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宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 1月 1日(月)11時06分57秒
  2018年.
明けまして、
  おめでとうございます。

年頭にあたり、
尊き同志の皆さまに、
    御書の一節を贈りたい。


国府尼御前御書、


「 日蓮を恋しく・おわしせば、

常に出ずる日、
夕べに出ずる月を拝ませ給え、

いつとなく日月に、影を浮かぶる身なり、

又、後生には霊前浄土に・

参り会い・参らせん、

南無妙法蓮華経  」

( 1324頁 )


これこそが、師弟一体の信心であり、

誠の師弟の、真の姿である。


この1年は、本当の意味での、

自分自身の信心が、

自分自身の師弟が、

自分自身の魂が、

試される1年である。


信心も、師弟も、魂も、

目で見る事は出来ない。


しかし、我々、凡夫は、
目で見る事も出来ないモノを、

或いは、
幹部だから信心強盛なはずだ。

或いは、
先生と近くで、
会っているから師弟不二であるはずだ。

又は、
幹部だから、広宣流布への不撓不屈の魂があるはずだ。

等と、

誤解し、錯覚し、妄想に囚われて来た。

今、その毒物の迷いから目覚め、

日蓮大聖人が説き明かして下さった、

大宇宙に拡がる生命の唯一絶対の法則を信じ、行ずる、
最高の幸福境涯を得る大歓喜の信心、

先生の絶対平和思想、
慈悲と平等に裏付けられた
世界の識者との対話を通し、

師匠の心を識り、その思想行動に肉迫する精神闘争により得られる師弟一体、師弟不二の精神、

そして、
崇高にして、
決してブレる事のない、

不撓不屈の魂を創造する1年の幕開けである。

偉大な師匠を、カタチだけ祭り上げ、

その実態は、

先生の平和と慈悲と平等の思想を破壊し、会員を査問し、除名し、搾取する邪教・原田学会の

魔性の洗脳から全学会員が解き放たれる年である。

目で見る事の出来ない心の世界、精神の世界をこそ、

日蓮大聖人の仏法は教えているのである。

そして、その心の世界、
一念の世界が、試される1年である。

大聖人の時代、
大聖人の御弟子、高僧6人は、平時は皆、素晴らしき弟子であられた。

しかし、師匠が大難を受けられ、

弟子に迫害が起こり来たった時、

第六天の魔王は、
巧みに、弟子の身に入り、

或いは、
貪瞋痴(とん.じん.ち)の生命を盛んにして、慈悲の信心を破り、

慢疑(まん.ぎ)の生命で、
唆(そそのか)して師弟不二の信心を捨てさせた。

御本尊・師匠たる先生と、
自分自身の間には紙一筋の何ものも入れざるが誠の信心なるを、

或いは、御本尊と自身の間に、無機質な組織と言う悪魔をまことしやかに入れて、
その間を遮(さえぎ)り、

師弟不二と言う
如我等無異(にょがとうむい)の不二の間に、邪智邪心の幹部なる悪魔を入れ師弟を分断した。


2018年は、
幹部だ、財務だ、選挙だのと、成仏とは全く無関係の仏法破壊の毒物に騙され続け、搾取され続け、

功徳や幸せ、喜びから見捨てられた組織人間との決別の年である。

心の世界には、
時間も空間もない。

いつでも、どこに居ても、
師匠を思い、慕う純粋な不二の一念さえあれば、即座に通じる。

「 蔵の財よりも、

身の財すぐれたり、

身の財より、心の財第一也 」

(1173頁)

と。

昭和54年、7つの鐘が打ち終わった年から、先生は、日蓮大聖人の仏法の根本義たる
「心の財」獲得の戦いに、

全会員を導かれる予定であられた。

それを、先生を会長から引きずり下ろして阻止したのが、今の執行部でもある。

今年は、

御本尊様と自分、

池田先生と自分、

と言う本来の信心に立ち返り年である。

誰かに、依存するのではない!

どこか、別の組織に行くのでもない!

誰かを通して、先生を見るのではない!

自分と先生であり、
自分と御本尊である。

その絶対不二の確立こそ、
師が望まれた弟子の姿である。

一人一人が、池田先生、直系の弟子であり、横並び一線の弟子の陣列であらねばならない。

事ある毎に、連携する事はあっても、統率者は仮であり、その時々に変わって行く。

かつて、先生が1995年に提案され、秋谷ら大幹部共の猛烈な反対により表に出る事無く消された、

「 役職振り出しローテーション 」御構想に近い考えである。

ともかくも、2018年は、
御本尊様と自分、
池田先生と自分、

を確立する事に依って得られる最高の喜びを、
全ての方々が得る1年であると申し上げたい。
 

南無公明党佛如来にして、北朝鮮撲滅戦争なるぞょ!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2018年 1月 1日(月)10時35分42秒
  わが筆先は大本の艮神のお告げである。戒壇の大御本尊様の神託である。南無公明党佛如来にして、北朝鮮撲滅戦争なるぞょ!日本製長距離巡航ミサイルSOKA1号に日本製プルトニウム爆縮原爆を装備してピョンヤンを一撃するのだ!南無公明党佛如来佛。南無公明党佛如来佛。南無公明党佛如来大菩薩様。  

初夢

 投稿者:末端信者  投稿日:2018年 1月 1日(月)10時19分54秒
  おめでとうございます。

「わからないこと、納得できないことは、
何でも率直に言ってよいのである。
また言っていくべきである。
少しも恥ずかしいことではないし、
間違ってもいない。互いに聞き、互いに答え、
納得しながら進んでいくのが正しい人生であり、
同志の在り方である。」(第13回婦人部幹部会)

それでという訳ではないのですが、

前から思っていたことです。
嫌な初夢をみて、思い出しました。

夢の中で、嫌な思いで苦しむことは、
転重軽受の罪障消滅になるのでしょうか?

ご意見を投稿して頂けると嬉しいです。



 

今週のことば 2018年1月1日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 1月 1日(月)10時05分48秒
  世界一の創価家族は
妙法と共に「日々発心」
青年と共に「日々挑戦」
宝友と共に「日々前進」
皆が栄え光る一年に!
 

安倍自民党と御用ジャーナリスト・評論家③

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 1月 1日(月)06時51分37秒
編集済
  (英語記事 Japan's #MeToo Moment)の日本語訳が掲載されています。

>「小さな変化を感じます」レイプ被害を訴えた伊藤詩織さんが語る現状
http://news.livedoor.com/article/detail/14102303/

学会内でも特に女子部・婦人部の感性は鋭いものがありましょう。公明親父や女性議員でも電通に顔が効くような総理追従ゴルフ議員や
庶民とは縁遠い店でのスシ友が牛耳るような党の体制につかりきっている方々はそのあたりも初心に帰り、御用ジャーナリスト逮捕が
寸前で中止になったことを真摯に受け止めるべきですね。


安倍自民党と御用ジャーナリスト・評論家 ②  投稿者:新感性  投稿日:2017年12月24日(日)19時38分28秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77760
 

予断!

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 1月 1日(月)05時31分31秒
   【明け方までの丑寅唱題ー南無公明党佛。   投稿者:ドミサイル信濃町の入居者   投稿日:2018年 1月 1日(月)04時40分26秒
   丑寅唱題で一夜を明かしたぞよ。南無公明党佛如来にして、北朝鮮撲滅戦争を祈念せん。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。全面戦争なるぞょ。東京は北朝鮮の水爆弾道ミサイルの着弾で焼け野原となれり!】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/78026

 ブラックユーモアなのでしょうが、↓こういう時代です。
 【創価学会施設前で警備員をナイフで切りつけた少年を逮捕 警視庁   投稿者:地獄耳   投稿日:2017年12月31日(日)11時12分53秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77999

 30日午後5時半ごろ、東京都新宿区信濃町の創価学会関連施設前の路上で、少年(19)が30~40代の男性警備員2人にナイフで切りつけた。2人は右腕や腹部を切られ、全治10日~1カ月の軽傷を負った。警視庁四谷署が傷害の疑いで少年を現行犯逮捕した】

 予断や切り込む隙を与える言動は、慎むべきではないでしょうか。


 

明け方までの丑寅唱題ー南無公明党佛。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2018年 1月 1日(月)04時40分26秒
  丑寅唱題で一夜を明かしたぞよ。南無公明党佛如来にして、北朝鮮撲滅戦争を祈念せん。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。全面戦争なるぞょ。東京は北朝鮮の水爆弾道ミサイルの着弾で焼け野原となれり!  

