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新宿

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年12月31日(日)00時37分22秒
  ニュース見られた方いらっしゃいますか?  

さあ、年末まで丑寅勤行ですよーー

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年12月31日(日)00時35分43秒
  ダーハラ含む査問祭りする連中は、勤行も唱題もせずに愛人宅に入り浸り優雅に豪勢な年越しをされています。
それでは、我々下っ端会員は、深々と深い祈りを続けましょう!
祈りと信ずる心が有る限り、我々は大きく境涯を開き、新時代が到来します。怠け者は笑い飛ばしていきましょう!!
 

感謝!(・∀・)

 投稿者:フロム関西  投稿日:2017年12月31日(日)00時24分15秒
編集済
  今年も一年お世話になりました!

個人的に功徳を沢山いただきました!

そして、自分の周りに目覚めた人

増えましたd(≧∀≦)ナイス☆

来年は鮭(サーモンw)がキーワードかな?
 

創価学会施設侵入の少年暴れ、警備員2人けが

 投稿者:総括の場  投稿日:2017年12月31日(日)00時16分42秒
  30日午後5時半頃、東京都新宿区信濃町の創価学会の関連施設前の路上で、
刃物を持った少年(19)が、30~40歳代の男性警備員2人ともみ合いになり、
腹や腕に軽傷を負わせた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20171230-OYT1T50072.html

 

「造反の輪」?

 投稿者:新感性  投稿日:2017年12月30日(土)23時56分38秒
  【ポスト池田探る創価学会(2)】造反の輪、じわり広がる  投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月30日(土)21時28分57秒

異なるグループとはいえ前者のグループと同列に報じられたんじゃ後者の3人を中心とした
グループも迷惑なんじゃない?
リンクも同様です。

それとも所詮はその程度の「造反の輪」なのですか?

 

ネヴァー・ギヴ・アップ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月30日(土)22時01分38秒
  元職員のブログが更新されています。
『「9・23九州・福岡座談会」報告 ④ 完』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-158.html
>先生は、そうした状況にならないようにするために、『対話の世紀』だと言われてきたはずなんです。政治もその方向を向くべきだと。そういう悲惨な状況が起こらないように公明党をつくり“いかに『対話』を粘り強くやっていくか”っていうところを大事にされてきたのだと思うんです。そこに信仰の根幹があると思うんです。<

全くその通り!

“私の眠りを妨げる 悪魔と戦っていた 海に叫んでも 見捨てられたの”
“でも諦めない そう 諦めないから”
“そして あなたには負けない 地面に倒れるまで何度でも起き上がるわ”
“そう 諦めない 諦めないから そして あなたには負けない”
“地面に倒れるまで何度でも起き上がるわ そう 諦めない 諦めない”
“自分で道を探すの 家に帰る道を”
『ネヴァー・ギヴ・アップ』シーア
https://www.youtube.com/watch?v=PxjaUmaD2VQ

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

【ポスト池田探る創価学会(2)】造反の輪、じわり広がる

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月30日(土)21時28分57秒
  【ポスト池田探る創価学会(2)】造反の輪、じわり広がる
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171230-00010000-socra-soci

「いまの学会は創価3代の教えに違背」
 創価学会の組織に背を向け、反旗を翻す造反幹部たちが後を絶たない。古くは教学部長の原島嵩(1938~2008年)、顧問弁護士の山崎正友(1936~2008年)、それに、一時期、会長職の声も高かった副会長の福島源次郎(1932~1998年)などがそうだった。

 青年部部長や「聖教新聞」の編集総局長を務め、名誉会長の池田大作の側近としても組織の信任が厚かった福島は、400ページに及ぶ「蘇生への選択」(自費出版=1989年)を執筆し、金集めの実態など池田大作の“素顔”をあぶり出している。

 この福島の行動に共鳴していた元本部広報部副部長の小川頼宣らのグループは、現在なお反学会の活動を継続しているが、最近もう1つ、創価学会の改革を目指そうとする新たなグループが産声をあげた。

 3年前の2014年、創価学会本部(東京都新宿区)職員を解雇され、加えて創価学会まで除名された野口雄介(1978年~)、滝川清志(1978年~)、小平秀一(1977年~)の3人である。

 このうち滝川、小平は、池田大作が創立した「創価大学」の卒業生という根っからの学会員である。なぜ、本部職員を解雇され、学会から除名されたのか。2016年11月に、3人が共著で発刊した「実名告発・創価学会」(金曜日)に詳しい。一読すると、師匠、池田大作の教えに共鳴し、尊敬はするものの、創価学会の思想、理念の著しい変貌に怒りの矛先を向けているのだ。

 どのような批判行動を起こしているのか。例えば、この12月10日午後、京都駅近くの「京都中央学院」貸し教室を会場にして「関西・京都座談会」を開催している。

 参加人員は約50人。話し合われた内容は、「現在の創価学会は、創価三代会長(注初代牧口常三郎、2代戸田城聖、3代池田大作)の絶対平和思想と精神に違背している」、「『安保法制』に賛成した公明党を擁護し、選挙になれば全面的に応援している」、「本部は建設的な発言した会員と対話をすることもなく除名している」等、である。最後に“創価変革に勝利しよう”と,勝鬨をあげて終了した。

 こうした学会批判の集会を毎月、東京、横浜など都市部で開催し、会場によって50~100人の賛同者を集めている。

 また2年前から東京・新宿区にある本部前の道路に立ち並び、年に数回「サイレントアピール」も続けている。言葉を発しないが、「安保法制、共謀罪法廃止のために死に物狂いで闘え!」といった看板を立て、学会中枢の本部職員たちに呼びかけているのだ。

 3人は本部に10年余も務めていた元職員。顔見知りの職員たちも看板前を通るが、目を合わせることや、意見を出すこともなく、無言で素通りしていく。

 創価学会の「信仰」や、池田大作を批判しない。変わりゆく同会の姿勢に抗議している。まだ小さな造反グループだが、創価学会にとっては厄介な存在になりつつある。しかも、賛同者が増えてきているようだ。

 一方、自公政権で「安保法制」や「共謀罪」が成立したとき、国会を取り巻く市民の反対集会が多く見られた。そうした革新系の集会に、3色旗(「SGI」=創価学会インタナショナル)を振る学会員の姿も多く見られたのである。これまでになかった創価学会組織の異常現象だ。水が漏れ出したのである。組織は身内の造反分子から崩壊するという。長年、結束力を誇ってきた創価学会も他人ごとではなさそうである。

(敬称を略しました)

大池 多佐久 (ジャーナリスト)
 

ようこそお起こしくださいました(^^)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月30日(土)20時49分9秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77984

苦しいなかがんばってる様子がよく伝わってきます

一閲覧者さんようこそお越しくださいました(^^)

自分の「足」で一歩一歩すすんでゆく
それが大切ですよね(^^)
よくわかります

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

宿坊の皆様一年間ありがとうございましたm(._.)m

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年12月30日(土)20時07分5秒
  栃木の久保田です。ヽ(^○^)ノ

今年も明日で終わりですね皆様一年間お疲れ様でした。m(._.)m

原田偽会長の大号令による査問と処分が話題になってますが、執行部の面々や手下どもは何様のつもりで居るのだヽ(^○^)ノバカ丸出しだな┐(-。-;)┌

勉強は出来るんだろうけど脳ミソ大丈夫かい?

鉛でも入ってるんじゃない?

まぁ腸も完全に腐りきってるんだろうからヽ(^○^)ノ

糞でパンパンの体を良く保っていられるよ!

谷川強姦魔はバイ菌や毒素を年中放出してるわけか!

腐りきった糞が顔や眼から滲み出てきてるから鏡を良く見ましょうねヽ(^○^)ノ

善良な人達、真面目な会員さんに査問だなんてこけおどしは今すぐやめよ(# ゜Д゜)

お前ら元々臆病なんだからヽ(^○^)ノ

これ以上やんじゃねーぞ(# ゜Д゜)クソども


 

(無題)

 投稿者:一閲覧者  投稿日:2017年12月30日(土)19時30分13秒
  早朝1時過ぎ、2時出の仕事に出る前に寿量品を読む時に如来というゆっくりした心の読みをもって読経していました。
自転車での1時間余りの通勤の中で、トンネルで寝ている人を見つけ、公衆トイレではリュックを忘れた人が居られて交番に届けて、放棄の為名前だけを告げ、(住処を書けば断っても必ず落とされた方に住処の連絡が知らされます。届けてあげただけでなく、過去に200万円の通帳やら30万円の仕事の道具を届けていただいたこともあります。)職場には遅刻しました。
職場では風当たりが悪く強迫観念が頭を支配しました。なので、仕事の延期は断わるつもりでいます。

忙しい為に生活が維持出来ているのみならず、パートタイマーでの2万5千円という手当てのおかげで、通常は6時前から午前中10時半までの仕事で14万円の収入です。
声楽について練習する時間だけはたっぷりあります。

今月の収入が延びたのは、母がいつも妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えていて、私自身、妙の一字を四六時中長く伸ばして引き題目を唱えながら仕事(息のみ)をしていた功徳だと思っています。

日達上人が達筆であったことに思いを馳せ、日有師化儀抄 (日達上人略解)をほんの少しだけ読んだ時に、信仰にはいついつまでにやめるとか際限をつけるのではなく、その時になって続けられなれば仕方ないということを考えた上で、あくまでも形式的にですが、昔ののようにお題目を3回、4回、5回、7回と、唱えながら自転車を漕いでいます。

妙の一時の引き題目は、1回1回が勤行のつもりでいます。
声楽上、なんという字からの喉の開きが重要で妙とは開く儀であり、妙の一字からの功徳の広がりが南無妙法蓮華経だと思っていますし、回数は例えば4回なら四菩薩や四腹蜜だと思って数えてもいます。腹式呼吸など全く必要ありません。

如何に王法が賞罰を元としていようとも、26日の新聞にもあるように、生老病死の四つの苦悩をもって、我らの一身の塔を荘厳するんだという意気込みで、毎日みすぼらしい格好のままでも顔を上げて大勢の人混みの中を漕いでいます。
また福運とは女性に対してのもので、自殺願望や自分の健康を大切にしない飲食などを控えることを差しているように思います。
男性に対しては女性への感謝が必要なのではないかと座間の殺戮事件などから思うようになりました。

