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ーー緊急告知・その4.ーー
( 拡散希望 )
2017年、除名申請者審理に立ち会われた方より、メールを頂戴したので、御紹介させていただきたい。
「 当日は、面白い体験を致しました 」
との言葉で始まる文面には、
大聖人が時の権力者を
「 わずかの小島の主 」
と、仰せになられた御姿を思い起こした。
偉くもないのに、偉ぶった勘違い幹部共、
宗教貴族として、ロクな仕事もせずに、会員の財務で喰ってる奴等と違い、
社会人として、働いている人の都合も考えず、出頭せよだの、処分だの、弁明だの、云々。
極悪を極悪と破折せよ、とは、日蓮大聖人以来の仏法存続の要件である。
それを、極悪原田執行部の最極悪を、正直に極悪と言ったから除名する、などとは、
全く、「 蛍火が日月をわらひ.蟻塚が華山を下し.井江が河海をあなづり.
烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし.わらふなるべし 」所業である。
その勘違い幹部共による、
面白い査問の公開をさせて頂く。
ーー以 下 転 送ーー
当日は、相手は査問委員長含め5名で行われました。
ビデオカメラを回され、必ず弁護士が立ち会います。
最初から除名が決まっている査問ですので、
呼び出しに応じて、
ノコノコ行く必要はないかと私的には思いました。
まるで演出の如く、
誰が何を話す(指摘)のかが決まっている内容になっています。
質問は弁護士が45分位で、
あとは幹部が、
恐れ多くも、
池田先生の名を語り、
「 組織に迷惑を掛けた事を反省しなさい 」などど 、
クソ偉そうに、
上から目線の指導が入り終了となります。
形は査問ですが、形式は完全に裁判官と被告人になります。(当然こちらの弁護士はいません)
*弁護士同伴しても良いのですが、私は単独で参りました。
私は、
○○文化に呼び出されたのですが、終了後、
「 先生の慈悲と平和、平等の世界とは真逆の、
こんな腐れ切った学会に残りたくない 」
と思う程、
気持ちが悪いものでした。
ハッキリ言ってヘドが出ました。
そして、査問から二週間で、
書面が届き、
「貴殿を創価学会から除名する」と判決文が明記され(笑い)、
以下、その理由がダラダラと書かれていました。
あえて録音したり、
(録音を禁止する権限は、奴等には有りません。奴等も録音しています)
幹部共をおちょくって、やろうかと言う方以外は、わざわざ、行ってやる必要はないと感じました。
特に、女性、婦人にはお勧め出来るものではありません。
(バカがうつります)
気の弱い方は、信心を壊されてウツになる可能性があります。
そんな、柔(やわ)な女性はいないでしょうが。
しかし、
それくらいバカはバカなりの準備はしておりますし、
魔の強い査問です。
池田先生が会員の為に作って下さった、創価学会の会館で、
会員の査問、
除名をしているのです。
それから、その後は、陰湿な迫害が始まります。
除名通知が発効された時点で、
組織を挙げて、関係者に恫喝が入ります。
この動きは、かなりの電光石火で、こちらも動きが連動しています。
「○○○は創価学会から除名をされたので、
今後一切の付き合いをしてはならない。
これは創価学会の決定だから 」と、しっかり付け加えます。
それと、除名された人間とのメールのやり取り等の提出を求められます。
*法的には提出する必要は有りません。
恐怖心の前に、修羅場未経験の人は、
心を折られてしまう様です。
参考になればと思い、送らせて頂きました。
ーー以 上ーーー
「 自身の魂の解放には、
少々の痛みを伴いますが、
これも、自身の境涯革命の為と、腹を決めて下さい 」
との激励も添えられていました。
当に、地球上に人間として生まれ、鎌倉時代には御本仏.日蓮大聖人様と共に、愚痴を言いながらも戦い、
今又、
化儀の広宣流布の時に、偉大なる師匠、池田先生の直弟子となる事が出来た。
龍ノ口の法難迄は、
大聖人お一人が受けた難であった。
しかし、
大聖人佐渡流罪以降、
今度は、
師に代わって、弟子が難を受ける時であった。
同じく、
昭和54年~平成22年(2010年)迄は、
弟子を守る為に
先生お一人が、難を受けて戦って下さった。
そして今度は、先生の大恩に報いさせて頂く為に、弟子が難を喜んで受ける時である。
大聖人当時も、
弾圧は厳しく、
「かまくら(鎌倉)にも御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候」(907頁)
と。
仏法的には、勝ちは決まっていても、世間的留難は自身の信心で乗り越えて行く以外にはない。
最後は、弱き自身との戦いである。
世間法や国法次元の戦いであるように見えても、仏法の戦いである。
戦う戦場は修羅闘諍の娑婆世界であっても、
我が一念の中には、
御本尊様と、先生を懐き、大歓喜の師弟共戦不敗の戦さである。
「 古徳のことばにも
心地を九識にもち
修行をば六識にせよと・
をしへ給う・
ことわりにもや候らん 」
(1506頁)
心には偉大なる不滅不敗の妙法を懐き、
一念には、
師と共に、仏法故に、
この身を捨つる覚悟に寸分の迷いなく、
歓喜の中の大歓喜の生命で師弟不二の王道を歩む。
二編の御書を拝したい。
「 構えて構えて所領を惜しみ.妻子を顧りみ.
又人を憑(たの)みて・あやぶむ事無かれ、
但、偏(ひとえ)に思い切るべし、
今年の世間を鏡とせよ、
若干(そこばく)の人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは
此の事にあはん為なりけり 」
(1451頁)
この覚悟を常に持ちつつ、
次の御書を拝したい。
「 法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし、
現世安穏・後生善処とは是なり、
ただ世間の留難来たるとも・
とりあへ給うべからず、
賢人・聖人も此の事はのがれず、
ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ、
苦をば苦と悟り、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と、
うち唱へ居させ給へ、
これあに自受法楽にあらずや、
いよいよ強盛の信力を致し給へ 」(1143頁)
悠々と堂々と、女房と、又は、亭主と、酒うち飲みて、
と。
大正義の、先生直結の我々の勝利は、決まっている。
しかし、その仏天・諸天の加護、働きに、頼る事なき、覚悟と決意を持って進む事である。
激動の2017年もあと2日で終わる。
4日後には、師が満90歳をお迎え遊ばされる。
そして、自他共に、
信心が、
師弟が、
魂が、試される年である。
我が師匠が、54年以降、内部に今も巣食う反逆者に依って断念せざるを得なかった、
一人一人の大歓喜の生命の解放を、弟子が成し遂げる年である。
油断なく、最高最良の年を締めくくり、誠の弟子としての金字塔を我が生命に打ち立てん年を大歓喜と共に、迎えられん事を。
常唱院 日護 拝.
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