2017-12-30

反出生主義者「子供は産まない方がいい」

反出生主義を理解していない人は、Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9)などを参照してください。


反出生主義は相対的思想や宗教ではなく、倫理における論理的解決策です。

まれれば苦痛は必ずあります出産の時点で赤ん坊は、頭蓋骨の激痛に泣き叫びます幸福も存在します。しかし、「幸せになる可能性がある」より「苦痛を感じる可能性がない」方が良いのは明白です。「マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」より「確実にマイナスはない」のほうが合理的です。

子供を道具として合理的に扱うなら、それは反出生主義の範疇ではありません。しかし、子供幸福を望むのであれば、それは非合理的なのです。

あなたまだ子供を産んでいませんか?あなたは自分の大切のものを、傷つけるとわかってそこに置きたいですか?ならなぜ置きたいのですか?

あなたはすでに子供を産んでいますか?ならなぜ産んだのですか?正当化や理由付けでなく、素直に考えてください。

ttps://anond.hatelabo.jp/20130613154103

以前のこちらの人も言葉遣いは悪けれど、反出生主義的な意見を述べています。しかし、トラバブコメにまともな反論が皆無であり、直情的で見当違いな意見や、無理やり増田可哀想人間とし、その発言正当性ごと憐れな意見として引き下げようとしてます

古今東西どんな社会でも、何か意見や理論を言うと、茶化したい人やよく理解もしない人が見当違いな意見や直情的な意見を好き勝手に吹くものです。ここでもいろいろな意見が述べられるでしょう。できれば、明らかに周囲から浮いて滑稽になる前に、その意見が論理的かつ建設的なものであるかを確かめてください。そういった批判は大歓迎です。

反出生主義に対する、ありがちな否定意見に反論してみます

・「子供を作るのは自然な行いだ」

自然主義的誤謬。自然な行いが正しいとは限りません。また「それができる」は「それをすべき」を意味しません。

・「何で自殺しないの?」

反出生主義は自殺を勧めません。むしろ普通の人より生命人権動物権利尊重しています

人命を尊重するからこそ、まだ生まれていない人間は生まれて来ないままの方が良いと考えるのです。

・「ネガティブなだけでしょ」

人間は楽観的に考える傾向があります抑うつリアリズムで、ネガティブ人間の方が物事を正確に捉えている可能性が高いです。

またこれは、人の性格傾向に依存しない論理的解決策です。感情的ものでないからこそ、非人間的で合理的な解が生まれるのです。

・「人生には生きる価値がある」

しかし始める価値はない。

もともと素晴らしいものを貶めて、「まだ価値がある!」とは言えるかもしれませんが、わざわざ貶める必要はありません。

・「本能には逆らえない」

あなたレイプを推奨しますか?

良くも悪くも人間社会では本能のままに行動することは良いとはされません。本能的行動は多くが犯罪として処罰対象となります

出産が合法なのは社会の都合上許されているだけであって、正義とは別問題です。

・「生物の目的は子孫を残すことだ」

遺伝子意思はありませんし、進化に目的はありません。目的論科学ではありません。種の繁栄に有利な遺伝子を持つ者が生き残ってきただけで、子孫を残す為に生きているわけではないのです。

全ては結果的にそうなっているだけ。生物の存在に意味はありません。

・「生まれて来ない方が良かったかは、生まれてこなければ分からない」

それは既に生まれしまった人間に対する見方であって、まだ生まれていない(欲望がない)なら「幸せになる可能性がある」より「苦痛を感じる可能性がない」方が合理的なのだから常に生まれてこない方が良いのです。

・「子供は天からの授かり物」

宗教信徒のIQは無神論者よりも低い傾向が統計で示されています迷信深い人間は非論理的思考停止する癖があります。まともにものを考えないのであれば説明しても平行線を辿るだけです。