近頃はどのような劇の場面でも喜び悲しみなど到るところで落涙するという心の昇華を得ました。
うつ伏せになって嗚咽することすらあります。
現代社会では、縛られるだけではなく、自分というものを大切にしながら、戦争などの親の青春時代の無念などを思い、自分自身を昇華させていかなければならないというのが実感です。
私は今それに掛けています。
如何に諸天が動かなくとも、また、燈を灯す人こそ如来であるという自覚をもって釈尊と法華経と衆生の数限りない数の燈の如来という思いを懐いてもいます。
 

39.「弓矢」の絆

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年12月30日(土)19時03分38秒
  「弓矢」の絆

 春も四月という音律を聞くと、なんとなく暖かくのどかな感じをうけるものである。花びらを肩に受け、和服のお母さまに手を引かれながら、入学式へ歩みゆく小学生の姿は、なんともいえぬ絵のような抒情詩を思わせるものがある。
親のいない子供のことを思うと、あまりにも胸が痛むが・・・。
私も最近は、多忙であるが、そのあいまをぬって、できる限り、私の関係している小学校や大学に行くようにしている。
私はとくに中学生、高校生には、苦手な科目を避けないことが勉強である、また暴力だけは、勉強の、学問の世界であってはならないと忠告している。

二十歳になる浪人中の若者が、金属バットを振るって両親を殴殺 - この金属バット殺人事件は、日本全国の父母たちの心胆を寒からしめたといっても、けっして過言ではないであろう。
さる三月に開かれた初公判にも、定員の十倍近い傍聴人が長蛇の列をつくり、事件に対する関心が並々ならぬことを物語っていた。とくに最近は、教育危機が深刻化しているだけに、他人事として片づけておけない切迫感を抱いた親や教師も多かったにちがいない。

家庭内のトラブルによるこの種の事件は、外からはうかがい知れぬ入り組んだ事情があるもので、私も軽々には論じたくはない。
しかし、一連の経過を見ていると、一つのことだけは、まず間違いないといってよいと思う。それは、両親の間の亀裂が、そのまま若者の心のなかに、深い傷跡を残していったということである。
昨今のように、人の心の荒んでいる時代には、夫婦の絆こそ、子らの心を守る、最後にして最大の防波堤なのだ、との感を改めて深くしたものの一人である。


夫婦の絆といえば、ある婦人から、日蓮大聖人の御遺文集の一節の拝し方について問われたことがある。
というのは「女人は水のごとし・うつわ(器)物にしたがう・女人は矢のごとし・弓につが(番)はさる・女人はふね(舟)のごとし・かぢ(楫)のまかするによるべし、しかるに女人はをとこ(夫)・ぬす(盗)人なれば女人ぬす人となる・・・」
とあるけれど、夫婦といっても独立した人格、夫というものは妻にとって、どうしてこのような決定的な存在になるのでしょうか - とその婦人は言うのである。
「いや」 - 私は答えた - 「それは、夫婦の本当の意味の愛情というか、深い信頼感をおっしゃているのだと思う。大聖人はほかのところで『や(箭)のはしる事は弓のちから・くものゆくことはうり(竜)のちから、をとこ(夫)のしわざはめ(婦)のちからなり』と妻の果たす絶大な役割を教えられている。互いに弓のごとく、矢のごとく、それは夫婦の契りというものの、理想的なあり方を指摘していおられるのではないか」と。

 ふつう“鴛鴦(えんおう)の契り”とか“比翼の鳥、連理の枝”に譬えられる夫婦の絆の深さというものを考えるとき、私はいつも『戦争と平和』に描かれた一人の女性・ナターシャを思い起こさずにはいられない。

 生気に満ちて魅力的なこの貴族令嬢は、結婚後、華やかな社交界とはきっぱり縁を切り、ロシアの大地の匂いのする妻、母へと変貌していくのである。以前のナターシャとは別人のようであるが、彼女の日々は、どっしりとした自信に溢れている。夫・ピエールとの間の深く固い信頼の絆で支えられているからだ。
 ピエールは、ツァーリ(皇帝)の圧政に反発して、ある秘密結社に加わって運動している。そんな彼が、あるとき書斎で、友人を相手に活発な政論を戦わせている最中に、ナターシャがはいってくる- 。
「話の最中にはいって来たナターシャは、嬉しそうに夫を眺めていた。彼女は夫の言っていることを喜んでいたのではなかった。そんなことは彼女にはなんの興味もなかった。そんなことはみな、きわめて単純なことで、ずっと前から知っていることのように思われていたからである。(そんなふうに思われていたのは、彼女はそれが出てくる源 - ピエールの心をすっかり知っていたからである。)彼女はただ、彼のいきいきした、感激にみちた様子を見るのが嬉しかったのである」


 文豪トルストイの筆致は、さすがに見事な冴えを見せている。
 ナターシャの自信は、夫とあることについて同じ考えを持っているといった浅い次元のことではなく、もっともっと奥深い次元、つまり「それが出てくる源 - ピエールの心」を知り、信じているところから出てくるものである。この次元の労作業こそ、じつは人生における最重要の課題であることを、彼女は生きて知ったのだ。
 古今の文学を通じて、夫婦の絆というものを、これほど感銘深く見事に描き出した作品はまれではないかと、私は思っている。

 金属バット殺人事件に限らず、激増する中・高校生の校内暴力、家庭内暴力などを取り上げてみても、夫婦を軸とする家庭のあり方が、現代ほど問われる時代も少なくないであろう。
 もとより家庭内だけの問題として扱うにはあまりに裾野が広すぎるが、少なくともわが家だけは、砂漠のオアシス、荒野の安息所のように安心して憩うことができるよう、磐石に築き上げておきたいものである。
『主婦と暮し・昭和56年5月号』掲載
 

(無題)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月30日(土)17時36分56秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77979

コメント確認しました
僕のも消された理由はなんとなくわかるから大丈夫ですよ

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

明年も・・・

 投稿者:風林火山  投稿日:2017年12月30日(土)17時35分13秒
  「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、
是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず。」
 

皆さんへ

 投稿者:うーこ  投稿日:2017年12月30日(土)17時32分10秒
  今年も一年大変お世話になりました。皆様の登校を読む事が楽しく、又色んな勉強になった年でした。年末年始無事故で過ごしてくださいね(o⌒∇⌒o)  

twitter投稿より

 投稿者:シナモンゴー  投稿日:2017年12月30日(土)16時02分39秒
編集済
  このような投稿を拝見しました。
まったくだ!ナンバー変えなきゃ!
【以下引用】
先輩が言ってました。
424円や1,118円など語呂を合わせた財務を「ふざけた財務」と言うなら、11-18や3-16、8-24などのナンバーの車は「ふざけた車」と言われ、処分対象にされなければならないのではないか?
 

南無公明党佛の初夢でつ

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年12月30日(土)15時03分10秒
  Kデー カウントダウン!(コリアンペニンシュラ=韓半島のK)。北朝鮮核施設、核ミサイルサイトへの先制攻撃実施日がKデー、それへのカウントダウンにもう入っているのだ。一番槍を務めるのは日本の開発した長距離巡航ミサイル、コードネームSOKA1。弾頭には、なんと日本の廃棄プルトニウムから抽出されたプルトニウム型原爆。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。ピョンヤンの秘密司令部をピンポイントで撃破するのだ!  

無理が通れば、道理が引っ込む

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年12月30日(土)12時46分21秒
  籠池夫妻が逮捕されたのは7月31日。もう5カ月が経つが、このまま拘置所で年越しするのだろうか。

聞くところによると大阪拘置所には新館と旧館があり、夫人が居る旧館の方はエアコンも無いそうだ。

私も真夏にエアコンが壊れてエラい目にあった事があるが、気温35度ぐらいになると、シャツを水で濡らして扇風機にかじりついていなければ、とても耐えられないレベルだった。しかもコンクリート造りの建物は、日没後の方が更に温度が高くなる。
そして冬は極寒。これはもう拷問だ。

しかも籠池夫妻の罪は詐欺罪だ。いったいどういう屁理屈をつければ詐欺で5カ月も拘留出来るのだ。
普通は逃亡や証拠隠滅の恐れが無ければ、1日で帰って来れるだろう。

こういう日本のやり方は、国際的にも再三批判されている。
先進国では日本だけ。「中世レベル」と揶揄されていて、国連拷問禁止委員会からも繰り返し批判されているが変えようとしない。トランプの言うことならなんでも聞くクセにな。

こういう事を他人事と捉え、自分は悪い事をしないから関係ないと考えるのは大間違いだ。

共謀罪などその為に作った様なものだ。
要するに政府に逆らう者を黙らせ、9条を変えたいのだ。ダーハラ創価学会の査問と同じだ。

悪い事をしなくても普通に捕まる。
戦争に反対し平和を主張しただけでも捕まるし、最悪命まで奪われるのだ。それが「治安維持法」が天下の悪法と言われた所以だ。真の創価学会員なら転向しない限り全員捕まるだろう。

牧口先生の死因は老衰と栄養失調と言われているが、牢獄の劣悪な環境がそれに拍車をかけたのは疑いないだろう。長期拘留など、拷問の一種以外の何物でもない。


さて、現在の「国税庁長官」は、あの国会で嘘をつきまくった佐川宣寿氏。
先頃の会計検査院報告で、それらが嘘だった事が証明されたが、放ったらかしだ。
後任の太田理財局長は例の「金の話はしているが、価格の話はしていない」(笑)という幼稚園児並の言い訳を押し通した。漫才のネタとしては最高だ。

「最高裁長官」は大谷直人氏。
新任長官を、現職長官の意見を聞いて首相が了承するという慣例があるので、この人物も安倍首相寄りは間違いなし。司法も曲げられる様になったらこの国は終わりだ。

「警察庁長官」は「スシ友」山口氏の逮捕を、意味不明に中止させた中村格氏が予定されている。
現代の「治安維持法」と言われる「共謀罪」の運用をこの人物が統括する事になるのだが、冗談ではない。キチ○イに刃物という諺を知らないのか。警察が特高警察に変わってしまう。

大手マスコミが相撲ではなく、モリカケはじめスパコンやリニアや空母を深掘りすれば、安倍政権などすぐに倒れると思うが、安倍自公政権は放送法4条をインチキ解釈して、それを邪魔している。

こういう時代、国民は情報を与えられるのを待つのではなく、自分から取りに行かなければ、いつまで経っても真実は見えて来ない。



 