新年あけましておめでとうございます

 投稿者:不軽菩薩が理想  投稿日:2018年 1月 1日(月)00時58分40秒
  皆様の心強いコメントに日々励まされております。本年もよろしくお願い致します。  

功徳溢れる一年に。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 1月 1日(月)00時09分29秒
  池田門下の皆様へ

本年が希望が輝く、功徳溢れる幸せな年になりますように… 正義の人が守られますように。

今、師匠を叫び声をあげる弟子の皆様に、きっと先生なら…

「ありがとう。嬉しいよ。忘れないよ。」

そう声をかけて激励してくださるでしょう。










 

『使命』の重さ

 投稿者:mission  投稿日:2018年 1月 1日(月)00時00分23秒
編集済
  『自分の“命”を、いったい何に使うのか』
その事を深く我が心に刻んだ一年でした。

『師弟』としての大目的に生き抜くと自覚した人生は、“何ものにも屈しない”と大きく境涯を開く事が出来ました。

これも管理人様はじめ、宿坊の皆様からの投稿から学べた お陰です。
本当に ありがとうございました(^^)
これからも宜しくお願い致します。

 寝たきりオジサン様、お返事が出来なくて ごめんなさい。
温かくして お過ごし下さいね。



 

会長・副会長・教師・準教師の皆さま~~12月31日迄の折伏弘教成果を発表して下さいよ~!!

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年12月31日(日)23時56分1秒
  査問祭りやって、気にくわない会員減らすだけの頭弱い学会員では困ります!
会員減の数百倍の折伏弘教を成し遂げてこそ、「直弟子」の名に相応しい会員ですよー

会員増だけではなく、創価学会にとって逸材を見つけ出して育てることの出来る「直弟子」の皆さん方ですからね。きっと、本日迄に数百人の新入会者がいらっしゃるでしょう。是非、新年明けの本部大幹部会では、壇上役職者全員のリレー体験談(もちろん折伏弘教拡大の)をお願いしますね。楽しみにしてます、くれぐれも下っ端会員を落胆させるような、目線逸らしたような話はしないでくださいよ~!!
 

良いお年を

 投稿者:匿名希望  投稿日:2017年12月31日(日)23時33分34秒
  皆さま、1年間ありがとうございました。

いろいろな意見を拝見し、いろいろ考えさせられました。

一人ひとりを大切に。

との、池田先生のご精神を伝えてまいります。

良いお年をお迎えください。
 

怪死といえば

 投稿者:新感性  投稿日:2017年12月31日(日)22時12分7秒
編集済
  追記  投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年12月31日(日)19時14分3秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/78013

怪死といえばそれより少し前にも別の疑獄事件を捜査する検察から秘密を知るキーパーソンとも
目されていた渦中の大物政治家の運転手氏の不可解な自殺等もありましたね。
後の「褒め殺し」騒動の中での総裁選候補者の不可解にも思える異常な
おびえは一体何だったのでしょうか?



パナマ文書報道記者殺害  投稿者:新感性  投稿日:2017年10月18日(水)06時03分51秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/75594
 

よいお年を。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2017年12月31日(日)21時05分12秒
  みなさま、今年もありがとうございました。

宿坊のおかげで福運あふれております。(^^)

お題目たくさんあげたら、新たな素敵な出会いがありました!

楽しい!財務の金額とお金の功徳、全く関係無いみたい。常識はずれの功徳いただきました!

先生違背幹部、安部政権の極悪非道に国民一人ひとりが気づきますように。

来年もよろしくお願いいたします(^o^)/

原田会長も、査問、除名なんて池田先生に反逆なんか止めて、早く折伏できるといいですね。ニッコリ。
 

まなこさんへ

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年12月31日(日)21時01分29秒
   なまこ、いやまなこ(笑い)さん、長期間の連載、まことにまことにありがとうございました。

 この半世紀も、またさらに次の半世紀、一世紀も、この「21世紀への対話」が人類の「古書」“辞書”となることでしょう。
 月並みではありますが、まなこさんとって、良き年でありますように。




 

皆さま良い年をお迎え下さい。

 投稿者:通行人  投稿日:2017年12月31日(日)20時29分53秒
  来年も拝見させていただきます。
どうぞよろしくお願いします。
 

今年もありがとうございました

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月31日(日)19時59分19秒
  今年も残すところあと数時間ですね
今年もありがとうございましたm(_ _)m

ところで、今年学べたことですが「他化自在天」ですね
とはいえ御書を通してしっかり学べてはいない段階だけど
来年は「他化自在天」についてしっかり押さえていきたいですね
どうやらそれが解決のキーとなりそうですから
個人レベルでも地域レベルでも創価学会としても

「他化自在天」という言葉は宗門のC作戦での学会員側に多く見られました
当時は信仰のなんたるかさっぱりわからない中だったから意味がわからなかった
今ならもう理解しようとすればできる段階と感じます

ともかくも今でも成長できてるのはみんなのおかげなんです(^^)

ありがとう!

そしてよいお年を!

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

現代の竜女伝説

 投稿者:平田真吾@南里Guyメール  投稿日:2017年12月31日(日)19時53分40秒
 


不二の歌として聴きなおすといっそう感慨深い。

『竜女にしっかり見つめられているようで身体中に力が漲る!』

 とは、友の弁。しかり…

https://youtu.be/PaOWCz1JGcs



 

追記

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年12月31日(日)19時14分3秒
  なお、気鋭のジャーナリスト・吉原公一郎氏(1928年生まれ)がS常務自殺から約半年後に著した
『謀殺 ××常務怪死事件』(ダイヤモンド社)では、検死解剖の所見、事件当時の報道等を精査し
タイトルが示すとおり警察発表の「自殺」に疑義を唱える所論を展開している。

心臓をキリで一突きしてから高窓をよじ登ってビルから飛び降り、、、などと難儀な死に方は無理があるだろう。。

当掲示板を御覧の下っ端ジキホーガキ諸君よ…。
不労所得で暖衣飽食、人生イージーモードでこの先逃げ切れるとの甘い考えは、いいかげん捨てなさい。
組織というものは何処の世界にあっても、いざとなったら、いざとならなくても非情だじょ~~

 ――――― ―――――

 それでは、2017年も残り数時間で終わりますが、皆々様の益々のご健勝を微小ながら祈念し、
 明2018年が会の内外を問わず「善の連帯」を組むすべての方々にとって紛うかたなき「栄光の年」となる確信を抱いて本年の書き納めと致します。

 一層の良いお年を!
 

確証を得ないことを望んでいます

 投稿者:新感性  投稿日:2017年12月31日(日)18時48分27秒
編集済
  新感性さんへ  投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月31日(日)18時13分39秒

学会による会員査問情報には、事実関係の客観性を有する公明党関連報道と異なり
注意は要されます。
今回「査問寅之助 」様がアップされた通知書の画像はよもや捏造品とは思われないので
私はレスしましたが、他の出所が不明確なものや個人からの発信の範疇と
思われるものなどは本当に上層部がそう言ったのかどうかの確証を私は得ていません。

というか「査問の本格推進」「ふざけた財務」などの発言に確証が持てたら私は速やかに
脱会しますよ。無教会主義ならぬ無組織主義で信仰を保ち続けます。
もちろん不条理なことを強要されれば闘うことも忘れません。

将来ともどもそのような確証を得ないことを望んでいます。


査問は安易な投げやり方策  投稿者:新感性  投稿日:2017年12月31日(日)16時25分52秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/78007
 

如蓮華在水

 投稿者:月の砂漠  投稿日:2017年12月31日(日)18時45分20秒
編集済
  年末テレビから流れる暗澹たるニュース、
一年を振り返る、トンデモ・ニュースの総決算、
忖度と弱い者いじめのオンパレード、
悲しみと怒りは、諦めと惨めな気持ちへと変っていく。

希望を吸い取るブラックホールは大きな口を広げて、
人々の善意を飲み込んでいく。
不正の濁流は勢いを増して、正義の人々の
心をへし折っていく。

そんな時代に僕らは生まれた。
それは偶然ではなく、この閉塞した時代を自ら選んで、
僕らは生まれてきたのだ。
“悲惨”の二字をなくすため、自ら選んだ場所において、
「柱となる」、「眼目となる」、「大船となる」との誓願を胸に、
地涌の菩薩は出現したのだ。

君は正確な感性を持って、人々の声に耳を傾けている。
君は正義と慈悲の心で、起死回生の次の一手を待っている。

君よ、呼吸するたびに、悲しさと悔しさで涙が溢れ出す、
第六天の魔王の所領において、自身の使命を忘れることなかれ。

君は、時代の波に流されるために生まれてきたんじゃない。
君は、邪悪な人々に翻弄されるために生まれてきたんじゃない。

第六天の魔王とその手下を打ち倒し、
善良な人々を幸せに導くため、正義の人々を守るために、
生まれてきたのだ。

朝な夕なに、御本尊に向かい、究極の法を唱える時、
その法を唱える声の主体、
その法を聞く主体、
その法を見る主体、
その法を感じる主体、
その主体の心は宇宙の生命と一体となり、
妙法の波動、幸せの波動を世界の隅々まで広げていく。

