現代社会において、
・差別用語
・放送禁止用語
・相応しくない言葉
・使わない方がいい言葉
などを指摘したり批判したり抹殺しようとする風潮がある。
それはモラルとか、
道徳心とか、
受け取り側の気持ちとかを
『忖度(そんたく)して使うべきだ』
ということだ。
もちろん、明らかに差別的な発言は避けた方がいいのはわかるが、
・極端な拒絶反応
・過剰な拒否反応
・神経質な思いやり
・言葉自体の抹殺
を主観だけで禁じてしまうのは問題だ。
そういうことを『言葉狩り』という。
言葉狩り(ことばがり)は、特定の言葉の使用を禁じる社会的規制を否定的に表現した言葉。
何をもって言葉狩りとするかは、差別そのものと同様、用語が使用された場合ごとの関係者の主観に基く部分が大きい。規制が過剰あるいは不適切と考える立場からそのような用語規制を否定的な意味合いで言葉狩りと呼ぶ。
引用元:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%91%89%E7%8B%A9%E3%82%8A
◆言葉狩りで放送禁止になった楽曲
日本に生まれ生活をしている以上、
『表現の自由』
は保障されているが、
それを放送したり公共の電波で流す場合に
『倫理』や『モラル』という網に引っ掛かる場合がある。
その網の目が粗いか細かいかは、
時代の流れとともに変化していく。
だから決して、
「現在の言葉の使い方や規制が正しい」
とは一概には言えないだろう。
確かに
『昔は規制が緩く、今は厳しい』
ように見えるが、
時代の流れに流されて生きているだけでは
本質を見失ってしまいかねない。
【放送禁止になった楽曲】
●「ヨイトマケの唄」 美輪明宏(丸山明宏)
発表後間もなくして歌詞の中に差別用語として扱われる「土方」(どかた)「ヨイトマケ」が含まれている点などから、日本民間放送連盟により要注意歌謡曲(放送禁止歌)に指定された事でそれ以降民放では放送されなくなる。2000年前後から徐々に再評価が高まり、テレビでも放送されるようになる。
【引用元】NEVERまとめ
https://matome.naver.jp/odai/2135700141660766501
●「イムジン河」 ザ・フォーク・クルセダーズ
東芝音楽工業に対し朝鮮総連は、これが北朝鮮の歌であることと作詞作曲者名を明記すること、原詞に忠実に訳すことを求めていた。レコード会社は国交のない北朝鮮の名を出すことを躊躇し、大韓民国も北朝鮮の曲が日本国内でヒットすることを望まなかったためレコード会社に圧力をかけ、結果発売自粛となった。
現在でも放送の自粛が完全に終わったとは言えない状況である。
【引用元】NEVERまとめ
https://matome.naver.jp/odai/2135700141660766501
●「ペニーレインでバーボン」 吉田拓郎
アルバム「今はまだ人生を語らず」の1曲目「ペニーレインでバーボン」に「つんぼ桟敷(さじき)」という差別用語とも受け取れる言葉が含まれていることから。
【引用元】NEVERまとめ
https://matome.naver.jp/odai/2135700141660766501
素晴らしい楽曲でも、
差別用語や風潮に反する内容が盛り込まれていると
楽曲そのものが発売禁止になったり放送禁止になってしまう。
『ヨイトマケの唄』に関しては、
放送禁止になった後に2000年頃から再評価され現在は普通に放送されている。
時代の流れや風潮で言葉狩りは変化していくのだ。
変化していくということは、
・不動ではない
・絶対ではない
・移り変わる
ということだ。
『『障害者』を『障碍者』『障がい者』と表記する謎』
の記事でも書いた通りだ。
移り変わる不確かなものに
軸足を置き傾倒し盲信してしまうことの方が
『差別意識であり発信者に対する逆差別』
と言えるのではないだろうか。
◆介護業界における言葉狩り
介護業界においても、
一種の言葉狩りが横行している。
例えば、
・帰宅願望
・徘徊
・バイタル
・清拭
・ADL
などの言葉を
利用者や家族に使うのは
「相応しくない」
「失礼」
「不適格」
という言葉狩りとも取れる風潮が出てきている。
「痴呆症」という言葉も早々に「認知症」へと移り変わったが、「精神分裂病」が「総合失調症」に移り変わった理由とほぼ同じで、病名として統一されていくのなら納得ができる。
しかし、
「帰宅願望やバイタルなどまで相応しくない」
と言われ出すと過剰な言葉狩りと言える。
帰宅願望や徘徊は
その人の行為や行動や訴えを表す言葉であり、
端的でわかりやすい言葉だ。
それを
「失礼だ」
「言い換えろ」
という風潮が出始めた頃から、
「ご自宅を心配され落ち着きがなく、施設内の廊下をずっと歩いて回られ玄関から出て行こうとされたり、お声掛けさせて頂いた職員に対してもご納得がいかなかったようで、杖を杖とは違う使用方法で職員の顔や体にやや強めに触れる行動がありました」
と伝えなければならないようなことになってしまっている。
もちろん、様子を具体的に伝える書き方は良いと思う。
しかし、どこまで遠慮して配慮していく必要があるのだろうか。
上記内容を端的に伝えると
「帰宅願望があり施設内を徘徊され、杖で職員を叩くなどの暴力行為もありました」
と書き換えられる。
書き方が「具体的」か「端的」かの違いだけで、
両方間違っていないし、
どちらかがダメというわけではない。
清拭やADLなどの専門用語を使う場合でも、
わかりやすく理解できる言葉を使うのはわかるが、
そもそもこれだけ情報が溢れている時代に
一般の人が理解できない言葉がどれだけあるだろうか。
そりゃまだまだ専門用語でわからない言葉もあるだろうが、
『言い方を換えるのではなく、言葉の意味を教えてあげる』
こともプロとしての仕事ではないだろうか。
それを一切合切
「不適切」
「使わない方がいい」
と言い切ってしまう方が乱暴で傲慢だ。
用語や言葉の意味を一般人にも広く知ってもらうことで、
・知識を増やしてもらう
・社会資源としての資質を向上させる
・専門職としてのアドバイス的役割を担う
ことが可能になる。
見境なく安易でわかりやすい言葉に変換してしまうのは、職責の放棄だ。
「無理に難しい言葉や専門用語を使え」
と言っているのではない。
「自分たちが普段使っている言葉や用語の意味を説明し知ってもらうのも職責のひとつだろう」
と言っているのだ。
「〇〇さんのADLが落ちてきています。ADLというのは、日常生活動作(にちじょうせいかつどうさ)のことで、食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など生活を営む上で不可欠な基本的行動の事を指すのですが、特に移動動作に関して足の筋力の低下がみられます」
そう伝えることが出来る方が、
言葉狩りをする人達よりも
何倍も何百倍も素晴らしいだろう。
介護業界に増えつつある
言葉狩りをして自己満足を得る人達に警鐘を鳴らしたい。
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この記事へのコメント
現役保険営業マン
記事には触れられていませんがウルトラセブンにはDVDに収録されていない「欠番回」があります。欠番となった理由は「被爆星人」という表現が被爆者への差別につながるというものです。しかもそのような言いがかりをつけたのは被爆者関連の団体とか…