核兵器が爆発すれば、どうせみんな死ぬのだから、訓練に何の意味があるのかとも言われている。しかし、日本は訓練に意味があることを教えてくれる。広島の近距離生存者2人は爆心地から260メートルの地点で生き残った。銀行の建物だった。長崎では100メートルの距離で少女が生き残った。地下の防空壕(ごう)だった。爆心地から遠ざかるほど生存確率が急上昇する。ある地点が瞬間的な行動によって生死が分かれる境界線となる。奇跡ではなく確率で示せることだ。北朝鮮の核兵器が強ければ強いほど境界線も爆心地から遠くなる。しかし、どこか境界線は存在する。生死を決定づけるのは無条件で働く反射神経だ。この反射神経は自然には鍛えられない。訓練しかないのだ。
ところが、韓国では「訓練しよう」というと、「不安を助長する」と攻撃を受ける。4カ月前の民間防衛訓練(民防衛)に合わせ、「今回はしっかりやろう」という趣旨の特集記事を掲載した。インターネットでは「扇動だ」という反応が多かった。ネットユーザーの反応だからそうなのだとも思った。しかし、行政安全部(省に相当)の長官までもが先ごろ、そんな発言をした。北朝鮮の核攻撃に備える訓練について、「政府が危険を助長しているという誤解と不安感を生みかねない」と述べたのだ。国民の安全に責任を負う長官の発言だ。五輪を控えているだけに深刻なことだ。北朝鮮の核の脅威に備えようと言うと、五輪妨害勢力扱いされる。