こんにちは。
今年は年末から元旦の朝にかけて仕事となりました。まぁ普通の企業が休みの時こそ働き時っていうのが僕らみたいなネットワークやサーバー構築、保守などが専門のインフラIT技術者の宿命みたいなもんなので文句もいえません。こうなりゃ振替休日で思いっきり休んでやるぞ!と、気持ちを奮い立たせて業務にあたるのみ。
さて本題。先日話題になっているこの漫画本を買いました。
不勉強ながらこの本を読んだことはありませんでした。ただ、最近メディアでこの本が話題になり、文庫本を買おうと思っていたんだけどこの主人公の少年の「目力」に惹かれるものがあり、つい漫画本を購入。
この物語は潤一君という少年が語った日常経験を、元編集者のおじさんがそれについて感じたことや考えたことを会話や手紙などで伝え、そこで交わされた言葉をヒントにして現実にある難問に、潤一君が向かっていく構成。そのきっかけになったものはおじさんの引っ越しでした。編集者を辞めて自宅近くにやってきたおじさん宅への荷物運びを手伝った潤一君は街の案内をする中で銀座のデパートに立ち寄り、屋上から地上を眺めながら「人間は分子だ。遠くにいる人、僕やおじさんもこの世の中っていう大きな流れを作っている一部なんだ」と呟きます。おじさんはそれを聞き、潤一君に「コペル」というあだ名をつけました。
「君がこの世の中の一部分として自分を認識できたのはコペルニクスなみの大発見だ。だから君のことを僕は『コペル君』っていうあだ名で呼ぶことにした」
当時の天文学の常識を覆す『地動説』を発見した偉大な学者『コペルニクス』にちなむあだ名をつけられたことを誇らしく思いながらも、コペルニクスが学説の異端さぶりから時の権力の迫害を受けた人物であったことを思い出して『自分はその大きな世の中に生きる分子だけど、その世の中が誤った時は勇気を持って抗う立派な人物になれるか?いや、なりたい!』と心に固く誓い、学校に通うのだけどその時々で揺らぎます。いじめや同級生の貧困、そしていじめを見過ごせない友人がいじめ首謀者の兄貴により受けた暴力をきっかくに、コペル君は友人を徹底的な形で裏切ることに。
上級生はいじめの首謀者である弟の仕返しとして、校庭でコペル君の友だちに暴力を振るい「こいつの仲間がいたら出てこい!」と、大声で怒鳴りました。だけど、友人のことを思いながらも、コペル君は暴力が怖くて逃げ出した。その時に見た友人の蔑みの目がコペル君を責め続けるのです。正論や正義を掲げながらも現実を前に怯み、逃げ出した自分が許せない。おじさんとコペル君のお母さんはそんなコペル君に「人間の良心」について語りかけるのです。
コレは先日、僕が他人の「貧困」という不幸をネタにした番組で視聴率を稼げると考えるTV局やそれを見て他人の不幸を笑っているだろう視聴者に苛立って書いた記事です。人には様々な意見もあるのはわかるけど、「自分が報われないと考えている人たちが、自分よりも不幸な境遇の人のお金をめぐる争いを見て自分はコイツらよりまだマシだろうな。と溜飲を下げさせるのが目的」みたいな番組ってどうなの?と書かずにはいられませんでした。それについてはこういった反応も少なくくありませんでした。
この記事を書いた方は人の不幸は一緒に悲しまなければという聖人なのでしょう。是非日々不幸を生み出す社会への怒りと悲しみに浸りながら社会問題の解決に邁進なさってください(口だけでなく)。そもそもカイジを読む事自体に人の不幸を見て楽しむクズ的な娯楽要素があるはずなのですが、 「持たざる者「カイジ」が知略を駆使して自らを特別と思いあがる兵頭たちを荒唐無稽なギャンブルで勝利する姿が爽快かつ痛快なんだけども全編に漂う「金!」「金!」「金!」な世界観にゲンナリさせられることも多い」 漫画一つ読むのにこういう大義名分が必要なのですか。世の中金という世界観はダメですか。たしかに最近アニメとかの感想でも勧善懲悪じゃないとだめとか、もっとご都合主義に正しい人が報われて悪人が制裁を受けるエンディングじゃなきゃ納得できないとか、力を持つものは社会正義のために行動しなければならないとか、個人的な欲望や動機で生きてる登場人物が許せないとか言う人いるんですけど、なんか何事も正しくて規範通りじゃないといけないとか窮屈だなあ。
大義名分がないと作品を楽しめない人たち - niwaradiの雑記
クズじゃない人間てどれくらいいるんだろう。私個人の感覚では、出血大サービスで大甘に見積もっても、世界の総人口の9割近くはクズなんじゃないかと思います。いえ、そもそもクズじゃない人間なんているのかなとすら思います。
俺たちゃ人間のクズなのさ!暗い宿命(さだめ)を吹き飛ばせ! - ペンデュミオンの螺旋
ポストイットばりに小さくて薄っぺらい正義感やモラルを振りかざしながら、自分も理想と現実を戦わせて何度も負けながら、社会人をやってます。そのために働いてた業界を干されたことも、会社を追い出されたこともあった。
僕自身、末端の制作だったけどこの環境を見ていて「アニメ業界ってマジでヤバイ」っていう危機意識を強く持っており、先輩について仕事を覚える立場ながらいくつかその危機意識を語り、改善案を上司に提案させてもらったこともあったけどあたりまえながら上司には「生意気いうな!」と怒られるだけ。結局のところ、僕は会社から「お前いらない!」っていう話になって、アニメ制作をフェードアウトすることに。
アニメ業界で働いた体験から今後を考え、改善案を提言 - サブカル 語る。
40を越えた現在でも戦いは続いています。情けないけど理想と現実をめぐる戦いでは実際、負け戦になるのが圧倒的なクズ野郎。くやしいけれども認めざるを得ません。
だけど。理想論や正論、モラルって捨てたらダメなんだよ。自分のクズさを認めながらも少しでも聖人に近づくため、安いポストイットみたいな正義感を胸に抱き続ける。同調圧力などに負け、不正やウソ、裏切りなどに手を染める人を僕も否定できない。僕もこの社会でそれなりの不正やウソ、裏切りを行ってきた。だからこそ、その過去を悔いながらもやっぱりまっとうに生きていきたく思う。「お前だって正論を他人に吐けるほど、立派な人間じゃないだろ!」とか言われても、優等生な正論を吐きまくるよ。優等生な正論と現実をせめぎあわせて、自分なりのモラルを作って生きていく。大事なのはこういった理想論を持ち上げることではなくて、その理想をどういう風に自分のいきる現実に対して反映させるべきかを悩むことだと思う。この本を読んだ後、少しでも生活に活かそうなどと考えずに「感動した」「勇気もらった」とか能書きだけの奴らはウザい。
まぁ別にそんなのは他人に強制なんてするもんじゃない。ご自由に。
※何になるか、何をするかという結果もだいじだけど「どう生きる」かという課程を大事にして貰いたい。暑苦しいおっさんからの助言でごめんなさい。
君たちはどう生きるか ポプラポケット文庫 / 吉野源三郎 【新書】
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※漫画版は現在、80万部を超えるベストセラー。書いてあるのは確かに青臭い理想論だけど、この本が売れるってことはそれだけどこかでみんな青臭い理想論を求めているんだろうと思う。
今週のお題「2018年の抱負」