syouinsakamoto’s diary

世の中に対して自分が感じた事、変だと思った事をメモ程度に書いていきます。

自分がやりたいこと

今日は久しぶりに昔の友人に会った

 

彼は今度4月からセブ島に行って、ゲストハウスを運営するらしい

 

いつも彼と会うと、自分の中に希望が生まれる

 

自分も自分がやりたいことが出来るんじゃないかという希望

 

言葉で聞くと簡単に聞こえるが、環境によってこの希望を持ち続けることは難しい

 

今自分は会社で働いているが、会社の中に彼のような考えを持った人間はいない

 

なにかやりたいと考えている人はほとんどいないし、仕事もなんとなくやっている人がほとんどだ

 

簡単にまとめるならば、人生なんてこんなものという感じがすごくある

 

軽い諦めのようなものを彼らといると感じる

 

でも友人は違う

 

将来はこうこうして、こういう人たちを助けてたいや、あの場所であんなことをしたいなど、希望に満ち溢れている

 

この違いはどこから生まれるんだろう

 

なぜ同じ人間なのにこんなに考え方が違うんだろう

 

それは自分で選択しているか、していないかの違いだと思う

 

彼は会社員でもないから仕事を自分で選択している

なので、思いついたアイディアをそのまま実行しようとする

 

会社の人は仕事を自分で選択していない

上からの指示されたことをやっている

 

自分で選択してやっているか、やらされているか

 

これが人生でものすごく大きな違いを生むんじゃないだろうか

 

会社員は自分がやりたいことを知れても、できないことが多い

 

例えば僕が今、フィリピンでゲストハウスをしたいと言ってもほぼ100%その欲求は通らないだろう

 

しかし、友人は会社に属しているわけではないからそれができる

 

そう、会社員は自分のやりたいことを知れてもそれができない

しかし、属していない人はそれができる

 

要するに自分のやりたいことを知って、それをやることができる

 

僕は人間が幸せを感じる瞬間は二つあると思っている

 

一つ目は愛を感じる時

 

そしてもう一つは自分のやりたいことを知ってそれをやっているとき

 

今の日本のサラリーマンはこの二つをするのがなかなか難しい

 

仕事が残業ばかりで、大切な人との時間が減るため、愛を感じずらい

 

大企業になればなるほど、1人の意見なんて通らなくなるので、仕事の中でさえ、やりたいことは通らないし、有給も海外と比べて恐ろしいほど少ないので、趣味にあてる時間も少なくなる

 

この二つを手っ取り早く解決できるのが、会社員ではなくなることだと思う

 

すべての選択を自分で選択できるようになりたい

 

ずっと会社をやめたいと思っていた

 

でも明確な理由があまりわからなかった

なぜ俺は会社をやめたいんだろう?

ずっと自分にそれを問い続けていた

 

答えはシンプル

 

すべて自分で選択できるようになりたい

 

人と話してなにかアイディアが思い浮かんだらそれをやる

 

もちろんリスクはある

このまま会社に属していれば、このまま昇格して給料も増えてお金がもらえないという状況はほぼない

 

会社をやめれば明日食べるものもなくなるかもしれない

 

しかし、そのまま会社にいても生きている実感を得ることができない

 

この二年間、会社の中で

「生まれてきてよかった、生きていてよかった」と感じることは一度もできなかった

 

僕は仕事でもそれをいっぱい感じたい

 

会社をやめてからのまず目指すゴールは、自分で選択できるようになること

 

今の僕の強みはプログラミングだ

 

まずはこれを圧倒的に極めたいと思う

 

そしてある程度仕事にもお金にも困らないという状況を作りたい

 

そしたら、そこからは自分のやりたいことを知ってそれをやり続ける

 

そして、結婚して子供ができたら家族との時間をいっぱい作りたい

家族の中での愛を感じる時間をいっぱい作りたい

 

それまでは色んな経験をしたい

 

まずは自分で選択できるようになるまで努力して、そして選択できるようになったら色んなことをやりたい、経験したい

 

そして、子供ができたらその経験から学んだことをいっぱい伝えたい

 

そんで、その中で生まれてきてよかった、生きていてよかったなあと思う体験をいっぱいしたい

 

