半年ほど前に一人暮らしをはじめた。長く続いた居候生活がとうとう終わった。現在、アパートの一室で生活している。もっとも、あいかわらず場所は京都である。前の家もそれほど遠くない。区だけ変わった。
転がりこんだ当初、同居人には「二ヶ月くらいいる」と宣言していたが、なんだかんだで七年半いた。「上田は算数ができないのか」と同居人はあきれていた。
たしかに、二ヶ月と七年半はぜんぜんちがう。「二ヶ月くらい」という言葉にふくまれた曖昧性を、どれだけ好意的に取ってみても、七年半という数字は出てこないだろう。小学校で九九を学び、中高と数学を学び、大学の工学部まで出ておいて、二ヶ月と七年半のちがいも分からない大人になる。これが人生のふかしぎなのか。
引越しがきっかけというわけでもないが、しばらく文章を発表できていなかった。
このあいだ、グーグルに「上田啓太」と入れたら、「上田啓太 死んだ」とサジェストされた。反射的に「上田啓太死んだの!?」とおどろいたが、考えてみると、上田啓太というのは自分のことだ。一瞬、今ここにある肉体が何なのか、よく分からなくなった。
グーグル経由で自分が死んだことを知る。どことなく、ホラー小説っぽさがある。実はもう私は幽霊なのかもしれない。こういうの、意外と自分じゃ気づけないものですし。
とりあえず、ブログをようやく更新できた。書き手が幽霊だろうが、読んでるぶんには困らないでしょう。
しかし、ひさしぶりに自分のブログを見て気づいたが、最後に書いた記事のタイトルが、よりにもよって、「ヘラクレスオオカブトはずるい」だ。なんだか、昆虫に嫉妬して死んだ男みたいになっている。さすがの私だって、もうすこしマシな死に方をしたい。かっこ悪すぎる。「上田啓太 昆虫 嫉妬 死亡 なぜ」とかサジェストされてしまう。
今日は大晦日だ。もうすぐ夜の九時になる。
冒頭で一人暮らしをはじめたと書いておいてまぎらわしいが、今は、前の家にいる。同居人が帰省したため、ネコの世話を頼まれたのである。えさをやり、糞の始末をしてやった。もうすぐ年があける。ネコたちと一緒に2018年をむかえることになる。そして元旦の朝に、一人暮らしのアパートに戻る。同居人はたぶん、実家の奈良でおもちを食べていることだろう。
というか、もう家を出たから「同居人」という呼び名もおかしいんだが、このへんも考えねばならないんだろう。今後もブログに出てくるだろうし、いいかげん、適当な名前を付けなければならない。
なんとなく、いま、「杉松」というのを思いついたので、これにする。来年以降、元同居人のことは杉松と呼ぶ。あの女は杉松である。今後、日記に杉松という名前が出てきたら、「上田を長いこと住まわせていた女のことだな」と理解してください。
まあ、いまさら杉松とか名づけられても、長く読んでいる人は違和感で頭が破裂しそうになるだけかもしれませんが、なんとか、がまんしてください。私なんかすでに死んでるんだから、違和感で頭が破裂するくらいなんですか。なにごともガッツです。
それでは、もうあと数時間ですが、よいお年を。来年もよろしくお願いします。