大渋滞

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初代の指導担当の吉田さんは退職し同乗コースも変り2代目の秋山さんに乗った。一番遠いコースで恐怖の木更津コース片道2時間以上かかるのに着いたら普通に配達軒数が待っているという鬼のようなコースだった。入社した年のゴールデンウィーク、今みたいに高速道路も無ければバイパスも無い袖ヶ浦から1車線の国道が延々と続く、潮干狩りだがなんだか潮がいいとかで大渋滞、本当にあさりが嫌いになりそうだった。まあ最初からそんな好きじゃないが、帰りも今日は混むだろうと言う事で早めに木更津を出たが国道16号線に出たとたん全く動かない大渋滞、その後、今日に至るまで23年間あそこまでの渋滞を経験した事がない。

偶然、当時拡売実行委員というわけのわからない部署の、のぼるさんと会った。

同じカラーリングのトラックに会うとなんだか無性に嬉しくなる。お互いのクラクションを鳴らし合図したが大渋滞を前に顔は苦笑い。

ひどい渋滞だった。尿意をもよおして、そこに車を停めたまま沿道で立小便して帰ってきても車列はぴくりとも動かないそんな状況だった。

今だったら暇つぶしに携帯電話でもいじるところだが、そんな気の利いたもんはない。

AMラジオからは全く興味のないプロ野球中継が流れていた。

夜の11時半を回った頃にようやく車が流れ出した。京葉道路浜野インターに向かう村田町の交差点を過ぎるとこれまでのうさを晴らすようにトラックはどんどん加速していった。そう言えば昼から何も食ってなかった。腹も減っていた。

先輩が吉野家でも寄っていくかと誘ってくれた。正直俺はこの時に吉野家と言うところに行った事が無くて牛丼なるものを口にした事がなかった。だからなんか怖かった。

もちろん今では大好きで並ツユダクの味噌汁なんて言って目の前のカウンターに設置された引き戸を開けそこからサラダとおしんこをとって食べるなんて日常の光景だが、なんか得たいのしれないものを食べる気がしなくて断ってしまった。

初めて食べてこんなにおいしいものがあったのかと感動する機会を自ら先送りしてしまったのと共に先輩からの誘いを無下に断るなんて今考えるとこの時は気遣いだとか空気を読むとか言う事が全くできなかった18の俺だった。

今思い出してその事に気付けると言うのはその後、私が仕事を通じて色んな気付きを培ってきたおかげと感謝せずにはいられない。

結局会社に戻ってこれたのは日付がもう次の日に変っていた午前0時半過ぎ

確か成田所長と末沢さんは残ってくれていた。

コンテナに残されたダンボールを捨て事務所で事務仕事をしてあがれたのが午前1時半頃、ただ助手席に乗っているだけで疲れた。

気心の知れた仲間やかわいい女の子と一緒なら楽しかったかもしれないが仕事でましてや先輩と一緒、そして社会に出たばかり。

俺の中で緊張の糸が切れていった瞬間だったかもしれない。

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