一年を振り返って (2017)
めまぐるしい一年でした、
そして、こんなに忙しい年もありませんでした。
聡太に始まり羽生さんで終わるという、
将棋界にとってこんなに隆盛の年はなかったのではないでしょうか。
聡太29連勝を成し遂げた上半期はその話題で日本中を席捲しました。
将棋をご存じない方も聡太ファンが多く生まれました。
聡太に関する記事は全部とっている方、すべてのグッズを集めている方、
耳にしただけでもとても多かった。
この十四、十五歳、
その中学生の輝きは多くの人々の瞳に映ったことでしょう。
羽生さんも昔、中学生棋士として颯爽と登場しています。
二十五歳だったか、7冠王達成時は本当に格好良かった。
そして今回、永世7冠の偉業を達成。
出会いとしては、
初夏、牧社長宅で行われた藤井聡太ファン同好会において、
講談「藤井聡太物語」を聴かせてくれた旭堂鱗林さんとは嬉しい出会いでした。
ラジオにも呼んでいただいたり、教室のクリスマスにも足を運んでいただいたり。
葵寄席での「ふみもと物語」は笑いながらも恥ずかしさから人陰で聴きました。
次回は「こばやしかずき物語」に乞うご期待と仰っていましたよ^^
夏は北へ旅し、
一戸君と再会することができたのも嬉しいできごと。「北紀行Ⅱ」で少し書いてみたい。
一年の内には怪しい事もありました、
書きたくない事でも書かなければならない時もあります。
その人物は音もなく接近してきた、しかも私が断りにくい方を介して。
ただの一度も会った事もなく一本の電話ももらった事がない。
棋士の弟を持つその人物はアマ強豪。
「教えたい」という。
その旨を生徒の父親に伝え、月日と共に忘れかけていた。
この年の瀬、教室への所用で訪れた父親の表情が少し重い。
用件の後、その顛末を少しお話してくれたのです。
授業前であったので後日詳しくお聴きしたく「元町コーヒー」での再会を約しました。
その日は父子でお会いし、
生徒の表情は重いものがあった、らしくない、そう想った。
父親は真摯に話し始める、
「教室の他の生徒にもそういう事があってはならないと思いあえて話させていただきます」
父親はその人物に「通う事はできませんから」と言ったが、
とにかく一度来てほしいと云われ彼の家まで父子で訪ねたという。
そして何局か指した後、
お払い箱のように、クールな感じで帰されたという。
そのことが少年の気持ちに影を落とした。
父親はこちらからお願いした訳でもないのにその対応に憤慨されたという。
そして「強い子がいたら教えてほしい」とも云われたという。
この失礼さはなんだろう、、
強い子たちを物色している。
そんな事をせずに自分でゼロから子供に将棋を教え育てればいいではないか?
過日、棋友の松田さん、山田さんと会った時、
「クズだ」その話を知った松田さんはつぶやいた。
最後に、
「君に非は全然ない、非は向こうにある」
「僕はその相手をいつか将棋で倒します」
「そうだよ、君なら必ずできる」
別れるとき彼の表情は瘧(おこり)が落ちたように明るくなっていた。
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