私が入社した頃の会社の年商はどれ位だったのかな?退職する時が1000億円を突破していたがまだその半分とか、もしかしたらもっと低かったかも知れない。
私が社会に出た第一歩をこの会社で迎えられた幸運はまずひとつに教育、人材育成に並々ならぬ力を注いでいた会社に入社できた事。
そして創業社長から直接様々な教えをお聞きする事ができた事は幸運以外の何ものでもない。
今ネット上で2chやミクシーなどでこの会社の文句ばかり言っている人達がいる。是非そういう現役社員の方々には一度どこかの自己啓発セミナーや講習会や講演会などに足を運び実際に経験してみるか思い切って退職して頂きたいとそのような情報に触れるたびに感じている。高いコストをかけ受講しなくてはならない事に驚くだろう。
そして自分がいかに非力で大きな庇護の下に守られていたのだろうと気付くだろう。
私はこの会社では本当に給料を頂きながら数々の尊い教えを頂いたし配達やセールス活動を通じて実戦で実につける事ができた。
これは退職して今はベンチャー企業の管理職についている私が日々一分一秒身をもって感じている事である。私以外の退職した人間が全員で反論してきても己の考えを曲げるつもりは無い。本当にお世話になったし人生の宝だ!素直にそう言わせてもらう。
この企業での社会人経験はつらかったけど、本当にありがとう鍛えてくれてありがとう。
会長がおっしゃっていた節多ければ竹強しだ。節から芽を出し続けたおかげで今の強い私がいる。そして不義理をせずに人のご恩に感謝し恩返しの達人になれと教えて頂いたおかげで、困ってくると本当に大きな人智を超えた何かが働いているんではないかという不思議なご縁で繋がる。これも教えて頂いた恩とは根、根に施せば枝葉は茂るという事だ。
最初は会長が信仰していて会社の教えの至るところである天理教をベースにした経営理念が理解できずにいて昔は高校野球で天理高校が出場していると紫のアンダーウェアと帽子に嫌悪感を抱いていたが今は天理高校が出場していると知らず知らす応援している。人間とは不思議なものでかくも惑うものなのだと言う事を感じた。
話を戻そう。会長は戦後の混乱している時に行商をはじめ家族全員を養っていた。
会長は行商で商いの全てを学んだそうである。
私は、最初は毛嫌いしていた数々の教えをよくよく聞いて自分なりに咀嚼して落とし込んでいくと、あながち間違った事はいっていない。
人が生きていくうえで商人として取り組んでいく上で絶対に間違っていない。
本気で配達すればするほど、むしろ原理原則だと思えるようになってきた。
終戦後なにもない焼け野原から行商で一家を支え、東洋一のロングライフ工場を建設し日本全国津々浦々まで販売網を築き1000億円企業を作るには並大抵というかどこか神がかり的な事がなければ難しいと当時からおぼろげながら感じていたが今ベンチャー企業で管理職として仕事をしていると、より一層その事を感じる事が出来る。
学生時代はおもしろおかしく毎日が過ごせればいい、中学、高校と自宅の机に向って勉強をした記憶というのは、大袈裟でもなんでもなくて本当にない。
そしてなんとなく就職して毎日理不尽な事ばかりで前向きになれなかったが、それでも少しずつ仕事の楽しさややりがい、社会の厳しさを教えてくれたのはこの会社だった。
最初幻滅させられたけど、社会人としてのスイッチをいれてくれたのも私の心の故郷であるこの企業、だった。
ずる休みした私の尻拭いをいつもしてくれた先輩。
会社をずる休みして次に行くと「出てきたか!ずる休み小僧!」と笑って迎えてくれたお得意様、そんないい加減な私を待っていてくれる担当の方や店長、そして何より自分が納品した商品を購入していただけるお客様、そういった皆様の事を考え自分の存在意義を見つけたときに、もやもやしていた視界がぱっと明るくなり、ズバッと照準があってきてバチンバッチンスイッチが入っていった。
私は今でもこの会社の創業者を尊敬している。
その会長が歩んできた道を知れば知るほど、物語として人に聞かせられる程に理解が深まり、実際に仕事を通じて仲良くなった友人に話しているとき感極まり涙しながら話す程、感動するエピソードが大好きだった。
この話は映画化できるんではないか、本気で考えている。
己の欲を捨て、お得意様に合わせるという事を学び、初めて聞いた時は背中のスイッチがバチーンとONになったのを覚えている。