この人、あの人に、この国、あの国の人たちに、
目の前のあなたに、すれ違ったあなたに、まだ見ぬあなたに、
妙法の波動を送り続ける。
身口意に全身全霊を込めて、
エールを送り続ける。
自身の無限の可能性を信じるように、
あなたの無限の可能性を信じる。

淀んだ沼泥に染まらず、高貴な花を凛と咲かせる
蓮華のように、
世間の虚偽と虚飾、無関心に染まらずに、
真実の花を咲かせよう。
君と僕の名も無き花を咲かせよう。

卒寿を目前にして、師は満々たる決意を述べられた。
「不思議なる霊山一会の愛弟子たちと共に、
末法万年尽未来際までの地涌の義を決定づける」と。

さらに、師は呼びかけられた。
「君たち、貴女たちよ!
自らが地涌の勇者の「一人」と立ち上がり、
壁を破って成長しよう!
自ら大切な「一人」の友を見つけ、
心から励ましていこう!
自らがいる場所から、対話と友情の種を蒔き、
信頼と安心の花園を広げようではないか!」と。

我ら地涌の菩薩の陣列は、
師匠・池田先生と同じ決意で新しい一年に臨む。
師と共に、喜び勇んで舞を舞いながら、
末法万年尽未来際までの地涌の義を決定づける。


以上


今年一年も当板の管理人様をはじめ、
皆様方にはお世話になりました。
特にコメントを頂いた方々、ありがとうございました。
いつもその方々に感謝の気持ちを込めて投稿しています。
来年もよろしくお願いします。
 

会社の生命は永遠・・・か? 1979年の遺書

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年12月31日(日)18時36分43秒
編集済
   ―――『同時代史としての「54年問題」』へ向けての覚え書き④―――

信濃町界隈を獅子身中の虫が跋扈していた頃、世上を賑わせていたのが日米間での軍用機売買に関する一大疑獄「ダグラス・グラマン事件」。
岸信介、中曽根康弘ら大物政治家の甚深なる関与が囁かれたこの事件にあって、疑惑の核心にあった巨大商社の航空機部門担当のS常務が1979年2月1日・朝、自身が社長を務める関連会社のあるビルから“投身自殺”を図り死んでいるのが発見された。
「4.24」の82日前の出来事。
公式に確認された9通の遺書のうち、社員一同に宛てたものが以下の通り。

 ―――――

 〇〇〇〇(社名)の皆さん。
 男は堂々とあるべき。
 会社の生命は永遠です。その永遠のために私たちは奉仕すべきです。
 私たちの勤務はわずか二十年か三十年でも、会社の生命は永遠です。
 それを守るために男として堂々とあるべきです。
 今回の疑惑、会社のイメージダウン、本当に申し訳なく思います。
 責任とります。
                        一月三十一日夜

 ―――――

享年56だという。阿部日顕氏や北條浩氏などと同世代か。。
役員でなければ55歳定年制が主流だった時代。二十歳で終戦を迎えた人ならそろそろ会社員生活からのリタイアを控えたこの時期に、運悪く複雑怪奇な疑獄事件にもてあそばれ自ら命を絶つことになった。
「滅私奉公」の対象を国家から私企業に切り換え、「わずか二十年か三十年」の勤務を全うしたうえでの結末がこうである。

当掲示板にて再三再四説かれる「組織主義の弊害」。
三代会長を放逐した信濃町官僚のみならず、時代背景や世相を顧み、あの時代を生きた一人ひとりが背負ってきたものに目を向け、人という生き物は組織なるものに何を求め、自分の何を投影するのか、また、してきたかを冷静に省察していかねば、浅薄にして感情論が先走る勧善懲悪のゲームに忘我するだけのことだろう。。

依拠する集団があっての自分…との発想を乗り越えられるか?
自己を組織と同一視し、組織の枠組みの中に愛憎織り交ぜて自己を投影する“偶像”を創り上げていないか?
人はそれを「個人崇拝」と呼ぶ。

若気の至りとはいえ、憎悪の刃を振りかざし他者を傷つける前に、
自己を抑圧する主体は外にはなく常に己自身であることを心に銘じよう。
 

新感性さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月31日(日)18時13分39秒
  こういう査問というのは牧口先生や戸田先生が受けた「難」に見えるんですよね
こんな査問する側って牧口先生や戸田先生が受けた「難」を知りませんと威張って言ってるようなものですね
だいたいにして「宗教」になってない活動でしょこれって

除名するあなたには仏性などないですから学会から出ていってください、という「敗北宣言」に等しい
乞食のバラモン宣言でしょうか

「査問」をする幹部さんは自覚は難しいほど途方もない業を積むことになりますよ
まして4人組なんかは想像を絶するね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

管理者様

 投稿者:新感性  投稿日:2017年12月31日(日)16時43分58秒
編集済
  お手数をかけることをお詫び申しあげます。

あるお方の1979年問題関与への私の誤認識(記憶違い)が判明しましたので画像リンクを含めた当欄全文を自己消去しました。
つきましてはまいど恐縮ですが、この欄(前欄ではありません)の削除をお願い申しあげます。
 

査問は安易な投げやり方策

 投稿者:新感性  投稿日:2017年12月31日(日)16時25分52秒
編集済
  新感性様  投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月31日(日)11時50分22秒

どうもです。別に私に謝罪する必要はありませんよ。既に消された記事への違和感を少し述べたまでです。

違和感といえばこちらの画像のほうがはるかに大きいですね。

通知書  投稿者:査問寅之助  投稿日:2017年12月31日(日)14時24分27秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/78003

インターネットの投稿については投稿者実名ならともかく査問でそれを確認なら
内心の自由への踏み込みが懸念されます。もしヴァーチャル投稿の内容が問題であり
投稿者を今後の処分や裁判提訴に向けて突き止めたいのであれば、安易な査問ではなく
発信者開示請求で行うべきでしょう。
また査問で書き込み者特定の確認が行われるのであれば、特異と思われる査問環境の中での強要性もあとあとも問題となりますね。
弁護士はそのあたりはどう指南しているのでしょうかね。

また警察による公的な査問でも冤罪はつき物です。あまりにしつこく聴かれたからつい
事実でもないことを自白してしまった事例は現在までも枚挙にいとまがありません。
まして宗教団体が査問で事を進めることの理不尽さや得策でないことは冷静になればやってるほうも分かるのではないでしょうか。

被査問者が実名で投稿された場合も査問の不適切性は変わりありません。同じ上層部批判の実名投稿でも処分をされる人とされない人が生じる以上は感情での査問指令になってくることは避けられませんね。
査問して詫び状を強要する古めかしい手法が人権意識も進んだ現代において通用するとでも思っているのでしょうか。

以下は後編集です。

確証を得ないことを望んでいます  投稿者:新感性  投稿日:2017年12月31日(日)18時48分27秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/78012
 

個の、、、いたいけない少壮の御方のお心の背景を忖度せょ^^;

 投稿者:sasakiメール  投稿日:2017年12月31日(日)15時46分33秒
  30日午後5時半ごろ、東京都新宿区信濃町の創価学会関連施設前の路上で、少年(19)が30~40代の男性警備員2人にナイフで切りつけた。2人は右腕や腹部を切られ、全治10日~1カ月の軽傷を負った。警視庁四谷署が傷害の疑いで少年を現行犯逮捕した。
http://www.sankei.com/affairs/news/171231/afr1712310003-n1.html
 

The Logic in the place 様

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年12月31日(日)15時26分19秒
編集済
  大変、貴重な投稿、ありがとうございました

いつも楽しみにしていました

関係者の方
是非、アーカイブで、読めるように
よろしくお願いします

追伸
「通知書」アップありがとうございます

「極悪と投稿…云々」ですが、
執行部は極悪と投稿された内容について
反論もしないで、一方的に処分するのですか?

宗教の正邪は「問答」して決めるべきではないですか?

執行部は自分達が「正義」と思うならば
正々堂々と「問答」されたら、如何でしょうか?

これでは
「権力を嵩に着ている」と思われても仕方ないのでは?

