日本の広島の原爆被害者のうち、「近距離被爆生存者」と呼ばれる人たちがいる。爆心地から500メートル以内で生き残った人たちのことだ。当時そこにいた2万1000人のうち1年以上生存した人は10%に満たなかったと推定される。ある日本人医師が27年後、生存者78人を探し出し、それから40年にわたり彼らの一生を追跡した。2014年時点で生存している近距離被爆者は12人。母の胸に抱かれていた生後5カ月の女児は69歳になった。97歳という高齢の人もいる。天寿に近づいたとも言える。
彼らが被爆したのは、銀行、保険会社、学校など鉄筋コンクリート造りの建物だった。他の幸運も重なっただろうが、熱線と放射線を致死量以下まで遮ってくれた建物の材質が最も重要だ。走っていた電車の中で生き残った少女もいる。満員電車で1人だけ生き残ったのだ。他の犠牲者が少女の上に折り重なり、原爆の熱線を直接受けなかったからだ。
広島の奇跡は多くのことを物語る。警報が鳴り響いた際、コンクリートの建物の内部や地下に飛び込んだ人の運命は地上をさまよっていた人とは異なってくる。もちろん全員が生き残れるわけではない。生存確率がはるかに上昇するという意味だ。現在韓国は空襲警報後の余裕が最長で5分だ。それを逃したとしても、最後の瞬間に両親が子供に覆い被されば子どもの命を助けることができる。韓国人の精神文化ではおそらく多くの両親が悲劇の瞬間にその方法を選ぶはずだ。