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現代新書

日本の伝説を調べたら、驚きの「縄文世界」が浮かび上がってきた

これまでにない列島文化論

ある衝撃的な発見

船を住まいとした漂海民、山中に庵を結んだ箕づくり、放浪する芸人や修験者――日本列島の周縁には、つい数十年前までさまざまな漂泊民が生きてきた。かれらに心惹かれるのは私だけではないだろう。「私たちの知らぬところに、私たちとは別の世界が存在」してきたという民俗学者の宮本常一の言葉に、どれほど胸をときめかせたか。

かれらの漂泊性、呪能、芸能は、しばしば縄文と結びつけて語られてきた。はたしてそうなのか。縄文文化の終焉から二千年以上経つ。それは根拠の薄弱な、縄文に仮託されたロマンにすぎない。考古学の研究者である私はそう考えてきた。その私が今回、海辺、北海道、南島という列島の周縁や漂泊民のなかに縄文の思想が生き残ってきたという、『縄文の思想』(講談社現代新書)を上梓することになった。

本書の核をなすのは、周縁の人びとが共有してきた縄文神話の議論だ。数年前の私なら、縄文神話という言葉を聞いただけで強いアレルギー反応を示しただろう。考古学は物証による確認が困難な問題に強い自制を働かせる学問だからだ。そのような課題にあえて挑戦しようと思ったのは、ひとつの衝撃的な発見がきっかけだった。

 

ある日、アイヌの神話・伝説を調べていた私は、おもわず目を見張った。そこには『古事記』『日本書紀』『風土記』の海民伝説と共通するモティーフがいくつもあったのだ。なぜ神話・伝説が共通するのか。なぜ古代海民とアイヌなのか。これまで誰も指摘したことのないこの事実の発見が、二千年を生き抜いた縄文という、予想もしなかった結論へ私を導くことになった。

海の神のサメやシャチが、高山の山頂に坐す山の女神のもとへ往還する――古代海民とアイヌに共通する伝説のひとつだ。この伝説はかれらの他界観を反映していそうだ。というのも、かれらの他界は地下にあり、海辺の洞窟を入口とし、高山山頂を祖霊や神の世界への出口とするからだ。つまりこの伝説は、生者である海の神が山頂に坐す亡き妻を訪ねる、他界への往還伝説とみられる。

この気づきは強力な磁場となり、さまざまな事実を引き寄せていった。たとえば、海と山を往還する祖霊や神の世界観、洞窟を他界の入口とする観念は南島にも存在する。

興味深いことに、この同じ他界観を共有する海民、アイヌ、南島の人びとは、縄文習俗のイレズミ、抜歯、縄文人の形質的特徴を弥生時代以降も長くとどめた。共通する伝説についても、縄文起源の伝説と考えてみることができるのではないか。