「権力を嵩に着る権力者」と戦い続けたのが
大聖人であり、創価三代の永遠の師だと思います
「処分」ではなく「問答」をお願いします
そして「問答」は中継して下さい

開かれた宗教として、是非お願いします

 

よろしいのでは

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月31日(日)14時41分56秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/78000

>御三方に確認したところ、あの筆者からは取材も受けておらず、不適切な表現が目立つとのことでした。<

うん、あのヤフー記事文面からは元職員3名さんへ取材しての記事内容でないことはわかっていたけどf^^;
そうかといって悪意でもってやってる行為ということでもない、そう感じたから何もコメントしなかったけど

自由に評価して頂いてよろしいんじゃないでしょうか(^^)
賛成だけ、あるいは反対だけ、という状況はかえって世論の衰退を示してしまいますからね

元職員3名さん方は全体的にはちゃんと理解者を勝ち取れる状況となりつつある、そう感じてるんですが
そうはいっても一朝一夕でできることじゃないでしょうから

ほんとがんばってますよね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

通知書

 投稿者:査問寅之助  投稿日:2017年12月31日(日)14時24分27秒
  執行部もこうなりゃ終わり  

40.乞眼の婆羅門

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年12月31日(日)12時54分42秒
  乞眼(こつげん)の婆羅門(ばらもん)

 多くの小説が日本にもあるが、時代の激しき、流れゆく中にあっても、なぜか夏目漱石の小説は不動である。その夏目漱石の作品の一つに『門』という長編がある。その冒頭に、主人公の宗助が首をひねりながら、「何うも字と云うものは不思議だよ」という一文がある。「近来」の「近」の字をどう書くか分からなくなって細君に聞いた。
「近江のおうの字じゃなくって」
「その近江のおうの字がわからないんだ」

 どんな易しい字でも、疑い出すと分からなくなってくる「不思議」。それでいて調べてみると、まことに味わい深い語源を探り当てたりする。しこに、表意文字としての漢字のもつ妙味があるといってよい。
 難しくその語源まできわめなくても、一目でわかるものもある。たとえば躾(しつけ)である。身は美しいとは、これはまた見事な字面ではなかろうか。躾の行きとどいた動作は美しく、いつ接しても清々しい印象を与えるものだ。

 この躾について、私には、嬉しい思い出がある。今から八年前(昭和四十八年)の四月、万葉の面影をとどめる大阪・交野市に、創価女子学園がオープンした。私も創立者として出席し、晴れの門出へのはなむけとして、五つの提案をしたのだが、その一つが躾であった。円滑な生活リズムを身につけるには、若い頃からの躾がとくに女の子の場合は大切であると考えたからである。
 幸い、学園の先生方も私の意を汲み、若木に適度の肥料を与えつづけて下さっているようだ。学園を訪れ多くの来賓の方々の口から、すれ違う生徒たちが皆軽く頭を下げて通りすぎる礼儀正しさに驚いた、などという言葉を聞くと、創立者冥利に尽きるといっても過言ではない。

 ところで躾とは、広い意味で訓練、練磨にも通じていよう。若い時代の人格形成には、こうした“鍛え”が絶対に欠かせないのだが、今日では老若を問わず、この気風が失われつつあるように思えてならない。



 中国の古典『呂氏春秋』に、人間を評価する際の心得として「八観六験」ということが述べられている。八観の方は省略するとして、ここでは六験について触れてみたい。験とは試験、実験とあるように「ためす」という意味である。

「およそ人を論ずるには・・・之を喜ばせて以て其の守を験し、之を楽しませて以て其の僻を験し、之を怒らせて以て其の節を験し、之を懼れしめて以て其の特を験し、之を哀しませて以て其の人を験し、之を苦しましめて以て其の志を験す」と。

 喜ばせて守を験す ― 守とは守るの義、信念ともいえよう。
有頂天になって信念を忘れていないかどうか。
楽しませて僻を験す ― 僻とはクセである。楽しみにのみ、のめりこんでしまっては落第である。
 怒らせては節を験し ― 節とは程合い。怒りのあまり我を忘れるようでは、ひとかどの人物であるとはいえない。
 懼れしめて特を験し ― 特は特立、独立に通じ、自らの所信を貫いて一身を持することをいう。守にも以て、特の人とは信念の人である。
哀しませて人を験す ― 人とは忍、つまり忍耐をさす。
苦しませて志を験す ― 註釈の必要はあるまい。獅子は我が子を千尋の谷底へ突き落とす。

喜び、楽しみ、怒り、懼れ、哀しみ、苦しみと、およそ人生のあらゆる試練の場に立たせてみて、それに耐えられるかどうかで人間を見よ、人物について評価を下せというのである。
「八観六験、これ賢主の人を論ずる所以なり」と。


 まことに古典の説くところは、含蓄に富んでいる。私も、恩師と共に戦った十年間は、厳愛に包まれてほとんど叱られ通しの日々月々であった。振り返ってみるほどに、懐かしくも尊い青春の幾歳月であった。それだけに、少年期、青年期の“鍛え”の重要さは、五体にたたき込まれている。その大恩の万分の一にも報いようと、私もまた、恩師のもとにひとたび決めた道を、まっしぐらに疾駆していきたいと念願新たな昨今である。

 「大智度論」に、“乞眼の婆羅門”ということが説かれている。
 釈尊の弟子の中でも智慧第一といわれた舎利弗は、過去世に六十劫もの間修行を続けてきた。これを見た魔王が、何とか修行を妨げようと、婆羅門の姿となって舎利弗の前に現れ、眼を乞う。これも仏道修行と、舎利弗が一眼を与えると、手にした婆羅門は「くさい」とツバをかけ、地面に捨てて足で踏みつけてしまう。馬鹿らしくなった舎利弗は、試練に負けて、せっかく積み上げてきた修行の道から退転してしまうのである。


 躾のような身近な問題に始まり、さまざまな面にいたるまで“鍛え”の気風から縁遠くなった現代である。そうした軟風に染まることなく、烈風に敢然と立ち向かう人生でありたいものだ。一生をどのように送ろうと、人生の最終章のバランス・シートは、だれでもない、自分で引き受ける意外にないのだから ―
最終回『主婦と暮し・昭和56年6月号』掲載



* 昭和五十三年三月から昭和五十六年四月二十日(はしがき)まで計四十回連載された「つれづれ随想」を四十日で投稿致しました。
 昭和五十四年問題を理会する主題に併せて、よく読み解く読者は、理会されたと思います。躾なく読解力の無い方は、スルーして結構です。

結論は、
  『軟風に染まることなく、烈風に敢然と立ち向かう人生でありたいものだ。一生をどのように送ろうと、人生の最終章のバランス・シートは、だれでもない、自分で引き受ける意外にないのだから ― 』




 

悪政の見本市

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年12月31日(日)12時16分30秒
  自衛隊の次期主力戦闘機F-35。

既に42機の導入が決まっているが、日本政府は更に数十機を追加でお買い上げ。一機160億円だ。

その内の一部を、「自衛隊の空母」に搭載するため垂直離着陸型F-35Bにするらしいが、そもそも「自衛隊の空母」という概念からして異常なのだ。

しかし最悪だ。まさか数十機も追加注文するとは思わなかった。
注文済み42機の内の一部をF-35Bに変更するのかと思っていたが甘かった。
まさに「聞きしに勝る」とはこの事だ。

日本国民の窮乏など何処吹く風、「武器購入に関しては」まさに金に糸目をつけぬ安倍自公政権だ。

おかげさまでアメリカの軍需産業は大喜び。
日本の貧困層の命を削って、トランプに盛大にゴマをするアベジ公だ。

オスプレイのボーイング社などは、株価が年初比で87%上昇。上場以来最高値を記録したそうだ。(失笑・怒)

F-35やイージス・アショアのロッキード・マーチン社も27%上昇。

その他の軍需産業も軒並み絶好調で、ウハウハ言っているらしい。


アメリカはそもそも軍需産業が国の基幹産業。日本の爆買いのおかげで国家財政も潤うだろう。

北朝鮮は元々貧しくて、ミサイル開発に金を注ぎ込んでいるとは言え、全体の0.6%ほどと言われている。

結局最もワリを食うのが日本と韓国。
特に日本は、そのウチ国家財政が破綻するだろうと言われている。
1000兆円以上も借金がある国がこんな金の使い方をしているのだから、そりゃそうだ。

そもそもイージス・アショアなど、今頃予算化したところで何の役に立つ。
北朝鮮ミサイルは明日飛んで来てもおかしくないのだ。


来年9月の自民党総裁選に向けて、額賀派(55人)と石破氏が協調の動きを見せはじめているらしい。
こういう反安倍の動きは大歓迎だ。

来年はアベとダーハラを追い出して、世界に冠たる、平和国家日本再興の初年度にして行きたいものだ。


 

新感性様

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月31日(日)11時50分22秒
  新感性さん、ご指摘ありがとうございました。あれは消しました。
あの文章を私は、読者は彼らを造反と読み、ヤマトモらと同じと受けとめることはないと思っていましたが、読解力不足だったようです。
御三方に確認したところ、あの筆者からは取材も受けておらず、不適切な表現が目立つとのことでした。すみませんでした。

