十代の頃、学校の図書室や町の図書館で借りた本を読んでいるときに、このことばはきっと自分のために綴られたものだ、と幸福な錯覚に酔いしれたことがある。
あの頃の私は、入荷したとたん予約が殺到するような、順番待ちをしてやっと手にすることがかなう人気本にはあまり興味がなかった。どちらかといえば、書棚の片隅でずいぶんと長い間、だれからも忘れられていたような本とのほうが、より親密な関係が結べると思い込んでいた。
カバーが紛失していたり、紙の色が褪せているような本があれば、そこにこそ、自分のためだけに書かれたことばが潜んでいるのではないかと期待して頁をめくった。そういう記憶があったので、アメリカの小説家ジョン・アップダイクの以下の発言には胸が熱くなった。
「わたしは、書いているときは、ニューヨークじゃなくて、カンザスのちょっと東のあたりの地域を、漠然と心のなかで目標にしています。そこの図書館の棚に置かれるような本を書きたい、と。カバーははずされ、もう何年も前からあって、田舎の十代の子によって見つけられ、その子にむかって語りかける、そういう本です。書評にとりあげられるとか、ブレンターノ書店に平積みされるとか、そういうことは乗り越えなくちゃいけないハードルではありますが、でも、それもいま言ったような棚に置かれるためです」(青山南編訳『作家はどうやって小説を書くのか、たっぷり聞いてみよう! パリ・レヴュー・インタビュー2』岩波書店より)
考えてみたら、中高生の頃の私は、自分の目の前にある一冊の本が、どのような過程を経て刊行されるのか、ほとんど考えたことがなかった。ましてや、その本が刊行されてまもない頃の著者や関係者の心境など、想像にも及ばない。当時の私とって、そんなことまったく関係なかった。自分の心を熱くすることばが書いてある本の著者が、遠い異国の人であるとか存命であるかどうかとか、ほとんど重要ではなかった。
たった一行、あるいは一言や二言だけでもいい。
私はいつも、自分を認め、励まし、なぐさめながらも奮い立ててくれることばを探していた。
今、ここにいる自分にとって、「これだ」と思うことばと出会いたくて、せっせと本屋さんや図書館に通っていた。
本がたくさんある場所にいるだけで、世界が広がってゆくような心地がしたし、そのことによって自分が今よりももっと良いものになれるのではないかという期待があった。
考えてみれば、ある本との出会いの場が図書館の場合は、とっくに絶版になっているものも含まれていたはずだ。
しかし、そのときは絶版していたとしても、少なくとも一度は出版されたからこそ、私はその本とめぐりあえた。
どうにか刊行にこぎついたものの、新聞や雑誌の書評欄に取り扱われなかったり、そのせいで長い間売れ残ってとうとう返品されてしまったり……要するに、たったの一度も評判にならず世間から黙殺されて、消えるしかなかった本や、もっといえば、本にすらしてもらえずにいる作品も無数にあるという厳しくも悲しい現実を、本に囲まれているだけで幸せな心地になっていた高校生の私はまだ知らなかった。