砂漠でサーモン・フィッシング

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月30日(土)12時14分6秒
  査問て平日の昼間にやるのですね。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77927
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77928
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77926
「すみません。創価学会で査問があるので有給で会社休ませて下さい」
「はあ???」
こんなやり取りが世間ではある訳ですね。?さんが呼び掛けて下さっているのでマスコミや人がたくさん来そうです。さすが信濃町! 自らビジネスチャンスを作りました。会館前で「査問グッズ」でも売り出せば儲かるかも。鮭の絵かなんか書いたりして。斜めの。Tシャツは寒いのでパーカーとか? サントリーやジョージアのように?
『砂漠でサーモン・フィッシング』という良い映画がありました。内容は全然違いますが、『東京砂漠』ならぬ「信濃町砂漠」では似たようなものか?
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77914
平日の昼間……そこまで暇じゃないので、私なら行かない。少なくとも奴らよりはもっと価値創造できる。そのために時間を使う。我々は砂漠の緑化運動をしている。

“手を伸ばそうとしてあがいてた。”
“でも私が声をあげようとしても、誰にも聞こえていないような気がした。”
“ここにずっといたかったけど、何かが違っている気がした。”
“だから私は飛び立つこと願ったの。”
“私は羽根を広げて、飛び方を覚えるの。”
“空にたどりつけるまで、何だってするわ。”
“願い事もするし、挑戦するし、変化を起こすわ。”
“そして飛び立つの。暗闇から光へと。”
“でも私は自分が愛した人たちを忘れない。”
“リスクをおかして、挑戦するし、変化を起こすわ。
“そして飛び立つの。”
『ブレイクアウェイ』ケリー・クラークソン
https://www.youtube.com/watch?v=c-3vPxKdj6o
 

二十一世紀への対話 184

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年12月30日(土)11時45分39秒
  【池田】 そうした女性本来の、生命の尊厳を守り、育み、大事にしていくという特質は、それ自体、人類にとり、人間社会にとってきわめて普遍的な重要性をもっているといえます。
女性が狭い個人的愛から、そうした、世界へ開かれた普遍的な愛に根ざして進んでいけば、私は、それが、地道ながらもきわめて大きな、反戦平和への潮流になっていくに違いないと思います。そして、女性がこの本来的な自らの使命に生きるところに、真実の女性解放があると信ずるのです。

【トインビー】 ええ、まさにおっしゃる通りです。女性の独占欲は、女性の視野を家族への関心に限る傾向がありますが、これに反して女性の愛は、本来普遍性があるものです。なぜなら、普遍性こそが愛の本質をなすものだからです。愛とは、自己を捧げること、つまり、自己のために奪うことの逆を意味します。愛は、宇宙大とはいかないまでも、独占欲(貪欲)と同じく、限りない広がりをもっています。
かつて中国の哲学史において、人間の愛の正しい配分のあり方について、論争が繰り広げられました。孔子の立場に論拠をおく儒家の哲学者孟子は、愛の差別的配分を主張しました。孟子によれば、自分の家族に対する愛は、それ以外の人々への愛に優先させなければなりません。家族以外はすべて他人であり、外部の人間とみなされたわけです。この孟子説に反駁したのは墨子でした。彼は、人間の愛はあらゆる人々に平等に及ぼされるべきであるという立場をとりました。
こうした愛の問題は、人間生活に常につきまとう基本的な倫理的・社会的問題の一つです。しかもそれは、今日、火急の課題となっています。いまや人類が単一の家族として、ともに生きる道を体得しなければならないことは、きわめて明白です。距離が抹殺され、原子力が兵器に利用されている今日の状況下にあって、人類が集団自殺を免れる道は、それ以外になくなっているからです。まして、現代社会の動向は、技術上の諸成果が要求している情勢とは、まったく逆の方向へと人類を引き込んでおり、そのため、この愛の問題は差し迫った課題となっているのです。
すでにナショナリズムはますます偏狭さを帯び、人類はより小さな単位へと分化して、それぞれ地方国家としての主権を主張しています。また、それらの地方国家のなかでは、家族構成の規模がますます縮小されつつあります。かつて伝統的な人間の家族にあっては、一つ屋根の下に両親と子供たち、それに祖父母たちが一緒に住んでいたものです。ところが、都市化の進行につれて、家族構成は夫婦とその子供たちだけへと縮小する傾向にあります。家庭にはもはや祖父母の居場所はなく、子供は成人するにつれて親に対する義務を負わなくなってきています。
こうみてくると、家族関係に本来そなわる義務を説いた儒家の主張が、今日ほど適切となった時代は、いまだかつてないのです。同時に、普遍的な愛を義務づけようとした墨子の説は、すでに技術面での統合をみながら心情的な統合がなされていない現代世界にあって、さらに当を得た主張といえます。

【池田】 儒家の愛は、父子・君臣の関係を中心として、親疎の別を立て分け、近きから遠きへ及ぼしていくものとしています。これに対して墨子の兼愛説は、このような差別を認めず、自分を愛するように人を愛し、自分の父を愛するように人の父を愛し、自分の国を愛するように人の国を愛さなければならない、としています。
その立場の違いは別として、そこで説かれる仁愛が今日の社会において必要とされることは、博士のおっしゃる通りです。現在、個人的にみれば、最も身近な親・兄弟を愛せない人々はおろか、自分の子供への愛さえ失っている人々もいます。この風潮はまた、自分自身の生命を軽んじ、自殺や、あるいは自殺的暴挙に走る傾向とも、無関係とはいえないと思います。「自分を愛するように人を愛する」といっても、その自分への愛すらも失っている姿が、現在、しばしば見受けられます。私は、この愛を生み出すものは、自己の生命、宇宙の生命への深い理解以外にはないように思います。自己の生命への深い理解は、他の生命存在への理解と尊重を生み出します。
さらに、国際的見地から論ずれば、エゴと偏狭と、それに基づく無理解とが渦巻く現状にあって、墨子の説く普遍的愛の精神が最も当を得た主張であるとの博士の説には、まったく賛成です。利己を去って愛他に立てと主張する墨子の兼愛の説は、侵略戦争反対の論理を導きます。すなわち、他人を侵害して自利を図る窃盗行為が非難されるのと同様、強大国が弱小国を侵害し、大量の殺人を犯し、経済的損害を与える行為も非難されるべきだと説きます。この論理は、非常に近代的であると思います。ただ、墨子の説く兼愛は、全中国的規模のものでしたが、現在、これは、全世界的なものとして理解すべきでしょう。
【トインビー】 孔子は、現世代の人々と同じく、戦闘的なナショナリズムの横行する時代に生きた人です。一般には、戦国時代は孔子の死後に始まったとされていますが、じつはすでに彼の存命中に始まっていました。孔子が“家”と“国家”を類比させ、そこから、臣民は統治者に対して、子供が父親に向けるのと同じ献身の義務を感じ、実践すべきであると説いたのは、意義深いことです。中国が政治的に統一され、儒教が帝政中国の正統哲学となって以来、統治者をもって大規模な家、すなわち国家の長とする儒家の思想が、皇帝に適用されました。帝政時代の儒者の説くところによれば、皇帝は“天下万物”を含む一大家族の長であり、したがって、元来、家長に向けられていた愛と忠誠は、敷衍して皇帝にも向けられるべきであるとされたのです。
人類の歴史が進んで、現代に入ってからは、この“天下万物”はさらに地球全域と全人類を包括するものへと拡大しています。それは、かつて一八三九年までの二十一世紀間、中国の統治権下、ないし宗主権下、または文化圏内にあった――全世界の人口にまでは至らないにしろ――巨大な数の人々の範囲に、もはや限定されるものではなくなっています。
愛の対象が段階的に、つまり同心円にたとえれば、その中心たる自分から遠ざかるにつれて、漸減的に配分されるべきであるとする儒家の主張は、無差別な普遍的愛を義務づける墨子の説に比べれば、明らかに人間の本性になじみやすいものです。赤の他人を愛するよりも知己を愛することのほうが容易なのは、人間誰しもが経験的に知っていることだからです。ところが、現代における絶対の要請とは、まさにこの見知らぬ他人を愛し、その普遍的な愛を実際の行動に移すという、困難な倫理的要求を満たすことなのです。儒教の教えは、同心円の最も内側の円に比べて最も外側の円では、愛の作用が弱まるのは当然としながらも、なお愛の及ぶ領域については普遍的たるべきことを説いています。したがって、儒教も、原則的には墨子の立場をとっているといえましょう。
もう一つ意義深いことは、従来、中国社会では、絶対的な墨子思想よりも、この儒教の絡んだ相対的な墨子思想のほうが支配的であったわけですが、にもかかわらず、今日の中国が伝道的イデオロギー――すなわち、単一の同胞共産社会への人類統合をめざす共産主義思想――を取り入れたということです。共産主義は、それよりも古い伝道的宗教、すなわちキリスト教の異端的改訂版であり、キリスト教こそマルクス主義のユニバーサリズム(全人類解放説)の源泉をなすものです。
共産主義出現以前の三つの主要な伝道的宗教――仏教、キリスト教、イスラム教――の創始者たちは、いずれも全人類救済の道を説くために家族と縁を切り、生まれ故郷を離れています。この点、聖フランチェスコもイエスと同じ道を歩んでいます。彼は、イエスの例にならって修行する自由を得るため、父親と絶縁しなければなりませんでした。

【池田】 全人類への普遍的な愛は、偏狭な愛に縛られていては得られません。そして、普遍的な愛に立脚しない偏狭な愛は、それ自体としても、真の愛ではありえないでしょう。したがって、普遍的な愛を体得するためには、肉親への偏狭な愛の絆から一度離れる必要がある、そして、そこに得たものこそが、肉親などに対しても真の愛となることができるのだと思います。

【トインビー】 仏教が中国の一宗教として取り入れられた後、新儒教学派の哲学者たちは、仏陀が家族を捨てたことを儒教的倫理観のうえから痛烈に非難しました。私は、普遍的な愛だけが人類の自己救済への唯一の希望となっている、現代の人間事象の危機にあっては、“天下万物”への義務と親密な家族関係への義務を同じとみる儒家の立場は妥当なものであり、現代人はこの意味での儒教的な立場をとるべきだと思います。そしてさらに、こうした儒教の愛に対する自由解釈的な立場から一歩進んで、墨子の立場にまで至るべきだと思うのです。つまり、現代人は、段階や制限を設けない普遍的な愛への到達をめざすべきです。この墨子の道は孔子の道よりもたしかに実践しがたいものです。しかし、私には、孔子よりも墨子のほうが、現代人にとって最も適切な道を説いているように思われるのです。
旧世界の西端部では、ギリシア哲学におけるストア学派の創始者ゼノンが、人間は宇宙の一市民であることを説きました。ゼノンは、自説がすでに東アジアの先哲によって唱えられていたことは知る由もありませんでしたが、しかし、彼は事実上の墨子主義者だったわけです。