何か動きが加速しているように見え、私はついスタンドプレイに走りがちです。
『創価学会会員、元創価学会職員 共謀罪を語る』である男性が語っていることが正しいと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=NKocp-QBuFs&feature=youtu.be
『人間 池田大作』最後の「一人ひとりに平和の種、幸福の種、信頼の種、自分らしい人間の種を植えていくことです。それが21世紀の運動だと思うのです。もう程遠くても、それしかない」「道、遠くてもそれしかない」。
やはり「道、遠くてもそれしかない」のだと思います。丁寧にやっていきます。明年もよろしくお願いします。
https://www.youtube.com/watch?v=_F4ue-C8oLM
 

創価学会施設前で警備員をナイフで切りつけた少年を逮捕 警視庁

 投稿者:地獄耳  投稿日:2017年12月31日(日)11時12分53秒
  30日午後5時半ごろ、東京都新宿区信濃町の創価学会関連施設前の路上で、少年(19)が30~40代の男性警備員2人にナイフで切りつけた。2人は右腕や腹部を切られ、全治10日~1カ月の軽傷を負った。警視庁四谷署が傷害の疑いで少年を現行犯逮捕した。

http://www.sankei.com/affairs/news/171231/afr1712310003-n1.html

 

管理人様・皆様に感謝・・・

 投稿者:黄金柱  投稿日:2017年12月31日(日)11時09分0秒
  一年間、有難う御座いました。

お久しぶりです。我が家にとっても大躍進の年でした。
組織から離れ早6年9ヶ月。掲示板に出会い3年。様々な方がこの掲示板を通して学び、感激、感動、衝撃、激怒、奮闘、前進、悪を喝破し!
出来たのではと思っております!

昨日我輩の所にも県トップの無能職員が数年ぶりに言い訳付けて参りました。
通り一遍の話(探り)をして帰りましたが、急速な創価の衰退には理解してはいたが相変わらずそれで如何する考えは無い!
あんた等地方幹部に言ってもしょうがね~が。このままだと一気に創価は崩壊するだろう!
と言ってやったら不思議にも認めていたが、だから頑張るしかない。。??
こんなもんだった。。

結局何しに来たのか・・?

さて我が家も、明年こそは結果の出せる一年にして参ります!(大功徳の前兆あり)また全活動家が創価執行部の異変に気付き(発迹顕本)出来る年に誓願の祈りを定めて邁進して参りますので宜しく御願い申し上げます。

最後に先生・奥様と御子息様と皆様の御健康・長寿・功徳倍増をお祈りし、本年最後のご挨拶とさせて頂きます。有難う御座いました。

 

埼玉の会館うんぬんの「出頭」命令文書らしきものを読んだけど

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月31日(日)10時01分31秒
編集済
  埼玉文化会館で査問するから出頭せい!という内容の命令書らしき文面をあるところにて読んだけど

あの文面のどの辺りが「宗教」なのか理解に苦しみました
まるで架空請求詐欺の文面みたいですね

どうして命令書文面が架空請求詐欺文面と「似て」しまってるのでしょう?f^^;
「悪事を自覚してるから」に他ならないでしょうね

文面自体が「他化自在天」をやりたいと主張してますよね
それでわかったのだけど
4人組の本尊は『御本尊様』ではなく「他化自在天」なんじゃないか
それでこれまで掲示板に出た話をみていくと、スッキリ理解しやすかったり

4人組は「他化自在天」を本尊としてるから、4人組に連なる人もまた「他化自在天」を本尊にしてしまうことになるように仕向け、それが「血脈」となって会員にまで浸透してしまったんですね

本尊を「他化自在天」でなく『御本尊様』に戻すのが好転するキッカケになるでしょうか
個人においても地域においても、はたまた「創価学会」においても

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

二十一世紀への対話 訳者あとがき

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年12月31日(日)08時33分29秒
  本書は、アーノルド・トインビー博士と池田大作創価学会会長の間で行なわれた対談の日本語版である。対談は通訳を介して英語で行なわれたので英語版がいわば原著になるが、編集は日本で進められたので、原著よりも邦訳版が先に出版されるということになった。英語版は Choos Life - Dialogues between Arnold J,Toynbee and Daisaku Ikeda という題名で近く発刊の運びである。また、それに続いてフランス語版、ドイツ語版、スペイン語版、中国語版なども刊行の予定と聞く。
二人の対話者については、いまさら紹介するまでもなく、アーノルド・トインビー博士は今世紀最大の歴史家・文明批評家の一人、池田大作氏は日本が生んだ偉大な宗教的・文化的リーダーである。両者の人となり、思想については、ともに数多くの著作を通じて広く知られているので、ここではふれない。また、本書の内容についても、トインビー博士自身が「序文」のなかできわめて適切に要約されており、あえて付言する必要はないと思う。
全体として、本書の作業は、実際に行なわれた対談の録音テーブ再生から始まり、リチャード・L・ゲイジ氏による編集をへて、翻訳(邦訳、英訳)という順序で進められた。原書における池田氏の発言部分の英訳は、編集者であるゲイジ氏が担当された。私たち数名からなるメンバーが担当したのは、トインビー博士の発言部分の邦訳である。この依頼を受けたのは、一九七二年五月、第一回の対談が行なわれた直後、池田氏が帰国されてまもなくのことであった。その後、第二回対談が七三年五月に行なわれ、内容はさらに充実した。
邦訳にあたって、私たちは録音テープを何度も聴き直したが、これはじつに楽しい作業であった。ともに現代を代表する両対話者の声をテープで聴くのは、心躍る思いであった。現代世界の抱えるあらゆる難問題を、縦横無尽に、よどみなく、高度な表現で論じ合い、それぞれに明快な回答を与えていく――。あるときは現代科学の最先端の問題を論じ、あるときは国際政治を論じ、またあるときは人類の歴史を何千年も遡り、あるいはまた仏教哲理の奥義にまで立ち到る――両対話者のそうした語り合う姿が、目に浮かぶのであった。
本書の原題 Choose Life  は、『旧訳聖書』の「私は生と死、および祝福と呪いをあなたの前に置いた。あなたは生を選ばなければならない。そうすれば、あなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう」(申命記第三十章十九節)から引用して、トインビー博士が付けたものである。原題通りに訳せば、『生への選択』などとなったであろうが、検討の結果、日本語版としてはむしろ原題から離れて、『二十一世紀への対話』とした。また、本書中の各項目のタイトルについても、できるだけ原タイトルに近づけるよう
努力したが、ときには内容を汲んで意訳したり、別な表現を用いたものもある。たとえば、Imminent Doom は「終末論に対して」、Demise of the Local State は「地方国家解消論」、Soon No One Will Want to Be King は「王制の将来」などとした。ただし、トインビー博士の発言部分の訳については、当然のことながら、厳正を期したつもりである。むしろ、正確を期すのあまり直訳に過ぎて、日本語としての生硬さが残り、意に満たない個所もある。読者諸氏の御叱正をあおぎたい。
また本書には、訳者註は一切付していない。それによって対話の流れが損われるのを、極力避けたためである。したがって、本文中の( )内の部分も、すべて対話者自身の発言である。
翻訳上苦労したのは、やはりトインビー博士特有のいいまわしと、その基本概念を示す用語の表現の仕方だった。creative minority,rich minority,poor majority などは、それぞれ“創造的少数者”“富裕少数者”“貧困多数者”に、また challenge and response は“挑戦と応戦”にと、おおむね従来の翻訳書の訳語を踏襲したが、たとえば“究極の霊的実在”とも訳せる ultimate Spiritual Reality については、本書では“究極の精神的実在”に統一した。また nationalism は、トインビー概念では“民族主義”よりも“国家主義”に近いと思われるので後者をとったが、単に“ナショナリズム”とした個所もある。
とくに難解をきわめたのは仏教哲学に関するもの、なかんずく生命論のところであった。しかし、これについては池田氏が日本語のまま表現したのを受けて、トインビー博士もそのまま使用していることが多く、その点では、だいぶ手間が省けた。たとえば“十如是”は Junyoze(The Life Factors)、“慈悲”は Jihi(compassion,mercy)などと、原書でもローマ字で表記されている。なお、これらの仏教用語や概念に関しては、創価学会教学部主任部長の桐村泰次氏から、貴重な助言をいただいた。心からお礼申し上げる。
また、次の翻訳書ならびに著書を参考にした。あわせて謝意を表するしだいである。
『歴史の研究』(全二十五巻・経済往来社)『歴史の研究〈サマヴェル縮冊版〉』(長谷川松治訳・社会思想社)『回想録』(山口光朔、増田英夫共訳・同)『一歴史家の宗教観』『試練に立つ文明』(ともに深瀬基寛訳・同)『現代が受けている挑戦』(吉田健一訳・新潮社)『歴史の教訓』(松本重治編訳・岩波書店)『未来を生きる』『トインビーと“あなた”の対話』(ともに若泉敬・毎日新聞社)『トインビーと文明論の争点』(山本新著・勁草書房)『文明の構造と変動』(同・創文社)『トインビーの宗教観』(同編・第三文明社)『トインビー研究』(平田家就著・経済往来社)、その他。
最後に、未熟な私たちに本書の邦訳を委託してくださった両対話者、とくに池田大作氏の寛大な計らいに、深く感謝している。