そうやって死んでいきたいな

 

まずは4,5月あたりに会社を辞める

 

そして、一回10日ほどフィジーに行こう

 

それから帰ってきたら、プログラミングに一気に集中する

 

パソコン一台あれば生きていけるくらいまで頑張ろう

 

自分は考えが変わりやすい

 

なので、毎週日曜日は必ずプログラミングスクールに通おう

 

まずはそこから始めよう

 

4,5月まで旅行など以外は必ず行くようにする

 

これはルールだ

絶対に破ってはいけない

 

ようやく少し自分の道が少し見えてきた

 

その道を歩んでいくためにも、一歩一歩を大切にしていこう

どれだけ自分自身でいれるかが勝負

今日は休みだったので、イリュージョンと言う本と、プラダを着た悪魔という映画を見た

 

この二つを見て、感じたことは、「自分自身であるということ」

 

簡単に言うと、自分に嘘をつかないということ

 

自分に嘘をついても、そこに幸せはない気がする

 

今の日本は、こうしなきゃいけないという完璧主義が強い気がする

 

特に消費者側が。

 

消費者が、どんどん厳しくなるからこそ、会社もどんどん完璧主義にならざるを得ない

 

これは日本の強みでもあり、弱みでもあると思う

 

他の国で、ここまで完璧主義の国は少ないから、経済がここまで発展してきたのだと思う

 

ただ、逆にここまで完璧主義だからこそ、過労死など、人生の中で仕事の優先度が高くなってしまい、幸せ度は下がってしまったのだろう

 

いくら、科学が進んで、経済が発展しても不幸であれば、進歩は必要なのかと問いたくなってしまう

 

個人的な意見だが、今の日本人に足りないのは、適当さだと思う

 

なぜ、適当さが入ることでこの問題を解決できるのか

 

それは、こうでなければいけないという完璧主義はそれが出来ない自分はダメだということになってしまうから

 

もしそれが出来たとしても、常にそのラインを気にしながら、怯えながら生きていかないといけない

 

ここに適当さを入れるとどうなるか

 

適当さが入ると、こうでなければいけないという完璧主義がなくなり、ラインが無くなる

そうすると、怯えなくてもよくなる

そして、どんな自分でもOKを出せるようになる

 

完璧主義の世界だと、自分なんてダメだと思うことが多く、毎日の生活がそのラインに達成するための日々になってしまう

 

しかし、適当の世界だと、自分なんてダメだと思うことが少なくなり、毎日が自分が過ごしたい毎日に変わる

 

そもそも僕たちは誰もが完璧な人間なんていないし、完璧になることなんてできない

それなのに、完璧を求めるのは間違っている

 

人はみんな不完全だ

でも、不完全だからこそ、みんなで助け合い、補うことができる

 

もしみんなが完璧だったら、助け合う必要もないし、協力する必要もない

 

不完全だからいいんだ

 

フィジーに大きな魅力を受けるのは、彼らが適当だからだ

 

日本で同じことをしたら明らかに怒られることを、彼らは日々の生活で行っている

それでも経済は日本ほどではないがちゃんと回り、彼らはみんな幸せだと堂々と言っている

 

彼らの言葉の中で、印象的な言葉がある

 

「そもそも何で他の国の人たちは幸せじゃないんだい?」

 

彼らにとって、幸せなのはむしろ当たり前なのだ

 

ではなぜ、日本は幸せであることが当たり前ではないのか

 

それは日本が完璧主義の国だからだ

 

みんなが完璧主義だから、どうしても仕事をする時間が多くなる

 

そうすると、自分がやりたいことをやる時間もないし、そもそも自分が何をやりたいのか考える時間もない

 

そして、愛する友人や家族、恋人と過ごす時間もどんどん少なくなっていく

 

自分が幸せを感じるために大切だと思っている

「自分がやりたいことを知ってそれをやる」

「愛」

この両方とも手に入れることが出来なくなる

 

そして、幸せであると堂々と言えなくなってしまう

 

これが今の日本の現状であると思う

 

この完璧主義の波に負けてはいけない

 

どれだけ馬鹿にされて、怒られようとも自分の歌を歌い続けること

多くの人がその歌を歌うのをやめさせようとしてくるだろう

 