【池田】 ええ、私も、儒家の愛よりも墨子の愛のほうが、とくに現代人にとっては必要であると考えます。そこで、仏教と墨子の教えとの違いですが、私は、仏教の偉大さは、そうした普遍的な愛を起こす根源を、万人にそなわっている生命の発動に求め、この生命発動の道を説き示したことにあると思うのです。
いいかえると、普遍的愛の重要性を説いたのが墨子であったのに対し、いかにすれば万人がその普遍的愛を自らの内に起こすことができるかを示したのが仏教です。そして、釈迦が時間・空間のへだたりを越えて、多くの人々から崇められてきたゆえんは、釈迦自身、そうした普遍的愛を体現化し、そうした一生を生きたがゆえに、その人格の光がいまなお人々の心を照らし続けているのだと思います。
こうした自らの実践・体現化によって示していくところに、たんに理論を教える哲学と異なる、宗教者の偉大さ、強さがあるわけです。それは、博士があげられた、キリストやマホメット、また聖フランチェスコなどの場合にも、等しくいえることだと思います。
 

貯金箱

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月30日(土)11時38分6秒
編集済
  大般涅槃經卷第四 四相品第七之一に云く

我涅槃後無量百歳。四道聖人悉復涅槃。
正法滅後於像法中。當有比丘。
似像持律少讀誦經。貪嗜飲食長養其身。
身所被服麁陋醜惡。形容憔悴無有威德。
放畜牛羊擔負薪草。頭鬚髮爪悉皆長利。
雖服袈裟猶如獵師。細視徐行如猫伺鼠。
常唱是言我得羅漢。多諸病苦眠臥糞穢。
外現賢善内懷貪嫉。如受瘂法婆羅門等。
實非沙門現沙門像。邪見熾盛誹謗正法。



我れ涅槃の後無量百歳、四道の聖人悉く復た涅槃せん。
正法滅して後像法の中に於て、当に比丘有るべし。
持律に似像して少く経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養し、
身に被服する所麁陋醜悪、形容憔悴威德有ること無し。
牛羊を放畜し薪草を担負し、頭鬚髮爪悉く皆長利なり。
袈裟を著すと雖も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺うが如し、
常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと。諸の病苦多くして糞穢に眠臥す。
外には賢善を現し内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。
実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん。



池田先生の「立正安国論講義」より

この経文は、まったく現代の宗教界の実態を浮き彫りにしてあまりあるものがある。
今日において、最も悪らつなものは、宗教界を装う宗教事業家、すなわち宗教屋である。
日本全国の寺々には、お布施をもらうための寺であり、
日本全国の宗教屋は、ただ偉そうに飾り立てて金を集めるのが目的である。

自分は生仏であるとか、生神様であるとか、上行菩薩であるとか、無辺行菩薩であるとか、
ひどいのになると日蓮再来とかいいだして人々をまよわせ、
また姿は、あたかも宗教家であるかのような格好をして教義には眛く、
都合主義の教義をこしらえ、信者から金をしぼりとる様は、
まさに「持律に似像して少く経を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養し
袈裟を著すと雖も猶猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺うが如し」
の文そのままではないか。

しかもまた、自分はさも聖人のごとく、見せかけ、心の中では貧欲のかたまりであり、
善人をうらみ、嫉妬し迫害するのは、
まことに「外には賢善を現し内には貪嫉を懐く」偽善者であろう。
少し教学について突っ込むと「唖法を受けたる婆羅門」
すなわち人間の言葉を忘れる修行をしたもののごとく、だまりこくって返事をしない。
これは、かつての小樽問答における身延派の代表のあの醜態ぶりを見れば明らかである。
これこそ、真実を教えず、否、知らずして、
甘現で人をあやつることのみにたけた詐欺漢であろう。
そのうえ金をしぼりとるのでは、追剥に等しいではないか。
これ「沙門に非ずして沙門の像を現し邪見熾盛」の者であり、
されば「正法を誹謗」する挙に出るのである。



 

リヴィン・オン・ア・プレイヤー

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月30日(土)11時16分44秒
  2.0さん、わざわざありがとうございます。批判ではないが、今や殆どを占める学会二世の人に考えてみて欲しい。
1966年「丙午(ひのえうま)」生まれの私は、中学卒業式での校長スピーチが忘れられない。父兄に対して「よくぞ勇気を持って産んで下さった」と言ったのです。
そんなたいそうなことか??? 俺たちが生まれたことが???
何度も聞かされたことでしたが、60年に一度の午年に生まれた女性は災いを起こすとして、出産を避ける伝統がこの国(安倍よ美しいか?)にはあった。だから私の同級生は他の年と比べて極端に少ない。マイク・タイソンもそうに違いない。
「そんな迷信を信じるなんて! 信じられない!」=「そんな宗教を信じるなんて! 信じられない!」でした。

私たちの親の世代と我々の世代とは全然違う。父はラジオの『赤胴鈴之助』で育ったが、私が『帰って来たウルトラマン』を見るためにカラーのテレビを買ってくれた。そして今の子供たちには生まれた時からインターネットがあり、自分がメディアに登場する。2003年に『鉄腕アトム』が実際には生まれなかったが、「♪ラララ科学の子」だ。
スティービー・ワンダーじゃないが、「迷信なんて信じられないよ」。
https://www.youtube.com/watch?v=mo6LRLWUMwU

祈りが叶う??? そんな「うまい話」があるか??? バカにするな!!!

そこで上から教えられたように「体験」と称して「現証」が語られるが、1979年4月に頂点を極めた広宣流布のお陰でこの国は「一億総中流」となり、今や癌の多くは治る時代となり、功徳が「分かりにくい」時代となった。この「分かりにくい」≒「無明」で、現代人は多少のことでは感動・歓喜しない。それを「現証」と言われてもねぇ……となる。
片や、罰も「分かりにくい」。宗門問題以降、「体ななめ」(太ちゃんさんの河合師範指導参照)で総罰がたくさん出ているが、文明が底上げしてくれているお陰で罰もさほど痛くなく、痒く感じている程度か。クラスの『夏の日の1993年』が流行ったこの年は極端な冷夏で「♪水際のエンジェル」なんか「♪その素肌」をさらすことなんか無かった。
https://www.youtube.com/watch?v=O4SGLJmreWM
米が不作でタイ米を大量に輸入して、この国は難なく食つなぐことが出来たが、この年は天明の大飢饉か天保の大飢饉クラスの不作だそうで、世が世なら多くの人が餓死していたのでした。

「おとぎ話のように聞こえるかも知れないが、(法華経は)実際にある《法則》である」と、晩年の池田先生はよく言われていました。
ガリレオ以来、全ての宗教が科学の前に敗れ去っていきました。しかし、日蓮仏法は違う!!! 「現証」を裏付ける「文証」「理証」がある。
池田先生が言われていたように、「科学が仏法に“近づいて来ている”」のです。
そのことを知らなければならない。知らなければ語れない。現代人に仏法を、功徳を、宿命転換を「ホンマや!!!」と言わせることが出来ません。

「勝利とは“文証・理証・現証で勝利”すること」と池田先生は言われていました。
現証だけでは片手落ちなのです。三証の三角関数で三角法を使って仏法を証明するのです。池田先生のスピーチを分析するとこの文証・理証・現証しか語られていません。
しかし、実は文証・理証については既に完璧に存在します。だから、勉強すればそれを身につけることは出来ます。

そうすれば、あとは現証・実証だけでいいのです。ここで「現証にはしかず」です。当然、現証・実証ほど本人にとって歓喜するものはありません。だから単純に現証・実証を求めればいいのです。求めさせてあげればいいのです。実感する功徳の歓喜があれば、打ち出しなんかなくても放っておいても折伏に行くようになります。(『脈動』参照)
だから池田先生は幹部に「皆を喜ばすことだよ」「(頭数なんか増やしても仕方がない)題目をあげて功徳を受ける人が増えないといけないんだよ」と言われていました。これを信じて、そのままに進めばいいのです。池田先生のご指導はシンプルです。(それをバ患部がややこしくして無明を強化して迷わせて広布を破壊している。やはり魔なのです。)

宿坊では多くの人が文証・理証について教えて下さっています。そして現証も。
だから自信、確信を持って、陽気に2018年もいきましょう!

“昔々の話 といってもそこまで昔ではないけど・・・”
“トミーは 港で働いていたんだけど組合がストライキで仕事が無くて・・・”
“彼は運に見放されてたんだ それは大変だった とてもキツかった”
“ジーナは一日中 食堂で働いてた 自分の男の為に働いてたんだ”
“稼いだ金を家に持って帰るんだ 愛の為に そう 愛の為に”
“ジーナは言うんだ 私達は 今あるものに しがみつくしかないわ 大して違わないでしょ 上手くいっても いかなくても”
“私達は二人一緒にいる それで十分でしょ (失敗してもいいから) やってみましょうよ”
“私達は まだ道半ばで 祈りながら生きてるわ”
“私の手を握ってよ そしたら きっとうまくいく 誓うわ”
“祈りながら生きるの 祈りながら生きるの 祈りながら生きるのよ
“私たちはしがみつくしかない 準備ができていようがいまいが”
“すべては 成功する時が来るまで 戦う為に生きてるのよ”
“祈りながら生きるの”
『リヴィン・オン・ア・プレイヤー』ボン・ジョヴィ
https://www.youtube.com/watch?v=lDK9QqIzhwk
トミーとジーナのように“祈りながら生きるの”2018年もよろしくお願いします。

『凡夫即身成仏論』オンデマンド (ペーパーバック) ? 2017/5/17 松戸行雄 (著)
「人間主義の日蓮本仏論」への進化・深化   絶賛発売中!!!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72980
 

相撲協会評議委員会議長は元公明党議員

 投稿者:JACK  投稿日:2017年12月30日(土)10時57分6秒
  池坊保子氏は、2012年に政界を引退した、元公明党議員ではありますが、創価学会員ではありません。  

私も

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年12月30日(土)10時52分24秒
編集済
  大きく目の覚める・・覚醒と境涯革命の一年でした・・

来年はさらに大きく・・自分の使命と大きな覚醒をしたい

悪と戦うことで、大生命力と宇宙を動かす祈りができる・・

間違いありません・

来年も宿坊の皆様とともに・・・悪撲滅、会員救済、独自の布教推進を・・・

宿坊、万歳!
 