   昭和五十年一月          『二十一世紀への対話』翻訳委員会
 

【下 完了】二十一世紀への対話 185

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年12月31日(日)08時29分36秒
編集済
  8 至高の人間的価値

【池田】 人間の行動の基準となる価値体系には種々のものがあります。たとえば、すべての価値は個人的な好みの問題であると主張する人がいます。また、社会体制のなかから生まれた価値の基準――財産、社会的地位、娯楽などの価値――を行動の規範とする人もいます。さらに、シュヴァイツァーが“生命への畏敬”と呼んだ概念に基づいて、貪欲の克服、愛、知識欲などを基準にすべきだという人もいます。
私は、このシュヴァイツァーの考えにも相通ずると思いますが、生命の尊厳に至上の価値をおくことを、普遍的な価値基準としなければならないと考えます。つまり、生命は尊厳なものであり、それ以上の価値はありえないという考え方です。宗教的にも、社会的にも、それ以上の価値を他に設定することは、結局、人間性への圧迫をもたらすことになるでしょう。

【トインビー】 おっしゃる通り、生命の尊厳こそ普遍的、かつ絶対的な基準です。ただし、この場合、“生命”という言葉を、宇宙の万物から分離した、あるいは半ば分離した、われわれ人間をその一種とする“生物の生命”というものに限定してはなりません。宇宙全体が、そしてそのなかの万物が、尊厳性を有するという意味で生命的な存在なのです。自然界のなかの、いわゆる無生物や無機物もまた尊厳性を有するわけです。大地にも、空気にも、水にも、岩石にも、泉にも、河川にも、そして海にも、すべて尊厳性があり、もしわれわれ人間がそれらの尊厳性を侵すならば、われわれはすでに自身の尊厳性をも侵していることになります。
私は、このことの真実性は、植物界、動物界、人間界はもちろんのこと、いわゆる無生の自然をも尊重するという古来の伝統をもつ日本人にとっては、きっと明白にわかっていることだと思います。この伝統は神道のなかに制度化されていますし、また、この伝統とともに日本人の強い美的感覚、鋭い審美眼がつちかわれてきたわけです。しかし、ほぼ百年前に西欧から近代科学技術を導入して以来、なかんずく、第二次世界大戦以後、驚異的な技術知識の増加、生産性の爆発的増大をみてからというもの、日本人も無生物的自然の尊厳を侵し始めています。
今日、人間の技術がもたらした自然の汚染に対して、世界的な反発がみられます。現在の世代は、人間が自然の尊厳を侵すことによって、結局は自らの尊厳を侵しているということを知ったわけです。私の知るかぎりでの日本の歴史、日本人の尊厳観――これは日本人の生活の特徴であり、外国人には深い感銘を与えるものですが――から考えてみますと、日本ではすでに環境汚染に対する反発がきわめて強いものになっているか、さもなければ、すぐにも強烈なものとなるのではないかと思われます。

【池田】 御指摘の通り、日本における環境汚染は深刻な社会問題となっております。環境汚染への反発は、その地域の住民の抗議運動として表面化してきていますが、まだ法的には、汚染源に対する十分な取り締まりが実施されておりません。
生物界、無生物界を含めた自然には、目に見えない“生命の糸”が、クモの巣のように張りめぐらされていて、本来は、全体として見事な調和が保たれています。人間といっても、その自然の一部であることには変わりなく、人間がその技術をもって無生の自然を傷つければ、それは人間自身を傷つけることになります。仏法では、このすべてを含んだ自然を――いな、大宇宙それ自体を――“生命”としてとらえているのです。
ところで、カントは「目的の王国においては、すべては価格をもつか、あるいは尊厳をもつかである。価格をもつものは、その代わりに、他の何ものかを等価物としておくことができる。それに反し、すべての価格を越えて尊いもの、したがって、いかなる等価物をも認めえないものは、尊厳をもつものである」と述べています。
生命が尊厳であるということは、いかなる等価物をももたないということです。何ものも、それと代替することはできないのです。いま人々は各人各様の価値基準をもつようになり、価値の多様化が叫ばれています。これは、人間が、たとえば国家主義といった狭い枠の価値観から解放された点では、望ましいことです。しかし、その価値の多様化を認めても、それを包含する共通の基盤となるべき価値観が必要なのではないでしょうか。そうした基盤がなければ、人間相互の信頼と協調は成り立たなくなってしまうからです。こうした包括的な根本の価値観をつきつめていくと、それは結局、人間としての価値であり、生命の尊厳ということになると思うのです。

【トインビー】 私はここでも、あなたの信条と仏教の生命観に共感をもちます。ただいまカントの著作の一節から引かれた、価格と尊厳の区別にも、啓発的なものがあります。価格とは相対的なものであり、価格をもつものはすべて、なんらかの等価物との交換が可能です。そこに貨幣の効用があることはいうまでもありません。
これに対して、尊厳――名誉といってもよいでしょう――は、相対的なものではなく、絶対的なものです。いかに価値あるものでも、尊厳や名誉と代替しうるものはありません。人間は、財産や社会的地位を得るために、いな、たとえ自己の生命を守るためであっても、自身の尊厳と名誉を売るようなことをすれば、他人から軽蔑されるばかりでなく、自らも自身を軽蔑することになります。尊厳や名誉の喪失は、道徳的・肉体的怯儒の代償です。尊厳は、何ものによっても代替できません。ひとたび尊厳を失ったら最後、二度と再び取り返しがつかないのです。
『新約聖書』の次の一節は、そのことを意味するものだと思います。「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買い戻すことができようか」(マタイ伝十六章二十六節、マルコ伝八章三十六~三十七節)
人間は、自己の尊厳を売れば、それを永久に失ってしまいます。また、他の人々の尊厳を重んじなければ、自己の尊厳をも失うことになります。つまり、他人に恥ずべき行為をとらせようとするのは、それが迫害によろうと贈賄によろうと、それ自体不名誉なことなのです。そうした迫害者、ないしは誘惑者は、倫理的に不条理な圧力のもとで、相手が自己の尊厳と名誉を守ることができようとできまいと、それにはかかわりなく、自分自身が尊厳と名誉を失うのです。

【池田】 おっしゃる通りです。結局、どのような価値体系を支持するかによって、その人の、人生に対する考え方が決まってきます。したがって、確立されるべき価値体系のあり方、また、それをどう実現するかが問題です。

【トインビー】 尊厳が、他の価値とは異なり、何ものとも代替できない絶対的価値であるという命題には私も同感です。さらにこの命題から、私は次のように結論したいと思います。われわれ人間は、自らの尊厳を自覚するならば、謙虚になるべきです。たしかに人間性は尊厳ですが、それはまだ不確かなものであり、決して完全ではありません。人間が尊厳であるのは、私心がなく、利他的で、憐み深く、愛情があり、他の生物や宇宙そのものに献身的である場合に限られます。貪欲で侵略的であるかぎり、人間は尊厳ではありえません。われわれは、人間の常として、貪欲で侵略的になりやすいのですが、これは恥ずべきことです。こうしたわれわれの倫理的行為における貧困は、技術上の業績の華々しさに比べるとき、一層屈辱的となります。

【池田】 人間生命は、他にかけがえがないという意味において、それ自体、尊厳です。しかし、いま博士がおっしゃったように、その生命を真実に、そして事実上、尊厳なものとするためには、人間一人一人の努力が必要です。自らの尊厳に対しては、自身が責任を負っているというべきでありましょう。
生命が他にかけがえのない尊厳なものであるという意識は、人間が高度な意識能力をもつ存在となった当初から、すでにあったと思うのです。ところが、現実のうえでは常に互いに憎しみ合い、傷つけ合う、醜い生命の葛藤の歴史を歩んできました。詮ずるところ、自己の生命の働きを、人々を傷つけるような醜いものではなく、すべての他の生命を慈しむ、美しいものにすることによって、事実のうえで人間生命を尊厳ならしめる以外にないと考えます。

