出発

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正直仕事の内容を理解せずに就職した。

高校の担任にここ行けばと言われ。今考えても不思議なんだけど、なんのためらいもなく、自分の一生を左右する就職なのに深く考える事もせずに導かれるように自然に就職してしまったという感じで仕事の内容など本当に理解していなかった。

どうやらこの営業所の仕事は大別するとふたつあって、ひとつは業務用と呼ばれるホテルやレストラン、当時まだ多かった喫茶店にアイスクリームや牛乳、生クリーム、コーヒーフレッシュなんかを卸す仕事。あっ思い出した面接で両親の仕事を聞かれ母親が自営で喫茶店を経営している事を言ったらなんか色めきだって席数どれ位、何坪とわけのわからない質問をされ答えに窮した事を思い出した。そしてもうひとつは家庭用と呼ばれていたスーパーや一般小売店まわりだ。当時はコンビニエンスストアもあったけど、まだまだ数が少ない頃で俺はまずはこの家庭用の配属になった。早速指導員の先輩社員と一緒に行動する事になった。秋田出身の吉田さん。素朴な感じなんだけど、どこか得たいの知れない感じがした。歳は俺の3つ上、当時の俺18歳、吉田さん21歳この頃の3つって今の俺の歳で言う10個位差のイメージがあったんではないかな?

とにかくこれからはなんでも指導員の吉田さんと一緒に行動する事となった。

外に出て出庫作業に加わった。

壁を四角く、くり貫いた場所にローラーコンベアと呼ばれるものがセットされその上を音を立てながら次から次へと商品が滑るように移動してくる。「ホイップ200ml」「コーヒーフレッシュP20」「コーンポタージュ500」「ラブリーカップカフェオレ」「平袋カレー極辛」その後、俺が苦しめられ、そして時には助けられ、一生懸命売ることになる商品との初対面。出庫作業は時間との勝負みたいな感じで殺伐としているのかなと思ったら結構、皆、軽口たたきながら作業していた。先輩達の掛け合いが漫才みたいでおもしろかった。俺も程なくして営業所のおもしろキャラとしての地位を確立し出庫の時間、話題の中心人物になるが、この時はそんな余裕がなかった。ローラーの先端で商品を受け取りそれをトラックの荷台にのせるのが仕事で今の俺ならこんなん仕事じゃなくて作業だとか言ってそうだけど、トラックの荷台、四角いコンテナ内では担当ドライバーが次から次へと運ばれてくる商品を自分が配達しやすいように並べている。実は忙しいそうにしているのはこのトラックのコンテナに乗ってる人とローラーから商品を運んでくる人、そしてそれをチェックする人の3人、あと大変なのは冷蔵庫の中に所狭しと、うず高く積まれた商品を出荷する役割の人だけであとは適当に自分の番がくるまで手伝っているフリをしているような感じでした。

今だったらこの一連の工程のどこに問題があって、ここがボトルネックだ!なんて言って改善しているかもしれないが人はどこでどうなるかわからないものである。

学生時代はパーマ頭やリーゼントだったが、一応わからなかったのでトサカも大人しめにしておいたけど、先輩達の髪型をみていて、なんだ遠慮する事ないんじゃん?とまたリーゼントな俺が復活するのには、そう時間が掛からなかった。

とにかく商品を積んで全コースの商品が積み終わるまで出発はできない。

全コースの商品が積み終わるとミーティングだ

お客様からの追加注文とか前日に電話で受けた案件がコンピューターのデーター用紙の使わなくなった裏紙を使用し器用に作られたノートにそれらは書かれている。

それでは事故に気をつけて今日も元気によろしくお願いします。

ミーティング終了後、出口でくるりと内側を向き「行って参ります。」と大きな声で事務所に向かって挨拶すると、そこかしこからいってらっしゃいの声が聞こえてくる。わけも分からず促されるまま助手席に乗ってコースをスタートした。

今はどこをどのようの走ったかあまり覚えていないけど千葉市内を巡回したことは覚えている。11歳まで千葉市内に住んでいたのである程度の地理は分かっていたがすごく器用に細い道をはいり、そして歳も3つしか違わないのに運転もうまいなと感心していた。

納品口の邪魔にならないところに車を停めると駆け足で裏口からスーパーの売り場目指して入っていった途中、鮮魚、青果のバックヤードを通るんだけど元気良くおはようございます。と挨拶して通って行った。うちの会社のメインの売り場は日配品売り場と呼ばれる牛乳とかと同じ売り場だ、ここにいくと売り場担当というパートのおばさんを紹介された。

その後わかるのだがスーパーの売り場の力関係ってまだ今程、チェーンストアでも本部主導ではなくて現場主義というかパートのおばちゃんがもの凄い権限をもっていた。

POSレジだのそういうのはなくてハンドラベラーと呼ばれる値札つけで値段を貼っていた時代。新商品が出た時とか特売で大量に売りたいときにこのパートさんをくどかないと何も前に進まないというもの凄い世界だ。なかにはそんなパートさんに気を使っている店長もいる。あの店長がまだ新入社員の頃から私はここにいる。創業当時からもうかれこれ20年以上いるわよ今の店長で5代目よお、とか酒やけしたガラガラ声で教えてくれるパートのおばさんがごろごろいるわけで気に入ってもらえると売り場ももらえて売上もあがる。