世界中殆ど妊娠は単に親が避妊に失敗したせいで起きています

・「考え方は人それぞれ」

生命起源は?宇宙に終わりはあるか?子供はどうしてできるのか?霊魂は存在するか?なぜ本能があるのか?・・・

これらの答えが「人それぞれ」ではないのは明らかでしょう。反出生主義は科学的知見の上に組み上げられています。それを「人それぞれ」と言って聞き流すのは思考停止であり反知性主義的だと考えます

・「反出生主義を他人押し付けるな」

押し付けられるほど反出生主義の勢力は強くありません。反出生主義を広める活動を「押し付け」だと言っているなら、それは言論封殺以外の何物でもありません。

一般的には「子供を作れ」と言う社会的プレッシャーの方が遥かに強いです。親が子供に「生まれてくる事」を強制して人生押し売りをする方が問題です。

・「私の産む権利は誰にも否定できない」

自由他人危害を与えない範囲で認められます出産子供に損害を与えうる行為ですから制限には認められないと思います

赤ちゃん身体的な激痛で泣きながら生まれてきます出産それ自体苦痛であり児童虐待なのです。他人を傷付ける自由などありはしません。


・「まだ生まれていない人間が生まれてきて幸せになる可能性を奪うな」

まだ存在していない人間欲望意思人格はありません。存在しない人間の「幸せになる可能性」を奪っても誰にも不利益はないのです。

逆に生まれてくる行為によって既に生きている人間にも不利益が発生します。育児によって親の幸福度が下がるケースも多いし、教育費には多額の税金が投入されています

子供のいない家庭も税負担によって他人教育費を間接的に負担させられています公教育に使われている税金福祉に回せば、例えば全てのホームレスに住居を与えることも余裕でできるでしょう。

まだ存在していない人間の「幸せになる可能性」のために、既に生まれしまっている人間が確実に不利益を受けるなんておかしな話です。

・「子供が不幸になると決めつけるな」

子が最終的に自分を幸せと感じるか、不幸と感じるか、それは分かりません。しかしトータルで幸せであったとしても不幸がまったくない訳ではありません。

まれる事によって確実に苦痛も生じるのですから同意なく行われる出産という行為はやはり倫理的問題があります

横綱に酒ビンで頭をカチ割られても最終的に殴られた方が幸せになる可能性はあります。だからと言って殴っちゃダメですよね?

誰も「死」からは逃れられないし、酒ビンで殴られるより苦しい死に方をするかも知れない。

良い可能性があることは、行為正当化になりません。

まだ生まれていないなら幸せを求める必要性はないのだから苦痛を受ける可能性がゼロの方が良い。

・「反出生主義が成就したところで今を生きている者は救われない」

俺が子供を作らないことで

子孫が苦しまずに済む

俺はそういうことに

幸せを感じるんだ




・「死ぬ選択肢はあるのだから勝手に産んでも問題ない」

例え安楽死の制度があったとしても自ら死を選ぶ時点でその人の生に深刻な危害が存在するのは明白です。

「生まれないこと」と「自ら死を選ぶこと」は全く違います

それほどの危害を受ける原因を作った親の罪が消える事は決してありません。子が自死した場合、その責任こそ重大です。

「生きるのが嫌なら自殺すれば良い」などと言い放つ鬼畜に親になる資格はありません。

・「俺は嫌な思いしてないから。自分の幸せの為に生むし、子供が死んでもなんとも思わん」

それはエゴイズムであり、倫理に反します。あなた子供を作るのを止める事はできませんが、誰も悪人の子供なんて望んでいません。




子供を作るのは悪である



人生は公平ではない。それに慣れよ。 by ビル・ゲイツ

人間は皆平等である」なんてのは理想であって現実ではない。

まれた時点で既に差がついてる。スタート地点からして違う。例えば資産の子供として産まれればその後の人生約束されたものとなるでしょう。その一方でトイレに産み捨てられる子供もいる。