余りにも・・

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年12月30日(土)10時48分1秒
  会員をバカにしすぎ・・・

この貯金箱

   ↓
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77961

日顕宗よりも、ある面、酷すぎでは・・

10口を推奨してやがる。

完全に無視すべき・・

財務をやれば、幸福を積む ????????????

選挙を戦えば福運がつく  ????????????

アホ患部たちによって、学会がアホになりつつある(涙・涙・・)

選挙戦っていれば、財務をしていれば勤行抜かしても、少ない題目でも

宿命転換できる、大福運を積むことができるという、誤った信仰に・・・
 

今年も大功徳を頂きました。

 投稿者:八風  投稿日:2017年12月30日(土)10時42分2秒
編集済
  「悪を罰しない人間は悪をなす」と。

今年一年、「先生奥様ありがとうございました。」勇気凛々と悪との戦いが出来て
満足でした。宿坊に来て早三年近く。こんなすがすがしい年末を迎えることは
なかったです。

皆さま、よいお年を! そして来年も自身革命の年にしていきます。ではでは。
 

大福運箱で~、来年も100万円供養目標に頑張ろう?

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年12月30日(土)10時28分1秒
  紙製の貯金箱?
500円玉限定で十口10万円貯めれるんだって!
アキヤーは使えませんね五口しかやらないからねー
ダーハラは、愛人二号五号の非嫡出子にカネかかるから、随分前からやってません。本職の大半も仏壇の中で信心してるから、財務やらないと公言してはばかりません。
やっぱ、下っ端会員の我々にこんなものをよこして、「池田先生のために財務しましょー」ってやるんですね。なんかコジキ学会みたい(呆)
 

宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2017年12月30日(土)09時45分40秒
  ーー緊急告知・その4.ーー
( 拡散希望 )

2017年、除名申請者審理に立ち会われた方より、メールを頂戴したので、御紹介させていただきたい。

「 当日は、面白い体験を致しました 」

との言葉で始まる文面には、
大聖人が時の権力者を

「 わずかの小島の主 」

と、仰せになられた御姿を思い起こした。

偉くもないのに、偉ぶった勘違い幹部共、

宗教貴族として、ロクな仕事もせずに、会員の財務で喰ってる奴等と違い、

社会人として、働いている人の都合も考えず、出頭せよだの、処分だの、弁明だの、云々。

極悪を極悪と破折せよ、とは、日蓮大聖人以来の仏法存続の要件である。

それを、極悪原田執行部の最極悪を、正直に極悪と言ったから除名する、などとは、


全く、「 蛍火が日月をわらひ.蟻塚が華山を下し.井江が河海をあなづり.

烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし.わらふなるべし 」所業である。

その勘違い幹部共による、
面白い査問の公開をさせて頂く。

ーー以 下  転  送ーー

当日は、相手は査問委員長含め5名で行われました。

ビデオカメラを回され、必ず弁護士が立ち会います。

最初から除名が決まっている査問ですので、

呼び出しに応じて、
ノコノコ行く必要はないかと私的には思いました。

まるで演出の如く、
誰が何を話す(指摘)のかが決まっている内容になっています。

質問は弁護士が45分位で、
あとは幹部が、
恐れ多くも、
池田先生の名を語り、

「 組織に迷惑を掛けた事を反省しなさい 」などど 、
クソ偉そうに、

上から目線の指導が入り終了となります。

形は査問ですが、形式は完全に裁判官と被告人になります。(当然こちらの弁護士はいません)

*弁護士同伴しても良いのですが、私は単独で参りました。

私は、
○○文化に呼び出されたのですが、終了後、

「 先生の慈悲と平和、平等の世界とは真逆の、

こんな腐れ切った学会に残りたくない 」

と思う程、
気持ちが悪いものでした。

ハッキリ言ってヘドが出ました。

そして、査問から二週間で、
書面が届き、

「貴殿を創価学会から除名する」と判決文が明記され(笑い)、

以下、その理由がダラダラと書かれていました。

あえて録音したり、
(録音を禁止する権限は、奴等には有りません。奴等も録音しています)

幹部共をおちょくって、やろうかと言う方以外は、わざわざ、行ってやる必要はないと感じました。

特に、女性、婦人にはお勧め出来るものではありません。
(バカがうつります)

気の弱い方は、信心を壊されてウツになる可能性があります。
そんな、柔(やわ)な女性はいないでしょうが。

しかし、
それくらいバカはバカなりの準備はしておりますし、
魔の強い査問です。

池田先生が会員の為に作って下さった、創価学会の会館で、

会員の査問、

除名をしているのです。

それから、その後は、陰湿な迫害が始まります。

除名通知が発効された時点で、

組織を挙げて、関係者に恫喝が入ります。

この動きは、かなりの電光石火で、こちらも動きが連動しています。

「○○○は創価学会から除名をされたので、

今後一切の付き合いをしてはならない。

これは創価学会の決定だから 」と、しっかり付け加えます。

それと、除名された人間とのメールのやり取り等の提出を求められます。
*法的には提出する必要は有りません。

恐怖心の前に、修羅場未経験の人は、
心を折られてしまう様です。

参考になればと思い、送らせて頂きました。

ーー以  上ーーー

「 自身の魂の解放には、
少々の痛みを伴いますが、

これも、自身の境涯革命の為と、腹を決めて下さい 」

との激励も添えられていました。


当に、地球上に人間として生まれ、鎌倉時代には御本仏.日蓮大聖人様と共に、愚痴を言いながらも戦い、

今又、
化儀の広宣流布の時に、偉大なる師匠、池田先生の直弟子となる事が出来た。

龍ノ口の法難迄は、
大聖人お一人が受けた難であった。

しかし、
大聖人佐渡流罪以降、
今度は、

師に代わって、弟子が難を受ける時であった。

同じく、
昭和54年~平成22年(2010年)迄は、

弟子を守る為に
先生お一人が、難を受けて戦って下さった。

そして今度は、先生の大恩に報いさせて頂く為に、弟子が難を喜んで受ける時である。

大聖人当時も、
弾圧は厳しく、

「かまくら(鎌倉)にも御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候」(907頁)

と。

仏法的には、勝ちは決まっていても、世間的留難は自身の信心で乗り越えて行く以外にはない。

最後は、弱き自身との戦いである。

世間法や国法次元の戦いであるように見えても、仏法の戦いである。

戦う戦場は修羅闘諍の娑婆世界であっても、

我が一念の中には、
御本尊様と、先生を懐き、大歓喜の師弟共戦不敗の戦さである。

 「 古徳のことばにも

心地を九識にもち

修行をば六識にせよと・

をしへ給う・

ことわりにもや候らん 」
(1506頁)

心には偉大なる不滅不敗の妙法を懐き、

一念には、
師と共に、仏法故に、
この身を捨つる覚悟に寸分の迷いなく、

歓喜の中の大歓喜の生命で師弟不二の王道を歩む。

二編の御書を拝したい。

「 構えて構えて所領を惜しみ.妻子を顧りみ.

又人を憑(たの)みて・あやぶむ事無かれ、

但、偏(ひとえ)に思い切るべし、

今年の世間を鏡とせよ、

若干(そこばく)の人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは

此の事にあはん為なりけり 」

(1451頁)


この覚悟を常に持ちつつ、
次の御書を拝したい。


「 法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし、

現世安穏・後生善処とは是なり、

ただ世間の留難来たるとも・
とりあへ給うべからず、

賢人・聖人も此の事はのがれず、

ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ、

苦をば苦と悟り、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と、

うち唱へ居させ給へ、

これあに自受法楽にあらずや、

いよいよ強盛の信力を致し給へ 」(1143頁)

悠々と堂々と、女房と、又は、亭主と、酒うち飲みて、

と。

大正義の、先生直結の我々の勝利は、決まっている。

しかし、その仏天・諸天の加護、働きに、頼る事なき、覚悟と決意を持って進む事である。

激動の2017年もあと2日で終わる。

4日後には、師が満90歳をお迎え遊ばされる。

そして、自他共に、

信心が、

師弟が、

魂が、試される年である。

我が師匠が、54年以降、内部に今も巣食う反逆者に依って断念せざるを得なかった、

一人一人の大歓喜の生命の解放を、弟子が成し遂げる年である。

油断なく、最高最良の年を締めくくり、誠の弟子としての金字塔を我が生命に打ち立てん年を大歓喜と共に、迎えられん事を。

  常唱院  日護  拝.
 

え?マジ?

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月30日(土)08時59分37秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77947

>相撲協会の評議委員会の議長って元公明党の議員さんじゃないですか^^;<

え?マジ?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

新年号に思う。

 投稿者:コンペー  投稿日:2017年12月30日(土)08時01分46秒
  聖教新聞の新年号が届いた。

配達員の皆様ありがとうございます。
学会の中で一番立派なのは、無冠の友の方々だと思います。そこそこ幹部でも配達はやってない方々もいますし。もっと大事にすべきです。

新年号の一面。あまりに希望がない。笑
先生の卒寿のタイトルの方がいいのでは…
卒寿、関連は4日号にしましたか?随筆と一緒に。輝くような励ましの言葉がなくなっています。どこに行ってしまったのか?

まぁ、 乞うご期待!




