新入社員研究

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あの光景は23年経った今でも鮮明に覚えている

遅刻こそしなかったが、集合時間10分くらい前に前日、入社式が催された同じ会場に到着した会場に入った瞬間目の前に飛び込んできたのは、肌色というか?そんな色の作業服上下に襟は紺色、背中に大きく赤い字で「東京酪乳」と書かれている集団がパイプ椅子に座っていた、ださ!なんだこの異様な雰囲気は?

前日に渡された作業着3着を持って帰り家で包装をあけ、糊のきいた真新しい制服を見た時に正直「ださい」と感じたが、これが200人近い人間が着用しているとほんと半端なく、ださい!あのインパクトは本当に大きかった!

しかし数年後にはこの制服を着たままコンビニはもちろん。

ファミリーレストラン果てはストリップ小屋までいけるようになるとは当時の俺でも想像がつかなかった。

結局、俺もその肌色の制服に袖を通した。

なんかやばい俺これ着ちゃったらどうなっちゃうんだろう?

なんか引き返せないのかな?

俺はこれからどこに向かい何になるんだろう? 

18歳の俺は不安で不安でしょうがなかった?

研修の細かい内容までは覚えていないけど

本社だか本部だかから社員教育のスペシャリストみたいな人がきてて大声で

「報恩・奉仕・繁栄」「素晴らしい未来のある会社だ!しっかり種を蒔こう!」とか大声で絶叫しているのを見て、鈍感な俺もいよいよ悟った。

これじゃ毎日が自己啓発セミナーだ。何か洗脳されてしまうのではないかとさえ感じた。

でもこの時最初に受けた洗礼とその後に続く習慣がすごく役に立っている事を平成22年の私には全く否定できない。

会社とは?こういうものなのか?18歳の俺には理解できない事だらけで正直戸惑っていた。

直感的にまずいぞと夢でも見ているようだった。一方で冷静な自分がいたことも確かだ、殺されはしないし、まあどうにでもなるだろう。いよいよ駄目ならケツまくっちゃえばいいやと多少開き直ってもいた。その後17年間もこの会社にお世話になるとは、これっぽっちも想像していなかったし、17年間と言えばオギャーと赤ん坊が生まれてから高校2年生になり色気づいても来る頃だ、そんな長い間、私はこの会社に青春を捧げてきた。ちょっと大袈裟かな?でも苦しさの中から得た事は自分の財産だ!当時会長が給料を貰いながら修行をしていると思えみたいな話をされていたが、もちろん当時はそんな思考のかけらもなく都合の良いこといってんなと感じていたが、今は給料を頂きながら仕込んでくださった。素直にそう感じる事の出来る。

しかし当時は目の前の現実を受け入れ、理解する度量が私にはなかった。

今の私がなんの情報もなしに同じ研修に参加したら素晴らしい企業だ、よく鍛えられていると素直に感じるだろう。でもその当時はただ単にわけのわからない単語を絶叫している。

異様な集団そのようにしか映らなかった。

大声で会社の理念だとかを発するのはいいと思う。

渡された書類を上から読んでいき、先回りして目で追っていたときに理解に苦しむ単語が出てきた。

「おとうさ~ん!おかあさ~ん!おはようございます!」

なんじゃそりゃ?でも講師の人に続いて皆で大声で唱和した。

唱和した後に90度を超える膝に頭が付くのでは無いかと言う位のおじぎをする。

「おとうさ~ん!おかあさ~ん!月末集金は必ず回収したします!」

なんじゃそりゃ?確かに集金は大切だろうけど、なんでおとうさん?おかあさん?

「おとうさ~ん!おかあ~さ~ん!クレート1600円必ず回収いたします!」

またまたなんじゃそりゃ?しばらくして理解したんだけどクレートって牛乳が12本入るプラスチックのケースの事で、あれは1600円するのでお店でみつけたら必ず回収してくるようにという事らしい。

この会場にいる全員が大真面目に大声で額に汗して腰を折り曲げてお辞儀している。

すごく異様な光景だ!

