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序章
黒い水鏡に映し出したのような頻闇。
闇夜に浮かぶ白銀色の月が、青白い光を大地に伸ばしている。
その人影はただ立ち竦んでいた。
その瞳に生気は無い。ただただ、眼前に広がる光景を呆然と映し出している。両の手は力無くぶら下がっていて、それでも、傷だらけの右手はしっかりと黒く汚れた刃を握り込んでいた。
意思を無くした人形。
出店が立ち並び主婦達が街路で世間話をし男達が精を出して仕事をし、その隙間を縫うように子供達が駆け抜けていく。
そんな明るくありふれた日常で見かけたならば、その姿は異様であったのだろうが、今この場においては生気を失ったその姿は周囲に実に良く馴染んでいた。
なにせ、生気のないモノなど辺りに掃いて捨てるほどある。
赤い。紅い。朱い。
それは死体を炙りゆく炎の色であり、人だったものから流れゆく血の色だった。幾つもの軍旗が血化粧を施され、あるいは火の粉を飛ばし果ててゆく。
母親父親姉妹兄弟友人他人友軍敵軍老若男女、ありとあらゆる死体がそこにはあった。
果たして自分は、何故こんなところにいたんだっただろうか。何をするでもなく、人形はぼんやりと一人立ち竦んでいた。
数多の同類に周囲を覆い尽くされながら、それらを踏みつけ陥れ。
赤。紅。朱。
氾濫した泥水の如く塞き止めなく怨嗟が続く世界。
ちりちりと、血が、炎が、熱が、肌を焦がしていく。
救いのない光景の中にあって、ああ、と唐突に理解した。
ここは、地獄だ。
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