大なり小なり、そういう格差が生まれた瞬間からあるのです。

格差が広がり続ける世界

思うに「完全に平等社会」を築くのは不可能ではないかロボットのように皆がまったく同じでなければ必ずどこかで差がつく。

人はそれぞれ違う個体だ。生まれ環境も親も能力も違う。違いがある以上平等とは言えない。

猿ですら不公平な扱いを受ければ激怒する。「不公平を嫌う」のは本能。それゆえに世界中どこでも不公平は悪である定義されている。

人生絶対的不公平ものであるなら「子供を産む」という行為格差再生産でしかなく、不公平是認する事になるので、それは「悪」であると言える。



快楽原則の誤り

人間は「快楽を求め苦痛を避けようとする」快楽原則に基づいて行動するが、これは正に本能だ。

「痛み」を感じて致命傷を避けようとする個体の方が生き延びやすく、性行為に「喜び」を感じる個体の方が子孫を残しやすい。

生存に有利な行動を「快」、不利な行動は「不快」と感じるように生物進化している。

言わば利己遺伝子遺伝子の乗り物である我々をコントロールする為の「アメとムチ」として快楽原則が存在しているのだ。

快楽原則」と言う名前を見ると「快楽」の方が比重が大きい様に思えてしまう。少なくとも「快楽」と「苦痛」が同等のものとして扱われているが、実際は違う。

人は快楽がなくても生きていけるが、苦痛を避けなければ死んでしまう。苦痛を感じることの方が快楽よりも優先度が高いため、生物は「苦痛」の方をより強く、より多く感じる様にできている。

例えば人間の三大欲求にしても、おいしい物を食べれば確かに喜びを得られるが、おいしくなくても「空腹」と言う苦痛から逃れる為に人は食事をとる。

睡眠だって寝るのが楽しいと言うより寝ないと具合が悪くなるから寝ているだけ。

唯一、性欲だけは純粋快楽を求めて行われるが、それは「子作り」と言う生存するのにまったく不要な行いをさせる為に、利己遺伝子快楽の度合いを多めに配分しているからだろう。

まり生物の行動の大部分は「苦しみから逃れたい」と言う動機によって行われる。アメよりムチの方が圧倒的に多い。

快楽原則では苦しみこそが「主」であり快楽はオマケ程度のもの。だから本当は苦痛原則と呼ぶべきだ。

人間が感じている喜びとは、実際は「苦痛から解放された」事を喜んでいるだけだったりする。当然、全体としては喜びより苦痛の方が大きい。

人が娯楽を求めるのも退屈という苦痛から逃れる為であり、末期がん患者が痛み止めのモルヒネを求めるのと変わらない。

そもそも人間は過剰な快楽を得るとドーパミンが分泌され過ぎて脳細胞破壊されてしまう。もし脳に痛覚があったなら、人は喜びにさえ苦痛を感じてしまうだろう。

快楽儚い苦痛は永続する。「人生は喜びと苦しみのどちらの方が大きいか?」などと悩むのは無意味だ。利己遺伝子人間に苦しみの方を多く与えているのは明らかなのだから

人は生まれながらにして「他人が作ったルール」に支配され、自由ではない。苦しみに満ちたこの世界には、いっそ生まれてこない方が幸せなのです。

就職しろ仕事に行け。結婚しろ

子供を持て。流行を追え。

普通でいろ。レールの上を走れ。

テレビを見ろ。法に従え。

老後に備えよ

さあ復唱しましょう

「私は自由だ」

これが社会であり人生です。

反出生主義 Q&A


・どうして子供を産んではいけないの?

生きていれば間違いなく苦しみが生じます他者に無断で苦痛を与えるのは許されません。

子供同意を得て出産する事は不可能です。同意がない以上、出産は親のエゴであり倫理的問題があります

「生まれてきた子供幸せなら同意がなくても良い」と考えるのは誤りです。それは「女が感じていればレイプしても良い」と考える強姦魔と同じ発想だからです。



自殺した方が良いの?