でも、そんなのは気にしちゃいけない

これが俺だと歌い続けよう

 

そうすればきっと、「自分のやりたいとを知ってそれをやる」ことが出来、その歌を好きな人たちと、「愛」をいっぱい感じられるだろう

 

そうして、「生きていてよかった、生まれてきてよかった」という瞬間をいっぱい感じられるだろう

 

僕が思う最高の人生とは、最高の瞬間がいっぱいの人生だ

最高の瞬間が多いからこそ、最高の人生になる

 

自分の人生、美しかったなあと思って死にたい

 

4月に会社を辞めることを決意した。

 

家族が欲しいと思っているので、30までには結婚もお金も出来るくらいの余裕を持っていたい

 

そして、年を取ると、どうしても攻める気持ちより、守る気持ちの方が大きくなってしまう

 

だからこそ、25でチャレンジしようと思う

 

ダメだったらダメでいい

なぜならダメということがわかるから

 

今の段階ではもしかしたら、この決断が最高の人生へと繋がるかもしれないし、最悪の人生に繋がるかもしれない

 

正直、どちらに転ぶかは全くわからない

 

だからこそ、確かめる

 

そして、もしうまくいったらそれを人に伝える

 

人に伝えることで、昔みたいな俺みたいな何も知らなかった子に、こんな風に生きるのもありなんだよという選択肢を与えたい

 

そして、生き辛さを感じていた子が、人生って素晴らしいと感じてもらえたらものすごく嬉しい

 

なぜなら、俺もそうやって色んな人に教えてもらったから

 

さあ、新しい冒険の始まりだ

 

何が起こるかわからないからこそ面白い

 

なぜなら、自分の予想をこえる最高の瞬間が待っているかもしれないからね

仕事のことなんかより毎日やりたいこと考えようぜ!

今日は面白いことがあった

 

今日は仕事が早く終わったので、家に帰り、早速昨日ブログで書いた

 

「自分のやりたいことを知って、それをやる」

 

の自分のやりたいことを考えよう!と思い、早速考えてみた

 

しかし、最初に浮かんだのはたったの二つ。

 

あれ、俺ってこんなにやりたいことなかったのかと失望した、、、

 

そこから頭を捻らせ、考えること10分、、、

 

ポンポンポンと少しずつやりたいことが浮かんできた

 

それを続けることさらに10分、、、

 

さらにポンポンポンと浮かんでくる

 

なんだこれは、、、

 

最初は二つしかなかったのに、少し考えるだけでその10倍は出てきた

 

これはいつも自分のブログでも言っているのだが、赤いもの現象だと思う

 

「今から周りのものを5秒みて何があるか覚えてください」

 

と言われるのと

 

「今から周りのものを5秒みて、赤いものを覚えてください」

 

と言われるのでは、見えるものが全く違う

 

いかに俺はやりたいことを考えていなかったのか、、、

 

思えば、来る日も来る日も終電まで働いて、休みの日はリフレッシュしか頭にない

 

そんな生活をずっと送っていた

 

そりゃあ、やりたいことも考えられないわけだ

 

日本人がやりたいことなんですか?って言われた時にすぐに答えられない人が多いのって、これが原因だと思う

 

みんな忙しすぎて、そしてやりたいことを考えていないだけ

 

見ようと思えば見える

 

だからこそ、俺はこれから毎日夜自分がやりたいことを30分くらい考えることにする

 

終電まで仕事なんてしてる場合じゃない

 

とりあえず、フィジー行きたい、ウィッパサナー瞑想したい、なぜをひたすら繰り返す日びを送ってみたい、農業やってみたい、狩猟やってみたい、友達と心から笑える時間を過ごしたい、HEROとたくさん飲みたい、好きな女の子とデートしたい、宇宙行ってみたい、などなど

 

やりたいことどんどんやっていこう

 

不幸になるために生まれてきたんじゃない

 

幸せになるために生まれてきたんだから

自分のやりたいことを知って、それをやること

昨日、ひろしと色んな話をした

 

その中でも印象に残ったことがいくつかある

 

「幸せは自分のやりたいことを知って、それをやること」

 

