11月9日、東京大学の本郷キャンパスで学生に語りかけるニトリホールディングス会長の似鳥昭雄氏(東京都文京区) 流通業の地位を向上させ、新たな「ロマンとビジョン」を育ててほしい――。ニトリホールディングス(HD)の似鳥昭雄会長は毎年、東京大学で学生に向けた講義を開いている。テーマは「流通と経営戦略」。2017年に開いた7回の講義では、親交がある小売業の一流経営者たちも講師として参加した。一流の経営者たちが授業を通して学生たちに伝えたかったことは何なのだろうか。東大での授業を聞き、似鳥氏の思いに迫った。
■東大での講義、3年目に
「私は23歳で会社を始めた。2017年12月で50年になります。これから、大学生である皆さんが社会に出て40年、50年をどう生きていくのか。私の経験を参考にしてもらえたらうれしい」
似鳥氏は90分間の講義と60分の質疑応答で、ニトリを創業した1967年からの歴史、今のチェーンストアを取り巻く外部環境、自身のモットーである「ロマンとビジョン」まで、熱く語りかけた。似鳥氏が、この講義を通して伝えたかったのは、主に2つのことだという。
■「皆さんは東大生、私は劣等生」
1つは「事業を起こすにあたり、何が困難でどう乗り越えたか」だ。講師として招いたほかの経営者にも「失敗談を話してくれ」と頼んだという。30期連続で増収増益を続け、売上高が5000億円を突破して、家具小売りで国内最大手となったニトリHD。大企業を一代で築き上げるまでの道は、決して平たんではなかった。
「皆さんは東大生でしょう。私は劣等生でした。高校受験はすべて失敗し、夜学になんとか潜り込んだが、成績はいつもベストスリー。もちろん下から数えてです」
「大学ももちろん受からず、替え玉受験で合格できた。いつも裏の道ばかり行ったんです。詳しくは飲んだときにでもお話したい」
「就職した広告会社も半年でクビになった。(何もかもうまくいかず)死のうと思って始めたのが家具屋」
若いときの壮絶な経験をユーモアを交えて次々に披露し、教室には終始学生の笑い声が響いた。
創業後、商売がうまくいかず、あきらめかけたころに訪れた米国での見聞が、「劣等生」だった似鳥氏の人生を変えた。「日本にも住まいの豊かさを伝えたい」というロマンを抱いた似鳥氏は、夢に向かってひたすら走る日々を過ごすことになる。「ビジョンとは、100人中100人が無理だと思うことだ。努力してできるものなんてビジョンとはいわない。常に目標は100倍発想だ」という、失敗を乗り越えて築かれた独自の価値観は、学生の心を打ったようだ。
授業の後、学生からは、「失敗してもなんとか乗り越えてきた過去を聞いて、ロマンとビジョンが大切だという話に納得した」「自分も100倍単位で目標を立てたい」という声が聞かれた。
■流通業界、「根性」より「科学と論理」
学生らで埋まった東大の教室 2つ目の思いは、「流通・小売業こそ、科学と論理で成り立っている」と伝えることだ。似鳥氏には、業界のイメージについて納得いかないことがある。「根性論」が根強く残る業界という見方だ。「流通にはどうしても、頑張るとか、根性とか、『頭を使わない』イメージがある。しかし、実際はメーカーや銀行に負けないくらい、数字を追求する仕事だ」と話す。
ニトリでも、質問には必ず数字で返すことを徹底しているという。顧客が求める安くて質のいい商品を提供するにはどうすればいいのか。何百もある1日のオペレーションをどのくらいの人員で回せば、効率がいいのか、徹底的に数字で解明していくという。「『頑張る』といっている流通業者はうまくいかない」というのが、似鳥氏の持論だ。
9月から11月にかけて開いたこの講義、講師は7回とも全部異なる。登壇したのは、楽天の三木谷浩史会長兼社長や「すき家」などを運営するゼンショーホールディングスの小川賢太郎会長兼社長など、名だたる経営者ばかりだ。似鳥氏は自ら直接、講師を引き受けてくれるよう頼んだという。忙しい経営者も「似鳥さんが声をかけてくれたから」と時間をやりくりしたようだ。
■就職で不人気の流通、「情けない」
似鳥氏は、東大のほかにも母校の北海学園大学で6年、早稲田大学で5年など、あちこちで講義を続けてきた。ここ10年以上、忙しい日々の合間を縫って、大学生と過ごす時間を確保してきたという。
似鳥氏が、大学生にこれほどまでに熱い思いを寄せる背景には、「流通業の地位があまりにも低い」という問題意識がある。流通・小売業は生活に欠かせない産業だが、就職先としての学生の人気は、とても高いとはいえない。
マイナビと日本経済新聞社が共同で調査した「2018年卒 大学生就職企業人気ランキング」では、流通・小売りで100位内に入ったのは、ニトリ(32位)、イオングループ(52位)、三越伊勢丹グループ(72位)など数社にとどまっている。
似鳥氏は、自らの会社については「5、6年前は100位以内に入るのも夢だった。そこからずいぶん頑張ってきた。もっと順位を上げていきたい」と話すが、業界全体の現状には「情けない」という思いを抱いている。大学での講義は、流通・小売業への理解者を増やし、優秀な人材を招き入れて業界を盛り上げていく布石でもある。
■講座が育む「起業家」の芽
東京都文京区にある東京大学の「赤門」。ここから飛び出していく起業家は増えるか この寄付講座の参加希望者は、年々増えている。1年目の講義の参加者は延べ約500人だったが、3年目の17年は経済学部の3、4年生を中心に大学院生なども加わり、1400人を超えた。立志伝中の経営者の話を生で聞けると、先輩の口コミが広がったという。大学院の経済学研究科に通う男子学生は「東大の学生生活で一番おもしろい授業だった」と話す。
東大での講座は5年間で一区切りとなる。似鳥氏は「東大には、ロマンとビジョンに共感してくれた学生が多い。『自分も起業したい』『もっと教えてほしい』と連絡先を教えてくれた学生もいた。私は攻めこまれるのが大好き。自己アピールは大歓迎」と顔をほころばす。起業の志を植え付けるため、今後も様々な大学での講義を検討していく構えだ。企業の成長を左右するのは人材。今、スタートアップ企業に熱い視線が送られるが、彼らに必要なのは「君にもできる」と背中を押す先輩経営者たちの存在なのかもしれない。
(松本千恵)
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