ある日の夜、丁度午後10時半ごろだったと思います。
もう携帯電話が一般的になっていました。テレビを付けたまま床につき、うとうとしだした頃、携帯電話がなりました。こんな時間に誰だろう。すぐに着信ボタンを押せなかった為に留守番電話になってしまったようです。登録されている番号でしたディスプレイを確認するとその頃大変お世話になっていた、あしびの高崎マネージャーさんからでした。
すぐに留守番電話のメッセージを再生しました。
「夜分遅くにすいません。あしびの高崎です。今朝、大塚総料理長が亡くなりました。」
えっ!信じられませんでした。聞き間違いである事を祈りながらもう一度再生しました。何かの間違えではないか?信じられませんでしたが、すぐに高崎マネージャーに電話しました。今朝なんか体の調子が悪いと言う事で、ご自分で病院に行き病院で急に容態が急変しそのままお亡くなりになったと言う事でした。
なんか自分の頭が軽くなってふわふわしたような感じで今起こっていることが信じられなくて信じたくない自分がいました。
これまでお世話になった事、最初の出会いから色んな事が思い出されました。
何ひとつご恩返しが出来ないうちに逝かれてしまった。
これからまだまだ色々教えて頂きたかった
少しでもご恩返しさせて頂きたかった心のそこからそう感じました。
勿論、お通夜と葬儀にも、参列させて頂きました。
お通夜が行われる。葬祭場に入った時に目に飛び込んできたのは祭壇に飾られたお写真ではなくその横に飾られていたコックコートとトックブランシュ(コック帽子)でした。
それを見た時には、もうとどめもなく涙があふれ、どこか信じられなかった事が現実として受け入れる事ができました。ご遺体に対面し両手を合わせ大塚さん本当にありがとうございます。何回も何回もそう心の中でつぶやきました。
翌日の告別式も参加しました。本当にお別れです何一つご恩返しできませんでした。
出棺の時に当時愛弟子で今は千葉市内でバーを経営されている押樽さんが飾られていたコックコートをとりトックブランシュと一緒に棺の中に入れた時は、目の前が涙でみえなくなる程でした。
この時に初めて大塚さんが九州のご出身である事を知りました。若い頃に料理人になるという夢を持って上京されたのではないでしょうか?
もっともっと沢山のお話をお聞きしたかった。
そして千葉の地で駆け出しの乳製品メーカーの営業マンの自分との出会いがあった。
普通に生活していたら出会える確立なんてほぼ0ではないか、だから出会いとか縁というのは、無駄な事なんてなくて絶対に意味のあることだし人智を超えた何かがある。人が一生で出会える縁なんて限界があると思う。
20代にして、人と人とのご縁の尊さありがたさを感じる事が出来ました。
本当に色んな事を教わりました。
大塚さん本当にありがとうございました。
大塚さんとお会いして救われました。
大塚さん、今私は居酒屋を経営するベンチャー企業で毎日仕事をしています。
仕入生産流通統括本部というところで本部長をしています。
新たなご縁を望む方たちが私の元へお見えになります。
私より若い営業さんも多くなりました。
私はあの時に大塚さんから頂いたご恩を大塚さんにお返しする事はできませんが
私を訪ねていらっしゃる方と真摯に向き合い、若い営業さんで至らない点がある方には愛情を込めて教えて差し上げたり、力になってあげようと思っています。
それが大塚さんをはじめご縁を頂いた皆様から頂いたご恩をお返しできるのではと感じているからです。
そして私を育ててくれたこの業界への少しでも恩返しになれば、毎日そう感じています。
大塚さんどうかこれからも見守っていてくださいね。
ほんとうにありがとうございました。