すごくシンプルだと思った

すごく当たり前のように聞こえるけれど、これが出来てる人って今の日本にどれ位いるんだろうか

 

「知ること」と「やること」

 

この二つを両方というのがなかなか難しい

 

最近はずっと愛について考えていた

 

人が幸せを感じる瞬間は「愛」を感じる瞬間だと思っていた

 

まあ、自分が生きていてよかったなあと思う瞬間が、ほとんど全部なにかしら愛を感じた瞬間だったから

 

でも、よくよく考えてみると、なんでその愛を感じれたかというと、自分のやりたいことをやっていたからだ

 

この人たちと素晴らしい時間を過ごしたい、好きな人と手をつなぎたい、今まで愛を感じた瞬間には全て自分がやりたいと思ったことをやった後だった

 

だからこそ、まずは自分がやりたいことを知らないといけない

 

自分は何が好きで、どんなことをして、どんな気持ちになりたい?

 

俺は生きててよかったなあという体験を一杯したい

 

じゃあ、どんな瞬間に生きててよかったなあと思うのか

 

それは、ありのままの自分でいれるとき

 

ただただ自分、そのままの自分で入れる時

 

そして、周りの人もそのままの自分でいて、みんなそのままで心がほっとするような感じ

 

その瞬間、俺はこの人たちと出会えて良かったなあ、今幸せだなあと感じる

 

みんながそのままで、それでいてそこには本当の笑顔が一杯あって、自分の心がフっと軽くなるような、暖かくなるような。

 

その暖かさが愛なのかなと思う

 

自分のことを愛して、人のことを愛して、ありのままの自分でいて、自分のことが嫌いで、嘘の自分しか出せず、でもどうすればいいかその選択肢を知らなくて日々の生活に息苦しさを感じている人にこんな生き方もあるんだよ、生きるって辛いこともあるけど、それ以上に美しい瞬間がたくさんあるんだよ、そんなことを伝えられたら嬉しい

 

自分がやりたいことはそんなところかな

 

あとは、それをやること

 

そして、会社をやめます

 

すごくお世話になった会社だし、社員の人も好きだ

すごく感謝している

 

でも、プログラミングは自分のやりたいことではなかった

 

この2年間でそれがはっきりした

 

だから、今の会社をやめます

 

これから何をしようか

 

とりあえず、ウィッパサナー瞑想とフィジーに行くことが今の自分のやりたいことなので、まずはその二つをやるつもり

 

その後のことは何も決めていない

 

でも、やりたいことを出来ない理由を作るのはもうやめた

 

自分のやりたいことを知って、それをやること

 

そのように生きてみることに決めた

 

どこまでやれるかやってみたい、ダメだったらダメでいい

ダメってことがわかるんだから

 

今この時点、ダメかもわからない時点で自分で勝手に判断したくない

 

そして、やりたいことをやった時に言いたい言葉がある

 

「It's done!」

 

やったぜ!と。

 

やりたいことが一つなわけがない、色んなやりたいことが出てくるだろう

そして、その色んなことに飽きるだろう

 

飽きたら言うんだ

 

it's done!

 

これはひろしの友人の言葉で、それを真似させてもらう

 

今、未来に少しドキドキしている

 

どんな風になるか全く想像できないから

 

でも、自分のことを愛して、人のことを愛して、自分のやりたいことを知って、それをやっていれば、根拠はないけど、なんかうまくいく気がする

 

とりあえずまず、やってみよう

 

新しい冒険の始まりだ

 

 

 

 

自分を愛するということ

今、この世界にはお前なんてダメだ

お前なんていなくなっても何も変わらないというメッセージが非常に多いように思う

 

そのようなメッセージがあると、自分のことを好きでなくなっていく

 

自分は無価値な人間だ

自分なんていなくても

 

そのような思いが自分の中で大きくなっていく

 

声を大きくして言いたい

 

そんなことはない

 

それは社会、またはある一部の人間が言っているだけであって

それは真実ではない

 

自分のことを愛するということ

 

仕事が出来なくたっていいし、友達がいなくたっていいし、恋人がいなくたっていいし、お金が無くたって別にいい

 

どんな自分でも自分を抱きしめてあげよう

 