 

「即身成仏」とは 3完

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月30日(土)07時31分29秒
編集済
  日蓮大聖人は即身成仏と一生成仏について次のように仰せである。

三世諸仏総勘文教相廃立には
「十法界の依報・正報は法身の仏・一体三身の徳なりと知つて
一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する是を名字即と為す
名字即の位より即身成仏す故に円頓の教には次位の次第無し」


また、十如是事には
「されば我が身が頓て三身即一の本覚の如来にてはありける事なり、
是をよそに思うを衆生とも迷いとも凡夫とも云うなり、
是を我が身の上と知りぬるを如来とも覚とも聖人とも智者とも云うなり、
かう解り明かに観ずれば此の身頓て今生の中に本覚の如来を顕はして
即身成仏とはいはるるなり、

譬えば春夏・田を作りうへつれば秋冬は蔵に収めて心のままに用うるが如し
春より秋をまつ程は久しき様なれども一年の内に待ち得るが如く
此の覚に入つて仏を顕はす程は久しき様なれども一生の内に顕はして
我が身が三身即一の仏となりぬるなり。

此の道に入ぬる人にも上中下の三根はあれども同じく一生の内に顕はすなり、
上根の人は聞く所にて覚を極めて顕はす、
中根の人は若は一日・若は一月・若は一年に顕はすなり、
下根の人はのびゆく所なくてつまりぬれば一生の内に限りたる事なれば
臨終の時に至りて諸のみえつる夢も覚てうつつになりぬるが如く
只今までみつる所の生死・妄想の邪思ひがめの理はあと形もなくなりて
本覚のうつつの覚にかへりて法界をみれば
皆寂光の極楽にて日来賎と思ひし我が此の身が三身即一の本覚の如来にてあるべきなり、

秋のいねには早と中と晩との三のいね有れども一年が内に収むるが如く、
此れも上中下の差別ある人なれども同じく一生の内に
諸仏如来と一体不二に思い合せてあるべき事なり」


この御文では、我が身が三身即一の本覚の如来であると信じて観ずれば、
上中下根の相違はあっても、一生のうちに本覚の如来を顕現して即身成仏できる、
と仰せられている。

以上の二文からも明らかなように、
天台大師が今生の生涯での成仏を十住の〝初住〟までに限定し、
伝教大師も同じく〝初住位〟とし、
かつ、成仏の達成を利根のなかの上中下の程度に応じて、
一生成仏、二生成仏、三生成仏までとしたのに対し、
日蓮大聖人は六即位の第二名字即位において上中下の機根の相違にかかわらず
一生の間に即身成仏できる、とされたのである。

つまり、日蓮大聖人の仏法においてこそ、即身成仏と一生成仏とが両立し
統一されたのである。



上:体1.3mの巨大猫
下:パラスとケンタウロス(オリジナル)
 

「即身成仏」とは 2

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月30日(土)07時09分24秒
編集済
  日本天台宗の祖、伝教大師最澄は法華秀句巻下で、
「即身成仏」という言葉を冠した即身成仏化導勝という章を、
法華経の十の勝れている点のうちの第八として立てている。

明知。能化龍女。偈云我闡大乘教。度脱苦衆生者。
已顯眞實内證大乘。不是未顯眞實前三中之權因之大乘。
何以故。能化龍女。無歴劫行。所化衆生。無歴劫行。
能化所化。倶無歴劫。妙法經力。即身成佛。
上品利根。一生成佛。中品利根。二生成佛。下品利根。三生成佛。
見普賢菩薩。入菩薩正位。得旋陀羅尼。是則分眞證。


「明らかに知んぬ、能化の竜女、偈に我闡大乗教度脱苦衆生と云うは、
已顕真実の内証の大乗にして、是れ未顕真実の前三が中の権因の大乗にあらざることを。
何を以っての故に。能化の竜女、歴劫の行無く、所化の衆生、歴劫の行無し。
能化所化、倶に歴劫無し。妙法の経力を以って即身に成仏し、
上品の利根は一生に成仏し、中品の利根は二生に成仏す。下品の利根は三生に成仏す。
普賢菩薩を見て菩薩の正位に入り、旋陀羅尼を得る。是れ即ち分真の証なり」

と説いている。

これは、提婆達多品で竜女が
「我れは大乗の教を闡いて 苦の衆生を度脱せん」
と誓った偈文を釈したものである。
まず、偈文のなかの大乗の教えというのは、未顕真実の権大乗の教えではなく、
すでに真実を顕した仏陀自身の内なる悟りである実大乗の教えを意味していると述べている。
その理由は能化の竜女に歴劫の修行がないし、所化の衆生にも歴劫の修行はなく、
能化所化ともに歴劫の修行がないにもかかわらず、妙法を説く経の力によって、
その身体のままで成仏しているからであると説き、
次に、その即身成仏のなかにも上中下の三種類の利根によって相違があり、

上の部類の利根は一生の間に成仏し、
中の部類の利根は二度の生涯のなかで成仏し、
下の部類の利根は三度の生涯の間に成仏するとして、
三生成仏までを即身成仏の範囲としている。

また、即身成仏の内容として、
普賢菩薩を見て菩薩の正しい位に入り「旋陀羅尼」、
すなわち空理に達する智慧の力を得ることとし、
その位は天台宗での修行の位である六即位のうち第五の分身即にあたるとしている。

更に、伝教大師はこの文の直後に法華経の結経・普賢経の文を引用している。

不入三昧。但誦持故。專心修習。
心心相次。不離大乘。一日至三七日。
得見普賢。有重障者。七七日後。然後得見。
復有重者。一生得見。
復有重者。二生得見。
復有重者。三生得見。


「三昧に入らざれども、但だ誦持するが故に、心を専らにして修習し、
心心相次いで、大乗を離れざること、一日より三七日に至れば、
普賢を見ることを得。
重き障有る者は、七七日の後、然る後に見ることを得。
復た重きもの有る者は、一生に見ることを得。
復た重きもの有る者は、二生に見ることを得。
復た重きもの有る者は、三生に見ることを得」


この経文では、たとえ三昧に入らなくても、
大乗すなわち法華経を受持し読誦して専心に修行しつづけると、
一日から二十一日に至る間に普賢菩薩を見ることができるのであり、
重い障害のある者は四十九日の後に見ることができ、
更に重い者は一生、あるいは二生、あるいは三生の間に見ることができる、
と述べている。



 

(無題)

 投稿者:末端信者  投稿日:2017年12月30日(土)06時04分36秒
  学会の肩書を付けた、殆どの人間が、
信心が無いので、傲慢で、横柄で、横着です。

このままだといづれ、
宗門みたいに疲弊して、先生が言われた様に、邪宗と化してしまうのでしょうか?

ある地区で御書学の日に、知り合いと地区部長の二人だけだったりとか、

また別の地区で、座談会を開くと、
地区部長、地区婦人部長夫婦と、そこの従業員一人の三人だけだったそうです。

これでは、子供も付いて来ません。

地区の統合、支部の統合と確実に衰退しています。

秋谷、原田の執行部、及び方面幹部と地域幹部の師弟違背の結果です。厳罰は必定です。
でも、当人たちは、信心が無いから、解らないでしょう?

支部や地区の責任者の方々も、同罪にならないよう、
池田先生の指導を良く勉強すべきだと思います。

「悪知識には親近してはならない。いくら信心していても、野心があったり、我見がある
疑似信仰者、疑似幹部には、親近してはならないのである。」

「悪い人間に利用されるような、愚かな誠実であってはならない。
善悪を見抜く、光る智慧がなければならない。」

また、
「極めて残念なことであるが、
歴史の事実は事実として、きちんと語り伝えておかなければならない。
恥ずべき事実を隠すことは、恥ずべき行為をさらに重ねることになるからである」

そして、
『牧口先生は、組織は上からではなく、下から変革していくのだ、と訴えておられた。
公布を阻む動きに対しては、勇気をもって声をあげることだ。
「おかしい」と思ったら、どんな人間に対しても、厳然と言っていくのである。
おとなしくする必要はない。
言わないのは臆病であり、場合によっては、悪につながってしまうからだ。』
 

<削除>

 投稿者:<削除>  投稿日:2017年12月30日(土)05時41分53秒
編集済
  <削除>  

「即身成仏」とは 1

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月30日(土)05時25分51秒
編集済
  即身成仏の法門は、法華経提婆達多品第十二の竜女の成仏に起源を有している。
竜女の成仏に関して、天台大師智顗は法華文句巻八下において次のように釈している。

第七龍女現成明證復二。
一者獻珠表得圓解。圓珠表其修得圓因。
奉佛是將因剋果。佛受疾者獲果速也。
此即一念坐道場。成佛不虚也。
二正示因圓果滿。
胎經云。魔梵釋女皆不捨身不受身。悉於現身得成佛故。
偈言。法性如大海。不説有是非。凡夫賢聖人。
平等無高下。唯在心垢滅。取證如反掌。


第七に竜女、現に成じて明証するに復二あり。
一には珠を献じて円解を得るを表す。円珠は其の円因を修得するを表す。
仏に奉るは是れ因を将って果を剋するなり。
仏の受けたもうこと疾きとは果を獲ること速やかなるなり。
此れ即ち一念に道場に坐して成仏すること虚しからざるなり。
二には正しく因円果満を示す。
胎経に云く「魔梵釈女は皆身を捨てず身を受けずして、悉く現身に於いて成仏することを得」と。
故に偈に言く「法性は大海の如く、是非有りと説かず。凡夫賢聖人、
平等にして高下無し、唯心垢を滅するに在り、証を取ること掌を反すが如し」と


ここで天台大師は、宝珠が竜女の手にあるのは円教における因としての修行を表しているとし、
その宝珠を竜女が仏に奉ったことは因をもって果を獲得することを意味し、
竜女の手から仏の手に移るのが速やかであることは
仏果を得ることの速やかさを表している、としている。
そして、仏果を得ることの速やかさとは、
その肉身のままで仏となることを意味する文証として
「胎経」にある「現身に於いて成仏すること」を引用している。

また、妙楽大師の法華文句記巻八の四には

正示圓果中。云龍女作佛者。
問。為不捨分段即成佛耶。
若不即身成佛此龍女成佛。及胎經偈云何通耶。
答。今龍女文從權而説。
以證圓經成佛速疾。若實行不疾權行徒引。
是則權實義等理不徒然故胎經偈從實得説。
若實得者從六根淨得無生忍。
應物所好容起神變。現身成佛及證圓經。
既證無生豈不能知本無捨受何妨捨此往彼。


正しく円果を示す中に、竜女作仏を云う。
問う、分段を捨てずして即成仏と為すや。
若し即身成仏にあらずば、此の竜女成仏及び胎経偈、云何が通ぜんや。
答う、今、竜女の文、権に従って説く。
円経の成仏速疾なるを証するを以って、若し実行疾せずば権行徒に引く。
是れ則ち権実義等理徒に然らざる故に胎経偈実得に従うを説く。
若し実得とは、六根浄に従って無生忍を得。
物の好む所に応じて神変を起こし、現身成仏及び円経を証するを容る。
既に無生を証す、豈本捨受無く、何が此れを捨て彼に往くを妨げるを知り能わざらんや


とあり、ここでは竜女成仏について
「即身成仏」と呼んだり「現身成仏」と称したりしているが、
法華経提婆達多品第十二にも天台大師智顗の法華文句にもあらわれなかった
「即身成仏」という言葉を使っていることが注目される。


 

即身成仏って何?