【トインビー】 これまで、人間の倫理的行為の水準は低いまま、少しも向上を示しておりません。
しかし、技術的業績の水準は急カーブで上昇し、現代におけるその速度は、記録に残っているどの時代よりも急速です。そして、その結果、われわれの技術と倫理の格差は、かつてなかったほど大きく開いています。これは屈辱的であるだけでなく、致命的ともいえるほど危険なことです。
こうした現状に対して、われわれは恥ずべきであり、かつ、この恥辱感を忘れずに、尊厳性――それがなければわれわれの生命は無価値であり、人生もまた幸福にはなりえないその尊厳性――を確立するよう、一層努力しなければなりません。人間が熟達しているのは、たしかに技術の分野ですが、そこでは人間の尊厳は確立できません。人間の尊厳の確立がなされるのは、倫理の分野以外にありません。そして、こうした倫理上の目標達成は、われわれの行動が、どれだけ貪欲性や侵略性に支配されず、どれだけ慈悲と愛を基調としているかによって評価されるのです。
 

「十界互具」とは実に「十界同時の成仏」のこと!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年12月31日(日)06時54分6秒
編集済
   おはようございます。今年最後の投稿となるのでしょうか。皆さん、ありがとうございました。

 “貪り”は「餓鬼」、“瞋り”は内に向かえば「地獄」、外に向かえば「修羅」。だが、「畜生」の概念が意外とつかみずらいものです。“愚痴”とか“癡か”とはいうのも、鬱憤(うっぷん)やるせない状況としては思い馳せられるものの、心情を現わす言葉としてはいまひとつ不鮮明です。そもそもがどういう風貌のものなのでしょうか。

 「よからんは不思議わるからんは一定とをもへ、ひだるし(※空腹)とをもわば餓鬼道ををしへよ、さむしといわば八かん地獄ををしへよ、をそろししと・いわばたかにあへるきじ ねこにあえるねずみを他人とをもう事なかれ、此れはこまごまとかき候事はかくとしどし・月月・日日に申して候へどもなごへの尼せう房・のと房・三位房なんどのやうに候、をくびやう(※臆病)物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者どもは・ぬれるうるしに水をかけ そらをきりたるやうに候ぞ」(聖人御難事1190~1191㌻)

 「よくふかく」は餓鬼、「うたがい多き」は疑い、「物をぼえず」は“慢心”からくる修羅と言っていいのでしょうか。それからすると、「をくびょう」は“保身”から起る畜生だといえます。この四つに、「瞋り」を足せば、思惑「五鈍使」の貪、瞋、癡、慢、疑の揃い踏みとなります。

 「をくびやう」も、「物をぼへず」も、「よくふかく」も、「うたがい多き」も、「瞋り」も、奥底で求めているのはその“充足”の安心、安楽といえます。そこに“渇き”を癒すものがあるからです。「満足」すれば消え失せます。問題は、その“調和”の状態も安心、安楽に極めて似通っているということです。“調和”は、充足、満足と同じ状況です。ただ抑圧するだけでは、とどまりもしませんし、無くなりそうにもありません。

 「(※具足の)具とは十界互具・足と申すは一界に十界あれば当位(※その位)に余界あり満足の義なり、此の経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一に皆妙の一字を備えて三十二相・八十種好の仏陀なり、十界に皆己界の仏界を顕す」(開目抄209㌻)「妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり 此れを思い遣(や)る時んば満足なり 満足とは成仏と云う事なり」(御義口伝720㌻)。

 「十界本有」とか「十界互具」とは、実に「十界同時の成仏」のことです。十界各別がそのままで調和の当体となって、同時に「成仏」することを意味します。頭、首、胸、手、足の「五体」がそのままの姿で同時に「成仏」するということと同じです。十界各別が何か特別な存在になることではありません。十界各別は、そのままでこそ、その機能を発揮することができる尊い存在なのです。

 ニコチンなどの“中毒症状”は、良くも悪くも、ある種の“調和”の状態だといえます。それで、身体は安定を保っています。だから、そこからなかなか脱しきれません。「喜び」があったからでしょう。“調和”の“渇き”を癒す“慈愛”が同時に必要だということです。“慈愛”が“渇き”を癒します――これが秘策と言えば、秘策でしょうか。そこに“安心”“安楽”があります。“慈愛”を感じます。そして、同時に“渇き”をもいやし、満足もする、ということでしょうか。

 「喜び」ののち、“安心”“安楽”を得る“貪り”も、「生命」の実感としては、“貪り”の“渇き”を充足させるものと同種のものであるといえるのでしょう。「煩悩即菩提」の原理と同じです。いまさらのように、仏法は深い!と感じます。
 【2017・12・31/7:37 見惑→思惑に訂正】


 

新宿

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年12月31日(日)00時37分22秒
  ニュース見られた方いらっしゃいますか?  

さあ、年末まで丑寅勤行ですよーー

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年12月31日(日)00時35分43秒
  ダーハラ含む査問祭りする連中は、勤行も唱題もせずに愛人宅に入り浸り優雅に豪勢な年越しをされています。
それでは、我々下っ端会員は、深々と深い祈りを続けましょう!
祈りと信ずる心が有る限り、我々は大きく境涯を開き、新時代が到来します。怠け者は笑い飛ばしていきましょう!!
 

感謝!(・∀・)

 投稿者:フロム関西  投稿日:2017年12月31日(日)00時24分15秒
編集済
  今年も一年お世話になりました!

個人的に功徳を沢山いただきました!

そして、自分の周りに目覚めた人

増えましたd(≧∀≦)ナイス☆

来年は鮭(サーモンw)がキーワードかな?
 

創価学会施設侵入の少年暴れ、警備員2人けが

 投稿者:総括の場  投稿日:2017年12月31日(日)00時16分42秒
  30日午後5時半頃、東京都新宿区信濃町の創価学会の関連施設前の路上で、
刃物を持った少年(19)が、30~40歳代の男性警備員2人ともみ合いになり、
腹や腕に軽傷を負わせた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20171230-OYT1T50072.html

 

「造反の輪」?

 投稿者:新感性  投稿日:2017年12月30日(土)23時56分38秒
  【ポスト池田探る創価学会(2)】造反の輪、じわり広がる  投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月30日(土)21時28分57秒

異なるグループとはいえ前者のグループと同列に報じられたんじゃ後者の3人を中心とした
グループも迷惑なんじゃない?
リンクも同様です。

それとも所詮はその程度の「造反の輪」なのですか?

 

ネヴァー・ギヴ・アップ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月30日(土)22時01分38秒
  元職員のブログが更新されています。
『「9・23九州・福岡座談会」報告 ④ 完』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-158.html
>先生は、そうした状況にならないようにするために、『対話の世紀』だと言われてきたはずなんです。政治もその方向を向くべきだと。そういう悲惨な状況が起こらないように公明党をつくり“いかに『対話』を粘り強くやっていくか”っていうところを大事にされてきたのだと思うんです。そこに信仰の根幹があると思うんです。<

全くその通り!

“私の眠りを妨げる 悪魔と戦っていた 海に叫んでも 見捨てられたの”
“でも諦めない そう 諦めないから”
“そして あなたには負けない 地面に倒れるまで何度でも起き上がるわ”
“そう 諦めない 諦めないから そして あなたには負けない”
“地面に倒れるまで何度でも起き上がるわ そう 諦めない 諦めない”
“自分で道を探すの 家に帰る道を”
『ネヴァー・ギヴ・アップ』シーア
https://www.youtube.com/watch?v=PxjaUmaD2VQ

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

管理人様

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月30日(土)21時28分57秒
編集済
  お手数をかけてすみません。削除をお願いします。  

ようこそお起こしくださいました(^^)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月30日(土)20時49分9秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77984

苦しいなかがんばってる様子がよく伝わってきます

一閲覧者さんようこそお越しくださいました(^^)

自分の「足」で一歩一歩すすんでゆく
それが大切ですよね(^^)
よくわかります

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

宿坊の皆様一年間ありがとうございましたm(._.)m

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年12月30日(土)20時07分5秒
  栃木の久保田です。ヽ(^○^)ノ

今年も明日で終わりですね皆様一年間お疲れ様でした。m(._.)m

原田偽会長の大号令による査問と処分が話題になってますが、執行部の面々や手下どもは何様のつもりで居るのだヽ(^○^)ノバカ丸出しだな┐(-。-;)┌

勉強は出来るんだろうけど脳ミソ大丈夫かい?

鉛でも入ってるんじゃない?

まぁ腸も完全に腐りきってるんだろうからヽ(^○^)ノ

糞でパンパンの体を良く保っていられるよ!