この世界は宇宙も含めて愛からできていると思っている

 

うまく言えないけど、無価値な人間、ダメな人間が生まれることはないと思う

 

子供を見てほしい

 

生まれたばかりの子供が周りから何も言われずに自分のことなんかダメだと思うことはなく、彼らは輝いた目で毎日をとても楽しそうに生きている

 

誰もが素晴らしい存在

 

なぜじぶんのことをダメだと思うようになってしまうのか

 

それは大きくなるにつれてこの社会に求められることを出来る人は、すごい人、

求められることが出来ない人はダメな人

 

このような基準で人を判断されるからである

 

別に自分がダメなわけではない

 

単純に社会がそれを勝手に求めてきて、それが出来ないと勝手にダメという烙印が押されてしまっているだけである

 

それは勝手に社会が決めているだけであって、真実は自分がダメということではない

 

真実は自分という存在は美しく、素晴らしいということ

 

だから、そんな社会の言葉に耳を貸すことはない

 

何を言われても、どんなひどいことがあっても、どんな自分でも自分を愛すること

 

それが何よりも大事な気がする

 

そうすれば自分という存在の素晴らしさを忘れずに歩いて行ける

 

みんなが自分を愛し、他人を非難しない世界

そんな世界がいつか来るといいなと思っている

毎日の生活になぜを問いかけよう

最近は毎日の生活になぜを問いかけるようにしている

 

なぜ今自分はこの仕事をしているのだろう?

なぜ自分はこの瞬間が大好きなのだろう?

 

一つのなぜに何回も何回もなぜを繰り返していく

 

そうすると、これ以上もう掘れないというところにたどり着く

 

なんだそんなことかと思うかもしれないが、これを侮ってはいけない

 

自分が知らなかった自分の気持ちに気つくことが本当に多い

 

意外と自分のことを知るというのは難しい

 

自分が何が好きで、何が嫌いで、何がしたくて、何がしたくないのか

意外と、すぐに答えることが出来ない人が多いと思う

 

毎日の生活はすごく忙しく、そんなことを考えている暇もない

 

それがすごくおかしい

自分という人間を知ることより、仕事の方が大切なわけはない

 

まずは自分という人間がどんな人間か知ること

 

そして、知れたら今度は自分の好きなこと、したいことをしたいためにはどうすればいいかと考え、行動していくこと

 

自分の場合は「今生きてるなあ、生まれてきてよかったなあ」という体験をこの人生でいっぱいしたい

 

だからそのためにはどうすればいいかを考え、行動していかなければならない

 

まずは自分を知ること

 

そのためには日常の出来事になぜを何回も繰り返して、掘っていくことが大事

 

自分が美しいと思える人生を送ろう

愛に満ち溢れた人生を送りたい

最近、自分に問いかけていることがある

 

それは、

「お前はどんな人生を送りたい?」

 

考えた結果、、

 

自分は愛に満ち溢れた人生を送りたい

 

イコール愛をいっぱい感じる人生を送りたい

 

家族、恋人、友達、自然、宇宙

なんか、上のものから愛を感じて今生きてんなあっていう感覚をめっちゃ何回も何回も味わいたい

 

そして死ぬ時に、その瞬間を一杯思い出して

「はは、俺の人生暖かかったなあ」

と思いながら死にたい

 

そう考えると、やっぱり今の仕事は違うのかなと思ってしまう

今は毎日パソコンの前に座り、一日中パソコンとにらめっこをしている

 

なんか、心が暖かくなる瞬間を生み出す仕事がしたいなあ

人がその仕事で心が暖かくなって、それを見て自分も暖かくなる

 

そんな仕事をしたい

 

やっぱり日本の多くの人たちが苦しくなってしまってる原因って仕事な気がする

どうしても無理やりとか強制という形になってしまい、仕事に愛を感じれる瞬間は少ない人が自分も含めて多のではないか

 

もし多くの人が仕事が強制ではなく、自由で、その仕事から愛を感じられたら多分世界はガラリと変わる気がする

 

そういう世界に向けて自分ができることをしていきたいと思う

 

生きるってことは幸せを一杯感じることで、間違っても不幸を一杯感じるためではない

 

そのことをもう一度自分によく言い聞かす