 投稿者:自由の凡夫  投稿日:2017年12月30日(土)04時16分57秒
  「思考・概念」に対する査問・処分について その②

査問する側(創価本部)の「生命現象体」に、査問される側(会員)の「生命現象体」の多くを査問・処分されて現象化しているこの時期に

地球で、同時期に起きている自然現象(生命現象も含む)や人為的現象が観測や観察されていれば、関係性を後世の人々が検証することだろ

う。(意識を含む)

宗教的なものにおける貴重な証拠になるかもしれない。「絶対的現象・現実」の生命感覚を知らない輩のすること。

以前に投稿したとおり、『「思考・概念」に対する査問・処分について』を書いたはずである。



(以下は一部抜粋)

「救済」という視点から言えば、私たちのいる「相対的現象・現実」の多種多様な会員への執行部のアプローチは疑問です。

執行部の方々は、組織をまとめていく大変さは理解できますが、意見の言うものは「査問」「処分」等の安易な策で対応してしまう。

掲示板の皆様が訴えられている様に、生命の感覚が希薄になり、悪の働き作用に転じている。

「自我機能」の人に見られる、「体感・体験」の無い 「愚考」「愚行」になっている。追従する方も同様です。
 

カエル様

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年12月30日(土)00時06分22秒
  チャップリン『独裁者』、溝口健二『山椒大夫』、山田洋次『息子』・・・
ほか枚挙にいとまがないですが、先生がスピーチで語る映画とそれに纏わるエピソードは、
作る側、観る側双方の心の機微に通じた深さと温かみが伝わってきますね。

『人間革命』に会合さぼって映画館に足を運んだ挿話がありますが、お若い頃の体験の一切が無駄にならずに今の先生を形作られている。
今の青年部も、活動はテキトーに折り合いをつけて、映画や演劇・音楽鑑賞、読書に時間を割いたほうがいいかもしれません。

タルコフスキーは黒澤明と溝口健二に傾倒していて、新作に取り掛かる前には必ず『七人の侍』や『雨月物語』を鑑賞していたそうです。
私がリアルタイムで彼の映画を劇場で観たのは遺作の『サクリファイス』でしたが……。
『ノスタルジア』や『惑星ソラリス』ももちろん良いですが、現在進行形で“フクシマ”を経験している日本人すべてに観てほしいのが『ストーカー』。
自分もこんな映画を撮ってみたいなぁと思ったのは『鏡』です。
 

おもろいでー

 投稿者:?  投稿日:2017年12月29日(金)23時54分51秒
  http://健康法.jp/archives/37674

【痛快】たけしがモリカケをぶった斬る!
「加計と安倍晋三の仲」
「京都産業大は金を持って行かなかった」
「安倍昭恵はおかしい」

TV東京の「巷の噺」で、たけしさんと鶴瓶さんが、森加計や、籠池さんや、昭恵氏の事を話題に上げています。たけしさん「籠池のおっさんは利用されたんだよ」鶴瓶さん「アキエは出て来なアカン」等など。面白みを交えてるので笑ってしまいます。



鶴瓶さん「稲田朋美はどうなの? あんなメガネかけて」
たけしさん「稲田はアダルトビデオの女教師みたい。昔のアダルトビデオにああいうタイプがよく出てたね」
不謹慎ながらウケたw


こうしてウーマンラッシュアワー村本に感化されて安倍政権批判をどんどんやってくれる芸能人が増えれば、ちょっとはこの国も変わるかも。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年12月29日(金)23時50分0秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
皆様と御題目を唱えた一年
光栄に思います
良いお年を
おやすみなさい
 

同盟題目は23時に開始!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年12月29日(金)22時58分39秒
  よろしくお願いします。
池田先生、奥様のご健康、ご長寿を祈ります。

年末年始の同盟題目ですが、明日30日から1月1日の元旦まではお休みにします。急な連絡になりすみません。
年明けは1月2日の23時から呼びかけを行います。
一年間ありがとうございました。皆さまにとり来年が素晴らしい年であるようにお題目を送ります。
 

あれあれ?

 投稿者:先駆の奏者  投稿日:2017年12月29日(金)21時14分33秒
編集済
  相撲協会の評議委員会の議長って元公明党の議員さんじゃないですか^^;
なぁ~んか。色々と繋がってくるのかなぁ^^;

単なるひとりごとです~
 

続・ダーハラのにやけ顔で年末に大笑いw

 投稿者:ニャンコ先生  投稿日:2017年12月29日(金)20時28分2秒
  お気に入りの女史と南米旅行の記念に!

こんな、じき弟子いるのかね?

こちらも参考にね。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77896

 

八尋みのる様

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2017年12月29日(金)20時01分22秒
  初めまして。
八尋みのるさんは人がいいですね。
私は職業柄色んな事件になりそうな案件に出会っていますので、素直に彼(貴乃花)の言うことは信じられません。

大した事のない診断書をさも大ごとのように騒ぎだて、その診断書で警察には証人になってもらい、相手に金品を要求する、もしくはその人の社会的地位を脅かしながら寄生する、暴力団や悪徳弁護士のやり方にそっくりです。誰か、その筋の指南役がいるとしか思えません。

人によっては、家まで取られたり、会社を首になったりと様々です。
私も2,3の事案にかかわったことがありますので、ゆすられる方は大変気の毒です。

警察はそこのところはよく分かっているはずで、日馬富士や協会に対して同情的ですがマスコミ初め、社会が騒ぐので軽い処分は見送られたようです。

匂いがするのです。
悪だくみの。

だいたい、相撲取りがあんな程度のことでダメージを受けるなどということはありません。
弟子を思うといいながら、弟子を使って自分の思いを晴らそうとするその姿に、二枚舌としか思えません。
本当に弟子の成長を願い、相撲を愛しているのならあんな態度はないと思います。
貴ノ岩が相撲界で立派に生きて行ってもらいたいと思うなら、自分が泥をかぶってもいいというのではないでしょうか。

耳鳴りがするとか、ふらつくとか言うのは頭を殴られた人が、相手に、文句を言う常套手段です。
騙されてはいけません。

大体2週間未満の診断書では、公判の維持に耐えうるものではありません。
だから、入院させているのでしょう。

この件を真似ての強請等が横行しないか心配です。

学会も、社会も真言密教化しているのでしょうね。
貴乃花がたびたび訪れて、指導を受けている池口とかいう真言の坊主・・・亡国です。

いろいろ書きましたが、あくまでも私の意見ですので、・・・・・・・・・。

 

38.牛飼いの男の恐怖

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年12月29日(金)19時19分42秒
  牛飼いの男の恐怖

 ことのいかんをとわず、青年は必ずよき先輩、よき師というものを持つべきであると思う。
その人間と人間のふれあいから成長しゆく、一つのみえざる綱というものが、それなりの世界の師弟とみたい。昔から、その人間練磨の根幹をなすという意味から、夫婦よりも親子よりも、その師弟というものが重んじられてきたといえるのかもしれない。


吉田松陰といえば、私のもっとも好きな人物の一人である。
その吉田松陰が、萩の町の一隅の松下村塾から短期間に、あれほど多士済々な人材群を輩出しえたということは、松陰が並々ならぬ人間的魅力の持ち主であったことを物語っている。
私の恩師も、松陰の優れた教育者としての側面などによく言及され、人材育成の範とされていた。
囚われの身となってからも、獄中から門下へ向けて数多くの手紙を送り、巨細にわたり志の貫徹をうながしていて、革命家であり教育者であった彼の人となりを、鮮やかに浮かび上がらせている。

そんななかで、彼の死生観を語って、私に強く印象づけられている一書簡がある。刑死のほぼ半年前、萩の野山獄から弟子の入江杉蔵に宛てたものである。そのなかで -
「死を求めもせず、死を辞しもせず、獄に在っては獄で出来る事をする、獄を出ては出て出来る事をする。時は云はず勢は云はず、出来る事をして行き当つつれば、又獄になりと首の座になりと行く所に行く」と、その死生観を淡々と述べている。
当時、松陰はまだ二十九歳。若い。しかし、彼のたどった道と教養の深さを思えば、そこに、若さの客気が生む観念的な背伸びを読んではなるまい。読みとるべきはむしろ、一つの徹した死生観である。
江戸の獄舎に移送されたのちも、高杉晋作から「丈夫死すべき所如何」と問われて「死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず、道尽き心安んずる、便ち是れ死所」と答えているのも、感銘深い。
松陰独特の死生観の透徹ゆえに、彼のことばは、死を論じて暗さを感じさせない。自らの行動に対する絶対的な信念、未来と人間への信頼をたたえている。松陰の若さをいうならば、そういう形で凝結していると、私は思う。


たしかにこうした死生観は、現代ではあまりはやらないだろう。といって、生死への関心が薄れているわけではなく、健康やガンなどの問題に対する人びとの関心の高まりは、むしろ異常といってよいほどだ。
しかし、その関心の向き方には、どこか陰影がまとわりついていはしまいか。死を直視して生死に徹した松陰の澄明さとは逆に、死を見つめることを避けようとするあまり、かえって死の影に脅かされるという陰影、暗さが・・・。それが高ずると、結局は生きる力の衰弱につながっていくことになる。


 これは、ある仏典に出てくるエピソードである。
 - 釈尊がガンジス河のほとりで説法していたときのことである。話を聴いていた一人の牛飼いの男が、手を合わせて弟子入りを懇願する。
 釈尊は、まず牛を主人のところへ返してくるよう命ずる。すると牛飼いの男は、道すがら大きな声を張り上げて、
「こわいよう、こわいよう」
と叫びながら駆け出した。彼には、百人ほどの牛飼いの仲間があったが、このありさまを見て、口々に問うた。
「なにがそんなに恐ろしいのだ
すると牛飼いの男は、
「生きているのが恐ろしいのだ。老いていくのが恐ろしいのだ。病気になるのが恐ろしいのだ。死んでいくのが恐ろしいのだ」
と答えた。仲間たちはそれを聞いて、牛飼いの男の後から「こわい、こわい」と叫びながら駆け出した。
かくて、ほかの牛飼いの男も、草刈りの男も、柴刈りの男も、路傍の男も、それに続いて駆け出した、という。

他愛のない話のようだが、この牛飼いの男や彼に雷同する男たちの愚かさを笑える現代人は少ないとはいえまいか。
たしかに、死や病を恐れるのは人間の自然の情である。だから健康に留意する。無病息災ということは、充実した人生を送るための大切な要件である。
私自身、若いころに胸を病み、青春時代は否応なく死とむかいあわせに生きた。であるからこそ、私には、健康の尊さが骨身にしみている。
とともに、無病というだけでは、それが、半面の事実にすぎないことも忘れてはなるまい。