懐にはいって行かないと全く売上があがらない。

なんだかおもしろい世界だと思った。

自分のところの商品の売り場に行き在庫や日付が切れていないか確認しながら車に戻って減っていた商品の伝票を書いて補充していく置き薬売りみたいな流れだ、車から降りて駆け足で売り場へ、駆け足は会社の教えで歩いていると怒られた。売り場を確認してからまた駆け足で車へ運転席に乗って伝票を書く、車から降りてコンテナから商品を降ろし台車に積んで店に運んで検品してもらい値札をつけ、きれいに並べてダンボールを畳んで片付けて挨拶して終わり。最悪なので納品している途中で、あ~これ納入するの忘れてたというとまた同じ作業を繰り返さないといけない。そしてすごく違和感を感じたのが結構日付切れが起こる事。

1日配達しコースを周ってくると結構日付切れ商品が出る。それをその都度、赤伝と呼ばれる返品伝票に記入したり現物を持っていって新品と交換していく。当時俺はこの日付を切れた商品に関しては、もちろん会社が面倒というか負担してくれるもんだと思っていた。

しかし先輩の答は、何言っちゃってんの?そんなのありえるわけないじゃん?

昭和の時代にこんな言い回しがあったかどうか記憶は定かではないが、そんなニュアンスだったように思う。じゃあどうするんですか?

「個人買いだよ」

「個人買い?」

つまりはこうだ、朝出庫した商品+前日からコンテナに残った預かり商品=出荷数

1日に販売した商品個数を引くと残りがコンテナに残っているべき在庫の数

でも日付切れ返品したり交換した商品の行き場が無い。

これを個人で現金で買って帳尻を合わせる。それが個人買いだ。

俺はこのおかしなルールが本当に納得いかなかった。会社の言い分はこうだ

しっかり先入れ先だしを実践していて日付管理していれば日付切れなど起きないと言う事だった。その後に独り立ちして本当に徹底的に日付管理していても0と言う事はあり得なかった。始末におえないのは新商品が発売され売れ売れと目標を与えられ並べたはいいが全く売れずにいつしか市場から消える日付切れ商品はもちろん個人買いという事だった。

当時15,6万円の手取りで毎月2万円は確実にこの個人買があったように思う。

後に新商品だけは育成返品というわけのわからないルールが新設された事と、コンビニエンスストアでも気象状況、来店者の男女比年齢層など様々なデータを駆使して発注をしていても日付切れ商品が発生し平成21年にその負担を嫌ったコンビニエンスストア店主が見切り販売の是非を巡り加盟店本部を相手取り訴訟を起こしコンビニエンス店主の言い分を全面的に認める司法判断が出た事でようやく当時からの俺の考えが正しかった事が証明されたような気がするが、今改めて考えるとこれは結構難しい問題だと思う。

結果的に言うと、そのような環境に身を置いていたおかげで今は商品の先入れ先出、日付管理に関しては社内でもかなりうるさくちゃんと実践しているので若い頃の授業料と考えれば納得がいくかなと考えている。

もう商品管理としての習慣が若い頃本当に手痛い目にあってきた分、身にしみてわかっていて完全に習慣化されているのだ。「商品は生産者の真心の塊であるので豆腐やガラスのように丁寧に取り扱う事」退職して6年が経とうとしているがこのような教えがいつでもアウトプットできる。今ではとても幸せだと感じる事ができる。

当時はいけない事とわかっていても給料日まで金がきついのでコンテナのなかには存在しない商品が生まれる。架空在庫というやつだ、18にして中小企業の経営者のようにコンテナ内の在庫をやりくりして18日の給料日には銀行で金を降ろし精算してコンテナ内をきれいにした。俺は経済的に苦しくても不正などをしてその在庫を補填しょうとか絶対にそんな事をしなかった。

お世話になったお得意先を裏切る事は出来ない。

武士は食わねど高楊枝!なんかそういう男の美学みたいなもんは持っていた。

おかげで今の職場でも先入れ先だし、日付管理に関してはかなりうるさい。


話を元に戻そう。

当時はスーパーで働いている男性の場合二つのタイプに大別できた。

若い頃結構やんちゃしてて今はスーパーで働いています。みたいなタイプこの人達は結婚も早くて仕事も真面目、こっちが筋を通せば必ず男気で応えてくれるタイプ。

精肉や青果、鮮魚のチーフあたりに多いタイプ。

もう一方でどうしょうもないのが、何か自分がえらくなったと勘違いしちゃっている人、こいつ昔絶対パシリだろう?こんな奴地元にいても誰にも相手にされないだろう?

少ない働き口をようやくみつけてここで働いてますみたいな感じ

当時やんちゃなタイプからそんなタイプまで学歴もあまり関係なく門戸が広かったのがスーパーって職場だったんじゃないかな?

出入業者の担当が売り場が欲しいからチヤホヤする。自分が偉くなったと勘違いする。人望もないのに、これまでの人生で一番相手にしてくれる。勘違いしてしまうというスパイラルだったんではないかと思う。

結構そういう人達にイラっとさせられたりするけど、笑顔でそんな事に耐えてる自分って少し格好よくないすか?なんて感じていた。

元来、きれやすい私はこの経験を通じて得た事はすごく大きいように思う。

そうやってスタートしたルートセールスと呼び名はカッコイイが配達もする売り込みもする集金もするというなんでもやる運ちゃんそんな感じで私の社会人としての仕事はスタートした。

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