いいえ、それは誤解です。「生まれてこない方が良い」と「今すぐ死んだ方が良い」の間には大きな違いがあります

反出生主義は「人生には始める価値はない」と考えますが、わざわざ死ぬほどの価値もありません。

しろ死を避けたいからこそ「最初からまれてこない方が良い」と思うのです。


子供を産んだ事を後悔しています。子持ちでも反出生主義者になれますか?

子持ちの人も歓迎します。しかし産んだからにはちゃんと育てて親の責任果たしてください。

反出生主義者であるからこそ、産んでしまった子供幸福を何よりも大事にしてください。

そして子供には「孫は要らない」事を伝えて子作りのプレッシャーから解放してあげましょう。

・反出生主義はどうして広まってないの?

世界メジャーな宗教の殆どには「産めよ増やせよ」で子作りを肯定する教義が含まれています。宗教は人口増によって信者を増やせるのに対し、反出生主義は書物口伝でしか伝わりません。

また、「子供を産むの当たり前で良い行い」という慣習的な社会常識が蔓延しているせいでもあります。たいてのひとは子供を産んだ後の経済的ことなどは考えても、子供を産むことそれ自体が何であるかを考えません。

しかし文明の発達によって先進国では宗教は廃れてきているし、インターネットによって世界中情報の伝達が可能になりました。反出生主義は今後はどんどん増えていくでしょう。

マスメディアが反出生主義を取り上げないのはなぜ?

海外ではドラマTRUE DETECTIVE/二人の刑事』の様に反出生主義を表現した作品もあります日本では難しいでしょうね。

テレビで反出生主義を唱えたら抗議が殺到すると思います日本テレビ局は抗議を恐れるのでやらないでしょう。ベビー用品のスポンサーへの配慮もありますしね。

論理的正当性よりも、今までの常識という名の偏見で積み上げた自身の考えを否定されるのが大衆には恐怖であり、新しい価値観感情的封殺自己欺瞞するのです。そうやって恐怖や不安を和らげ、それを言う人間を敵とし、自身正当化するのです。

反出生主義は完全にタブーなのです。

・ベネターの非対称性とは?

「喜び」の機会が奪われても存在しない者に取っては何の不都合もないのに対し「苦痛」を受ける機会がなくなるのは誰にとっても(存在していなくても)良い事です。

従って生まれてくるより存在しない方が常に良く、出産不道徳だとデイヴィッド・ベネターは論じています





”子作りなんてのは、思い上がりだ。

から魂を引っ張り出し、肉塊に押し込むなんて、生命脱穀機に入れるようなもんだ。

から事故で死んだ娘は俺を、父親になるという罪から救ったんだよ。”  by ラストコール

論理的であるからといって人は納得しない。でなければ宗教は栄えていない。自分に都合のいいことを人は信じ、正しいと思いたがる。

自身の既存の価値観否定し、新しい価値観を受け入れることは難しい。既存のもの過去の自分にとって重要であったなら尚更恐ろしいことだろう。

しかし、大きな一歩に恐怖はつきものだ。人はそれを乗り越えて成長する。どうか反出生主義について、ゆっくりでいいから、よく考えてみてくれ。

古今東西どんな社会でも、何か意見や理論を言うと、茶化したい人やよく理解もしない人が見当違いな意見や直情的な意見を好き勝手に吹くものです。ここでもいろいろな意見が述べられるでしょう。できれば、明らかに周囲から浮いて滑稽になる前に、その意見が論理的かつ建設的なものであるかを確かめてください。そういった批判は大歓迎です。

  • anond:20171230111228

    理屈としては特に反対する気もない、むしろ同意する部分の方が多いくらいなんだが どっかのカリスマ教祖様がよほど上手いことやるでもしない限り、まー広まらないだろうなって 理屈...

    • anond:20171230112920

      理屈で納得するなら宗教なんて流行らねーもんな 宗教と同じように、「これはあなたと世界を幸福にします」みたいに耳障りのいい諭し方をすればうまくいきそう

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