事なかれ主義が真実の人生の充実をもたらしはしない。


意義ある一生とは、生涯をかけて悔いない、ある意味では自らが死んでもなお生きつづける理想や目的があって、はじめて可能になる。



仏法では生死不二と説いている。そうした生き方は、日蓮大聖人が御遺文集のなかで「一生はゆめの上、明日を期せず」と仰せのように、現在の一瞬一瞬を最高度に充実させゆく日々のなかにのみ築かれていくと、私は信じている。

レミングという小動物は、三、四年の周期で大繁殖し、集団をつくって大移動する。途中、山を越え、植物を食い荒らしながら一直線に行動し、海岸に到着するとそのまま海中へ突き進み、集団で溺死してしまうという。
牛飼いの男たちの姿は、どこかこのレミングに似ていはしまいか。われわれは、そうした轍だけは踏みたくないものだ。
そのためにも、真実の生死観の確立こそ、現代人に課せられた、もっとも大きな宿題であると、訴えてやまない。

『主婦と暮し・昭和56年4月号』掲載
 

帰国

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年12月29日(金)19時08分20秒
  無事、昨夜遅く、自宅にたどり着きました・・

今回の忘れ物はシェービング・クリーム

毎回、何かを忘れるので、今回はゼロを目指しましたが・・残念

ま、命を無事、持って帰れたことで、また御本尊様に感謝。

年、多くのフライトもをすると、ある面、命がけです。

御本尊様への祈りも、真剣にならざるをえ得ません。

よく、乗員の人は怖くないのかなと、思ってしまいます。

今回は、大失敗もありました・・トホホ級です・・

さて、いつも、空港で味わうストレス・・

ヤラセ、航空機テロで、どこの空港でもセキュリテイーが始まって、もう、長い年月が過ぎますが・・

あの、セキュリテイー連中には閉口します。

ただ、日本の空港だけは、皆さんとても親切・・

ドイツフランクフルト空港・・最近はどうなっているかですが・・

まるで、ナチ収容所にいる警備のように振る舞っていました。

通常、個人の所有物には、警官でさえも自ら手を入れることはできません・・

が、彼らは法を知らないのでしょうかね・・

今回、中国ではバックに手を入れようとするので、断りました。ちゃんと、手を引っ込めましたね。

ドーハ空港のセキュリテイーは、とても道徳的、マナーが良かったですね。

北京空港・・・ヘキヘキの3重、4重チェック・・

以前はどの空港でも、警備員に喰ってかかっている乗客が見受けられましたが・・

最近では奴隷化が進み・・皆さん、おとなしく言われるがままに・・従順に(私も、そういう一人)、

まるで、収容所にはいるような、感じ・・

権力を握ったことがない人が権力を持つと、どうなるか、良き見本です。

最近のSG/SGIでも、似たようなことがありますね。

支部長、本部長以上の役職の任命を受けると・・

自分は偉い、と錯覚するのでしょう・・

下々のメンバーには上から目線・・

上に対しては、ヘコヘコに・・

力がないのか、対話できない。

または、メンバーをアホとしか見ないので、横暴になる傾向性を必然的に・・

川崎の三人さんが、書いてある通りです・・

一人として、耳を傾けようとしていない様子が、描写されています。

PS: 中国ではgoogleが使えなくなっていますね・・gmailだけの私は大変でした。

おまけに、スカイプもトラブッて・・

safariだけが機能・・で、宿坊も読んだり、書いたりできました。

皆様も中国へお出かけの際は、他のメールも使えるように、しておくといいでしょうかね・・

ただ、今時の若い人は@mailは使わず、Lineですね。
 

また政権の圧力か?

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2017年12月29日(金)18時38分56秒
  ABCの浦川泰幸アナ、突然の降板。
また政権の圧力か?
独特の語り口で安倍政権を批判していたので、
大丈夫かなぁと思っていたが、今日突然の発表だった。
真相は分からないけど何か怪しい感じがする。



森友問題をいち早く取り上げてきたキャスト
浦川アナは、全てが明らかになるまで番組で取り上げますと言っていました。
残念です!



浦川アナ突然の卒業
やはりおかしい!
まともで正論を通した番組に相応しい浦川アナをキャストで観られないなんて!



この日放送された1部、2部ともに浦川アナの姿はなく、
エンディングのみ登場して卒業発表をする異例の放送となった。



これが、もし、何らかの政治的な圧力があったのなら、決して許すわけにはいかない。
関西の夕方の報道番組で最も関西らしいしっかりした批評の視点を持っていたキャスターの
突然の降板にとてもきな臭いものを感じます。...



ABCのキャスト後味悪すぎ。
最後の最後で浦川さんだけが出てきて挨拶して…しかも途中で話途切れるし、
普通の卒業ならみんなから花束もらってそこで挨拶して…やのに。
顔やつれてる感あったけど…でもなんかSMAPの時みたいな
変な恐さと違和感ありまくりの挨拶やったな…。



朝日放送の浦川アナより、読売テレビの辛坊治郎を今すぐ降板させろ。
安倍晋三や大阪維新の会にべったりの、権力者大好き御用キャスター・
辛坊治郎をいつまでも出演させ続けるのは、間違ってるやろ。
 

相撲協会と原田学会の処分対比ね~ w 相似形だね~w w w

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年12月29日(金)18時22分13秒
  ○相撲→結論ありきの茶番
●原田学会→除名ありきの呼び出し


○相撲→最初から結論か決まっていた
●原田学会→現場から除名申請という体裁


○相撲→議論できる雰囲気でない
●原田学会→議論するのではなく一方的に除名を通知する場


○相撲→意見すら言えない異様な雰囲気
●原田学会→意見しても黙殺


○相撲→相撲解任の件という議題の資料が配られ評議会招集が決まっていた
●原田学会→最初から除名申請と除名通知の書類、県審査会も中央の監正審査会も形ばかり、結論は信濃町が既に決めている
 

ゴロツキ談義。バイバイこんぺーとー?

 投稿者:政局  投稿日:2017年12月29日(金)18時20分54秒
編集済
  安倍首相と橋下氏が会談 憲法改正やG20誘致

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017122801001693.html

安倍晋三首相は28日夜、橋下徹前大阪市長や、日本維新の会代表の松井一郎大阪府知事と東京都内のホテルで会談し、

首相が目指す憲法改正について意見を交わした。

出席者によると、松井氏側は2019年に日本で初めて開催される20カ国・地域(G20)首脳会合や、25年国際博覧会(万博)の大阪誘致に重ねて意欲を伝えた。
 政府が来年1月召集の通常国会に、カジノを中心とした統合型リゾート施設(IR)実施法案の提出を予定していることも話題に上った。
双方は同法案成立に向けた協力を巡り協議したとみられる。
維新は、観光振興などの観点から、IR整備に賛成の立場だ。
(共同)

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年金100年恐怖プラン

 投稿者:政局  投稿日:2017年12月29日(金)18時07分44秒
  年金13万円、生活苦に悩む高齢者たちの実情

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171229-00202462-toyo-bus_all&p=1


2015年9月、厚生労働省は納めた年金保険料に対し給付額がいくらになるかを世代ごとに試算した結果を発表。
それにより若年世代は現在受給している世代と比べ、大幅な減額を余儀なくされるという、
「世代間格差」が存在することが判明した。
将来に悲観的にならざるをえない若年層に対し、現在年金を受給している人たちはある意味「勝ち組」ともいえるかもしれない。
しかし、現実には生活保護で支給される額よりも少ない年金を頼りに、ギリギリの生活を送る日本の高齢者たちの姿があった。
「こんな状況で介護が必要になったら、生活が成り立たなくなる」そんな恐怖におびえながら日々を過ごす人々の実態を追う。

■年金が足りない高齢者の悲鳴

 ある都営住宅の一室。
一人暮らしの高齢者5人が集い、こたつを囲んでお茶をすすっていた。
今日の天気からはじまり、孫のこと、病気のこと、話題は尽きない。
ニュースで取り上げられている「年金」について1人が切り出した。

 「これ以上年金を減らされたら、私たちの生活はどうなっちゃうの?」

 「テレビや新聞で年金の話題が取り上げられても、内容が難しくてさっぱりわからないよ」

・・・・・・

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これ以降、

安倍政権の容赦ない「年金カット」

2004年、自民・公明連立政権下での「年金100年安心プラン」。

アホノミクス等々。

具体的な悲惨な話が記事に書かれていきます。



沈没日本号の舵取りコンペートーが与党になって一体何年たつのか?


そうそう年金といえば、、、

どなたかが指摘していたが本部職員の年金額も公開すべきだ。

極貧に喘ぐ会員から上納金(財務)を徴収し、悠々自適の年金生活など送っていたなら

もはや宗教貴族ではなく、地獄の獄卒!以外の何者でもなかろう、あの連中は。

 

小作人@地上の発心様

 投稿者:カエル  投稿日:2017年12月29日(金)18時06分37秒
編集済
  僕も若い頃、映画館で初めてタルコフスキー監督の「ノスタルジア」を観て、
「こんな映画があったのか!」と衝撃を受けました。
ラストシーンがとても印象に残っています。
また、同監督の「惑星ソラリス」(スタニスワフ・レム原作)も、仏法の依正不二を想起させる作品だったと感じました。
20年位前、芸術部の会合で池田先生がタルコフスキー監督ふれられた事もありましたね。
 

何故?

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年12月29日(金)15時46分53秒
編集済
  大白蓮華 1月号
「1987年12月4日
1年ぶりに本幹に出席した池田先生」

との記載がありました

何故?
先生は1年間も本幹を欠席されていたのだろう?

海外に行かれていた?
体調を崩されていた?

1984.10月入院、10日後退院されている

だとすると
1984.10月から
欠席だと思うのだが?

どなたか理由、ご存知の方、いますか?

1989. 1月 明電工事件
          3月  ルノワール事件
          5月 墓苑修正申告
         6月 金庫事件
         7月 損失補填問題

1990  アンギアーレ 購入?

この辺りにお金絡みの問題が噴出しています

言論問題の時は
先生が肺炎、起こされていました

先生が体調を崩され、公式会合を欠席されて7年余り。。。

大丈夫?

この頃の先生のご指導
「忠義と申すものは鬼の留守の間に茶にして呑むやうなものでなし」

先生が本幹で
「私、1人です!」
と叫ばれていた事
先生が欠席されている今、やっと心から分かることが出来ました

世界の平和、民衆の幸福の為に
権威権力を怖れることなく、戦い続けて下さったのは、誰か?

池田先生!!!






          
 

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