天才万博が連日大変な盛り上がりだ。
客席は老若男女。受付はお婆ちゃん。
そして皆、子供には徹底的に優しい。

これは普段、友人やスタッフやオンラインサロンのメンバーにも口すっぱく言っていることだが、明日にはまた全然知らない未来がやってくるような今の時代において、作品やサービスを何年も何年も続けることは(ギリギリまで挑戦するけども)なかなか難しいと思っていて、

だからこそ、

作品やサービスを通じて、「自分達はどんな未来を迎えにいくのか?」という哲学を明確に提示する方が遥かに重要だと僕は考えている。

そこさえブレていなければ、コミュニティーが形成されて、また新しい挑戦ができるので。
そんな(「サービスは長続きしない」なんて)ことをレターポットをリリースした二日後に言うなよ、という話なんだけど、しかしレターポットも同様だ。
レターポットを通じて、どんな問題提議をして、どんな未来を迎えに行くのかを提示することが大切だ。

僕はレターポットを作る時に「新しい通貨を作る」と説いた。
それは法定通貨(紙幣や硬貨)に換金できる“次なる”仮想通貨などではなく、まだ名前も付いていないような、まだ誰も扱い方を知らないような媒介物だ。

本来、「言葉」こそが最大の媒介物で、「言葉」が媒介物として機能していなかった要因は、言葉の“無制限性”にあると考えた。

つまり、あなたが、あなたの人生で「100文字しか使えない」となれば、あなたはあなたの「言葉」をとても大切にするし、同時に、あなたの「言葉」には価値が付く。
そこに価値が生まれ、そこに「保管」「尺度」「交換」の機能さえ内包されていれば、それは通貨となり、その「言葉」で家を買うことだって可能だ。
少し極端な喩えだけれど、そういうこと。

レターポットは仮想通貨でもなければ、送金サービスでもない。
今一度、
いとも簡単に人を傷つけることができて、
いとも簡単に人を救うことができる「言葉」の意味を、
大切さを、
そして、「言葉を貰うと嬉しい」という体験をするサービスだ。

自分が贈ったレターで、相手の支出(プレゼントの時にかかるお金)を軽減させてあげる機能はレターポットの付加価値でしかない。

「限られた文字数の中で、誰に、どれだけの文字を贈るか?」
そこに最大の価値がある。

レターポットのユーザー数が8000人を突破した。
まだまだ誰にも知られていない小さな小さな経済圏だけれど、しかし必要な経済圏だと信じている。

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【追伸】
本日、天才万博最終日。
チケットは完売しているけれど、当日券で来ちゃえばいいと思います。