俺の社会人人生

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草食系男子とか男がスカートを穿くのがおしゃれとかいう、わけの分からない時代になった。

私が社会に出た、昭和後期とは価値観が変って、根性のない事を棚に上げて就職した会社に「ブラック企業」とかいう、わけのわからないレッテルをつけ自分を正当化し困難から逃がれようとする奴らが多いようだ。

そんな話を聞くと私自身は彼らのモノサシで測るのなら紛れもなくブラック企業と呼ばれる会社に入社しその後の社会人として心構えなど大切な事を教わった。

誰がいつ、どのような判断で会社や職業に色をつけたんだろう?

ホワイトカラーにブルーカラーそして今度はブラック

働くとは傍(人)に楽をしてもらう為にはたらくというと言う事を会社から教わった。

「根に施せば枝葉は茂る」「恩返しの達人は常に繁栄の芽を出し続ける」「気付く事は自分を築く」「もっと考える。もっと良くなる」「企業にとって一日の遅れは千日の遅れ」在職中は素晴らしい教えを頂いた。そして仕事を通じてお得意様のご恩、ありがたさ。合わせる心、謙虚さ報恩・奉仕・繁栄、地味と根性、ビジネスのマナー、仕事の仕組み、物事の捉え方、そこから発想する力、今42歳となりベンチャー企業の仕入と生産、そして流通全ての部署を預かる立場となり日々実践しているのは「東京酪乳」で教わった数々の尊い教えである。感謝してもしきれない。あの当時を思い出しても泣きたくなる苦しさや逃げ出したくなるつらさ、お得意様のありがたさ、あたたかさ、成功した時の嬉しさ全て何を思い出しても愛しく感じる。

だからどこでも「東京酪乳」の悪口を見ると心が痛む。

そしてネット掲示板などにそれらを書き込んでいるのが現役社員と思しき人物だと思うとOBとしてあまりにも悲しくなり怒りを通り越してあきれてしまう。そして世の中を見通す視野の狭さに残念な気持ちで一杯になる。

私は東京酪乳という企業を飛び出した創業会長にしてみれば親不孝ものだが、1日足りとて受けた恩を忘れた事はない。

今こうして社会人として管理職として仕事をさせて頂く全ての基礎は全て東京酪乳で学んだからだ。

結局はいい会社に就職したかったら、学生の頃に死ぬ気で勉強して官僚にでも上場企業にでも就職したらいい。

勉強も嫌いです。ゲーム好きです。引きこもってました。でも丸の内にある企業に就職して昼になるとカーディガンを着て財布を手に持ったOLと肩を並べて丸の内の街を今日ランチどうする?なんて歩きたいです。汚い仕事やきつくて危険な仕事は嫌です。なんて言うのは虫のいい話だと思う。

2008年の年末、まだ記憶に新しいが日比谷公園に設けられた年越派遣村が世相を反映する出来事として話題になった。テレビの画面でインタビューを受けている方の年齢の若さに驚かされる。

この日本ではまだまだ若い労働力を必要としている業種は沢山あるはずだ、収入が少ない、休みがない、福利厚生が充実していない。ないものを求めていては永遠に仕事など見つかるはずは無い。

僕らの親の世代は何も無い焼け野原から始まった。

終戦でゼロというよりはマイナスからのスタートで食うや食わずやで、生きていくのと家族を養うので精一杯、住むところも衣服も満足に無い、餓死する人がいる世の中で仕事を選り好みしている暇などなかったはずである。今パソコンで仕事できるのも携帯電話を小学生でも持てるのも自動車を所有できるのも、おいしい食事ができるのも、あの何も無いところで頑張ってくれた皆さんのおかげです。

私は思想的には右でもなければ左でもありませんが、もっと言えば当時は正しいと信じられていた戦争に愛する人々をそして美しい日本を守る為に命を賭して挑んで頂いた皆さんのおかげです。

それを考えれば、仕事に黒だの白だの色分けできるという今日の日本はある意味幸せなのかもしれない。

当時18だった私も全く理解できていなかったが幸運にも、東京酪乳と言う企業とご縁が出来、その後17年の長きに渡りお世話になったお陰で今の自分があります。

社会人としての第一歩を踏み出したのは、紛れも無く今の若い人に言わせたらブラック企業であったかもしれない。

でも私は社会人としての第一歩をこの企業で踏み出せた事に感謝しているし幸せだったと声を大にしていいたい。

若い時の苦労は買ってでもしろ!当時は正直意味が分かりませんでした。しかし今ならわかりますし、正しい事と確信できます。

長い人生、若い頃に自分の人生に負荷をかける事は絶対必要だと思う。そこで汗を流し知恵を絞る事でその後の社会人人生が大きく変ってくると事あるごとに感じます。私の社会人としての第一歩は、ビジネスの世界でいうと底辺に近かったかもしれないが、ここで全てを学んだ、毎日がつらい真剣勝負のビジネスの現場、泥臭くて逞しくて苦しくて3Kといわれた「きつい・きたない・きけん」それに近いような?それ以上の苛酷な環境だったように思う。

入社した直後は全く理解できず憎しみすら感じていたが、この会社で社会人としての第一歩を踏み出せたのは幸運としかいいようがない。

平成22年に振り返ってみて入社して17年間働いて良かったと心の底から思い、感謝している。

社会人としての全てを作ってくれた東京酪乳での、少しやんちゃな社会人人生は昭和62年4月1日から始まりました。

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