支配することはできません。
「有志によるネットワーク」の参加者は、単にアプリをRunしているだけであり、他の顔の見えない有志たちと「つながっている」ものの、ネットワーク自体に影響力を行使できるわけではないのです。
だから「責任者」や「担当者」に類するものも設置されていません。
2009年1月3日から、このネットワークは稼働しています。このネットワークこそが、ビットコインなのです。
そこでは「信頼」、「機関(インスティチューション)」、「権威」といったものを一切、必要としない価値のやり取りが可能になっています。これは画期的かつ歴史的なことです。
なぜならこれまでの通貨は、政府が発行(=法定通貨)するか、しっかりとした銀行が発行する(=発券銀行)ものだったからです。
それらの代りに「コラボレーション」、「コミュニケーション」、「コンピュテーション」、「クリプトグラフィー」という4つのCにより、確実に価値のやり取りができるようになったのです。
それはサイバー空間に存在するものであり、国境は関係ありません。ということは各国の法規制とは無関係の処から生まれたことを意味します。
合法、非合法の議論が出る背景には、そもそも各国当局の意図とは無縁の処から、ビットコインが静かにスタートしたということがあるのです。
という言葉がありますが、ビットコインを「これは通貨だ!」と感じる人もいれば、JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモンCEOのように「これは詐欺だ!」と感じる人もいます。
もし国家や権威が信用の裏付けとして必須だとあなたが感じるのであれば、単なる数学(Math)でしかないビットコインは通貨ではないし、それを取り締まることもナンセンスだ!という立場になるわけです。
しかし(これは数学的に有限な存在となるように予め設計されている。数に限りがある以上、希少価値が出るに違いない!)と、逆にMathに信頼を置く人々も出てくるわけです。
いまのところMathに信頼を置く人々の大部分は投資家です。商店主は心を動かされていません。その結果、仮想通貨は「自分より後に来る投資家に売り渡し、円やドルに交換する」ことのみでしかその価値を表現できなくなっています。もっとわかりやすい言い方をすれば「モノに変えることは、むずかしいし、不便だ」ということです。
この「円やドルなどの法定通貨に換えることのみで、価値を表現できる」という現状の問題点は、法定通貨の取り扱いには既に昔から存在するさまざまなルールがあるということです。
だから仮想通貨が使いやすい方法で(=すなわちウォレットなどの便利なサービスを通じて)やりとりされるためには、そういう昔からある、既存のルールと折り合いを付けなければいけないということを意味します。
もちろん、「そういうのはイヤだ! 仮想通貨は、わかっている仲間だけでやりとりすれば良い!」という立場も当然存在するし、それはそれでいいと思います。
しかし、もしそういう立場を取るなら「わかっている仲間」の輪は、広く一般大衆の数に比べれば僅かです。
通貨というものは、それを使う人が多くなれば多くなるほどパワフルになるので、そういう一般ユーザーを断つということになると、単なる「一部の愛好家の趣味の延長」でしかなくなるし、その場合、通貨の価値も限定的なものにならざるを得ません。
本来、既存の政治システムや金融システムから超然とした存在であるはずの仮想通貨が、社会のリアリティーと衝突し、それと折り合いを付けねばならない理由は、まさしくここにあるのです。
カンタンな言い方に直すと「BIGになりたいのなら、現行の各種法律と折り合いを付けろ!」ということです。
【お知らせ】
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広瀬隆雄のTwitter、Instagram、noteもよろしく。
お問い合わせはhiroset@contextualinvest.comまでお願いします。
最後にMarket Hack読者の親睦コミュニティ、Market Hack Salonは、現在、新規メンバーを募集中です。
(なぜここまで仮想通貨は目の敵にされないといけないの?)