ちなみに親孝行・恩返しと言う事は会社の最も大切にしている事で毎朝朝礼で両親に対して集金をするとかセールスするとか事故を起しませんとかを宣言しているのである。

狐につままれたような不思議な感覚のまま進行していく研修の中でまたもやわけのわからない単語を発見した。「正座」

企業の新入社員研修の1日のタイムスケジュールの中に「正座」という文字を見つけ、かなりの違和感を覚えた。

ただただ30分間正座するという時間だった。

当時ウンコ座りと呼ばれるものは得意で好んでしていたように思うが

正座なんて現代っ子の俺は、あんまりなじみがなかった。

会場が静かになり意図していたのかどうか定かではないが瞑想するというか今の現実、今日この会場にきてからの事を冷静に考える事のできる時間となった。多分何かのきっかけがあったなら辞めてやろうとか、だまされたとか、考えていた会社と違うとか思考をめぐらせていたのは俺だけではないはずだ。ここにいる同期入社の中の100人?いや本当に大袈裟じゃなくて全員だったのではないかと感じるくらいに朝から起こっている全ての事が私には衝撃的な事ばかりだった。

正座をしている時間が凄く長く感じられ足の感覚もなくなってきた頃、どこからともなく「やめ!」みたいな掛け声が掛かった。

この時、会場が本日一番の盛り上がりになったように思う。いたる所で「いてててて!」「しびれた」痛みとも苦しみとも取れる声の中、笑いも混じり「立てない!立てない!しびれた!しびれた!」と盛り上がっていたところに

俺の背中を「おう!」と叩く人がいた。今思えば確実に今の私より年下?30歳位だったのかな?その後に私の所属する千葉ブロック、千葉営業所・柏営業所・江戸川営業所を束ねる一番偉い人、佐藤ブロック長だ!

「おう!しびれたか?だらしないのう~」今も変らぬであろう独特のだみ声だ!長い付き合いとなる佐藤ブロック長との忘れもしないファーストインプレッションであるヤクザのような歩き方で独特のオーラーを発していて眼光も鋭かった!でもしわくちゃの笑顔でそう問いかけてくれた、すごく魅力的な男の笑顔だったように記憶している。

それと、もうひとつ昨日からなんか不快な気持ちにさせる聞きなれないイントネーションと言語が、かなりの頻度で俺の耳に入ってきていて、その都度なんかイラっとする。18年間生きてきてあまり聞きなれない言語の意味を理解するのに俺の脳は無駄なエネルギーを使っていた。

正座の時間?の後に司会の方が「皆さん!えらかったですか?」何が偉かったんだろう?痛い思いに耐えて偉かったですという事?それを言うなら「皆さん偉かったです。」だろうと思っていると「でも昔はもっとえらかったんですよ!2時間とか正座の時間があって、ほんとえらかった!最後は気持ち悪くなってしまう人もいて、えらかった!」

ここでようやく理解できた。

俺が18年間、慣れ親しんだ言語とは違う言語を使用していることに気付いた。

文章の前後の文脈から理解すると、えらかった=苦しいかったのようだ。

前日の入社式から、ちょいちょい気にはなっていたが、本社のある名古屋の方言、三河言葉のようである。関東のテレビではともすれば蔑むような表現で「えびふりゃぁ~」とか「どえりゃ~」とか名古屋人をバカにしたような表現の時に使われていた言葉が。今、目の前で堂々とそして誇らしげに使われている事に対して一種の不思議な感覚に陥っていった。

ここは東京?日本の中枢?一応商品では名の知れた企業の入社式と研修

そこで世界の共通語のように名古屋弁を使っている皆さん。金の卵と言われ地方から東京に出てきました。方言を使うのは恥ずかしい。必死でなまりを直しました。そんな話は聞き飽きる程、聞いてきた。

でもここに集う皆さんはどうだろう?

競うように名古屋弁を使い、自分達の存在意義を誇示している。織田信長が生きていた頃は、尾張の国が日本の中枢だったんだぎゃ~と言いたげな位、誇らしげに使っている。

この一連のやりとりの中でこの会社における「ヒエラルキー」が理解できたように思う。

元々不良の世界をかじっていた俺はこういう力関係、階層には敏感だ!

この会社は完全に名古屋の方向を向いている会社であることを即座に理解した。

そして「門前の小僧、習わぬ経を読む」ではないが、幼子も親や周りの会話を理解し、やがてしゃべるようになる。その後、程なくして方言はうつるという事を体感した。

行った事もない名古屋なのにたまに名古屋弁のイントネーションが出てしまう。

そして数年後には関東で生まれ育った者達が、疲れたときに肩を叩きながら、「お~えらいわ」とか言っちゃっているのを間近で見聞きして、なんと俄か名古屋人の多い事と感じ、朱に交われば赤くなる。悪い友達と付き合っちゃ駄目とか良く言うが環境など関係ないと思っていたが人が生きていくうえで環境とはかくも重要であると言う事を学んだ。

全く持って恐ろしい人間の適応能力を垣間見た気がする。

私の社会人人生は今考えれば突っ込みどころ満載に、こうして幕を開けた!

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