谷川強姦魔はバイ菌や毒素を年中放出してるわけか!

腐りきった糞が顔や眼から滲み出てきてるから鏡を良く見ましょうねヽ(^○^)ノ

善良な人達、真面目な会員さんに査問だなんてこけおどしは今すぐやめよ(# ゜Д゜)

お前ら元々臆病なんだからヽ(^○^)ノ

これ以上やんじゃねーぞ(# ゜Д゜)クソども


 

(無題)

 投稿者:一閲覧者  投稿日:2017年12月30日(土)19時30分13秒
編集済
  早朝1時過ぎ、2時出の仕事に出る前に寿量品を読む時に如来というゆっくりした心の読みをもって読経していました。
自転車での1時間余りの通勤の中で、トンネルで寝ている人を見つけ、公衆トイレではリュックを忘れた人が居られて交番に届けて、放棄の為名前だけを告げ、(住処を書けば断っても必ず落とされた方に住処の連絡が知らされます。届けてあげただけでなく、過去に200万円の通帳やら30万円の仕事の道具を届けていただいたこともあります。)職場には遅刻しました。
職場では風当たりが悪く強迫観念が頭を支配しました。なので、仕事の延期は断わるつもりでいます。

忙しい為に生活が維持出来ているのみならず、パートタイマーでの2万5千円という手当てのおかげで、通常は6時前から午前中10時半までの仕事で14万円の収入です。
声楽について練習する時間だけはたっぷりあります。

今月の収入が延びたのは、母がいつも妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えていて、私自身、妙の一字を四六時中長く伸ばして引き題目を唱えながら仕事(息のみ)をしていた功徳だと思っています。

日達上人が達筆であったことに思いを馳せ、日有師化儀抄 (日達上人略解)をほんの少しだけ読んだ時に、信仰にはいついつまでにやめるとか際限をつけるのではなく、その時になって続けられなれば仕方ないということを考えた上で、あくまでも形式的にですが、昔のようにお題目を3回、4回、5回、7回と、唱えながら自転車を漕いでいます。

妙の一字の引き題目は、1回1回が勤行のつもりでいます。
声楽上、なんという字からの喉の開きが重要で妙とは開く義であり、妙の一字からの功徳の広がりが南無妙法蓮華経だと思っていますし、回数は例えば4回なら四菩薩や四波羅蜜だと思って数えてもいます。腹式呼吸など全く必要ありません。

如何に王法が賞罰を元としていようとも、26日の新聞にもあるように、生老病死の四つの苦悩をもって、我らの一身の塔を荘厳するんだという意気込みで、毎日みすぼらしい格好のままでも顔を上げて大勢の人混みの中を漕いでいます。
また福運とは女性に対してのもので、自殺願望や自分の健康を大切にしない飲食などを控えることを差しているように思います。
男性に対しては女性への感謝が必要なのではないかと座間の殺戮事件などから思うようになりました。

近頃はどのような劇の場面でも喜び悲しみなど到るところで落涙するという心の昇華を得ました。
うつ伏せになって嗚咽することすらあります。
現代社会では、縛られるだけではなく、自分というものを大切にしながら、戦争などの親の青春時代の無念などを思い、自分自身を昇華させていかなければならないというのが実感です。
私は今それに掛けています。
如何に諸天が動かなくとも、また、燈を灯す人こそ如来であるという自覚をもって釈尊と法華経と衆生の数限りない数の燈の如来という思いを懐いてもいます。
 

39.「弓矢」の絆

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年12月30日(土)19時03分38秒
  「弓矢」の絆

 春も四月という音律を聞くと、なんとなく暖かくのどかな感じをうけるものである。花びらを肩に受け、和服のお母さまに手を引かれながら、入学式へ歩みゆく小学生の姿は、なんともいえぬ絵のような抒情詩を思わせるものがある。
親のいない子供のことを思うと、あまりにも胸が痛むが・・・。
私も最近は、多忙であるが、そのあいまをぬって、できる限り、私の関係している小学校や大学に行くようにしている。
私はとくに中学生、高校生には、苦手な科目を避けないことが勉強である、また暴力だけは、勉強の、学問の世界であってはならないと忠告している。

二十歳になる浪人中の若者が、金属バットを振るって両親を殴殺 - この金属バット殺人事件は、日本全国の父母たちの心胆を寒からしめたといっても、けっして過言ではないであろう。
さる三月に開かれた初公判にも、定員の十倍近い傍聴人が長蛇の列をつくり、事件に対する関心が並々ならぬことを物語っていた。とくに最近は、教育危機が深刻化しているだけに、他人事として片づけておけない切迫感を抱いた親や教師も多かったにちがいない。

家庭内のトラブルによるこの種の事件は、外からはうかがい知れぬ入り組んだ事情があるもので、私も軽々には論じたくはない。
しかし、一連の経過を見ていると、一つのことだけは、まず間違いないといってよいと思う。それは、両親の間の亀裂が、そのまま若者の心のなかに、深い傷跡を残していったということである。
昨今のように、人の心の荒んでいる時代には、夫婦の絆こそ、子らの心を守る、最後にして最大の防波堤なのだ、との感を改めて深くしたものの一人である。


夫婦の絆といえば、ある婦人から、日蓮大聖人の御遺文集の一節の拝し方について問われたことがある。
というのは「女人は水のごとし・うつわ(器)物にしたがう・女人は矢のごとし・弓につが(番)はさる・女人はふね(舟)のごとし・かぢ(楫)のまかするによるべし、しかるに女人はをとこ(夫)・ぬす(盗)人なれば女人ぬす人となる・・・」
とあるけれど、夫婦といっても独立した人格、夫というものは妻にとって、どうしてこのような決定的な存在になるのでしょうか - とその婦人は言うのである。
「いや」 - 私は答えた - 「それは、夫婦の本当の意味の愛情というか、深い信頼感をおっしゃているのだと思う。大聖人はほかのところで『や(箭)のはしる事は弓のちから・くものゆくことはうり(竜)のちから、をとこ(夫)のしわざはめ(婦)のちからなり』と妻の果たす絶大な役割を教えられている。互いに弓のごとく、矢のごとく、それは夫婦の契りというものの、理想的なあり方を指摘していおられるのではないか」と。

 ふつう“鴛鴦(えんおう)の契り”とか“比翼の鳥、連理の枝”に譬えられる夫婦の絆の深さというものを考えるとき、私はいつも『戦争と平和』に描かれた一人の女性・ナターシャを思い起こさずにはいられない。

 生気に満ちて魅力的なこの貴族令嬢は、結婚後、華やかな社交界とはきっぱり縁を切り、ロシアの大地の匂いのする妻、母へと変貌していくのである。以前のナターシャとは別人のようであるが、彼女の日々は、どっしりとした自信に溢れている。夫・ピエールとの間の深く固い信頼の絆で支えられているからだ。
 ピエールは、ツァーリ(皇帝)の圧政に反発して、ある秘密結社に加わって運動している。そんな彼が、あるとき書斎で、友人を相手に活発な政論を戦わせている最中に、ナターシャがはいってくる- 。
「話の最中にはいって来たナターシャは、嬉しそうに夫を眺めていた。彼女は夫の言っていることを喜んでいたのではなかった。そんなことは彼女にはなんの興味もなかった。そんなことはみな、きわめて単純なことで、ずっと前から知っていることのように思われていたからである。(そんなふうに思われていたのは、彼女はそれが出てくる源 - ピエールの心をすっかり知っていたからである。)彼女はただ、彼のいきいきした、感激にみちた様子を見るのが嬉しかったのである」


 文豪トルストイの筆致は、さすがに見事な冴えを見せている。
 ナターシャの自信は、夫とあることについて同じ考えを持っているといった浅い次元のことではなく、もっともっと奥深い次元、つまり「それが出てくる源 - ピエールの心」を知り、信じているところから出てくるものである。この次元の労作業こそ、じつは人生における最重要の課題であることを、彼女は生きて知ったのだ。
 古今の文学を通じて、夫婦の絆というものを、これほど感銘深く見事に描き出した作品はまれではないかと、私は思っている。

 金属バット殺人事件に限らず、激増する中・高校生の校内暴力、家庭内暴力などを取り上げてみても、夫婦を軸とする家庭のあり方が、現代ほど問われる時代も少なくないであろう。
 もとより家庭内だけの問題として扱うにはあまりに裾野が広すぎるが、少なくともわが家だけは、砂漠のオアシス、荒野の安息所のように安心して憩うことができるよう、磐石に築き上げておきたいものである。
『主婦と暮し・昭和56年5月号』掲載
 

(無題)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月30日(土)17時36分56秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77979

コメント確認しました
僕のも消された理由はなんとなくわかるから大丈夫ですよ

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

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