今日はそういう話をします。
まず仮想通貨が問題視、敵視される最大の理由は、そのユニークなおいたちに因るところが大きいです。
ビットコインの例で説明します。
2008年8月、サトシ・ナカモトなる人物がサイファー・パンクというメーリングリストに9ページからなるホワイトペーパーをパブリッシュしました。そこで「電子キャッシュ」のシステムが発表されたのです。
ビットコインはソフトウェアであり、またアプリケーションでもあります。そのプログラムはラップトップやデスクトップPCでRunできます。そしてこのプログラムはインターネット上で、他の、同じくこのソフトウェアをダウンロードした人と「つながる」ように設計されています。
つながる相手が誰であるかはわからない仕組みになっているし、どの相手とつながるかは全くランダムになっています。つまり1)ランダムで、2)ピア・ツー・ピアのメッシュ・ネットワークが形成されるわけです。
そこでは、すべての参加者は平等で、特別に偉い人は存在しません。この「有志のネットワーク」は「電子キャッシュ」の取引を検証し記録します。
これは平等で匿名かつ有志による中心の無いネットワークなので、誰もこのネットワークを支配することはできません。
「有志によるネットワーク」の参加者は、単にアプリをRunしているだけであり、他の顔の見えない有志たちと「つながっている」ものの、ネットワーク自体に影響力を行使できるわけではないのです。
だから「責任者」や「担当者」に類するものも設置されていません。
2009年1月3日から、このネットワークは稼働しています。このネットワークこそが、ビットコインなのです。
そこでは「信頼」、「機関(インスティチューション)」、「権威」といったものを一切、必要としない価値のやり取りが可能になっています。これは画期的かつ歴史的なことです。
なぜならこれまでの通貨は、政府が発行(=法定通貨)するか、しっかりとした銀行が発行する(=発券銀行)ものだったからです。
それらの代りに「コラボレーション」、「コミュニケーション」、「コンピュテーション」、「クリプトグラフィー」という4つのCにより、確実に価値のやり取りができるようになったのです。
それはサイバー空間に存在するものであり、国境は関係ありません。ということは各国の法規制とは無関係の処から生まれたことを意味します。
合法、非合法の議論が出る背景には、そもそも各国当局の意図とは無縁の処から、ビットコインが静かにスタートしたということがあるのです。
Beauty is in the eye of the beholder.
という言葉がありますが、ビットコインを「これは通貨だ!」と感じる人もいれば、JPモルガン・チェースのジェイミー・ダイモンCEOのように「これは詐欺だ!」と感じる人もいます。
もし国家や権威が信用の裏付けとして必須だとあなたが感じるのであれば、単なる数学(Math)でしかないビットコインは通貨ではないし、それを取り締まることもナンセンスだ!という立場になるわけです。
しかし(これは数学的に有限な存在となるように予め設計されている。数に限りがある以上、希少価値が出るに違いない!)と、逆にMathに信頼を置く人々も出てくるわけです。
いまのところMathに信頼を置く人々の大部分は投資家です。商店主は心を動かされていません。その結果、仮想通貨は「自分より後に来る投資家に売り渡し、円やドルに交換する」ことのみでしかその価値を表現できなくなっています。もっとわかりやすい言い方をすれば「モノに変えることは、むずかしいし、不便だ」ということです。
この「円やドルなどの法定通貨に換えることのみで、価値を表現できる」という現状の問題点は、法定通貨の取り扱いには既に昔から存在するさまざまなルールがあるということです。
だから仮想通貨が使いやすい方法で(=すなわちウォレットなどの便利なサービスを通じて)やりとりされるためには、そういう昔からある、既存のルールと折り合いを付けなければいけないということを意味します。
もちろん、「そういうのはイヤだ! 仮想通貨は、わかっている仲間だけでやりとりすれば良い!」という立場も当然存在するし、それはそれでいいと思います。
しかし、もしそういう立場を取るなら「わかっている仲間」の輪は、広く一般大衆の数に比べれば僅かです。
通貨というものは、それを使う人が多くなれば多くなるほどパワフルになるので、そういう一般ユーザーを断つということになると、単なる「一部の愛好家の趣味の延長」でしかなくなるし、その場合、通貨の価値も限定的なものにならざるを得ません。
本来、既存の政治システムや金融システムから超然とした存在であるはずの仮想通貨が、社会のリアリティーと衝突し、それと折り合いを付けねばならない理由は、まさしくここにあるのです。
カンタンな言い方に直すと「BIGになりたいのなら、現行の各種法律と折り合いを付けろ!」ということです。
【お知らせ】
Market HackのFacebookページに「いいね」すれば最新記事をサブスクライブすることができます。
広瀬隆雄のTwitter、Instagram、noteもよろしく。
お問い合わせはhiroset@contextualinvest.comまでお願いします。
最後にMarket Hack読者の親睦コミュニティ、Market Hack Salonは、現在、新規メンバーを募集中です。